7 2018年10月4日、2020年7月24日
親愛なる陛下!
私のような根っからの世捨て人、厭世家が現代の社会で生きていくためには相当の苦痛を覚悟せねばなりません。苦しみはキリスト教において神秘的な意味を与えられています。仏教においては単に否定的なだけのような感じがしますが、キリスト教においては苦しみは肯定的な価値を有しています。
心の傷とは一体何でしょうか。円満でいたものが、破れることです。その破れとは自己の破れであり、神の愛はそこから自己に入ってきます。そうして私は傷において神の愛に浴し、自分一人では井の中の蛙に過ぎなかった何者かが、神の愛を受けて真の自己に近づくことができるのです。しかしそれは傷を堪え忍び神の愛を求める謙虚さ、信仰によるものでしか有り得ません。
ド・クウィンシーという作家は『阿片常習者の告白』という書で阿片をアルコールに優るアンブロシアであるとして礼賛しました。麻薬は副作用があるから危険だとされ、法律で禁じられます。しかしもし副作用の一切ない麻薬があったとしたら、どうなるのでしょうか。世俗主義国家においては、それは大いに使われるに相違ありません。しかし副作用の有無に限らず、苦痛を全て消してしまうような薬は果たして信仰にとって有益なのでしょうか。そうだとは思えません。
嗜好品によって苦痛に麻酔をかけることは、逃避であることには違いありません。誰しも苦痛を望まないゆえに、苦痛は苦痛であるので、逃避はやむを得ない面もあります。しかし安易にそれに流れることは戒めなくてはならないでしょう。それにしても自分を恃み過ぎることは最も危険なことです。苦痛を味得できる強さ(それはひとえに神の恩寵によるものですが)を得られるように、神に祈ることが必要です。
感情は天気のように偶然的で無意味なものです。人の自由になるものではないので、感情に何らかの依拠をしてはなりません。しかし苦痛は感情と違って、そのままでは無視することはできません。それと向き合わなくてはならないのです。苦痛とは人間の有限性の証明であり、それゆえ謙虚さの温床になります。
しかし現実問題として、この不愉快事以外、何一つ存在しないかのような末代においては、ある程度の苦痛緩和は不可欠のように思います。
アルコールは厳格なプロテスタント圏(そのようなものは、もはや存在しないのでしょうけれど)では忌み嫌われることが多かったようですが、カトリックでは伝統的にも許容されてきました。何より、ローマ教皇レオ13世は、ヴィン・マリアニというコカワインを愛飲されていました。次代の聖ピウス10世もです。レオ13世はヴィン・マリアニの広告にも出られているし、ヴァチカン黄金メダルを授与されたり、またヒップフラスクを携帯し常飲されていたそうです。
酒といえば、漢詩です。陶淵明、李白、杜甫、白楽天と、大御所は皆酒飲みです。例えば初唐の王績は、役所から毎日配給される一斗の酒が目あてで門下省に出仕し、晩年は酒屋に何日も泊まり込んで飲酒したそうです。一斗と言うと十升ですが、そんなに一人で飲むことができたのでしょうか?私などは、一升すら、何とか飲めるかどうかというくらいですが。
酩酊は、精神的な苦痛を麻痺させ、疲労を取り、また、宿酔も色々な心配を帳消しにしてくれます。世俗的な雑事への執着から解放してくれるのは、酒の最大の効能です。しかし、道義に悖るような段階に行ってしまう場合があるのは、酒の危険なところであります。
しかしながら酒の魅力は、より根源的には、理性・言語の迷宮からの脱出不可能性という陰鬱な事実を忘れさせてくれる効能にあるのかもしれません。ニーチェのディオニュソス礼賛のことが思い出されますが、ニーチェ自身は下戸だったようです。
ボードレールの『パリの憂愁』の一篇「射撃場と墓地と」という詩に、「墓地が見えます 居酒屋」と書かれた居酒屋の看板を見て、主人公が「それにしてもうまい思いつきだ、飲みたくなる!」と言うくだりがあります。
この現代という世界丸ごとの墓場の真ん中で、今日も飲むことといたしましょう。
ヨーロッパ摂政からスワジランド王への書簡 @rexincognita
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