第8話 前途多難な捜査隊 ③

 担任の教師が号令をかけ、ホームルームが終る。昼休みの、ドロドロとした胸の痛みはまだ止まず、おまけに情報の一つも得られなかった。


 あれから美幸とは一度も話をしていない。それは俺にとって当たり前のことのはずだが、どうしても目の端に美幸の存在が映り込む。


 まるで、自分が自分ではないような不思議な感覚を覚えている。いったい自分はどこへ向かっているのか、途方もない暗闇に取り残されてしまった困惑と、敵から襲われるという大きな不安が重なって、精神状態は非常に悪いと言えるだろう。


 周りの連中が群れをなして帰路につくのを横目に、俺はいつもよりゆったりと帰宅の準備を進めていた。放課後は一直線に家へ帰るのが通例のことなのだが、一つ胸に引っ掛かるものがある。美幸から情報がえられなかったからには自分の足で探るしかない。


 鞄を肩にさげ、考える。俺が敵に直接襲われた四階の教室。昨夜、協会の連中が完璧に後処理をした場所だ。俺も近くで様子を見ていたので、それは確かである。だが、俺の足はそこに向かっていた。


 途方に暮れた末に一筋の光を望んできてみたが、やはり完璧に後処理がされている。荒れて傷のついた机も、教室にまき散らされていた血液も、全てなかったものになっている。


 ため息をついて、帰路につこうと振り返ると、そこには美幸が立っていた。


 「なにしてるの?」


 俺と同じ目的で、ここに足を運んできたのだろう。俺を見る目が少し揺らいでいる。


 やはり、向こうも昼のことは気になっていたらしい。結局、美幸から見れば何の解決もしていないことに加え、俺への不審が高まり、不安をあおった結果となった。腑に落ちないのは当然だ。


 「昼間の話が気になってな、見にきてみたんだ」

 「そっか、私もだよ。ごめんね、変なこと気にさせちゃって」


 震える声で、美幸はそう告げた。あくまで俺は無関係だ、という建前を貫き通すつもりらしい。


 「何もないね。私の記憶だと、この辺とか血が染み付いてたんだけど」

 「そうか」


 教室の中を歩いて周り、辺りを確認する美幸に対し、どんな対応をとっていいのか分からない。言葉は喉で引っかかり、思いは声に変わらない。

 美幸は俺を疑っている。自分の身の危険を不安に思い、解決したいと思っているはずだ。それは、自分もそうだからよくわかる。その答えも、弁解の言葉も俺に伝える術はない。


 「大人しく帰ろっかな」

 「そうだな」


 諦めるように帰ろうとする美幸に淡白な応えを返し、俺もそれに順ずる。黙ってついてくる俺に、美幸は何も言わなかった。


 一歩前を歩く美幸の後ろについて、階段を降りていく。なにも話さない美幸に対し、もちろん俺は口を閉ざしていた。距離感も空気感も奇妙な雰囲気が漂っている。


 玄関に着き、靴を履き替えて校舎を出た。校門をこえたら別れよう、そう考えていると、美幸が何かに気づいたそぶりで、俺の袖を引っ張った。


 「ねぇ、アレ」


 指が刺す方向は校舎と木々の隙間にある影の部分。人目を避けるには十分すぎる場所。


 「美幸ちゃんだよね。それと小竹くん」

 「そうだな」


 その二人が人気の少ない場所で密談をしているとなれば、俺でも大体のことは予想がつく。昨日の昼、俺が倒れた後のことなど知る由もないが、十中八九、告白は中断されたに違いない。それの延長、といったところだろうか。


 「やっぱり、アレってそういうことだよね」


 少し顔を赤らめた美幸が、更に俺の袖を強く引っ張った。


 「まあ、そうだろうな」

 「どうしよ、見なかったことにした方がいいのかな、どうしたい?」


 どうしたい、と問われても華希が誰となにをしようと俺が口を出すことではない。華希のおかげで少し、この場の空気は楽になったが、美幸に便乗して俺まで積極的に介入するのはいかがなものかと考える。


 「いいんじゃないか? そっとしておいて」


 厄介なことには首を突っ込まない。美幸を連れて、さっさと校門をこえてしまおう。そう決意したとき、遠くの方で小竹からバツが悪そうに目を逸らした華希の視線と交わった。


 小竹を前に困った顔をしていた華希の表情に光が差し込まれる。明らかに変化した華希の表情に気づいたであろう小竹は、その視線の先にいる俺の存在が目に入ったようだ。


 これではまるで本当に昨日の昼の延長だ、などと考えていると、華希は小竹に深々と一礼を残した後、鞄を持ってこっちに向かって駆け出した。


 走ってきた勢いのまま美幸の腕に飛び込んだ華希。そのまま腕を引っ張って、校門の方まで歩いて行く。


 「わっ! どうしたの?」

 「私、あんなの初めてで、どうしたらいいか分かんないから困っちゃって」

 「それで逃げて来ちゃったの⁉」


 校門に向かう二人の後を追いながら一度、小竹の方を振り向いてみる。すると、開いた口が塞がらないようすの小竹の姿がうかがえた。二日も連続で同じ結果に終わるとは流石に不憫だな、と結局は他人事の領域で小竹を見つめてしまう。そんな俺の目に小竹は鋭く睨みを返してきた。


