救済とは人の人生に干渉する害である

早乙女・天座

第0話 Back Stage ①

 『救い』、というものが本当にあるとすれば、それはいったい何なのだろう。自分が生きてきた道の上には、そんなものは存在しなかった。


 一度それを願ってしまうと、もう後戻りはできない。どれだけ平坦な道を作ろうと、やがて道の先には更に大きな障壁が現れる。


 人々は選択を迫られている。


 一度みた救いという名の蜜を望んで生き続けるのか、苦痛に苦しみながら生き絶えるのか、本当の幸せなんてものは誰にも分からない。


 しかし、一つだけ言えることがある。次々と襲い掛かる苦痛の上には存在しないのだ。


 覚悟の大きさに比例するように、強く拳を握り込んだ。


 有名アーティストが観客を何万人と集めるような巨大なドーム。人の出入りも、そこそこに行われる小規模な発展途上都市に建てられたそれは、誰が見ても大きく、中は広いことがわかるだろう。だが、この建物の用途について理解しているものは、この街にはいない。


 暗いライブステージのような内装に、自分の足音だけが広がって行くのが分かる。中央にステージを構え、大層なことに円形に広がる客席まで用意して、ここの主の楽観性を体現したかの様なに溜息をつかざるを得ない。そう思い、眼鏡についた埃をハンカチでふき取り掛け直した。


 普段、自分がいる場所と比べて空気の違いがまとわりつくように伝わってくる。埃に敏感な鼻がむず痒さを知らせた。


 「汚いところだな。まるで同じ組織とは思えない」


 中央のステージを目指して客席と客席の間の階段に一段、また一段と足を降ろす。


 我々の組織は言わば焼き焦がれた者の末路。身が朽ち果てる程の業火に苦しめられ、それでもなお生きることを強制された鬼畜の所業。輪廻転生に囚われた我々は、どれだけ趣向が食い違えども共通の存在だと、その身が示している。そう信じていたのだが。


 息を整え、回りを注意深く観察するため、僕はステージを目の前にして、歩みを止めた。


 すると、聞こえてきたのはどこから流れているかも分からない陽気な音楽。ドラムやサックス、トロンボーンが織りなす、テーマパークやサーカスのBGMのような、どこか心を弾ませる音。そんな音の後ろからエレベーターの作動音のようなものも聞こえてくる。


 ステージの中央が自動で開き、中からもう一つの床が一人の少女を乗せて上ってくる。

 髪の毛を赤と紫の二色、7対3の割合で染め上げた、見た目10代後半の小娘である。自分の置かれている状況など微塵も気にしないと言わんばかりの気取った態度が癪に障る。


 「こんなところまで態々キミが出向いて、何の用かな亜人つぐと君」

 「白々しい。分かっている筈だ。お前が今、我々『』にとってどのような立場にあるのか」


 こうして対面してもなお、笑顔を絶やさない彼女は、ゆっくりと表情を変え、更に企むように笑って見せる。


 「裏切り者、かな?」


 クスクスと笑いながらステージをフラフラと歩きだす。腕を組み右往左往に歩きつつ、こちらを値踏みするような疑う視線を見せつける。彼女のねっとりとした笑みは狂気の沙汰、としかいいようがない。


 「私を始末する為にキミが出向かされたわけ?私の星団せいだんの子たちを全員、本部に回収して、キミがここに......。ぷっ、最高幹部が笑わせてくれるね」


 そしてこちらを見て嘲笑うように吐き捨てた。

 明らかに、胸の辺りで苛立ちが、ジワジワと広がっていくのが分かる。顔が熱くなり、頬の辺りの表情筋がピクピクと動く。顔を隠すように右手で覆い、それを撫で下ろす儀式と共に、怒りの感情を捨て去った。


