第3話 無関心なソシオパス ③
時刻は12時35分、校内に授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。授業が終わると教室内は昼食をとるためにグループを作る生徒が机の移動を始めていた。
そんな光景を他所に俺はいつも通り、鞄から昼食を取り出して食事の準備に取り掛かる。登校の際にコンビニに立ち寄り買っておいたサンドイッチと紙パックの牛乳を机に並べ、完成された食卓に満足する。
簡単に昼食を済ませようとサンドイッチの包装に手をかけた、そのとき、ズボンのポケットに入れていたスマートフォンが振動を起こす。
普段は起こることのないスマートフォンの振動に一抹の不安を感じつつ、取り出すと、液晶画面に光が点り、そこには一通のメッセージが送られていた。連絡用アプリを開き、メッセージの送り主を確認する。
『
その名前を見て、思わず表情筋が強張った。内容の確認をしたくないという気持ちが色濃く影響しているのだろう。メッセージの送り主を煙たがる心情も関与しているに違いない。
自分との葛藤の末、画面をタップして、チャット画面を開いた。
『ごめんなさい。今週は、お母さんのお手伝いをしなければいけないので、会えません』
胸の辺りにへばりつく倦怠的感情が大きなため息を呼び寄せる。
了解を意味するスタンプを送りつけ、簡素に返事を済ませておいた。
メッセージの送り主に対する、態度の不適さと身勝手さに頭を悩ませていると、俺の肩に何者かの手が置かれる。反射的に振り向いてみると、そこには一人の少女が立っていた。
「終夜、スマホ買い換えたんだ」
華希だ。華希の目線は俺のスマートフォンへと向けられていた。華希の言う通りで、二週間程前に諸事情でスマートフォンを代替えしたのは事実である。連絡先などのデータ移動は済ませているので、唯一に等しい連絡先の一つである華希には報告するまでもないと判断していた。
「ああ、それで何か用か?」
「ええ、今から曜子ちゃんと美幸ちゃんの三人でお昼にするんだけど一緒にどう? 、って二人が」
そう言いながら指を刺した先には4つの席を使って班を構成し、食卓を完成させた曜子と美幸の姿があった。
どうしたものかと考える。もちろん一緒に食事などしたくはない。即答で断ることは容易だが、朝の様子を見ていると、一悶着起きそうな予感は感じる。
断るか、苦汁を飲んで応えるか、決断しかねていると、曜子がこちらに駆けてきて、俺の昼食を無断で掻っ攫い、食卓の一部に取り込んだ。
「あっ」
「イヤだったら無理しなくていいのよ」
華希はそう言うが、この状況になってしまうと、曜子と押し問答を選択する方が遥かに消費が大きいだろう。
「いいよ、もう俺の昼飯、持ってかれてるしな」
「え⁉︎」
華希の驚く声を背中に曜子と美幸がいる方へと詰めていく。四つの席の一つに腰をつかせ、一息ついた。
「お! きたきた」
「随分と強引な事運びだな」
「まあまあ、美幸さん立ってのお願いだよ? 黙って聞いてやりなよ」
黙って聞いているだろう、と文句を口走りそうになったが喉のあたりで堰き止めておく。
俺の少し後に華希が席についたことにより、幸先不安な昼食会が始まった。俺の目の前に華希、その隣に曜子、さらにその前に美幸が座る構成だ。
「にしても、皇はもっと食わねーと。そんな量じゃ足りないだろ」
「最近食欲がないんだ」
大きな二段弁当の一段をすでに完食し終えた曜子が俺のサンドイッチを見て、そう吐き捨てた。一々、人の食事にまで意見してこないで欲しいのだが、この量を少ないと考えるのも仕方がない。
実際、普段の食事量と比べると少ないのは事実なのだ。先々週くらいから胸の辺りで吐き気が渦巻いている。原因は不明で、あらゆる薬を処方しても治る気配がない。
俺の見解だが、大きな生活の変化が影響しているのではないだろうか。それもこれも全て、あの憎たらしい白鳥のせいだ。
「食欲がないんだったら栄養補給菓子を、ご飯に置き換えたらいいんじゃない? 手軽にカロリーを摂取できるし」
