第10話 前途多難な捜査隊 ⑤

 「御託はこの辺でいいかな。勿論、僕がこうして君の目の前に現れたのは昨日と同じ目的さ。随分と話し込んでしまったが、内面はかなり怒っていてね。昨日、キミに出し抜かれたのが僕としては結構堪えてるんだよ」


 ついさっきまで明るいトーンで話していた俊光の声は段々と暗い雰囲気を帯びていく。美幸の垂れさがる髪の毛を、ナイフを持つ手ですくい上げ、撫でる様子を見せる俊光。その後ろには人の頭身を軽く超える大きな黒い刃が五本、扇形に顕在していた。昨日、何度も俺の体を痛めつけた俊光の扱う武器である。


 思い出すのも嫌になるのは、遠隔で行動し、対象を切りつける中距離攻撃だ。俊光の体が触れていなくても、黒の刃は宙を浮き対象を攻撃する。攻撃の幅が広いのは実に厄介なことだ。


 「さあ、この射程を前にお前はコイツを助けに来れるか? さっき、お前は僕のことを内面ではバカにしたはずだ。異質な執念を持つ変態野郎だってね。でもね、お前も同じなんだよ」 


 俺の目を逃がすまいと、強い眼力で睨みつけてくる。


 「僕は皇終夜という人間を知っている。僕、っていうのはちょっと傲慢がすぎたかもしれないね。フライ・ハイトは目的を達成させるために必要な能力を持つ人間を調べ上げた。その最有力候補が皇終夜、キミだ」


 敵の一番槍として俺に接触してきた男が、今日一日、俺のことを悩ませる原因を作った男が、俺の悩みの解答を口にした。


 「フライ・ハイトはキミを探し出す過程でキミの過去にも足を踏み入れた。まるでキミは怪物のようだね」


 俺を見下すような声と表情で語り出した内容に、内心ギョッとした。それは俺が一番触れられたくない領域の話だ。それがコイツ等のなかで流出しているとなれば今の生活を維持することは極めて難しくなる。


 「黙れ」

 「おー、おー、そうかい、そりゃそうだろうな。聞かれたくないよな、この子には。分かるぜ」


 腕の中で捕えている美幸を見せつけるように揺さぶりながら俊光は続けた。


 「だってキミも異質な執念を抱いているんだからね。感情を捨てようとしたキミは僕からしたら十分な程に異質だよ」


 他人の口から告げられる自分のイメージに返す言葉はない。俊光の言うことは的を得ていた。だが、だからといって数年間、人との関りを極力断ち続けてきた俺だからこそ、感情を殺すことまでには至れないということを理解している。


 「皇終夜、キミはバケモノだ。人の心なんか持ち合わせてはいない。キミはこの子を助けない」


 俊光の口から快活よく放たれた言葉は、とても安い挑発だった。展開される包囲網に突っ込んでこい、と言わんばかりの本当に安い挑発だ。


 「お前の言う通りだ。確かに俺は歪んでしまった。もう二度と苦しい思いはしたくないと、人との関りを断ち、感情を捨てようとした。だが、少しだけだが気付いたんだ」


 俊光のように歪んだ欲望がそのまま、能力として救済されることは珍しい。俺がどれだけ孤独を願っても、その願いは果たされることは無かった。

 

 いや、果たされなかった理由は既に明白なのだ。俺の願いは心の底からの願いではなかったのだ。その事を、ようやく少しだが理解した気がする。

 

 今、自分の中に生まれた新な感情と、今までの感情が交じり合い、胸が痛くなる。


 ずっと認めようとはしなかったが、ここ二日、美幸や曜子と話してみて、不思議な経験を重ねた。それはとても気苦労なものだったが、なぜか心の底から嫌なものではなかった。その関係がなくなるのは、少しイヤだ。今はそう思っている。


