第12話 孤独なお姫様 ②
白鳥と話を始めて、かなりの時間がたった。それなのにもかかわらず、白鳥の口は疲れを知らない。ずっと話続けているのに、全く話題が尽きる気がしないのだ。
普段、
こちらから懐に入り込み終夜に関する情報を引き出そう、などと思っていたが懐に入るもなにも、向こうから懐をオープンにしている。ウェルカムな雰囲気が、底知らなさを感じさせる。それともこの姿が、すでに底なのか。どちらにせよ、まずはこっちが主導権を握らない事には始まらない。
白鳥の話を6割程度の脳で処理しながら、考え事にふける私の意識を現実に返したのは、ガラスが割れる音と突然感じた足元の冷たさだった。
「キャッ!」
学校の制服であるスカートから足にかけて、飲みかけのコーヒーと氷がぶちまけられた。幸い怪我はないが、足元には割れたグラスの破片が散らばっている。
「ごめんなさい!」
そう言ってきたのは、顔がしわくちゃな齢80くらいのお婆さんだった。私が入店する前から店にいた人だ。きっと、白鳥が私と話しているから、邪魔しまいと自分でコーヒーを下げようとしたのだろう。それを落として私の洋服に、グラスの中の氷をぶちまけたのだ。
「だ、大丈夫ですよ」
まだ十代の若輩な私にお婆さんは深々と頭を下げて謝罪する。それを見て、慌てて私はお婆さんの肩を持ち上げて、目を合わせて声にした。
このお婆さんを咎める気はない。確かにスカートは汚れてしまったが、別にそれくらいのことで腹を立てる私ではなかった。
「本当に大丈夫ですから、もう誤らないでください」
それでもと頭を下げるお婆さん、そこにタオルと掃除道具を持った大人の女性がやってきた。白鳥小雪と、目元など特に似ていて、見た目からも高い包容力が伝わってくる。白鳥の母親だろう。
「大丈夫でしたか⁉」
「ごめんなさい。私がグラスを落としてしまって......」
白鳥の母親は手早く散らばったグラスの破片を、ほうきと、ちり取りで集めると、それを白鳥小雪に手渡した。
「どうせ、この子が空いたグラスに気付かなかったんでしょ。さくらさんは悪くないですよ。お怪我はないですか?」
「はい、大丈夫です。すみません」
白鳥小雪に破片を捨てに行くよう指示をだし、こんどは持ってきたタオルで私の濡れたスカートを拭いてくれた。
「ごめんなさいね。アナタも怪我してない?」
「あ、ハイ。大丈夫です。それと私、汚れとか気にしないんで、そんなに丁寧に拭かなくても大丈夫ですよ」
家にストックがいくつかあるから一枚制服をダメにしても大した痛手ではない。どうせ、また買い直せば元通りだ。
「ダメよ。シミになるわよ。せっかく可愛い顔してるんだから、洋服もキレイにしとかないと」
そう言いながら、白鳥の母親は拭き終えたスカートを見て長考の姿勢をとった。
「ダメね。本格的にシミ落としするから、一日貸してくれる? 制服の変えはあるかしら。なかったら小雪の貸すけれど」
「あります。でも――」
「じゃあ、外出て裏回ったら家につながる階段あるから、それ登って。これ鍵ね。入って一番目の部屋、左手の方にお風呂場があるから入っちゃって。着替えは小雪に準備させとくわ」
何度も断ろうとしたが、白鳥の母親の押しに負けて、家の鍵を受け取らされてしまった。どうしよう、逃げられなくなってしまった。
とりあえず言われた通り階段を上り、扉の前まで来たが、どうしたものか。実は生まれてこの方、人の家にお邪魔したことが一度もない。ましてや、鍵を渡されて勝手に入れ、と言われたことは衝撃的すぎた。
私が世間一般の常識に疎いことは昔から知っていることだし、自分なりにかなり勉強したが、いまだに令嬢の生活感が抜け落ちない。学校では、そこそこのお嬢様と噂され、そう捉えられているが、実のところ、そこそこどころか国内でも五本の指に入るの程には裕福な生まれである。今は別居しているが父は莫大な財産を抱える名家の大黒柱で、私はそこの三女だ。
しかし、そんなことは関係なく今日あったばかりの人間に自宅の鍵を渡すのはどうかと思う。困惑しながらも、扉の鍵を開けて中に入った。