小さな口でゆっくりと箸を進める美幸がアドバイスを投げかける。
美幸が言う方法のほかに、プロテインやサプリメントを応用するなどの栄養補給法もあるが、一食一食に頭を悩ませる程、健康と身体づくりに関心はない。
「なるほどな」
零すように相槌の一言を添えておく。
「にしてもさあ、どうして無口で無愛想な皇と華希は仲がいいわけ? 中学が一緒だからって、とてもじゃないけど性格的に合わなそうっていうか」
「どうして、か......」
唐突に投げられた曜子の疑問に、華希は顎に手を当て、頭を悩ませる。
「そうね、やっぱり初めての環境で同じ中学高校の人がいると安心できるからじゃないかしら。去年同じクラスになって、それから話すようになったの。それまでは顔見知り程度の関係よ」
淡々と説明する華希の言葉は俺の視点からしても正しい。中学の頃に頻繁に会話を交わしていたということはなかった。それについては嘘偽りなど何もなかった。
「いやいやいや、お嬢さま? なにを仰いますか。入学するや否や自クラス、他クラス関係なく好感を与え、多くの友好関係を築き上げるほどのコミュ力の高さでしょうよ。そんな華希が人間関係で不安って、ねぇ?」
曜子の意見も、もっともな話である。華希の人当たりの良さは他の追随を許さない武器であり、個人の能力として成立する。そんな華希が人間関係に不安を抱くことなど、と疑問に思うのも無理はない。
「そんなことないよ。初めは本当に不安だったんだから」
「まあ、華希が言いたくないなら別に追求はしないけどさ」
諦めるように肩を落とし曜子は箸の先に挟まった大きな卵焼きにかぶりついた。どうも華希の発言を素直に受け入れるつもりはないらしい。何かしらの裏があると考えられると少々、面倒くさい状況になりうるだろう。
「だったら、皇も役得だよな。同じ中学ってだけで、こんなに可愛い女の子とお近づきになれるんだから」
「そうだな」
やっぱり愛想がねえなあ、と言わんばかりの眼光を飛ばされた気がしたが気づかなかったことにする。この様子だと、俺の不安は杞憂となりそうだ。曜子にそこまでの頭の回転はないとみていい。
「いいなあ、その役得。俺にも分けてほしいぜ」
会話の空気を壊す形で介入してきた男は、俺の肩に重心をかける。聞き覚えのある声の先には朝に見た、覚えのある顔だった。
「何しに来たんだよ竹」
「何しに来たは、ちょっと不愛想すぎるんじゃないか?」
多少ながら賑やかだった雰囲気は一変して緊迫する。理由は明白で曜子が小竹に対して険悪な態度をとったからだ。
場の空気など、どうでもいいが早く手を離して欲しい。肩が凝りそうだ。
「いやなんだ、ちょっと宮園さんに用事があってな......」
「華希に?」
「そうそう」
さっきまでの勢いはどこにいったのか、言葉詰まりしながらも自分の意志を伝える小竹。それに対して曜子は疑いと警戒の目を向ける。
「私に用事があるの?」
「お、おう! ちょっと来てくれると嬉しいんだけど」
そう言って小竹は教室の扉を指さした。
その行動に曜子は顔をしかめる反応をみせた。
「今、みんなで昼ごはん食べてるところなんだけど」
喧嘩腰で曜子は小竹を拒絶する。
気圧されることなく小竹の表情は曇りがかかる様子を見せた。
「みんなで......」
呟いた小竹の顔は俺に向いている。
まるで親の仇のように俺のことを睨みつける目。そんな目が一瞬、突き刺すように向けられた。
なにを勘違いしているのか知らないが、勝手に敵意を抱かれても困る話だと声を大にしていってやりたい。だいたい、なにかと問題を起こしそうな爆弾のような男とは一切の関係を断ちたい性分である。
それから小竹は思い出すように平然な表情を取り戻し、華希の顔を直視した。
「私なら大丈夫よ。急いでる様子だし」
「いや、急いでるんじゃなくて興奮してるだけでしょ」
曜子の辛辣なツッコミは空振りに終わり、華希は強ばった笑みを浮かべることしか出来ない状況になる。
「あはは......」
小さく毒を吐く曜子に苦い笑みで応える華希。曜子の言うことは的を得ていたが華希はついていく選択を取るようだ。弁当箱に蓋を閉め、腰を上げて席を立つ。それから、小竹の後ろについて教室を後にした。
