第2話 無関心なソシオパス ②
朝から賑やかな学校の廊下を黙々と歩いて教室へ向かう。教室の扉に手を掛け、重い気持ちに踏ん切りをつけて扉を開けた。
特にどうということもない、いつもの教室。教室の至る所にグループが生まれ、各々に談笑している光景がよく目立つ。
楽しそうにしている姿を見ると、その一人一人がとても輝いているように見える。今を生きている。そう感じさせるのだ。それが羨ましいとか、そうなりたいなどは別に思ったことはないが、自分とは違うのだ、ということは痛いほどに分かってしまう。
そんな人の間を通り抜け、扉から一番奥の自分の席へと向かった。辿り着いた俺は椅子に腰をかけ、鞄から今日必要な教材を取り出していく。
窓から差し込む朝の光が横顔を眩しく照らした。少し不愉快だと思っていると、カーテンを閉める音と共に何者かの手によって、それは遮られた。机の上に映った影の正体を確かめるべく俺は目の前を見上げる。
「おはよう、
朝の気怠さに気を取られていた俺の耳に聴き心地のいい朝の一声がかかった。
背中にかかったキメ細かなレモン色の長い髪を優しく撫でる美白の少女。声の主はうちのクラス委員長である
知性と風格に溢れる顔立ちは全身から存在感を沸きたてるよう
そんな彼女と目が合った。
「おはよう」
愛想笑いの一つも出来ない質素な返事に華希は続けて行動を見せた。背中に隠していた左手をゆっくり表にだして、その手に持っていたものを机の上に置く。
『ハイロイヤル
「ハイ、これ」
金色に輝くデザインがよく目立つ栄養ドリンク。その見た目からも、効力に計り知れなさを感じる。何よりこのドリンクを構成する材料を読んだとしても、それが何なのかは正しく理解ができない。コンビニの飲料コーナーに置かれ、四桁の値札が付くことから、一体だれがこれを買うのかと疑問に思っていた代物だった。
「どうしろと?」
「終夜が体調悪いって言ってたから。効くかなと思って」
悪びれない華希の笑顔がドリンクを手に取った俺を直視する。しかし、体にいいと分かっていても朝一番で、この得体のしれないドリンクを飲む気にはとてもじゃないがなれそうにない。派手な見た目のドリンクを前にして、その思いはどんどん高まって行く。
見上げると華希が笑顔でこちらを見守っていた。
手に取ったドリンクのラベルを読みながら手の中で回転させてみる。
「そうか、いつも悪いな」
そう言って、素早く自分の鞄の中に収めるのであった。
華希とは中学の頃から続く、深からずも浅からぬ関係で、数少ない知人だ。はたから見たら俺は何かと迷惑をかけていることだろう。
あのドリンクは抵抗がなくなる程、疲労した時にでもとっておこう。そう考えていると華希の後ろから何者かが接近してくるのが目に映った。
「華希~ッ!おはよ!」
そいつは華希の背後から首周りに手を伸ばし、軽く抱き着くように飛びかかる。少し驚いた様子で華希は後ろを振り向いた。
短い髪でボーイッシュな顔つきは一瞬、男性かと惑わされるが、制服の違いからそうではないと分かる。この人物が誰であるか俺はよく知らないが、華希とよく一緒にいるところを見かけるので、関係を推測するのは、そう難しくはなかった。
「
「え~っと、確か彼は華希と仲のいい......」
華希の後ろから覗く、疑問符を体現したような顔をした曜子と目が合った。それ以上なにも言わずにこっちを見て黙っている。何を思われているか分からないが、なんとも言えない雰囲気が広がっていく。
「ええ、
「あー、そういえばそんな感じの名前だった気がするよ。同じ中学なんだっけ? 」
それから、華希の体を無理やり左右にゆっくりと揺らしながら曜子が続ける。
「まぁ、なんでもいいや。よろしく~」
「よろしく」
淡白にそう答えると、曜子はうんうんと頷き爽やかな笑顔を見せる。愛想の無い対応に嫌な顔をせず向き合ってくれるのは有難い。出来れば友達の友達程度の曖昧な距離を保ちながら高校生活を共に過ごしていきたいと願う。
他人との交流を避けたい俺としては、顔を見れば挨拶をする、業務的な最低限の会話が成立する、この程度の人間関係が最適だ。
「そういえばさぁ〜、今度の週末に
少し嘲笑の色が見え隠れする声色で曜子は問いかけた。来たら面白いな程度の誘いなのだろう。曜子としても来るとは思っていないはずだ。
「遠慮しておく」
