第一章 崩壊の旋律

『プロローグ』 始まりの兄弟

 この日のことを、俺は今でも鮮明に覚えている。


 石造りの塀に囲まれた木造の大きな平家。人里離れた私有地に建てられた、平安時代の貴族の家を思わせるそれは、古来から現代にまで、ある武術を受け継いできた一族の屋敷である。


 その敷地にある一軒家、もとい倉の中で、ある出来事が繰り広げられている。


 一見、なんの変哲もない倉なのだが、そこに近づくにつれ、体中の毛穴からなにがが湧き出すような感覚を覚えた。


 この世に生を受け、まだ10年の幼子が、10年の経験と感覚で、そう感じとるのだ。


 身の毛のよだつような異質に、血筋の性相か興味を持ってしまう。幼さ故の好奇心が体を突き動かしてしまったのだろう。一歩、近寄るにつれ、高まる心臓の動きを感じつつ、腹の中で競り合う胸騒ぎと好奇心に体を揺さぶられる。


 倉の戸に手をかけ、物音が立たぬよう恐る恐る、隙間を作った。


 中を覗いてみると、大きな男と小さな少年の二つの影が見えてくる。物音など立てた覚えはなかったが、視線を向けると、大きな影はこちらを振り向いた。


 鋭く、胸の中を突き刺すような視線は怒りに満ちていて、まるで蛇に睨まれた蛙のように、息をするのも忘れるほどの重圧が小さな体にのしかかる。


 「なんだ、お前か。丁度いい、入って来なさい」


 その声が耳に届いてから、幼子が行動に移すまでの時間は決して素早いとはいえない。それもそのはず、体の隅々まで完全に委縮していたのだから仕方がないことである。そのことについて、大きな男は怒りを孕むようすは見せなかった。


 「はい」


 畏まった声色でそういうと、幼子は男の言う通り、倉の中に足を踏み入れる。すると、どこかで嗅いだことのある異質な匂いが、幼子の鼻に纏わりついた。


 幼子は、自分に怒りの矛先が向いていないことを知り、辛うじて冷静を取り戻し、疑問に感じる。いったい、この匂いは何だったか。生きる上で何度か嗅いだことのあるような、臭いとは一括りには出来ない異質な生臭さ。


 幼子は知っていた。日々の生活の中で、特に自分とは縁の近いもの。一秒、二秒と時間が経つにつれ、幼子の脳は冷静を取り戻していく。


 血だ。やっとの思いで匂いの正体が分かった幼子の頭には新たな疑問が生まれていた。何故、この大きな倉の中に血の匂いが充満しているのか。この疑問が解決するのに時間は有さなかった。


 百聞は一見に如かずという。焦り、自分が足を踏み入れた場所を確認すると、明かりがついていなかったため一見して分からなかったが、気づく。辺り一面に血が飛び交い、木板の壁に、用途の分からない置物に、更には床に血だまりまで作っていたのだ。


 「———ッ!」


 声にならない声が幼子の口から零れる。それと同時に腰を抜かして大きく後ろに尻餅をついた。恐怖、というより大きな衝撃、驚きに近い感情が幼子の頭の中を取り巻いている。


 そんな幼子に呆れるように小さくため息をついた男は、幼子から目を離し、もう一つの影に向き直す。


 それを見た幼子は、今から起こるであろうことを理解していたが、あえて三度目の疑問として、そのことと接していた。


 刹那、男は深く据えた腰から足先までを流水のような動きで振りかざし、目の前の少年の脇腹を一蹴りする。一蹴り、と言い捨てるには幼子には衝撃的な攻撃で、まるでインド象が己の鼻で人間を横から殴打し吹き飛ばす、そのくらいの衝撃だった。


