第1話 - 17D41FD5-BE40-4D88-B442-C549C66EE74F

 「魔法は見せられないけど魔法使いなんです」なんて、おかしなことを言っている自覚はないのだろうか。それを信じる者なんてどこにいると言うのだろうか。この寒い冬の夜に玄関先で応対する俺の頭は……お生憎様、冷え切っている。

 懸命に自身の胸に手を当てて訴えかけてくるその少女は、俺より三つほど年下に見えた。寒さと興奮で赤くなった顔は整ってはいるが、だからと言って「それじゃあ匿ってあげよう」だなんて思考には当然ならない。真冬だというのに薄い白衣のような服とそこから覗く四肢も同様に、俺の劣情を刺激するだなんてことはなく、ただ不信感を募らせるだけだった。

 しかし俺も、心まで冷え切ってはいないようだった。なんせこうして「交番へ届ける前に」と家に上げてしまったのだから。


 リビングのファンヒーターに向かって体育座りをするその少女を横目に、俺はコーヒーを淹れようとキッチンへ向かう。先に湯を沸かそうと電気ケトルに水を注ぎ、セットした。一人分も二人分も変わらないだろうと思ってコーヒーミルの中に多めに入れた豆のせいで、俺は真冬だというのに汗をかくことになってしまった。キッチンとリビングは扉で隔てられているとは言え、こちらにも暖かさは漏れ出ていたのだ。


 電気ケトルからゴーッという水が沸騰する音が聞こえ出した頃、リビングとキッチンを隔てる引き戸がそうっと開けられ、少女がそこからひょっこりと顔を覗かせた。が、俺と目が合うと逃げるように扉を閉じてどこかへ消えた。またファンヒーターの前に行ったのだろうか。肌が乾燥して悲惨なことになりそうなものだが、流石にそこまで面倒を見るほど俺は世話焼きではない。


 俺はその少女のことをまだ信用していない。盗られるようなものがない我が家で良かったと、初めて感謝した。


 二つのコーヒーカップに淹れたてのコーヒーをわけ、それとほぼ同量のミルクを注ぎ、2人分のカフェオレが完成した。それを両手に持ち、肘で引き戸を開け、キッチンからリビングへ入った。


 少女は相変わらず体育座りでファンヒーターの前にいたが、今度は背中を温めているようで、リビングへ入った瞬間に目があった。そのまま近づくと少し身を縮こまらせたが、俺がコーヒーカップを差し出すと驚いたように目を丸くしながらも立ち上がり受け取り、俺への視線はそのままに一口啜った。


 先程までの玄関先での威勢はどこへ行ったのやら、借りてきた猫のようにおとなしくなった少女を見ながら、俺も一口啜った。コーヒー牛乳と言っていいぐらいの甘さだったが、クリスマス・イブなのだから少しくらい甘くてもいいだろうと、俺は心を込めて飲み込んだ。


 └─*─┐


 なぜだか先程からおとなしすぎる少女を観察する。身長は俺より頭半分ほど小さく、三つ下ぐらいという印象は妥当だろう。肩まで伸びる真っ黒な髪と、カフェオレを見つめる真っ黒な目。整った顔からは少しやつれているかのような印象を受けた。白衣のような服から真っ白な手が伸び、来客用のコーヒーカップを包むように持っていた。今気がついたが、この少女、裸足だ。


 そんな俺の視線を快く思わなかったのだろう。少女はこちらをじとっと見つめ、なにか言いたげにしている。都合がいい。こちらもなんでもいいから話をしてほしいところだったのだ。


