第5話 無関心なソシオパス ⑤
「チクショウー、ナメ過ぎた。やるじゃねーの皇終夜」
静まり返った夜の校舎にコツコツと靴の音を鳴らして何者かが歩く。音は次第に大きくなり、最大まで近づいたところでピタリと止んだ。そこで、そいつは大きなため息を零した。
「何で僕が直々にコイツを回収しなくちゃならないんだ全く」
気配が段々、近づいてくる。それは一歩手前に出れば肌と肌が触れ合うほどに。
「あーあー、こんなにノビきっちゃって。ん? 可笑しくないか、何でコイツ外傷がないんだ」
近づく気配が途中で止まる。男の中に疑問が生じた、その隙に俺は勢いよく覚醒し、目の前の男の顔面を横振りに力一杯殴りつけた。
「やっと会えたな、ストーカー野郎!」
拳に吹き飛ばされ床に叩きつけられるのは自分より少し年上に見える若年の男。美幸に取り憑いて俺を捕らえようとしていた犯人に違いない。
「な、何でピンピンしている! 」
手で殴られた顔を抑えながら男は俺を指さした。
「良い力だよな、人に取り憑いて思いのままに操れるって」
「【
脳に流れた全く新しい電気信号は異能な力を発現させる。
それに該当する人物は共通して過剰なストレスを抱えている、という点から悪質な呪いの力、【
電気信号によって超能力者へと覚醒した人間はあらゆる物理法則に反した力の働きかけが可能になる。
【感能力】、と呼ばれるもう一つの体、
美幸を行動不能にした後、その裏に潜んでいた能力者を表に引き出す必要があった。なので、俺は自分を囮にして敵を誘き寄せる作戦を取った。傷や病を治療することができる俺の呪能力を使い、相手の裏をかき、捕らえにきたところを叩く、というわけだ。
作戦のせいで早期治療は制限され、久しく痛みに苦しまされた。
「そうはしゃぐな、俺が受けた屈辱分キッチリ、そのまま返してやるんだ。そんなにイキリ立たなくったって無理矢理テンション爆上がりだぜ」
「一度、僕に負けてボロボロになった癖に調子にのるんじゃ、ッ!———」
俺の左足が男の顔面を横から蹴り飛ばす。そして、床に転がる男の胸ぐらを掴み、持ち上げた。
「テメェの不意打ち、騙し打ちを卑怯だなんて言うつもりはないが、今度はこっちの番だ」
「そうかい、不意打ち上等ッ!」
打ち付けられた男の喝。その後、俺の足元で金属同士の衝突音が鳴り響いた。
「【
一度見た攻撃に対する策は打っている。足元からの攻撃は、もう俺には届かない。
攻守共に基本水準を上回る俺の
不意をつこうとした、相手の不意をつき返し、空いた隙に右ストレートを叩き込む。更に、素早く三発殴った後、四発目のフィニッシュブローで前方へと殴り飛ばした。
「ナメ腐りやがって、クソ餓鬼がァッ!」
前方で体制を立て直した男は俺を睨みつけるとほぼ同時に己の
黒い陽炎のようなオーラを放ちそれは顕現する。黒くボヤのかかった中世のナイトを形作るそいつは両手に、何度も俺を斬りつけた黒の刃を備え持つ。
「【ヘイアン・リッター】」
相手が
だがしかし、俺の呪能力はそのセオリーを崩して全く新しい勝機を見出すことができる。
全身をほと走るエネルギーは熱となって体に力をみなぎらせる。思考回路の高速化に動体視力の一時的な強化、そして身体能力の限界突破。
幾度となく、痛めつけられた体は、その痛みを力に変えて成長する。
内に秘めたる百合姫を両手両足に重ね合わせ、勢いよく地面を蹴り出した。常人を離れたその速度から放たれる蹴り技は敵の
「なんだよッ! その力」
相手の裏をかいたわけでもないが、不意が生まれれば攻めない俺ではない。熱のこもった足で、そのまま加速し、宙に身を投げ出して相手の顔面に両足で蹴り込み突撃を果たす。いわゆるドロップキックである。
超常の力が相手の頭蓋骨に炸裂し、背後の壁に挟み込まれた。