他人との関わりを深く広げる選択肢は初めからない。
「アハハ、だよね〜。華希はやっぱり厳しい感じ?」
この一連の流れを楽しみたいだけだったような曜子は華希にも同じ提案をしたようだが、言葉に勢いが感じられなかった。
「うん、いつもごめんなさい」
「いいのいいの、箱入り娘のお嬢様も大変なものだね」
曜子の提案を申し訳なさそうに断る華希の横顔を観察しながら、昔に華希から聞いた話を思い出す。
たしか、華希の家は誰もが知る金融機関の御家柄だったはず。名家のご令嬢と言うわけだ。本人曰く諸事情でこんな、社会の隅っこに位置するような私立高校に通っているらしいが、それを除くと基本的には忙しい人種、らしい。
「箱入り娘ね」
「ん? なんだ、皇知らなかったのか? 」
俺が知らなくて、自分が知っている状況がそんなに越なものなのかは俺には分かりかねるが、俺の揚げ足をとり、曜子のバイブスは湯の中の温度計のように高まっていく。
「あれ? 昔に言ってなかったっけ」
「そういえば、そんな話もあったなって」
「なんだ、知ってたのかよ」
面白くなさそうに陽子が呟いた。明らかにテンションを下げられても、どうしようも無い。なので何か声をかけることもなく、ただ傍観した。
「おはよう」
そんな微妙な空気の中、俺が構成の一部を成す奇妙な輪に、一人の女子生徒が朝の挨拶と共に入ってきた。
「あ、
「おはよう、曜子ちゃん、華希ちゃん」
確か美幸というと、一つ前の会話で曜子が週末にショッピングモールに一緒に行くと言っていた人物だったはず。この顔も華希とよく一緒にいるのを見ることがある。
突発的な行動をとる訳でもないのだが行動することに積極的で、表情の起伏が緩やかなせいか、どこか掴みどころのない印象が残っている。
「それと、皇くん」
挨拶が飛んでくるとは、ましてや名前を呼ばれるなどとは考えてもいなかったせいで、少し肩が飛びあがる。いきなりのことで声がでなかった俺は華希たちの挨拶に出遅れ、無視するかたちとなった。
「やっぱり華希は週末、無理だってー」
「そうなんだ。残念だね」
髪の毛を掻き撫でながら美幸は声を零すように発する。少しムッスっとした唇がポーカーフェイスの裏側に見て取れた。
「で、変わりに皇を誘ってみたわけよ」
面白いだろう、と顔に書いてある曜子は美幸に輝く視線をうち放つ。何に期待をしているのか、イタズラを仕掛けた子供のように楽しそうな顔を曜子は見せた。
「え⁉︎ 来るの? 皇くん」
一瞬、目を見開いた美幸の顔を満足気に曜子がその目に捕らえた。
今日、初めて対面した俺ですら、美幸と言う存在があまり感情を顔に出さないことは見て取れる。きっと曜子は普段から、このように美幸の表情の変化を引き出して楽しんでいるのだろう。
「ううん、断わられたよ」
「だろうね。だと思ったよ」
呆れる美幸も曜子の扱いに長けているのか、すぐに平然を取り戻し、曜子の頭にポンポンと手をやった。
「正直、皇くんが週末にショッピングなんて考えられないよね」
「そうなの? 確かに外でアクティブに、ってのは想像できないけどショッピングぐらい行くでしょ」
曜子の否定的な反応に美幸はほんのわずかな沈黙を要した。
本人の前で勝手に話題にして盛り上がらないで欲しい。
「う~んでも想像しがたいのよね」
「アハハ、どういう意味? 何を根拠に言ってるわけ?」
考え込んだ果てに出てきた美幸の抽象的な答えが、曜子の笑いのツボを刺激した。
「なんとなく? 私、去年も同じクラスだったし。関わる機会はそんなに無かったんだけど」
「そうなの?」
「うん」
美幸の言葉で、去年のことを思い出す。去年といえば、俺の中では一位、二位を争うほど平和な年だった。他人との会話を最低限に抑え、華希のお陰で何不自由なく学園生活を謳歌させてもらった。
その背景に美幸の姿は映っていない。去年も同じ教室にいたのか、と認知させられる。
「喋ったことはなかったんだけど、面白そうな人だなぁ、って思ってたよ」
「面白そう?」
「うん」
首を傾げた曜子に美幸は頷きで返して、続ける。
「誰とも仲良くしてる感じはないし、話してるところを見る機会は少なかったんだけどね。なんて言うのかなぁ。私の好奇心が刺激されたんだよね」
うまく説明ができていない。抽象的過ぎて、結局何が言いたいのかがよく伝わってこない、そんな発言だった。