 「無論、助けるに決まってるだろ」


 決意と共に地面を蹴った。加速する体は、美幸を人質にする俊光へと向かって行く。そんな俺を当然、俊光は許さない。宙に漂う五本の剣が、その刃を俺へと向けた。


 一本、二本、と順に俺を目掛けて放たれる。辺りの空気を切り裂くような音を立てる、直進的で単純な動きだ。

 一本目をわざと受け血液は吹き上がるが、その分【呪能】を発動させて身体能力を飛躍的に強化した。そのまま、残りの四本を交わし、俊光を間合いの中にとらえることに成功する。


 この状況なら、昨日の戦いと大して変わらない。俊光が強化された俺の動きに対応できるわけがなく、人質を取られていても関係ない速度で攻撃を仕掛けることが出来る。


 トドメの一撃を放つべく、右手の握りこぶしに力を籠め、大きく息を吸おうとした瞬間、異変に気付く。息が出来ないのだ。


 ほんの一瞬の隙を縫って、俊光の心移す体であるヘイアン・リッターが俺の体を弾き飛ばした。


 「かかったな、皇終夜ッ! 僕の求能力は物質の三態に基づいて、人の感情を模った化身を作ること。お前は今、小竹とかいう男の怨念が籠った気体の化身に全身を覆われているんだッ! お前の周りには酸素は存在しない」


 吹き飛ばされ、地面との衝突で砂埃が舞い散った。かなり距離を取られてしまう事となる、しかも、敵の求能力の効果はまだまだ健在。息を吸おうにも呼吸が出来ない。マズい状況だ。


 「さあ、チェックメイトだ! 息も出来ない状態で、お前にこの距離が詰められるのか? 無理だろう。お前の敗北は決した。今、どんな感情を抱いている? 俺にその顔を見せろ、皇終夜」


 俊光の言う事はもっともだ。この状況で、間合いが負けている俺が、息も出来ずに、あの漂う刃を潜り抜けてもう一度、俊光を射程範囲内に入れることは不可能に等しい。


 幸い、俺の【呪能】の効果で、肺活量も強化されているが、敵を追い詰める程の息は残ってはいない。


 「どう料理してやろうかな。生け捕りって命令だけど、自己完治が可能なら痛めつけても問題ないよなァ! 精々、いい顔、見せてくれよ」


 酸素が不足し、視界がだんだんボヤけ始める。全身の力が吸われるように抜けていき、意識が遠のいていくのが分かった。抗おうにも、脳も働きを放棄し始めている。


 「す............くん........................す......ぎ......くん!」


 美幸が俺を呼んでいる。

 

 残された脳を意地でも動かし、最後の足掻きを見せるときだ。薄れゆく意識の中、力の使い方を手繰り寄せる。その末、たどり着いた俺の意識は能力発動のトリガーを引き、その力を全身に巡らせた。


 脳から送られた全く新しい電気信号は、残された力を振り絞り、最後の足掻きを可能にさせる。

 全身がまるで、ジェットコースターに乗ったかのような浮いた感覚の末、俺の体は美幸の側へと一瞬のうちに移動した。

 

 瞬間移動の勢いのまま、体に残された【呪能】の力を右手に収束させ、全力のストレートを俊光の顔面に打ち放ち、その頭蓋を砕いた。


 意識外からの攻撃を顔面に受けた俊光は、鼻と口から規格外の血液が噴出し、数メートル先まで吹っ飛び、地面に衝突する。そして、俊光がたてた砂埃が風に乗り、俺の体を過ぎ去ると同時に、敵の【求能】は解除された。


 俊光が気を失って解除された気体の化身だが、解除されたからといって、俺の呼吸が正常に戻ることは無かった。窮地において 、残された力の全てを右拳に込めて打ち放ったことが重なって、すでに息を吸う余力も残ってはいないのだ。


 呼吸を奪われてから既に2分くらいが経っただろうか。再び視界がボヤけてきた。今回は【呪能】の力も残っていないので気を失うことは避けられなそうだ。

 