 僕のことを手玉に取ろうとする、この小娘のいいようにされるわけにはいかない。腹立たしい笑顔をグシャグシャにしたい気持ちは隅に追いやって冷静を保つのだ。


 「安い挑発だ。仮にも元同じ立場にいた人間とは思えない」


 彼女は詰らなそうに、唇を尖らせてみせた。


 「面白くないな、亜人君のことだから『バカにするなー』って爆発すると思ったんだけどね。プライド高いからね。それで? 本当に私を始末しに来たの?」


 ステージの上の彼女が見せる鋭い視線と僕の視線が交わった。


 「その通りだ。選べ、大人しく降参して捕らえられるか、虚しく抵抗して痛い目にあうか」

 「フフ、なにそれ面白いね。じゃあ、私の選択はキミを退けて悠々不敵にオサラバしちゃうってのにしようかな」


 それは相変わらずの減らず口だった。

 

 「そうか、お前らしい。じゃあ、一つだけ聞かせろ。何故、このタイミングで組織に歯向かった? 後はをこちら側へ取り込むだけだろう。それで僕たちの悲願は叶うんだぞ」


 任務に私情は挟まない。だが、同じ組織の一員として長くを共にした誰もが彼女の裏切りには驚いた。それは僕も同様だ。本人の口から、その理由を聞かなくては、残った者たちの歯切れが悪い。


 「そのを引き込むってのが問題なわけだよ。悪いけど、キミたちは手荒すぎる。まるで漫画の悪役みたい。同じ目的を掲げたものとして悲しいよ。手段一つで意見が分かれるなんてね。キミたちが私の言葉に耳を傾けてくれたら別の未来が待ってたかもね」

 「手荒? 悪役? 何を今更。何故、僕たちがここまで大きな組織になったのか、もう一度考えてみるんだな」

 「今回の一件は完全に別口だよ。こればっかりは私情の問題だからね。どうこう言われてもブレる気は無いよ」


 聞く耳を持たない。この場合は完全なユダだと判断するしか他ならない。この場で僕がコイツの息の根を止める。それが組織の意向だ。相手が同じ目的の為に集った旧友だとしても。


 「だが、もう遅い。僕の星団の団員を手配した。時期に任務を終え、を捕らえてくるだろう」

 「すごい自信だね。キミのとこの子が彼に勝てるのかな? まあ、どの道、打つべき策はもう打ってあるけどね」

 「減らず口が。瀬沢紫音せざわ しおん、このアジトは僕の星団せいだんによって包囲されている」

 「うん、そうらしいね。で? それだけで私を捕らえられると思う?」


 いつになく真剣にそう宣言を返す。

 空気に淀みが生まれ、緊迫した雰囲気が場を支配していくようだ。それに同調するように、お互い構えをとり、腰を低く据えた。


 「【狂宴曲=ファニーバルゴ】 【allegro《アレグロ》】」


 紫音の宣言と共に、アジトに広がる愉快な音楽の曲調が早くなる。すると、ステージの上にいた紫音が、まるで曲に同調するように人ならざる速さで僕のこめかみ目掛けて踵を、後ろ回転蹴りで放った。風を切るそれを身を低くして躱し、身構えた瞬間、次の攻撃が僕を襲う。


 勢いよく空ぶった左足を着地させ、それを軸に身体を捻り後ろ蹴りを繰り出したのだ。


 「【アコーダンス】ッ!」


 僕の背中から生えた大きな黒い翼が、紫音の蹴りを食い止める。重工トラックのタイヤが膨張し破裂したかと思わせる衝撃音は、それの威力を物語っていた。蹴りを受けた箇所の羽が宙へと舞い散る。


 「ここは私の支部で、キミは私の譜面の中。亜人君はどうやって私を攻略するつもり? 」

 「勝算なしで単身乗り込むはずがないだろう」


 そう言うと同時に背中の【アコーダンス】を体から剥がし、その本体を表に出した。


 人、一人を丸呑みに出来る程の巨大なカラス。生き物の様で、それとは違う。死んでいるようで、生きている。目に瞳のない彼は黒い立派な羽毛で覆われていて、体位によって隠れている胸元には複数の頭骸骨が身体から突起している。


 「僕の心移す体しんいたいである【アコーダンス】に、お前の音は届かない。譜面の上で踊るキミと自由に空を舞う僕、どちらが上か試してみるかい?」


 一度表に出た【アコーダンス】が完全体となって再び僕の体の中を駆け巡る。元々、一心同体の存在であり真意の化身である、心移す体しんいたいだが僕の場合、更に同一化することによって、その力を振るうことが出来る。


