第30話

「どうでしたか村雨先生」

「うむ。感染者に襲われた痕はないよ」

「精神面は?」


「最初は動揺していたようだが、ずいぶん落ち着いたよ。今はぐっすり眠っている。霧島くんと瀬奈くんが添い寝してくれているようだ。明日の様子を見てなければ断言できないが、の心配もないだろう」


 女の子を救出後、キャンピングカーを車庫に納めた俺たちは一軒家で合流していた。

 玄関や窓など、外部からの侵入できそうなところは全てバリケードを張らせてもらっている。


 キッチンの隅で震えていた女の子への対応は村雨先生にお願いしたというわけだ。

 感染の恐れはなし。精神面もおそらく問題はない、と。

 必要最低限の条件はクリアか。


 となると。

 今は村雨先生と一階の部屋で二人きりだ。二階にいる瀬奈たちに声は届かないだろう。

 俺は早速本題に入ることにした。司令官と副司令官の間でしかできない話だ。


「……?」

「何がだね?」


 む。わかっているくせにあえて鈍感のふりですか。

 相変わらず掴めない人だな、まったく。

 あえて省略していた言葉を踏まえて再度問う。


れいちゃんを同行させるかどうか、ですよ」

 九死に一生を得た女の子の名前はみなもとれい

 村雨先生が聞き取った情報によると小学一年生らしい。


「……ほう。連れて行かない、という選択肢があるんだね?」

 目を細め、試すように聞いてくる先生。

 間違いない。これは明らかに俺のことを見定めようとしている。


「卑怯と言われるでしょうが――」

「卑怯だよ。どうせ俺はメンバーの命を預かる身、とでも前置きした上で話し始めるつもりなのだろう?」


 君のような勘のいい大人は嫌いだよ。

 とはいえ、これが村雨静という人間だ。

 いまさら辟易していてもしょうがない。


 俺はそのままそっくり言うことにした。

「俺はメンバーの命を預かる身です。仮にキャンピングカーから下車して目的地まで徒歩で向かうことがあったとしましょう」

「ああ」


「玲ちゃんが予期していないところで突然走り出し、その先で感染者が襲いかかり――それに気づいた霧島先輩が身を呈して庇い――感染」

「なるほど。たしかにありそうだね。ただしそうなったら悪いのは誰だね?玲ちゃんか?それとも霧島くんか?」


「いいえ」

 俺は村雨先生の目を見据えて言う。

「全ての責任は俺にあります。小さな女の子を同行させる以上、不確定要素を抱えることになります。そのリスクを最小限にするのが俺の仕事ですから、先輩たちを感染させてしまった責任がどこにあるかなんて論ずるまでもありません。けれど俺が懸念していることはもう一つあるんです」


「言いたまえ」

「霧島先輩は小さな子ども――例えそれが感染者であっても殺せません。正直に言えば、今回はかなり危ないところでした。俺があと少し遅れていたら霧島先輩の人としての生は終えていました。他人を救出しに行った結果がこのザマです。医者である先生ならハインリッヒの法則はご存知ですよね?」


「ああ。一件の重大事故の背後に二十九件の軽微な事故、さらにその背後には事故寸前だった三百件のヒヤリハットが隠れているもの、だろう」

「重大な事故を防ぐには日頃から不注意・不安全な小さなミスを起きないようにする――

 ヒヤリハットを把握したら速やかに適切な対策を取る必要があります」


「周りくどいね、君も」

「では単刀直入に――?」

「玲ちゃんを同行させるか否かの判断材料になるのか、それは」


「霧島先輩は良くも悪くも子どもに甘いのはわかりました。これは大きなリスクですが、このタイミングで把握できたことは不幸中の幸いです。ドローンの映像に玲ちゃんが映り込んだとき、最も感情的になっていたのは先輩でした。これ以上は話さなくてもわかるでしょう?このチームの最大戦力とも言える彼女が小さい感染者を殺せない。小さな生存者を目撃すると我を忘れてしまう。そんな人間と玲ちゃんを同行させることは感染のリスクを増長させることと同義です。とうてい承諾できるものではありません」


 言い切った俺に村雨先生は口の端を持ち上げる。

「つまり私次第、ということか」

「はい」


「では一月もらおうか」

「遅い」

「おいおい。人間の心的外傷を取り除こうというんだ。むしろ一月でやってのけようと口にした私を褒めてもらいたいところだがね」


「俺が――俺たちが何のために美術室に監禁されている先生を救出したと思っているんですか。答えは先生が天才だからですよ」

「物は言いようだな」


 相変わらず感情の起伏が感じられない。淡々としている。

 だが、村雨先生が一月と言った時点で霧島先輩の心的外傷が取り除かれることは決定事項になったと言っても過言じゃない。正直に言えば一月程度で人間のトラウマを解消できること自体驚きだ。


 だが、何度も言うように俺はチーム全員の命を預かっている。

 先輩の弱点を認識しておきながら、幼女だから見捨てるべきではないという道徳観だけで行動すれば必ずその穴を突かれるときがくる。


 そうなれば誰の責任でもなく、決断を下した俺のせいだ。

 これは遊びじゃない。例えゲームだとしてもデスゲームの部類。

 感情や倫理観を無視した言動を取るべきなのはリーダーである俺。


 そうでなければ俺の存在価値など皆無に等しい。

「いいだろう。それでは半月、霧島くんの心療に当たろう。ただし、二つ条件がある」

「聞かせてください」


「一つは霧島くんの同意を得ることだ。彼女自身が克服するつもりがなければ私はただ言葉を垂れ流すことしかできない。結局人間は自分で自分しか助けられない生き物だよ」

「……わかりました。もう一つは?」

「確約はできない」


 まっすぐ目を見つめながら放たれた言葉に声が出ない。

 約束と違う、なんて無責任な言葉が喉元まで出かけたが、考えるまでもなく当然だ。


「私の全神経、これまでの経験則、知識・知恵、全身全霊をかけて治療には当たることはここで誓っておこう。けれどそれでも確約だけはできない。克服そのものが難しい場合もあれば、克服後に別の心的外傷を負う可能性も否めない。こればかりは霧島くんの精神力にかかっているだろう。人間が脆い生物だということは誰よりも君が知っているはずだ秋葉くん」


 父親により兄弟が負った傷は決して癒えることなく。

 結局俺は兄と和解できることなく別れることになってしまった。

 兄の人格を変えてしまったあの出来事を克服できなかったことを思い返せば村雨先生が確約出来ないのも頷ける。だからこそ、


「わかりました。最善を尽くしていただければ後は俺が考えます」

「そうか。いずれにせよ君は瀬奈くんの言う通りだったな」

「瀬奈が何か言ってたんですか?」


「人遣いが荒い男だね」

「……当然ですよ。だって俺は天才たちを束ねるリーダーなんですから。注文のレベルが必然的に上がるというものです」


「そろそろ子守の交代の時間だ。私は寝室に行かせてもらうよ」

 退出する先生と入れ替わりで入ってきたのは霧島先輩だった。

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