監視社会の大阪都市 亡骸と首謀者の

 洗面台の前で顔を洗い、掬った水を顔にかける。鏡の横には赤い文字の〔水道の使い過ぎに注意〕というポスターが貼ってある。

 テーブルに置かれた大きなツナ缶と硬く味のないパン。それがここ三日間の孤児院での食事になっていた。

「おはようございます雀様。朝食の準備が出来ております」

 食卓に置かれた大きなツナ缶をスプーンで掬う。それをパンの間に挟んでかぶりついた。

《従業員二名。至急、院長室へ来るように》

 突然、館内放送が流れる。パンの残りを口に頬張り、急いでユズと共に従業員室を出た。



「“地底の太陽“について聞きたいことがある」

 事務所のコーヒーのカップを手に取った柱監の男は、窓に向かって立つ豊堀に向かって言う。

 豊堀は柱監の男の正面の椅子に座ると、その男に鋭い目線を向けた。

「柱監さん、あんたにも質問があんねや。何よりも聞かなあかんことが」

 柱監の男はカップを机に置く。

「なんで助けに来いへんかったんや。街がこないな状態になっても、あんたらは今もなんもせえへん」

 柱監の男は目線を豊堀に合わせた。

「街のみんなは柱監を長い間待ってたんや、都市の柱監が来ることを信じて。それなのに、なんでこの都市を見捨てたんや」

「我々の組織は既に研究所に権利を譲渡しました。定められた決まりに従うのが組織の規律です」

 豊堀はタバコを灰皿にぎゅっと押し付けると眉間にしわを寄せて、ため息混じりに言う。

「守るべきなんは法律より人の命やないんか?」

 柱監の男は豊堀の視線から目を背けた。実際は、私はあの時のことをずっと後悔していた。

 大阪都市が研究所に譲渡される数週間前、大阪都市にいた組織の仲間の連絡がかかった。研究所に引き渡すのを阻止するべきだと言う。

 しかし、その時の私はまだ若く『柱監の規則は絶対だ。破ればいつ殺されるかわからない』と言い放ち、すぐに電話を切ってしまった。

「……あなたの言う通り、柱監の規律がいつも正しい訳ではない。あの時私は柱監としての行動ではなく、自分の意思で行動をとるべきだった」

 豊堀は柱監の男の表情を伺って仕事机に向かう「見せたいものがあんねん」と言って仕事机の引き出しを開けた。

 引き出しから取り出した緑色の手紙を柱監の男に手渡す。

「これは?」

「八年前に匿名で送られてきた手紙や。その色、柱監のトレードカラーやろ?」

「ああ、確かにこれは我々の使用している文通で間違いない。……このテープに描かれた紋章は大阪支部のものだ」

「そんなんおかしないか? 八年前はもう存在してへん組織やのに……」

 手紙をまじまじと見つめる柱監の男は、その手紙の裏を見た途端息を飲み「そうか」と声を漏らした。



「暇、暇。ひーまー! 苗隊員、なんか面白いことしたいよね?」

 苗は座布団を枕にして天井を見ていた。起き上がり、机に置いていた伊達眼鏡をかけて言う。

「でも、出来ることはあるのかな。ここからでちゃだめって言われてるし」

「それは残念……。あっ!」

 考古は胸を張って苗にウィンクすると、合図して近づいた苗の耳元で囁いた。

「これまで生きて楽しいと思ったことは“冒険“だけ。旅館を探検してみない?」



「君たちがここに来てから三日経つな。孤児院での生活にはもう慣れたよな」

 片手で頭を押さえた明津は「えーっと」と声を漏らしながらユズと雀に言う。

「君たちに、資料室に保管されているある書類を取って来る仕事を頼みたい。……ただ、一つ問題があってね」

 明津は言い出しにくそうに額を手で支える仕草をした。

「無理に引き受けてほしいとは言わない。説明するべきなんだろうけど、資料室の近くは危険なんだ。詳しくは言えない」

「引き受けましょう。危険な場所には慣れております」

 雀は小声でユズを止めようとするが、雀が有無を言う前にユズはすぐさま口を出した。

 半ば強引にユズに連れられて院長室を出た直後、ユズの方を向いて雀は言う。

「なんであんな簡単にオッケーしちゃうかな……。 明津って男、裏でここの研究所と繋がっているかもしれないんだよ?」

「雀様の安全は確実には保証できませんが、私がそばにずっとついております」

 廊下には全く人の気配がない。ユズと雀の歩く足音だけがカツカツと廊下に響く。風も空気も停止しているかのように重く流れている。

「……安全性は保証できませんが、いざという時は私を盾にしてください」

「そう言うことは簡単に言っちゃダメ。自身の安全性もちゃんと考慮して」