 思考も遮られ、全身の感覚が極めて鈍くなったその時、鈍くなった口部に生暖かく柔らかな感触が伝わってきた。そして、胸部に激しい圧が連続してかかった。

 口から喉にかけて、外から酸素が運ばれてくる。心臓は活動を取り戻し、酸素の供給により、活発に血液は循環させれていった。


 「皇くん⁉ よかった、上手くいったんだね」


 冴えた頭に、戻った視界が最初に捉えたのは美幸の顔だった。目尻に涙を溜めて、俺を見下ろすような状態で美幸は地面に座っている。


 「死ぬかと思った。急に知らない人にナイフを突きつけられて、目の前で行き成り皇くんは血まみれになるし、もう何が何だか」


 ずっと我慢していたのか、美幸は下にいる俺の顔に大粒の涙をボロボロと流した。

 

 「でも、皇くんが生きててよかったよ」

 

 状況を察するに、なぜそんな技術を有しているのかは分からないが、美幸が人工呼吸と胸骨圧迫により、心肺蘇生を行ってくれたのだろう。脳は状況判断を出来るほどに回復し、体もかなり回復した。その身体で地べたから起き上がり美幸と対面する。


 「ありがとう、助かった」

 「ううん、助けられたのは私の方だよ。昨日も皇くんは私を守ってくれてたんだよね。疑ってごめんね」

 

 美幸は顔に流れる涙を、小さな手で拭いながら、そんなことを伝えてきた。

 勘のいい美幸なら、昨日のことを含め、今の状況を推測することも出来るだろうが、その推測は少し誤解が生じている。


 「いや、アイツの狙いは俺だった。どの道、巻き込んだのは俺だ。お前は元々、狙われてなんかいない。謝るのは俺の方だ。すまなかった」

 

 それは、何のわだかまりもなく、心の底から出た一言だった。


 「悪いのは皇くんじゃないよ。私を巻き込んだのも、皇くんを狙ったのもアノ人でしょ。じゃあ、アノ人が全部悪いじゃん」

 「それでも―――」

 「私は、皇くんが悪い人じゃなかったって、分かっただけで満足なんだよ」


 俺の言葉を遮るように美幸は、そう割り切ってしまう。本人がいい、とは言いているものの、俺としては気が晴れるものではなかった。


 「でも、びっくりしちゃったよ。ホントに皇くんには、特別な力があるんだね」


 落ち着きを取り戻してきた美幸が、空気を変えようと話し始めた。それは昼間に話していた、俺には傷を治す魔法のような力がある、という話のことだ。結果的に、その力を美幸の目の前で披露することになった故に、もう適当な誤魔化しは通用しないだろう。


 「確かに、この感じじゃ、昨日のことを私に説明するのはムリな話だよね」

 「そうだな」


 俺が美幸に対して言葉を濁していた部分も、今の美幸からすれば説明など不要で、推測済みということか。


 今日一日、美幸はこれまでの人生で最も危険な目にあったことは明白である。とても、不安で怖い思いをしたことだろう。


 本人は既に割り切ってはいるとは言っているが、その節、外見の様子や声色から、まだ恐怖の色は取りきれてはいない。そんな状態が正常なわけがないのだ。


 元気を出そうとがむしゃらに立ち上がる美幸を追うようにして、俺も地面から這い上がる。そして、その行動に驚いた様子で視線をやった美幸の目を、瞳で捕えた。


 「やはり、お前を危険な目に遭わせたのは俺だ。事情が話せないにしても適当に辻褄を合わせて、お前をこの件から遠ざけることは出来たはずだ。だが、俺にはそれが出来なかった。本当に、すまなかった」

 

 どうも、上手く話せないが、俺の持つボキャブラリーを振り絞り、そう伝える。


 「もう、どうして掘り返すの............」

 

