2 2018年09月28日

 親愛なる陛下!

 まだ昼間は暑いですが湿度が下がり、ようやく秋らしくなりました。もう秋も半ばを過ぎているというのに。江戸は人が異常に多く、一千万人の有無が武蔵野の片隅に蝟集しているので、自然と平民瘴気で湿気と温度が高くなるのです。当世の平民は獣肉を喰らいますので、穢れた瘴気が人体から沸き起こり、自然と空気が濁ってしまいます。私も毎日動物園の檻に閉じ込められているので、鼻が不可逆的に曲がってしまい、臭気が気にならなくなっているに過ぎないのです。池田大作の言う通り、東京の空は毒ガスです。

 このところは雨続きでした。数日前は八月十五夜でしたが、宴も何もありませんでした。曇っていましたし、欄干に出て天の原をふりさけ見る気にもなりません。私は藤氏長者として本来は春日明神の化身であるはずなのに、何の公事もできません。配所の月を見るのも飽きてしまいました。思ひしほども洩れぬ月かなです。そして空気も汚れているので、それほど綺麗には見えません。

 今日日経平均株価が取引中に1991年以来の高値になったそうです。官製相場と言われますが、いつまで続くことか。金融商品ほど個人の精神にとって有害なものがありましょうか。例のごとく崩壊以外望みません。金曜日に高値になると、月曜日の崩壊を期待するものです。それも景気循環としての回復可能な崩壊ではなく、不可逆的な破滅でなくてはなりません。陽暦の十月は暴落の季節と言います。1929年も、ブラックマンデーも、リーマンショックも、全て十月だったように思います。また陰暦十月は出雲以外は地震の月とも言います。俗説でしょうが、少し期待しています。

 民主主義国家は平民の無思慮な欲望により福祉国家化し、財政規律を失って破綻する、このような新手のレーニンのような理論を昔私は考えたことがありました。理論というより願望ですが、ギリシャの債務危機の時には実際にそのように思えたものです。

 サンジカリストのジョルジュ・ソレルは代議制が憎い余り、王党派のアクシオン・フランセーズとすら手を結びました。私も、代議制、平民レジームが憎い余り、サンジカリスト、アナーキストを評価しているのですから、彼のことは今最も気になっています。『暴力論』を読まないとならなそうです。しかしその前にキェルケゴールとポール・ヴァレリーを読まないとなりません。大した収穫はなさそうですが。

 以前に『世界の名著』のアナーキスト巻で読んだプルードンのルソー批判は本当に痛快です。あれほど徹底的にルソーをこきおろす書も珍しいでしょう。彼は代議制という欺瞞を受け入れるくらいなら、むしろ絶対君主政を肯定します。私も代議制という欺瞞を受け入れるくらいなら、むしろ無政府状態を肯定します。

 ちくま学芸文庫の『西洋文学事典』というのを読んでいます。1954年の出版なので非常に古いですが、文章が面白い。普通の百科事典にはない生き生きとした筆致です。かなりマルクス主義の臭気がしますが、平板なものよりはマシです。キーツの項目に、子供の頃に「ギリシャ神話を熱読」、彼の詩の源泉となったとあります。このくだりを読んで、私は子供の頃に読んだ『古事記伝』の子供版を思い出しました。本居の書いたものを更に現代語訳したものですが、非常に強い衝撃を受けました。心に傷として刻み込まれたとまで言ってよいでしょう。陰陽二神、素戔嗚尊、それに日本武尊のことは強烈なショックとして残り、それが私の思想の原点となったのかもしれません。私は子供の頃はゲームなどもよくしていましたし、アニメや漫画なども楽しんでいましたが、それでも精神的な衝撃としては日本神話が一番大きかったような気がします。

 他にキップリングの項目では「イギリス帝国主義の偉大さをたたえた」とあります。インド在住のイギリス人作家ですが、植民地主義全肯定の作家というのも、今の世ではとても面白く読むことができそうです。日本は右翼ですら植民地主義を否定するのですから。民族主義は大事ですが、言語と言う普遍的なものの支配を受け入れなくてはならない。だから、君主政はどの民族にも普遍的に必要であり、自然法は存在し、厭世的な伝統宗教も同様です。謙虚さが徳の王なのですから。

 それにしてもこのような平民世界でいつまで死んでいないふりをし続けなければならないのでしょうか!価値あるものは墓場にしかなく、私はただ死に絶えた過去の偉人の墓碑銘を彫ることができるのみです。先日高御座を京洛から江戸に移したそうです。全く他人事として聞きました。即位式も大嘗会も当世にあっては関白とは無縁なのです。今では豊明も灌頂もありません。

 諦観と絶望に交互に襲われております。西洋文学事典のグリルパルツァーの記事にある、「アキラメとユーウツのうちに晩年を過ごした」という表現そのものです。諦観の時、私は胸に冷たさを感じ、無理に微笑みます。それが余りにも続くと絶望に至ります。絶望の時、私は呆然とし、自然に苦しみます。それで馬鹿になって不感症になると諦観に戻ります。しかしそれも今はある程度余裕があるからで、プリズンの苦役がきつければ、疲労による精神の鈍磨以外何もありはしません。死ぬことができないなら、さっさと年老いて呆けてパーになってしまいたいものです。

 『キリストにならいて』でトマス・ア・ケンピスは常に厭世的な嘆きを発しています。修道院で静謐に暮らしている人ですらそうなのですから、憂世で無益な瑣事を渋々片付けている者が雄叫びを発して泣き叫んだとしても何の不思議がありましょうか。年々状況は悪くなっています。世界も日本も、私の前でずっと腐り続けています。

 経済学は十字架、生贄に基づいて根本的に一から構築しなおす必要がありますが、あいにくその時間がなかなか取れません。資本はそれ自体罪であり、納税は罪滅ぼしです。キリストは抵抗せず、カエサルに税を納めたではありませんか。では株式や国債はどのような意味を持つのか。なかなか難しい問題であるし、くだらない話でもあります。何も考える必要はないし、君侯でありかつ奴隷であるような孤独な私が、暗い墓場に座って何を思い浮かべようと何の意味もないのです。

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