「うーむ、よく分かんないなぁ。アンタ、たまに変なこと言うもんね」
美幸の不思議な発言を、呆れるような笑みを浮かべて曜子は、そう落とし込んだらしい。テキトー、と表現できるその態度に、いやな顔を見せないあたり、二人の信頼関係は上々と言うことだろう。それとも、表情に出ていないだけか、そんなことは今日初めて関わりを持った俺には分からないことだ。
普段なら一ヶ月にあるか、ないかの人付き合いを朝のうちに消化してしまっている。
波打つように精神的疲労が体を行き来して、どんどん気分が悪くなる。
思わず、現状の気分を大きな溜め息として外に吐き出す俺の頭に何者かが手を置いた。ゴツゴツしていて、微妙に重圧感があるような、嫌な圧力が伝わってくる。
「おはよ〜、何してんだ? 珍しい顔ぶれで。まぁ、珍しいのは一人しかいないんだが」
垢抜けた青年の声の方に顔をやると、見事に好青年を体現したような、少し肌の焼けた男子生徒が、そこにはいた。
「なんだ、竹《たけ》か」
「なんだってなんだよ! 適当な返事返しやがって」
曜子に続き各々が、その男の挨拶にそれぞれの返答を済ませる。
曜子とこの男が肉垂れ口を叩き合い戯れている姿を、目の前で見せられている俺の気持ちなど、当人たちは考えてもいないだろう。
「この人は
どうせ、俺がクラスメイトのことを何一つ把握していないことを見越して、華希から情報が添えられる。
曜子と美幸だけで、お腹がいっぱいだったところに、デザートで肉料理を持ってこられた気分だ。擬似的に胸焼けを起こしそうになる。
「なんの話してたんだよ」
「なんの話って、週末にショッピングに行きたいって話と美幸が皇のこと面白そうって話だけど」
「何⁉︎ 宮園さんも遊びに行くの?」
曜子の話から態々、華希を抜粋した小竹は少し早くなった口調で言葉を連ねる。
「華希は来ないよ。お嬢様は忙しいの」
そう言って曜子は華希の両肩に背後から、子を守る母のように抱き寄せた。
「なんだよ、つまんねーの」
「いやいや、もとからアンタが入るスペースなんてないからね」
呆れ口調で、そう言いながら一歩退いた目で小竹を見る曜子。
「なんで、そいつがよくて、俺がダメなんだよ」
曜子と対面していた小竹が俺の方を指さして、文句の意思を定言する。
「皇は来ないから、断られたから」
「なんだよそれ、誘ってるんじゃねぇか」
なんとも面白くなさそうに呟く小竹だが、俺に対する曜子の誘いに、誘いの意思など感じられなかった。それにも関わらず俺に怒りの眼差しを向けるのは、お門違いなのではないだろうか。
「なに、いじけてんのさ」
そんな曜子の問いに「なんでもねぇよ」、と返して、颯爽と男子グループの方へと駆け出していった。
「アイツ、なにかと華希に付き纏おうとしてくるんだよね。下心バレバレだから」
「あははは......」
ストレートに小竹の思惑を暴露した曜子の言葉は華希の乾いた笑いを呼び寄せた。
「安心してね。華希は私が守るからね」
「う、うん。ありがと?」
余りにも硬い決意に、華希は困ってしまっている。
「小竹くん、中学の頃はあんな感じ、じゃなかったんだけどね。華希ちゃんの魔性の魅力に取り憑かれちゃったのかな?」
「もう、なんてこと言うの⁉︎ 」
美幸の冗談で場の空気が少し穏やかになったタイミングで、朝礼のチャイムが鳴り響く。
至る所でグループは解散し、各々が自分の席へと帰っていく。例に漏れず、俺の周りにいた三人も解散の流れへと移行する。
華希が去り際に軽く手を振り挨拶を残したので似たように簡素な応答を用いた。
再度、体の疲労が溜息となって外へと表現され、俺の目は教室にかけられた時計を見て、まだ余裕があることを確認する。
頭で考えることなく、無造作に鞄に手を突っ込み、手探りで例の物を見つけ出して机の上に置いた。
『ハイロイヤル
不思議と抵抗はない。逆に体が求めている。
ここしかないと、瓶の蓋を捻り開け、勢い任せに口へと運ぶ。あえて味わうことなく、中身を体へと移していく。
よく分からないが、漢方をイメージさせる高級な味わいだったと、言い残しておこう。
華希から貰った栄養ドリンクを早くも飲み干し、それから机に突っ伏した。
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