華希の姿が消えて、曜子は大きなため息を吐いた。
「もう、華希はお人好しなんだから」
「だね。でも、案外満更でもなかったりして」
「えッ⁉︎ アイツに? ないでしょ」
曜子の不意をついた発言の主は美幸である。瞬間、一連の流れを、第三者の視点で傍観しているだけの俺と美幸の視線が絡まった。
「皇くん的にはどうなの? 華希ちゃん連れてかれちゃったけど」
俺の反応を探るような、粘性の視線が纏わりつくいている。俺が面白そう、などと言っていたが変な探りを入れてきているのだろうか。美幸は曜子と違って侮れなさを感じさせる。執拗に絡まれるのは面倒だ。適当に返事をすると、この粘性の視線はより強まることだろう。
本心としては華希のすることに俺がどうこう意見をしたり感情的になることはないのだが、それをそのまま言っても信じてもらえるだろうか。逆に、俺が小学生じみた意地を張っているように、滑稽に映るのではないか。そう思うと、真面目に答えるとして、何が正解かわからなくなる。
「どうだろうな。二人は気になるのか? 」
なので、あえて質問に質問で返すことを正解としてみた。
「そりゃあ、気になるでしょ。かわいいかわいい、華希のことはさ」
「私も気になるよ。面白くなりそうだしね」
真剣そのものな曜子はともかく、美幸の目はどうも華希のことだけに反応していない。俺のとった答えないという選択に妥協点をつけているように思える。なかなか、一筋縄では行かなそうだ。
「じゃあ、見に行くか?」
「え?」
どうせこの状況でイケイケムーブの二人の好奇心を鎮火することなど俺には出来そうにない。ならば、その好奇心は俺でなく華希に向けてもらおう。このまま、二人の意識を華希の方へと誘導することを決意する。
「ふふっ、皇あんたイイネ。頭いいよ。確かに気になるなら、見にいけばいいじゃん」
曜子は、その気で溢れている。高まる興奮の中、手元は弁当の片付けへと移り、颯爽と移動の準備を済ませている。
そして、同調するように美幸も同様の動きを見せていた。
「皇くんも、やっぱり気になってたんだ」
「二人がソワソワしてるように見えたから...... 」
「ふーん」
それ以上何も言わないが、やり取りを交わす度、どこか掴みづらい相手だという印象が残るばかりだ。
俺と二人は班を解体したのち教室を後にする。提案をしたものの俺は今、華希がどこにいるかわからない。どうしたものかと考えていると、迷うことなく曜子が先進した。教室の外を出た後も窓越しに華希を見つめていたのだろうか。
一人足先を走る曜子についていくかたちで俺と美幸は足を進ませていた。
「なにあれ?」
教室を出て少し廊下を歩いた先で美幸は指をさして俺に問いかける。
他の休み時間より長いこともあってか昼休みの廊下は、そこそこに賑わう渋滞地となっていた。そんな中、美幸が指さしたのは四人の男子グループの一つだった。
なにやら、平常とは呼び難い雰囲気を感じるグループで、三人に関しては顔を見て明らかに怒りの色が伝わってくる。
もしかすると、なんらかの醜態をおかした一人を三人で言い迫るかたちになっているのではないだろうか。そうなると、少し不憫に思う。それは三人から責め立てられる男子の表情から訴えられているようだった。なんとも弱々しく怯えた様子で、見ていて、こっちが辛くなる。
美幸も流石にコレに首を突っ込む気は無いだろうが、変な気は起こさないで欲しい。俺には手に余る事態なのは間違いないのだから。
「あれ、どうにかした方がいいんじゃない? 大きな問題になるかも」
素晴らしい正義感だ、と褒めるべきなのだろうが俺に助けを求められてもできることは精々、更に誰かに助けを求める程度。華希がいない今、人脈のない俺には、それさえできないかもしれない。
「取り敢えず、助けを呼ぼう。俺たちが首を突っ込む問題じゃない」
「うん、分かった」
美幸の冷静な対応に俺は胸を撫で下ろす。流石に好奇心で行動に移すようなことはしなかった。その辺は常識のある人物でよかったと切に思う。