言われた通りお風呂場に行き、制服を脱ぐ。汚れたスカートを別で置いて、下着をシャツとブレザーで挟んで隠した。
お風呂場の扉を開け中に入ると、そこは驚くほどに小さな空間だった。これが民家のお風呂場なのか、と自分の記憶と照らし合わせてみる。
私の自宅のお風呂場は少なくとも大人5人が横並びに両手を伸ばしても余裕のあるスペースがある。それに比べてここはその半分もなく、設備も椅子が2つと浴槽にシャワーだけと質素なものだ。
立って、暖かいシャワーを浴びながら、どうしてこんなことになったのかを考える。今のこの状態は規格外だった。私が生きてきた16年間において、初対面でここまで距離感を詰められたのは初めてだ。人の家に入るのも、人の家のお風呂に入るのも、全て初めての体験だった。
「イミわかんない」
私がボソっと、そう零したとき。扉の向こうで物音がした。
そういえば、白鳥小雪が服を用意してくれるんだった。なぜ、アイツの服を着なくちゃいけないのか。そんなことを思っていると、不意にお風呂場の扉が開く。
「え⁉」
開いた扉の向こうに見えたのは、白い肌が露わとなった白鳥小雪の姿だった。
「なにしてるの⁉」
私は本心から驚きの声を大にして言った。
「もう閉店の時間だし、お母さんがあがっていいって言ってくれたから。私も一緒に入ろうと思って」
どうして、一緒に入ろうという思考に至ったのか、私には理解できない。
「こんな狭いところで、一緒に入れるわけないでしょ!」
「狭くないよッ! 普通だよ!」
私の抵抗は虚しく、白鳥は強行した。私が浴びていたシャワーのお湯を手ですくい、それで髪の毛を湿らせると、椅子に座った白鳥はシャンプーで髪の毛を洗い始めた。私はシャワーを浴びるだけのつもりだったのだが、どうやら本格的に身体を洗うらしい。
「ミヤちゃんも、遠慮なくシャンプー使ってもいいからね」
そう言われると、逃げ場が限られてしまう。こっちも強行してこの場を去ることは出来るが、それをやると、せっかく接近していた状況を振り出し、もしくはマイナスにまで持って行きかねない。目的のため、そう自分に言い聞かせて我慢することを選択した。
「やっぱり狭くない?」
私も髪の毛を洗おうと、もう一つの椅子に腰をかけるが、隣にいる白鳥との距離はわずか数ミリ、少し動けば肌と肌が触れてしまいそうなほどの距離だ。
「う、うん。まあ、大丈夫でしょ」
お気楽にそう笑う白鳥に話が通じないと判断し、いち早く上がってしまうことが吉だなと思う。追って私も頭を洗い、次いで洗顔、身体と手早く済ませると、白鳥も終わった様で、ようやく解放されると思った矢先、白鳥が浴槽にお湯を張りだした。
「何度くらいがいい?」
「別にお湯につからなくてもいいんじゃないかしら?」
「え? 遠慮しなくてもいいんだよ」
「遠慮してるわけじゃ......」
「43度くらいでいいかな?」
「あ、うん。それでいいわよ」
一人だけ、楽しそうな笑顔を浮かべる白鳥は、きっと私が何を言っても、もう止まらないのだろう。椅子に座って、浴槽にお湯を張る白鳥をおもむろに眺めていると、凄く真っ白な肌だな、とただそれだけが頭に浮かんだ。とても華奢な身体で、身長も私と比べてかなり小さい。顔と体つきは少し幼さが残っている。
終夜はこんなのが好きなのかな。ボーっとした頭で無意識にそう思っていた。正直、ちょっと疲れている。
無意識のしたことなのだが、なに生産性のないことを考えているんだと、自分を戒めて思考を取りもどす。
「ちょっとだけだけど、お湯溜まったよ! こっちで待と」
先に浴槽に入った白鳥が私を手招きした。もうどうでもいいや、と半自暴自棄に白鳥の正面に腰を据えた。
私が入ったことにより、水かさが腹の辺りまで上がってくる。お湯の温もりが下半身を包み、疲れていた身体が解されていく。
「アハハ、幸せそうだね」
思わず、気が抜けていたことに気づかされ、目を擦って立て直した。
「なんだかずっと、ぎこちない笑顔だったけど、今は一日で一番いい顔してるよ」
「え?」
白鳥の指摘に私は、驚きの声を溢した。