 実際に少年は男によって吹き飛ばされ、床に強く打ち付けられているので、幼子のイメージは的を得ているといえる。


 「立て」


 男はそう吐き捨てながら少年の腕を掴み、持ち上げた。


 「お前が独断で行ったことは許されないことだ。お前一人の勝手で一族の名に傷がついた。俺のしつけが足りていなかったようだな」


 身体中に傷がついた少年は足を宙に浮かされながら、うつろな目を男に向けるべく、ぐったりとした頭を残された首の力で持ち上げた。


 「......しつけ? 笑わせる..................今更、なにがあっても......俺の意志は変わらない」


 今にも断ち切れそうな声で、途切れ途切れに少年は続ける。


 「俺は、仕事を全うしただけだ。......誰にも文句は..................言わせない」


 男の背の向こうにいる少年の目に、幼子は飲まれそうになっていた。見るからに瀕死の状態で、それでもなお自分を痛めつけた相手に敵意を向ける鋭い瞳。まるで、自分もその目の標的なのではないか、とまで考えさせるそれに、男は怒りを隠さなかった。


 少年の腕を掴む男の手が強く握られるのが、後ろから見ても分かる。二リットルのペットボトルのように異様な発達をした男の前腕。その前腕の血管が浮き出る程に握りこまれたのだ。もしかしたら、少年の腕骨は男の手の中で粉砕されているのかもしれない。


 「これがしつけか? .........底が知れるな」


 全身が震えながらも、強がり気味に口角を上げる少年。少年の目が幼子の瞳を一瞬捉え、二人の視線が交わった、その時。ナイフのような男の平手が少年の脇腹を切り裂いた。


 「ッ⁉」


 幼子の顔に少年の血液が飛びつく。

 鍛錬を重ねた男の指は鉄のように固く、それを五本一刀に束ねた平手は剛腕の加速によって、刃と化していた。切り裂かれた少年の脇腹から血が流れ、倉の中は更に凄惨なことになっていく。


 「ぅッ⁉ あああああああッ!」


 幼子は自分の腹を抑え、何かに苦しむようにうずくまる。男の背の後ろにいただけで、何も痛むことの無いはずの幼子が、まるで自分の腹を裂かれたかのような悲鳴を鳴らしていた。


 少年をゴミ袋のように投げ捨てた男は、ゆっくりと幼子に目を向ける。


 「何をしている? 」


 呻きを上げる幼子の側まで近寄った男は、少年にしたように腕を掴み、幼子の体を宙へと浮かせた。幼子の着ていた上着を男は左手だけで引きちぎり、投げ捨てた。


 小学生の年齢にしては、見事に鍛えられた幼子の肉体が露となる。だが、目を向けるべきは、幼子の筋肉ではなく脇腹に刻まれた、大きな傷の後だろう。


 浮かされながらも、傷跡を抑え続ける幼子を男は床に叩きつけた。


 「傷がうずくか? そんなことでどうする? アイツが使い物にならなくなった今、お前がアイツの代わりにならなくてはならないのだッ!」


 男の怒号が倉の中に反響する。その声は幼子の混乱を掻き消して、現状に集中させることに十分な効果を発揮した。今まで、少年に向いていた敵意が幼子に向けられたのだ。このまま、うずくまっていたら食い殺される。それくらいのことを理解できない幼子の身体ではなかった。


 冷静を取りもどされ、悲鳴の止んだ幼子の首を男は掴んで、壁に追いやる。


 そして、初めて幼子に目を合わせて、男は言うのだった。


 「そうだ、冷静を保て。名を改めろ、今この時からアイツに代わって、お前が12代目頭首、龍玄寺 勝馬りゅうげんじ しょうまだ」



 見ていた景色に眩い光が差し込んだ。やがて目の前の光景は光で埋め尽くされ、白一色へと変わっていく。遠くの方から雀の囀りが聞こえてきた。

 

 『この一連の出来事、もしこの時、幼子がなんらかの行動を起こしていたら、この先起こる二人の人生は変わっていたのだろうか』 

 


 

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