「取り敢えず私、職員室に行くよ」
率先して行動に移そうとした美幸。その一歩を止まらせたのは俺たちよりもかなり先を行く曜子の一言だった。
「二人ともー! 華希いたよーっ!」
気の抜けた声に流石の美幸もポーカーフェイスを崩し、呆れた表情を見せた。
「あの子、ああいうところあるからね。猪なんだよ」
美幸と目を合わせ、激しく頷いておく。曜子は一つのことしか頭にない。起点が利かせられないと言いたいのだろう。激しく共感できる。今日初めてやり取りしても伝わるのだから相当なものだ。
「もう、私は職員室に行くからアレの対応任せてもいい?」
「分かった」
そういうと、曜子の対応を俺に任せ美幸は小走りで職員室へと向かっていった。
ため息を一つついて、俺は手招きする曜子の元へと詰めて行く。
「なになに? 美幸はどこに行っちゃったの?」
ことの状況を理解できていない曜子に、今あったことを一から伝える。
手間ではあるが、コレが何よりの最短ルートのはずだ。
「なるほどね。流石、美幸こういうとこあるからね。今時珍しい、しっかり者だよ」
何故か誇らしそうに胸を張る曜子。猪だが、情に厚いところも感じられるから畜生とは言い難い。
「さてどうしたものかねぇ? せっかく華希を見つけたんだけど」
そう言いながら指を刺した方向には華希と小竹が廊下の壁沿いに何かを話している姿が確認できた。
「この距離じゃ、どの道なにを話しているかまでは聞き取れそうにないな」
「だよねー。あ~あ、華希は目の前にいるんだけどなー」
残念そうな曜子のバカでかい声が廊下に広がった。当然、このボリュームなら遠くにいる華希にも聞こえているはずであり、その不安は直ぐに的中していたと分かる。
遠目に華希と目があった。こっちに背を向けていた小竹も振り返り、俺と曜子の存在は二人に晒されることとなる。
「あっ」
自分の失態に気がついた曜子は驚きを表現するのに相応しいなんとも情けない声を溢した。
遠くで小竹が表情を荒げるのが見えた気がしたが、見なかったことにする。これで変に反感をかったら、それこそ俺のキャパが崩壊するだろう。これ以上の生活が苦で仕方がなくなってしまう。
逃げようか、そう思い退路に振り向いたその時、不運は重なった。
「あっ」
自分の口からなんとも情けない驚きを表現する声が溢れる。
「あ! 皇くん! 学校で会うのは久しぶりだね」
白鳥小雪。学校では接触してくるな、とあれほど言ってあったのに声をかけてきやがった。廊下で会ってしまったのが運の尽き、開いた口が塞がらない。
「アレ、白鳥じゃん。なに、仲良いの?」
白鳥は華希と同じくらい同学年では有名な生徒である。それは勿論、悪い方の意味で。
「まさか、そんなわけないだろ」
コイツと会うことは俺にとって凶としかいえない。出来れば業務以外での接触は必要最低限抑えたい。
気分が悪くなってきた。立て続けに翻弄されて疲れが回ったか、食後ということもあって余計に気苦労が募ったか、持病の吐き気が体を支配していくのを感じる。
とりあえず教室に戻ろう。そう思い、白鳥を無視して追い越し、更に一歩踏み出した、その時。
「あ、皇くん。危ない!」
白鳥の声を最後に頭に強い衝撃が重なる。痛みとともに頭は振動が支配した。意識が飛びそうになる。白い背景が目の前を埋め尽くし、揺れは止まることなく思考を遮断する。
『翻弄され、焼き焦がれて、道楽の狂喜に身をゆだねるのだ。覚醒の時は近い』
頭の中に響き渡るのは軽快な色をした男の声。聞き覚えは全くないが、体の底の方から全身に響き渡って来る。声はその一言だけを告げて、静まり返った。
白鳥小雪が近くにいると、どうも調子が狂う。アイツは俺のパーソナルスペースを無断で踏み荒らす。その瞬間、俺は自分が分からなくなるのだ。
ああ、なんでコイツと関わってしまったんだ、そんなことを最後にだんだんと、考えることを制限され、やがて視界は暗い黒の世界で埋め尽くされていったのであった。
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