頭から血を吹き流し、生死を彷徨う一撃になったであろうが、死ぬことはない。俺の能力は、そういう能力だ。
砕けた壁の破片と共に男はぐったりと、床に零れ散る。
「さぁ、お前らの正体から俺を狙う目的、洗いざらい吐いてもらおうか」
目の前で、狸寝入りを決め込んだ男に今から尋問を行わなければならない。
「脳へのダメージで口も聞けない、なんて冗談は通用しないぞ。お前も驚いているはずだ、頭への衝撃と痛みに比べて現状のダメージが浅すぎるってな」
言葉を連ねながら、俺は百合姫の武器である薙刀を表に顕現させ、手に取った。
「どれだけ高威力な攻撃を急所に当てようが、当てた側から能力で治療すれば、その分は差し引かれて死に至る事はない」
薙刀を振りかざし、男の両足を切断した。
目を閉じて俯向き、体の力を抜いていた男が体を跳ね上げ、悲鳴を撒き散らす。
「情報を吐け、そうしたら足も治してやる」
「こんな、鬼畜を一般の高校に置いてちゃいけないだろ」
この状況で憎まれ口を叩くとは、相当な教育が施されているか、それともあり得ないほどの大バカ者か、どちらにせよあまり時間はかけたくない。
「状況が分からないのか? さっさと吐け。それだけだろ」
そういい、男の喉元で薙刀を構えた。
男は覚束ない口調で続けて口を開く。
「状況が分かってないのは、お前の方だぜ。治す力があるのに使い方が随分と、お粗末だなぁ。拷問するのにしちゃ余力を与えすぎだ」
反撃の一手を見せるのか、と身にかかる危険に防衛の体制を見せた、その時。
「お前に平穏は、もう来ない! 僕が死んだその時から組織は力を入れて、お前の確保に動くだろう。絶対に復讐してやる、首を洗って待ってろよ皇終夜ッ!」
そう吐き捨て、男は自分の体の内側から無数の刃を突らぬき放ち、木っ端微塵の自害を選択した。あたり一面に男の肉片や血液が撒き散らかる。
「クソッ!」
男の言う事は最もだ。相手から情報を聞き出すために、その人物を痛めつけることなど全く経験がなかった。そのために呪能力の加減も見誤った、と言えば言い訳になる。
先の見えない夜の大海に投げ出された気分だ。
奴の言う組織というものが俺を狙って仕掛けてくる。もう、今までのような波風立たない生活は戻ってこない。
どうしてこうなった。数年間、存在が明るみにならないようにと、己を潜めて静かに暮らしてきたのに、どうして今になって厄介ごとが転がってきた。これでは、数年間の気苦労が水の泡だ。
頭の中を渦巻く疑問に対し、一人の顔が思い浮かぶ。
「
数週間前にアイツに会ってから俺の緩やかな日常は加速していった。ほんの少し狂っただけだ、そうたかを括っていたが、こんな事態に発展するとは思ってもいなかった。
「『何もかも、アイツが悪い』、ですか? それは違います。白鳥さまは、主様のことを案じております。あの方は決して悪い人ではありませんよ」
俺の思考と直結している百合姫が姿を現し、俺の意見に否定の意を見せる。
「そんな事はない、あのお節介がいなければ、こうはならなかったはずだ」
「そうですね。私とて、主様がどんな思いで生きてきたか知らないわけではございません。ですが、このまま自分を殺して生きていても、死んでいるのと同義、とも考えていました」
俺を諭すように穏やかに百合姫は続ける。
「それに、お節介は主様も同じですよ。でなければ、白鳥さまとお近づきにはなりませんでしたでしょう」
ニコニコと瞳の無い目で百合姫は微笑みかけた。
百合姫に言い包められる形で俺は反論の言葉を失ってしまう。言葉を失った弾みに、張り詰めていた頭の中にゆとりが生まれた。現状の苦悩に少し興奮気味になっていたと俯瞰する。落ち着いたところで一つ、大きなため息が心の底から沸き上がる。
「ホントお前、面倒くさい
「主様程じゃ、ございません。もっとも同一の存在ではありますが」