 明らかな敵意に対し、どうせ相手にするだけ意味がないことなので、見なかったことにした。小竹の視線を振りほどき、俺は帰路へとつく。


 「本当にいいの?」

 「う、うん。どのちみち前向きな返事は出来なさそうだし。でも、小竹くんには悪いことしちゃったかも」

 「ま、そうだね。でも、どうせ断るんだし、キッパリしててよかったんじゃない? 粘着されるのもキツイだろうし」 

 「そうかな」


 黙って聞いているが、女子どうしの話なんて聞くもんじゃないな、と頭の端っこで小竹に少しの同情を覚え、頭をかいた。


 「華希ちゃんは今から空いてる? 空いてるんだったらどこか行かない、せっかくみたいなとこあるし」

 「ごめんね。今日は行かなきゃいけないとこがあるの」

 「そっか、分かった」


 美幸と楽しそうな声色で話していた華希の表情がほんの少しだけ真剣になる、長い付き合いを有していなければ分からないほどに。


 「そういえば、美幸ちゃんはなんで終夜と一緒にいるの? 仲良かったっけ」

 「え⁉︎ う、う〜ん。どうだろ、最近は私でも口きいてくれるようになったけど」

 「そうよね、終夜は変わったわ」

 「たしかにね。明るくなるのはいいことだよね」


 華希の様子がおかしい。いつも、八方美人を極めている華希だが、今は感情が先行しているように見える。こんな華希を見たことがない美幸は少し戸惑っている様子がうかがえた。


 「よかった? 本当にそうかしら」

 「え、それってどういう......」


 勢いのまま口調までも鋭くなる華希。俺がどうこうという話題で話していることに不満は感じるが、それ以上にこのまま見逃していると、後々厄介になりそうだ。


 「おい、華希」


 俺の声で華希は我に返る。慌てて失言を撤回し、美幸に頭を下げた。


 「ごめんなさい。つい」

 「う、ううん。大丈夫だよ」


 美幸も少し驚きが抜けきれないようだが、特別気に留める気はないらしい。


 「じゃあ、私行かなきゃいけないとこがあるから」


 そう言って、校門をこえると華希は俺たちと別れて歩き出した。


 華希の姿が見えなくなると美幸は唖然とした表情で俺に向き合った。


 「最近はびっくりすることが多いよ。あんなに真剣な口調の華希ちゃん初めて見た」

 「そうだな」


 普段の華希を見慣れていれば当然驚く変化だったと言える。俺が語れる話ではないが、こんな些細なことが人間関係にひびを入れるのかもしれない。


 「でも、ちょっと嬉しいかも」


 俺の懸念をよそに美幸は笑って前向きにとらえていた。


 「曜子ちゃんは気にしてないだろうけど、普段は華希ちゃんってどこか遠慮してるように思う時があるから。だから、さっきのマジな感じ私はすごく嬉し」

 「そうか、今後とも華希とは仲良くしてやってくれ」


 俺がそう零すと、美幸は目を見開いた後に笑った。


 「なにそれ、どういう立場で言ってるの?」


 少し雰囲気が楽になり始めたころ、美幸は一息ついて俺に向う。


 「ねぇ私、午後の間に思い出したことがあるの。私が気を失う前、最後に目に映ってた場所」 


 真剣な表情で美幸は続ける。


 「私が帰り道、よく一人で通る。公園の裏道だった気がする」


 美幸のいう公園とは、この街で一番大きな敷地を誇る、あの公園のことを指しているのだろう。遊具は勿論、噴水や広場、プールなんかも備え付けられていて、各ゾーンで分けられている大きな公園だ。


 美幸が今、話しているのはまさに俺が欲しかった情報に近い。些細な事でも可能性を信じてぜひ立ち寄りたい場所になった。


 「私は今からそこに行く。興味があるなら一緒に来る?」


 美幸は俺に最後の揺さぶりをかけているのか、俺のクロを確定させようとしているのか。考えられる不安は多いが、得られる情報に俺は賭けたかった。

 

 建前上、俺は昨日の件とは無関係ということに落ち着いたから、今こうして美幸は明るく話しているのだろう。

 ここで着いていくとクロ、と自分で言っているようなもの。だが、得られるかもしれない情報は決して小さなものじゃないはずだ。


 普段なら天秤にかけるまでもないのだが、どうしてこんなに胸が痛むのだろうか。


 それから少し考えて、俺は美幸に承諾の意を唱えた。


 

 

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