~1~ 優しい月と優しい時間

 コンコン

「羽琉くん。優月ゆづきくんが来てるわよ」

 ベッドの上で所内の図書室にある小説を読んでいた羽琉は、病室のドアを開けた笹原とその後ろに隠れるようにして顔を覗かせる優月に視線を向けた。

『おはよう。いらっしゃい。優月くん』

 羽琉は言葉と手話で優月を中に促した。

 表情を明るくした優月は、笹原からおずおずと離れると羽琉の元に寄ってきた。

 9歳になった優月は、最近よく羽琉のところに遊びにくる。

 2か月前に入所してきてから誰とも話をせず部屋に籠りきりだった優月は、ある日偶然廊下で出会った羽琉が手話が出来る人だと気付くと、少しずつ心を開いてきたのだ。看護師の中でも手話の出来る人とは仲が良く、自分から話し掛けたりしていた。もともとの性格は明るく、話好きなのかもしれない。ちなみに笹原は現在手話を猛勉強中である。

『今日は何がしたい?』

 手話で訊ねると、優月も同じく手話で『外に出たい』と言ってきた。

 羽琉は息を呑んだ。確か優月はまだ外出許可が出ていなかったはずだが……。

「笹原さん。優月くんは外出の許可って出てるんですか?」

 困ったように訊ねると、笹原も困り顔で「まだね」と返す。

 いつもは羽琉の部屋でボードゲームやカードゲームで遊んだり、漢字の書き取りや計算問題を解いたりしているのだが、優月はまだ9歳の子供だ。やはり外に出て遊びたいのだろう。

 羽琉はどうにかして外出出来ないものかと考えるが、さすがに医師の許可がない限りは難しそうだ。ちらりと見ると笹原も難しい顔で考え込んでいた。

 無言になった2人を見て、優月は次第に不安げな表情になる。

 仕方がないがここは優月を説得するしかないと思った時、「分かった」と笹原が声を上げた。

「私が付き添うっていう条件で外出を願い出てみるわ。私も仕事中だから短時間……30分くらいしか取れないけど、それでいいなら先生に訊いてみる」

 羽琉が手話で優月に伝えると、満面の笑みでコクリと肯く。

 こんな幸せそうな表情をされれば、どうにかしてあげたいと思いたくもなる。笹原も羽琉と同じ気持ちだったのだろう。

「じゃあ、ちょっと待ってて」

 笹原が部屋から去ると、急に表情を暗くした優月が羽琉を見つめていた。

『どうしたの?』

 羽琉が訊ねると、優月は泣きそうに顔を歪める。

『ぼく、わがまま言った?』

 羽琉は目を丸くした後、切なげに苦笑し小さく首を振った。

 施設に入所していればある程度行動を制限されるのは当たり前である。そう考えれば優月の先程の言葉は、人によってはわがままに映るのかもしれない。だが優月としても、多忙な笹原の時間を割いてまで外に出たいと思っていたわけではないだろう。ちゃんと説明すれば外出を諦めたはずだ。

 でもこれまでもたくさんのことを我慢し諦めてきたのだろうと思うと、簡単に無理と言うことは出来なかった。出来ることなら叶えてあげたい。

 今もこうして笹原に迷惑を掛けたかもしれないと心配する優しい優月だからこそ、笹原も羽琉もそういう思いは強かった。

『大丈夫だよ。時間は少ないけど、何して遊ぶか考えようか』

 羽琉の言葉に優月も少し気持ちを浮上させたようだ。嬉しそうに笑うとコクリと肯いた。


 それからは羽琉か看護師の付き添いがあれば、優月も外出出来ることになった。それが余程嬉しかったのか、優月は暇さえあれば羽琉の部屋へ行き、外出の誘いに来ていた。

 羽琉も1日1回の外出は日課になっていたので、そこに優月が加わったことになる。それ自体は何ともないし優月と一緒にいるのも楽しいのだが、外出中は優月を預かる責任が生じるため、いつもと違う疲労感が溜まるのを羽琉は感じていた。

 それを笹原に相談したところ、羽琉にとってはそれも一つのリハビリになるのだと言われた。担当医師である近藤こんどうもそう言っていたそうだ。ただやはり長時間となると、羽琉も精神的に不安定になりやすい。優月も外出後に微熱を出すことが多いので、外出時間は一時間という条件が付いていた。これは2人で外出する時のリミットである。

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