 廊下の角を曲がると、電気が故障したのか明かりがまったく見えない通路が現れる。

 飲み込まれそうなほどの深い闇。それは彼女たちが来るのを待ち望んでいるかのように口を大きく開けているように見えた。

「ねぇユズ、怖いから腕掴んでもいい?」

「はい。この先は危険性が高いため、私から離れないでください」



「般若とかいないよね。ここ」

 旅館の東館に繋がる真っ暗な通路の前で足を止めた苗は、不安そうな顔つきで考古に言う。

「大丈夫、館内に生き物は検知されてない。それに、この建物も倒れる心配もないからね」

 考古は私を信じてと言うように、苗に目くばせをした。苗は控えめにうんと頷く。

 苗は息を呑んで足を歩める。真っ暗な通路は考古の端末の明かりが周囲を照らす。

 天井に端末の明かりを向けた。剥がれかかった天井の奥には、束になった配線管が顔を出している。

「ここ、本当にくずれたりしないよね?」

「あー、嘘ついたって言ったら怒る?」

 苗は考古の言葉にギョッとする。後ろを振り返るが、西館に続く廊下の出口はずっと後ろにあるように見えた。

「でもでも、この端末から半径五キロメートル以内は、位置情報で耐久性を確認できてるから安心して!」

 苗は冷めた目で考古を見た。考古は視線から目を逸らして、「……ごめん」と言う。

 突然、胸を突くような音が鳴り響く。ビーッ、ビーッというけたたましい音が流れた。

「うわっ!! 隊長さん!?」

「柱監隊員から通話!ちょいと待ってね」

 考古は画面に出現させた携帯電話を手に取った。

「東館にいる。……大丈夫だって、苗隊員の安全は隊長が第一に保証するよ」

 最初は笑顔だった考古は、柱監と話をしているうちに真剣な表情に変わっていく。

「それって……うん。じゃあ……、わかった」

 電話を切った考古は、先ほどまでの雰囲気と打って変わって冷静に言った。

「東館の放送室に行こう。今すぐにやらなければいけないことがある」



 雀はユズの腕に引っ付くと、おそるおそるその闇の中に足を踏み入れた。寒く感じていた廊下が、異様な生ぬるい空気へと変わっていく。

 廊下をしばらく歩いて行くと、消火栓白熱灯の明かりが見える。その隣には資料室と書かれたプレートが設置されていた。

 その瞬間、雀が今までに嗅いだことのない異臭が鼻を突いた。雀はこの強烈な臭いに思わず鼻を押さえる。

「うっ……なんか臭わない?」

「これは死体の腐敗臭です。発生源は隣の部屋のようですが」

「え? 死体?」

 雀は異臭のする部屋の扉を見た。その扉の鍵は文字パッド形式のものらしく、パッドの数字がぼやっと黄色に発光している。

「怖いけど……死体って分かった以上は、あの部屋には何かあるはず」

 扉に近づこうとする雀を止めたユズは、片腕から小型の機械を取り出して雀に手渡した。

「これを装着して下さい。フェイスシェルターといい、外部の感染症や病原菌を100パーセント防ぐことができます」

「耳に……つけるんだよね?」

 雀が耳に引っ掛けた瞬間にその機械からホログラムが射出された。射出されたホログラムは雀の口の前でマスクのような形を形成する。

「これ。透明だけど、ほんとにウイルスとか防げるの?」

「その機械のホログラムは特殊な光物質で構成されています。ご安心ください」

 雀は息を吸った時にあることに気が付く。それはさっきまでの悪臭が全く消えていた事だった。

 ユズは扉の正面に立ち片腕をパッドに当てる。数十秒も経たないうちに四桁の文字が入力され、画面が黄色に二度点滅すると扉が開いた。

 ユズが片腕から光を照らす。部屋の様子が確認できた時、雀はその状況に目を疑った。

「ひっ!」

 そこに倒れていたのは、考古隊長が映像記録で見せていた真陀の亡骸だった。

 頭部が抉れている死体の片手には、電気の帯で形作られた斧が今にも消えそうな灯りを発していた。

 雀は吐きそうになり、すぐにユズの顔を見るがユズは全く動じていない。ユズのその様子に不思議と気持ちが落ち着いた。

「分析の結果、武器を利き手で所持していたため彼は自殺だと判断しました」

「自殺? 真陀は機械生命体で般若を操っていたんじゃ……」

 ユズは自身の発光する腕を机の上にかざす。光は紙に殴り書きされた文字を照らした。

「〈我々柱監は陥落した。お面は我々の体を乗っ取り、我々を操り、罪のない人々を殺している。負の連鎖を終わらせるためには一つしか道はない。ただ最後に必要なら、私の死骸から必要なものを奪い取ってくれ〉。」