「ずっと心配してたんだ。私ばっかり喋っててミヤちゃんは笑顔で聞いてくれるんだけど、なんだか心から楽しそうじゃないし。退屈してたらどうしようって」
今の今までずっと笑顔を絶やさなかった白鳥が、萎れた花のような雰囲気で言葉を続ける。
「私ね。う〜んと小さな時から人の顔色ばっかり見ながら生きてきたから、そういうのは、なんとなくだけど分かるんだよね」
なぜか申し訳なさそうな、低い態度を見せる。
「ごめんね。そんなこと急に言われてもキモチわるいよね」
そんなことを言う白鳥の雰囲気に、どこか不思議な親近感のようなものを感じながら、私はどう返答したらいいのかわからなくて、黙って目の前の彼女を見つめることしかできなかった。
「でもね、いたんだよ。そんな私を深い闇から救ってくれた人が。だからね、私もその人みたいに誰かの為になる行動をしたいって、そう思ったんだ」
そう告げた白鳥の顔は何かに懐かしむような遠くを見る笑顔だった。
「私も。私もずっと昔、ある人に助けられた。凄く気弱でやられっぱなしな自分が、自分でもイヤになる程苦しかった。家族も周りの人間もみんな敵だったけど、その人だけは私を助けてくれて。そして、その人に強くなれって言われた」
思い出すのは惨憺たるイジメの記憶。初めは姉妹たちだった。長女を筆頭に次女、四女とが私をどこか他人のような存在として視線を送ってくる。徐々にそれはエスカレートしていき、長女と四女は何をするにも私の邪魔をして、次女は寒気がするほどに執拗な寵愛を浴びせてきた。それが父の耳に入るのは私が家を出る少し前のことだ。我が血統ながら、姉妹たちはバレずに上手くやっていたと思う。皮肉でしかない。
姉妹たちにとって私は、自分達の思い通りになるオモチャでしかなかったのだ。それに従うように私の学友や周りの使用人も私には冷たく当たってきた。
それを知った父の行動も、姉妹たちに罰を与えるでもなく私を地方にある、所有権をもつタワーマンションに飛ばすことだった。最上階のフロアを丸ごと私の私物とし、使用人も数名付け、毎月使いきれない額の資金と、生活必需品が送られてくるが、それが良い父親の対応か、といわれれば私は、ハイとはいえなかった。
今、考えても胸が張り裂けそうになるくらい憎いく、そして不可解な話だ。なぜなら私は何一つ、相手を不快にさせる行動をとった覚えがないのだから。まるで幼少期のあの日々は呪いのような日々だった。
「だから私も、強くなろうとたくさん努力したの」
結局、中学三年の夏に悲劇が繰り返され、終夜に助けられたのだが、私はそこから徹底的に外堀を埋める決意をした。それが今のこの状態につながっている。
場の空気に絆されて、今まで誰にも話したことのないようなことを話してしまっていることに疑問を覚える。
白鳥が放つ雰囲気が、なぜか昔の自分に少し似ているような気がして、ここで話さなかったら、きっともう死ぬまで誰にも話す機会がないように感じたから、私は思わず口に出してしまった。けれども、不思議と胸の奥は軽くなったような気がした。
「そっか、私たち意外と似たもの同士なのかも」
長ったらしく話をしていたせいで、お風呂のお湯は既に肩のラインを超えて溢れてしまいそうになっていた。
上半身を覆う、浴槽の中の暖かな温もりが全身に染み渡り、身も心も解してくれていた。
「そうかもね」
そう言い残し、立ち上がると浴槽の量はグンッと減ってしまう。
少しのぼせてしまったのだろうか。
頭が痛む。雷に撃たれた様な痺れ、頭から全身にかけて熱を帯びていくような感じがする。それは一瞬、異質な感覚で身体を支配し、そして、音もなく消え去った。
お風呂場を後にし、我に返って考えを改める。私はもう間違えない。努力を重ねて、私は強くなったのだ。中学の頃の悲劇を起こさない為に、私にできることは元の終夜を守ること。その点を頭から外してはいけない。
白鳥小雪は毒である。私は身をもって終夜に対する白鳥小雪の危険性を確認した。
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