「で、自称魔法使いさん。なにか言ったらどうなんだ?」

「……信じられないかもしれませんが、自称ではありません。……が、ありがとうございます。助かりました」


 俺が皮肉を込めながら問いかけると、少女は冷静に言葉を選ぶようにゆっくりと感謝を述べた。


「そりゃどうも。こっちも見捨てるのは寝付きが悪くなりそうだったのでね」

「……すみません」

「今の俺が必要としているのは謝罪ではない」


 俺は首を横に振り、続ける。


「君は一体何者なんだ?」


 俺のその問いかけに対し、少女は目を伏せ、コーヒーカップを覗き込む。そこに答えなんてないだろうに。


「その前に、少しだけ時間を頂いても良いですか?」

「まぁいいが」


 時間なら俺がコーヒーを入れているときに十分あっただろう、という言葉が出かかったが、少女の、伏せたままの深刻そうな目を見たらそんなことは言えなかった。


「『逃走』ブランチから新規ブランチ『名乗り』作成。新規ブランチへ移動。チェックポイント『コーヒー』作成」


 目を閉じた少女は、俺が今までの人生で聞いたことがないほど凛々しく美しい声でそう宣言する。なにを言っているのかさっぱりわからなかったが、その声にドキッとしてしまった。

 失礼しました、と少女は言い、コーヒーカップから右手を離して自身の胸に手を当て、自己紹介をした。


「私のことはVCSと呼んでください」

「いろいろと突っ込みたいところがあるのだが、まず……その名前は呼びにくい。あだ名でいいからもっとましなものはないのか?」

「すみません、ありません」

「じゃあ勝手にブイと呼ばせてもらう」

「……もっと可愛げのある名前だとありがたかったのですが」

「じゃあシィだ」

「……エスでお願いします」

「了解した」


 これよりこの少女はエスである。

 俺の手がコーヒーカップを揺らした。これは、フラストレーションが溜まったときに俺の手が行う癖だ。エスに対し、俺は先程の気になる言動を訊く。


「エス、君のさっきの『宣言』……のようなものは一体なんなんだ?」

「私の魔法です」

「魔法……?」

「聞いたことはあるでしょう? 魔法です」

「……俺のイメージしていたような魔法とは違うが」

「私の魔法です」

「……さっき外では、『魔法は見せられない』と言っていたが」

「私の魔法は特殊で、そうやすやすと発動できるものではないのです。必要なときに使う魔法です」

「……そうか」


 正直なところ、エスの言うことは信じられなかった。魔法と言ったら、こう、なにもないところから炎を出したり、水を出したり、電気を出したり、というようなものだとばかり思っていた。エスはなにかを宣言したようだが、世界は全くもってなにも変わらない。

 しかしエスの目は、嘘をついている人の目には見えなかった。

 もしかしたら俺が魔法に関して門外漢だからかもしれない。確かに、俺が魔法を目にする機会なんてものは、TVの特番ぐらいなものだった。エンターテイメント受けするような魔法ばかり目にしていたから、魔法について致命的な誤解をしていたのかもしれない。


 その自称魔法がなんなのかはわからない。が、とりあえず理解を諦め、次点で気になることを問いかけた。


「君は何者だ?」

「……魔法使い、です」

「魔法使いには、クリスマス・イブにハロウィンよろしく仮装姿で練り歩く風習があるのか?」

「……逃げてきたんです」

「どこから?」

「……全てから」


 どうやら冗談が通じるような状況ではなかったようだ。少女の手の中でコーヒーが震える。対して俺の手は、いつの間にか止まっていた。


「俺は、君が……エスがそのコーヒーを飲み終わったら、エスのことを交番へ送り届けようと思っていた」

「……そう、ですよね」

「なぜ悲しむ?」

「……私は交番を含む全てから逃げてきたのです」


 そしてどうやら、この子はなにか大きなものから逃げているようだった。しかし俺には、その大きなものがなんなのかわからない。俺は「一般社会」で生きる「一般人」だ。俺に、この少女に対してできることはなにもないだろう。それこそ、こうしてコーヒーを淹れてあげるくらいしか……。


「申し訳ないが、俺は君を交番へ送り届けなくてはならない」

「……そうですか。そうですよね。それでは」


「チェックポイント『コーヒー』までリセット」


 凛々しい声が聞こえた……気がした。

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