おさきに。

福島 博

第1話 宣告

「これから帰ります」

「はい、気を付けてね」


 いつも通りにカエルコール(死語)をし、バイト先の運送会社の駐車場を出た。


 会社から自宅までは約5キロ、空いていれば10分もしないで着いてしまう。


 その日も産業道路の混雑はなく、すぐに自宅に到着した。



「ちょっと話があるの…」


 玄関を開けるとカミサンが奥から出てきて、いきなりこう言われた。嫌な予感がした。


 私が過去に追い出された、ダブルベッドのあるカミサン専用部屋に案内され、IKEAで昔買って私が組み立てた、オレンジ色の二人がけの椅子に並んで座る。


 正面に、私が屋久島から連れてきた、猫の「にゃんちゃん」の位牌が見えた。彼女は17年でその生涯を閉じ、今は綺麗に片付けと掃除が行き届いた、カミサンの部屋にいる。



「私、がんになっちゃったの」


 あまりに唐突だったので、私は声も出ない。


「婦人科の先生、簡単に言うんだよ。あ、がんですね、って。あまりに簡単に言うから、今も実感がなくて」


 カミサンはここの所、めまい、耳鳴り、頭痛、高血圧、膝の痛み、生理不順、出血過多、長期出血、等、様々な症状が出ていた。それを勝手な判断で、全てが更年期からくるものだと自分で決めつけてしまっていた。しかし違っていて、やはり因子があったのだ。


「これでさ、おかしいの納得できたよ」


 そりゃそうだが、がんなのである。


「国立病院で見てもらって、手術になるんだけど、たぶん年齢や今後のことも考えると、全摘が奨励されるかも、って。今度の30日に予約取ってもらったからさ、悪いけど、お願いしたいの。この予約がなかなか取れなくてさ、結構待たされたんだ。そうそう、かなり早期発見できたから、先生、100%大丈夫、命に関わることはないから、って言ってたから、安心したよ」


 全摘とは、全摘出、全てを取り出すと言うことだ。100%大丈夫だとは言っても、身体にはがん細胞があるわけだし、全摘出というのは、身体に負担がかかるとんでもないことだ。


「ごめんね」

「そんな、謝らないでいいよ」


 カミサンは私に気を遣った。自分のことで精一杯だろうに。


「問題はオヤジだよね。二人になっちゃうわけだから、あいつの分の買い物や洗濯やデイサービスの準備なんか、ヒロシにやらせるわけにいかないからさ、ショートステイか何か頼めないか、本人とケアマネさんに聞いてみるからさ」


 カミサンは自分のことで精一杯なのに、私と義父の事を心配している。義父は当初、健康管理の観点からも、食事は専用のお弁当を頼んでいた。市からも補助が出て、栄養面でもしっかりと考えられたお弁当が毎日家に届くシステム。病気のセミフルコースを生き延びた、大病後の老人とその家族にとっては、これ以上ない食事だった。


 しかし、自分勝手な義父は、数ヶ月はこのお弁当を食べていたが、どうしても食事は好きな物を食べたいらしく、お弁当をキャンセルする日が多くなり、次第には完全に辞めてしまった。今は、カミサンが頼まれて買ってきた物を、何とまあ、自分で料理して食べている。昔から料理が好きで、自分で食材を買い込んで大量におかずを作り、結局誰も食べないで捨てることになるので、カミサンも私も義父が台所に立つことに対してはストレスを溜めていた。


 その後二人で義父の部屋に行き、状況を伝え、ショートステイに出てくれないかと頼んだが、「おら、やんだ」(俺はやだ、行かない。ショートステイは嫌いだ)の一点張りで、話にならなかった。買い物も洗濯もゴミ出しも出来ないんだよ、と、カミサンがいくら強く言っても、「その気になれば、何でも一人でできるから」と言い張って聞かなかった。私は顔を合わせるのも嫌になった。


 一人娘が、命を賭けてお願いしているのに。


 結局、カミサンの入院中は、私と義父とで暮らすことになった。私は自分勝手な義父を戒める意味も込めて、何もしないことに決めた。カミサンもそれでいいからと言った。

 


 こんな事はどうでもよく、問題はカミサンである。結局、私とカミサンの職場両方にきちんと話をして、二人で頑張ってやっていこうと言うことになった。


 二本松に行くのは辞めようと思っていたが、気分転換も兼ねて、明日から行く事にした。


 突然の事で驚き、当初はそれ程堪えなかったものの、やはり時間の経過と共にダメージが強くなってくる。いろいろとネットで調べたり、あらぬ事を考えてしまったりしている一方で、初期の段階で発見できたことはとても良かったと、二人で前向きに思っている。


 既に、私やカミサンの周囲でも、初期の子宮頚がんで全摘をした人が、今でも元気に再発することなく暮らしているという情報が二件あり、勇気づけられている。


 いろいろと大変だが、二人で頑張って行こうと思う。


 

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