 コンクリートさえ豆腐のように砕く立派な蹄が手足に備わり、体は背から生えた大きな翼によって守られる、頭にはカラスをモチーフとしたヘルメットとも呼べる、もう一つの体が重なった。


 「譜面の上で踊る。いいねぇ。せっかくだしさ、キミも踊ろうよ、亜人君」

 「似非ら事を」


 野生の力で床を蹴り出した。そのスピードに乗り滑空の要領でドロップキックを繰り出す。目指すは首元、鋼の蹄をもって一撃で蹴りを付ける。


 「【forte《フォルテ》】」


 背景の曲に勢いが足されると、紫音は華奢な腕で僕の足を一撫でする。彼女の腕が僕の足の軌道を僅かにずらし、本人は身をスライドさせるように攻撃から逃れた。


 隙を見せることなく、両翼で体の向き直しながら勢いを殺し、右の手の蹄をもって、縦ぶりに切りつける。


 それを彼女は再度、腕で振り払った。技術力、それ以前に、そのか細い腕からは想像もつかない力が働いている。それだけに留まらず腕に重なるように彼女の心移す体しんいたいがプロテクトのように備わっているのが分かる。コンクリートを豆腐のように抉り取る【アコーダンス】の蹄が皮膚に通らないのだ。


 一度身を引き、再度間合いの読み合いが始まった。


 「見事な『移し籠手うつ ごて』だ。腕は鈍っていないようだな」


 もう一つの体、心移す体しんいたいを表に顕現させながら自身へと重ねて纏う高等技術。元フライハイトの最高幹部である彼女程にもなると、それは洗練されたものであった。


 「キミのそれには負けるけどね。鳥人間コンテストに出られるよ」


 僕の方を指さして言うと、ケラケラと不敵に笑いだし、楽しそうに肩を弾ませてポケットから何かを取り出した。手の平に収まるそれを彼女は自分の耳へと持って行く。ワイヤレスのイヤホンだ。


 片耳だけにそれを装着すると、紫音は跳ねるように体をほぐし始める。にったりと丸まった瞳は僕に視点を合わせるうちに鋭い眼光を宿し、能天気で楽観的だった風貌は、まるで別人のように変わり果てた。


 『乙女座の狂乱』、彼女が組織で、そう呼ばれる由縁は色々ある。その一つとして、外からは全く理解ができない人格が例に挙げられる。


 本人が何を考えているのか、そんなことは本人にしか分からない。だが、一般的な人種なら傍から見て、おおよそ、その性格が理解できるはずだ。だが、瀬沢紫音はそれすらを許さない。二重人格、という言葉では収まらない、まるで一日一日が別人のような奇妙さを見せるのだ。故に彼女の動きは読みづらい。


 「行くよ。【狂宴曲=ファニーバルゴ】本領発揮だね」 


 紫音が軽快に指を弾き、なにかの合図とも取れる行動に出た刹那、周りの背景に違和感を覚えた。暗い客席に、いる筈のない観客の影がポツリポツリと現れる。


 「やぁ、久しぶりだね。亜人君」

 「元気そうで何よりだよ」

 「相変わらず、無愛想な顔をしているね」

 「そんなに顔をしかめてて、辛くないの?」

 「ふ〜ん」

 「可哀そう......」


 次々と、姿を表す紫音に瓜二つの少女。瓜二つなんて言葉では済ませられないほど精密に同一な存在が続く。


 一人は手を叩き喝采し。更に一人は不思議そうに顔を歪ませ、また、一人は興味がなさそうにスマホをいじり、そして、一人は僕を憐れんで涙を流す。


 席を立ち、階段に足を連ねて、そいつらは近づいてくる。ステージに約10人程の紫音が現れ、まるで、それぞれに意志があるように顔を見合わせ再会を喜び合っている。


 「「さぁ、狂い明かそうよ」」


 10人の紫音が声を揃えて僕に語りかけた。その光景は一言で表して気味が悪い。同じ顔が同じ声で一斉に喋りだすと、狂気にあてられ、こっちの頭がどうにかなりそうだ。


 背筋に電流が走り、どうにもできない歯痒さが体の中を廻って行く。


 「乙女座の狂乱......」

 「「山羊座の悪魔♪」」

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