生意気にも百合姫は笑って、そう答えた。
現状に後悔はある。不満も、反省も、負の感情を例に挙げれば止まることはないだろう。だが、今は後ろ向きになっている場合ではない。
自分がこれまで、どのように生きてきたかは俺が一番知るところだが、孤独を愛した事はあってもネガティヴになった覚えはない。今は取り敢えず明日のことを考えなければ、俺に未来は訪れないのだ。
既に生臭い鉄分の他、嫌な腐臭が鼻につく。まずはこの惨状をどうにかしなければならない。
「百合姫、俺は今から一本電話を入れる。その間に能力で美幸の蘇生でもしといてくれ」
「かしこまりました」
俺の【
正である運動エネルギーは、そのまま俺の体を飛躍的に進化させる。だが、負のエネルギーも存在し、それは俺の体を蝕むものとなる。その対象に、武器である盾を選び、盾の耐久を能力の使用容量としているが、容量を超え能力を使用すると俺の体に治療前と同等のダメージが蓄積される。
【
百合姫に治療を任せた俺はスマートフォンの液晶画面をいじり、連絡先からある機関に連絡を繋げることを試みる。四度のコール音の後、相手との回線が繋がった。
『こちら、
「国裏政権協会、特別調査隊員、皇終夜、登録No.30XXXだ。
『かしこまりました』
国の裏、すなわち俺のような能力を扱うことができる連中を統制する組織。それが、国裏政権教会である。
トントンと、話は進んでいきスピーカーの向こうでは待機音が流れている。
数秒の後、回線が繋ぎなおされた。
「もしもし、皇だ」
『なんだ? まさか、お前から連絡が入るとは思わなかったぞ』
電話の向こう側で、男の渋い声が聞こえてくる。目に見えて感情が含まれた疑問の声は落ち着いていて、大人の余裕というものが感じられた。
「少し面倒事に巻き込まれた。至急対処を願いたい。血液や死体を処理する人員に、戦闘の痕跡も消す必要がある。協会お抱えの改ざん系の能力も必要だ」
『ふむ、了解した。まあ、俺と接点を持ってしまった君の特権ということか。イイだろう。俺も一度そっちに向かう』
「話が早くて助かる。では、また」
要件を済ませて電話を切り、ポケットの中へと収納する。
それから、辺りを確認して百合姫のいる方へと近づいた。
「どうだ?」
教室の端っこで横になる美幸の側に寄り、治療を施した百合姫を見下ろして問う。
「息、脈拍と共に正常値を取り戻しました。そう時間も掛からないうちに意識も戻るでしょう」
「そうか、よかった」
これで取り敢えず目先の問題は片付いた。後は協会の連中がここに来て、この惨状を無かったものへと処理してくれる。一先ず肩の荷は降りたといえよう。
「よし、協会の連中がここに来るまで、まだ時間はあるだろう。今のうちに俺は美幸を運ぶ。もし俺が戻るまでに三条が、ここに来たらトイレにでも行ったとか言って誤魔化しといてくれ」
「はい、分かりました」
美幸の記憶には、まだ聞かなくてはいけないことが山ほどある。協会の連中の処理項目の中に含まれては困るのだ。記憶を消されると、敵組織がいつコイツに能力を仕込んだのか、良い答えが聞けなくても、質問することすら叶わなくなる。それを阻止しなければならない。
日はすっかり落ちて辺りは当然暗くなっている。こんな時間に意識を失った女子高生を運んでいると、それはもう犯罪の匂いが立たないわけがない。
こういう時に、俺が頼れるのは決まって一人しかいない。彼女なら深く事情を説明しなくても、美幸を運び、しかも家まで帰さなくてはならない、という別の心配も払拭してくれる。
相手の良心や感情を利用するような申し出ゆえに少し、心が痛むところだが、俺は目的の人物の携帯電話を鳴らした。
「もしもし、
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