 目の前にいる美幸の瞳から、再び大粒の涙が溢れだした。それから、美幸の優しい拳が俺の胸元に放たれた。


 「もし、気が収まらないなら、俺のことはどれだけ責めてくれていい。顔面を殴ってもいい」


 それを聞くと、美幸は涙を流しながらも、可笑しそうに口角を緩ませる。


 「バカ、初めから皇くんには怒ってないし。てか、怪我人を殴れるわけないじゃん。ホントに人付き合いは不器用なんだね」 

 

 そう告げた後、美幸は少しのあいだ泣いていた。時間が経ち、美幸が涙を拭うと、その表情はどこか清々しさに満ちている様だった。


 「ありがと、しっかり誠意は伝わったよ。泣くだけ泣いたら、こんなに楽になるんだね」

 

 涙の跡が見える充血した美幸の瞳は笑っていて、なぜだか俺も胸の辺りが熱くなる感覚を味わう。少しだけだが目尻にも熱が集まり、じわっ、と瞳の奥から気付かれない程の涙が湧き出てくるのが分かった。


 なんだコレは。人間として、痛みなどの反射的な涙は幾度と流してきたが、こんな形で涙が沸き上がって来るのはいつぶりだろうか。


 それが、少し気恥ずかしくて、俺は美幸に対して、柄にもなく自分から話題を振った。


 「そういえば、心肺蘇生法なんてどこで身に着けたんだ?」

 「え⁉ え~っと、私、看護師を目指してて少しだけだけど、勉強してるんだ。人工呼吸や胸骨圧迫は専門のセミナーで教わって、上手くいくか分からなかったんだけど、成功してホントによかったって」

 「そうなのか、物覚えがいいんだな。きっといい看護師になる」


 自分でも寒気がするほど、柄ではないセリフだったが、美幸も同様に驚いて、しかし、嬉しそうに笑ってくれた。


 「えへへ、皇くんにそんなこと言われる日が来るなんて思ってもいなかったよ」


 居心地が悪くない不思議な空間に身を委ねながら、数分の時が動いた。その間、遠くにいた百合姫が、俊光を拘束し俺のもとへと帰って来る。美幸には百合姫を黙視することは出来ないが、百合姫のことをふんわりと説明しながら、一本、電話をする断わりを入れた。


 前日に続き、国裏政権協会こくりせいけんきょうかいに連絡し、三条と話しをした。俊光を、協会に属さない反対勢力の組織として協会で逮捕、及び取り調べを行ってもらう手筈だ。そして、三条に説明し、情報を俺まで流してもらう約束も取り付けておいた。

 

 用件が済み電話をきり、このあとどう行動するのが正解なのかを考える。怪我もなく精神的にもほとんど正常に戻っているようだが、美幸とここで別れて大丈夫なのだろうか。なにが、正解なのかを迷っていると、手に持っていたスマートフォンが振動し着信の存在を音共に知らせてきた。


 再度、美幸に断わりを入れてから、スマホの画面を確認する。画面には宮園華希の名前が記されていた。いったいなんの要件なんだ、と着信に応じる。

 

 すると、焦った様子で、液晶画面に示されていた人物とは別の人物、白鳥小雪しらとり こゆきが、衝撃的な発言をした。

 

 「分かった。直ぐに向かう」


 一連の流れを黙って見ていた美幸は特別不思議そうな顔は見せず、昨日見せていたようないつものポーカーフェイスに戻っていた。


 「私は大丈夫だから。行っていいよ」


 言葉を交わさなくても、俺の様子を見て、美幸はことを推測したのだろう。それは、とてもありがたく一秒を惜しむ今の状況では一番望ましい行動だった。


 「悪い。じゃあ、また明日」


 思わず出た、自分らしからぬ発言にわだかまりを少し感じながらも、いちいちツッコンではいられない、と美幸に背を向け走り出した。

 

 

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