「柱監ってことは……真陀も操られてたんだ。ユズ、研究所に行こう」

 ユズの返事が聞こえない。雀は振り返って見ると、ユズはその場から忽然と姿を消していた。

「ユズ?」

 真っ暗になった部屋を手探りで出ようとした瞬間、突如目の前に光の塊が現れる。出現したそれは、急接近すると一瞬で雀を飲み込んでいった。



「なんや分かったんか? この手紙が誰からのもんなんか」

「この手紙は友人が書いたものだ。何故ここにあるのかはわからないが……」

 柱監の男は手紙を開く。その手紙は、全文楷書体で書かれていた。

〈これを君が読む頃には、私はもう死んでいる。と書きたいところだが、私が簡単にくたばるような人間じゃないことは君も重々承知だろう。

 最初に言っておく、君を信じるべきだった。いや、散々バカにした挙句、実際に存在を知った後に信じると言うのは都合が良すぎるか。

 事実、機械生命体は存在した。我々大阪支部の柱監は奴らに操られ、奴らの意のままに行動させられている。

 我々は毎日決められた標的を暗殺しなければ、お面に埋め込まれた小型爆弾で殺される。誰かを殺すことで明日を迎えなければいけない。

 一時的に操りを解除することはできるが、お面を外すことができない。これは自殺をする機会を与えているようにも思える。

 君の力が必要だ。どうか助けてほしい。君は正しい判断をすることが得意なはずだ。〉

 柱監の男は手紙を読み終わると、それを胸ポケットにしまう。

「豊堀さん、賭けに出ませんか。研究所を止めるために」

 柱監の言葉に豊堀は眉を顰めて、「おい」と柱監に言う。

「怒りに身を任せたら取り返しのつかんことになる。冷静に作戦を練らんと」

 武器を机の上に置いた柱監は、「私は冷静です」と一言。

「今、思いついたものですが、確実に成功できる作戦とはいえません」

「……さよか。なら言うてみぃ、その計画ってのを」



 顔を見下ろす四、五人の白衣を着た男たちは、雀の脈拍を確認して片手のバインダーにペンを走らせた。

 雀は研究者たちに驚いて「ひっ」と高い声を上げる。研究者達は剥き出しになった脳みそに、赤色と青色の配線が繋がった見た目をしていた。

 雀は瞬時にベッドから起きあがろうとするが、手足がワイヤーで固定されいるために身動きが取れない。

「自分から転移装置の罠にかかりに来るなんて、人間ってやつは滑稽だなぁ」

 研究者達が雀のいる所を出ていく。声の場所を見ると透明なガラスの向こう側に、配線が複雑に絡み合った赤く光る機械の塊があった。

「初めまして”わらび”って読んでくれよ。まあ、といっても君が言う回数は少ないだろうけどさ。その水槽の中で君は生まれ変わるんだから」

 付近にある複数台のモニターには、階層ごとに分けられた大阪都市の全容が映し出されていた。

「ユズ……。ユズは今どこに」

「あー、勝手に家族とか相棒だと思っているあの機械生命体? 彼女は君の味方じゃなくなったよ」

 ユズは物陰から姿を見せる。しかし、ユズの表情はいつもの柔らかい表情ではなく、感情のない冷徹な表情をしていた。

 突如、繋がれた管から雀がいる部屋に、赤色の液体が注ぎ込まれていく。雀は腕を振ってユズに言った。

「助けてユズ!」

 届いているはずの声はユズに全く聞こえていないかのように、ユズは雀に言う。

「申し訳ありません。今後、私が自分自身が望んだ選択をしていくために雀様には死亡していただきます」

 ユズの言う言葉に感情が全く感じられない。雀は石のように動けなくなり、声が少しも出せなくなった。

「僕は彼女に聞いた。“君は自分の意思で行動した事はあるか“と。すぐに彼女はこう答えた。“雀様の命令通りに動いています“ってね」

「違う。私は命令なんか……」

「人間ってのは愚かで単純な生き物なんだ。僕はある男によって生み出された時、ある欲求をインストールされた。それはなんだと思う?」

