ヨーロッパ摂政からスワジランド王への書簡

@rexincognita

1 2018年09月27日

 親愛なる陛下!

 私の世俗における最近の関心事はただひとつ、金融崩壊であります。常に日本国債の破綻を待望しており、年中無休で国債の破綻の兆候の粉塵でもいいので吸い込もうと躍起になっています。禁煙中、最も苦しい時期のヘビースモーカーといった体です。しかしあらゆる経済問題同様に、意見は拮抗していて、破綻などするわけがないと言う者もいれば、破綻は確実かつ間近であると断言する者もおります。ただ私は平民レジームに対する腹いせのために、晩年のジョルジュ・ソレルのように現体制への憎しみに燃えて、そのような慰み事をしているに過ぎないので、破綻論のみを読んで胸をときめかせております。と言いますのは、金融崩壊が平民レジームの破滅のためには最も現実的な方策だからです。もはや高句麗から核弾頭がぶちこまれることもなさそうですし、富士山が破局噴火したり、原発が決定的にメルトダウンしたりするのは、いつまで経っても起きそうにないからです。

 ああまことに、七年半前に何故福島原発から東京電力が撤退しなかったのでしょう!ボリシェヴィキの菅何某とかいう者の言うことが本当であれば、彼は平民の恩人です。彼が叱咤して撤退を止めたというのですから。撤退していたら、首都圏1000万人が関西へ避難しなくてはならなくなったはずです。そうなったらもう平民レジームはおしまいでしたでしょう。ただ、代替の政治運動などないので、正統主義が復古するはずなどありませんが。

 何もかも空しく、無意味に夜の江戸を酒を飲みながら散歩しています。歩きながら飲むのであれば、焼酎かウィスキーの原液に限ります。どうやっても我々は敗北を運命づけられている。というより、ヴァルミーの戦いで既にとっくの昔に我々は敗れていたのです。何の希望もなく、読書すらも今は慰めとなりません。何故なら読書の無意味さを深く悟ってしまったからです。教養など何の役にもたたないのは元からわかっていますが、気晴らしにさえならないのです。かといって、読書以外のことも気晴らしにはなりません。全て価値あるもの、即ち教会と君主政が崩れ去ってしまった世の中では、何をする気にもなりませんが、時間潰しとして無意味に読書を続けています。

 アナーキズムに最近新たな観点から関心を持っています。エルンスト・フォン・ザロモンのことを知ったからです。平民レジームが存続するよりは、無政府状態の方がマシであるのは確実だからです。平民レジームに揺さぶりをかけるのであれば、どんな過激派でもよいということに過ぎないのですが。このヴァイマル日本ほど醜悪で恥さらしな無意味国家もありませんので。最大の豚は死ななくてはなりません。

 そして技術的特異点とやら。これはかなり前から密かに関心を抱いております。しかし純粋に、平民レジームの崩壊の可能性としてです。人工知能が人知を超えて爆発的に自己改造をすると。しかし有り得そうもないことです。肉体がないのに、自己改造をする意志など生まれようがありません。擬人化しているだけです。仮に人知を超えた叡智が生まれたとしても、どうしたら自己拡大をしようなどという欲を起こし得るのでしょう。その時点で、人知を超えていないのです。別にレイ・カーツワイルの予言がそのまま実現したからといってカトリック教会が復古するわけではありませんし、フランス革命前に世界が戻るわけでもありません。最後の審判が起こるわけでもない。そうであれば人工知能が光速を超えて宇宙征服をしたところで、私に何の関係がありましょうか。

 一体十九世紀末の詩人たちは何を嘆いていたのでしょう。彼等は幸せでした。カトリック教会は厳然としてあったし、君主政もあったというのに。今や、それらは痕跡しかありません。全ては滅び去り、仕方なく生きているに過ぎません。

 毎晩言語について考えています。メーストルの言う、人間を神の玉座に結びつける柔らかい鎖とは言語のことです。人間を神から分離するのも言語なら、神と結びつけるのも言語です。だから言語は十字架であり、私はヨハネ福音書の冒頭を読むたびに戦慄を起こします。言語の内容は神から与えられたものですが、形式は祖先から受け取ったものです。どの言語も、祖先からの歴史的な相続財産です。そうであれば、それを使って神や祖先の思考を超えることなどできるわけがありません。言語は枠であり、一度入ったら出ることのできない迷宮の壁なのです。

 しかし象徴主義の詩、またはもっと極端に言えば音楽は、非言語的なものではないでしょうか。単に感覚的なものに過ぎないといえばそうですが、象徴や音楽の意味はよく考えなくてはなりません。無意識や深層心理は、言語に決定的に浸透されています。

 昨日はとある権大納言と清酒を飲み過ぎました。それで色々な夢を見て、覚えています。そのうちの一つの夢は、どこかの飲食店で、知らない平民たちと六人くらいで座っています。隣にいた五十過ぎくらいのおばさんが、普通に日本語もできるのですが、手話をしながら朝鮮語で話し始めます。誰かに配慮してそうしていたようで、私はその優しさに顔をほころばせながら見つめていました。特に深い意味などないでしょう。夢分析など納得したためしがありません。

 それにしても破滅待望も全く実現しないので疲れるものです。少なくともここ五年はそうしているのです。ギリシャのデフォルト危機くらいからでしょうか。実際は何も起きません。失望もあまり繰り返されると怨念になります。私は平民レジームの断末魔を聞くためにのみ、生きているのですから。

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