「……分からない」

「『独占欲』さ。傑作だろう? 人間が感じる欲求の一つ。自身の存在を形作る要素でもある。僕にとっては最適なアップデートだった」

 雀は力任せに無理矢理片腕を引っ張ると、バチンという音と共に腕輪が外れた。

「ユズに命令なんてしてない。お互いを信頼して、お互いを」

「いっつも綺麗事を言うのが好きなんだね、君達人間は。いい加減な事を言うのをやめなよ。まあいいさ、どうしたって君は死ぬ運命なんだ」

 雀は自由になった手で体を支えて、片足で腕輪の鎖を蹴り付ける。しかし、それはまったくびくともしない。

 既に膝のところまで液体が溢れていた。今度は片足でガラスを蹴りつけるが振動がそれに伝わるだけだった。

「あれ? まだ諦めていないのかい。君のしぶとさだけは認めてあげるよ。でも、これで君は絶望すると思うなぁ」

 わらびが喋った後、ユズはポケットから四角い何かを取り出す。それは赤色のフロッピーディスク。大阪都市の貯蔵庫だった。

「ダメ!! ねぇユズ!」

 ユズはわらびの投入口に躊躇なくそれを差し込む。直後にモニターに大阪都市の設計図が展開された。

「彼女がそれを持っていたなんて! 一体どこでこれを手に入れたか知らないが、これで研究所以外の大阪都市をすべて破壊できるじゃないか」

「……子供達はどこ」

 雀の言葉にわらびは「は?」と言い返す。ユズは雀の顔を見た。

「連れて行かれた孤児院の子供達はどこに?」

 雀はわらびを睨みつける。わらびはガチャガチャと笑ったかのような音を立てた。

「冥土の土産に教えてやろう。子供の脳は、大人の無駄に貯蓄した情報バンクと違い、データの入っていない綺麗な情報バンクのようなものさ」

 わらびは興奮したように声を荒げて言った。

「つまり、一度初期化してまっさらになったそれに、自分好みに情報をアップロードすれば、完璧な殺戮兵器が誕生するわけだ。

研究室のモニターの画面に般若が映し出された。

「例を出そうか。そうだな……君がよく知る『般若』のような」



「本気なんやな。死ぬかもしれへんのに」

 豊堀はまっすぐ柱監の男を見た。柱監の男は官帽を深く被り直して言う。

「後悔は自己嫌悪の前兆だ。行動しないとそれを受け入れることはできない」

 首を静かに縦に振った豊堀は、机の下に隠していた銃を取り出して、それを腰に装着した。

「俺もあんたについてくことにするわ。親父のためにもな」

 寝息を大きく立てている豹柄のおばさんの様子を見て、豊堀は小さな声で言う。

「河灯子さんはこの旅館の所有者なんや。……今までようおせっかいかけたわ」

 豊堀は机の引き出しから手紙を取り出す。それを眠っている河灯子の枕元に置いた。

「いざって時にな。ほんま……おおきに」



 苗は端末のカメラを室名札に向けた。考古が「入って」と言い、苗は急いで扉を開けた。

「今から手順を言う。苗隊員は機械を教えた通りに操作して欲しい」

「うん分かった。でも、どうして?」

「最初に、多くの死者が出るのを止めるため。そして、般若に戦線布告を仕掛けるため!」

 苗が電源スイッチを押すと、放送設備の機械が次々と起動した。



 思い出したのはユズの言葉。“般若は78%金属物質“。残りの22%は何で出来ているのか。

 考えないようにしていたことが、今となっては、はっきりと見えてしまう。

「子供だけじゃない。大阪都市の柱監にも利用価値があった。だから、しっかり使わせてもらったよ。研究所の優秀な警備兵としてね」

 ユズはモニター付近の基盤を操作する。画面に一瞬はしったノイズは赤色のマークを表示した。

 表示したそれは足跡の模様を一定時間留めると、手紙のマークに変化して画面外に消えていく。



 苗は放送室の操作板を考古の言う通りに動かしながら、考古に問いかけた。

「隊長さんは出来ないことってある? ……わたしは自分だけじゃ出来ないことだらけで」

「言うは易く行うは難し。意味は口ではなんでも言えるけど、行動に移すには難しい。これがぁ……隊長には出来ない」

 苗が考古の顔を見た。考古はヘラッと笑うと肩を落として、苗に淡々と言った。

「みんなのそばにいなきゃいけなかった大事な時に、その場所にいることができなくて……私は裏切った。恐怖で……動けなかったんだ」

 苗は口を噤む。静寂が続いた時、バンっと操作板に手を置いた苗は考古に言った。

「今できることをしたい。隊長さんと一緒に」

 考古は「その通りだ」と言って苗に笑顔を送ると、手に持っている説明書を見た。

「次は……」

 考古が言葉を発した途端、苗は足下をぐらつかせて後ろに倒れ込んだ。

「へ!? ちょっ! 苗隊員大丈夫!?」



突如、研究所が激しく揺れ始める。研究所の床もガタガタと振動し始めた。

「大阪都市の崩壊が、僕の目指す理想郷のスタートライン。さあ、死ぬ前にしっかり目に焼きつけてくれ!」

 雀の目に入ったモニターの映像は、大阪都市の地盤が崩れ落ち、建物が炎に包まれてゆっくりと倒壊していく様子だった。

「そんな……」

 雀の水槽に流れ込む液体の量が徐々に増していく。悲しい表情を浮かべたまま、雀は赤色の液体に飲み込まれていった。


[おまけ]


【孤児院初日】


 乱れた青い服を着た若い男が目の前に立っている。その男は右手に持ったクリップボードを机の上に置くと言った。

「あー、手荒な真似をしてすまない。……僕は院長の明津だ。まぁ、名前は自由に呼んでくれ」

 雀が椅子から立ち上がろうとすると、首の後ろに異様なものを感じた。その直後に視界が揺らぎ、全身の力が抜けて再び椅子に倒れ込む。

「頭がクラクラする……」

 首元を手で覆うと小さなシールが触れた。

「般若が君に打った薬によるものだろう。すぐに効果は切れるだろうが、今はあまり動かないほうがいい」

 雀は周囲を見渡したが、どこにもユズの姿が見えない。

「あぁ、君の相方は別室にいる。薬の効果が短かったらしく、君より先に目が覚めたんだ」

 明津は自分の机から灰色のファイルを取り出して、雀の前の机に差し出した。

「ここのマニュアルだ。君と君の相方には、これから従業員として勤務してもらう。……本音を言うと人手が足りなくて困っていたところなんだ

 雀はマニュアルを手に取る。明津は「もうひとつ」と言葉を付け加えた。

「仕事は直接私のところに取りに来てくれ。何かあれば、子供たちの身を最優先に頼む」

 雀が頷くと、明津は微笑んで出入り口の扉を手で指す。廊下へ出ると、ドアの前にユズが立っていた。

「ユズ! ……てっきり般若に連れて行かれたかと思って」

「お怪我はありませんでしたか? 般若が雀様に打ったのは危険のない麻酔です。安心してください」

 ユズと雀はマニュアルの地図から従業員室の場所を探す。建物の地図は綺麗な丸い形状をしており、目的の場所は建物の外輪部に位置していた。

 しばらく歩くと、子供たちが眠っている寝室に行き着いた。小さな寝息が聞こえる。

「あの絵、子供たちが書いたのかな。ほら、あの上に飾ってある」

 ユズは一瞬で寝室の壁に飾ってあるイラストを読み取る。ホログラムを展開して子供の指紋を照合させた。

「彼らが自主的に書いたイラストのようです。院長様は子供たちに慕われていらっしゃるようですね」

「嘘、あの明らかに怪しげな院長が? ……信じられない」

「その証拠に特に、鼻毛なども細かく書かれています。芸術的で興味深いイラストです」

「あぁ、院長……」

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地下都市~地中の足音~ じゃがたま @POTETOEGG

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