第5話

「彩綾。今日は俺と付き合ってくれるよな」

「……しつこいぞ。何度断ると言えばわかる?」

 放課後。


 帰宅部の俺はそそくさ学校を後にしようと下駄箱へ向かう途中。

 嫌な場面に遭遇してしまう。

 兄、傑が廊下で霧島先輩を外出に誘っていた。


「よし。なら剣道の試合をしないか。俺が彩綾から一本取れたらデートしてくれ」

「私を下の名前で呼ぶな。それなりに腕はありそうだが、それでも君では相手にならない。


 わー、やばい。険悪だ。それに不穏なワードも出たぞー。

 撤退だ、撤退!

 どうして二人だけしかいないはずそこに兄なんて言葉が出てくるんだ。ボク、ワカラナイ。


 もちろん俺は見なかったことにして踵を返す。

 図書館で時間を潰そうと彼らに背中を向けた瞬間。

「秋葉!」


 声を張り上げる霧島先輩。

 やれやれ。すぐ隣にいる兄を呼ぶためにそんな大声を出さなくても。

 言っておきますが傑のハイスペックは身体の各部位もです。ラノベ主人公にありがちな難聴系ということはありませんので安心してください。


 むしろ兄なら女子からの好意的な発言は絶対に聞き逃しませんよ。

「えっ、なんて?」の代わりに「じゃっ、ベッド行こっか」と声をかけてくること間違いなし。じれったいラブコメパートなんて一気にすっ飛ばしてくれますんで。


 などと現実逃避をしている俺の背後でタッ、タッ、タッと心地よい足音が迫ってくる。

 もちろん俺は振り向きません。ええ、振り向きませんとも。

 秋葉ならたいてい俺ではなく兄を指すことが圧倒的ですし、なにより俺自身も望んでいますから。


 しかし無慈悲にも俺の背中はトントン、と叩かれることになった。

 ……うげえ。マジですか。

 叩かれた方を恐る恐る振り向くと、頬に柔らかく何かが突き刺さる。霧島先輩の指だ。

 女を殴りたいと本気で思ったのは生まれて初めてだ。なんちって。


「そう言えば君は何部に所属しているんだ?あれだけの実力者だ。やはりスポーツ部か?」

「帰宅部です」

「豚に真珠とはこのことだな」


「言わんとしていることはわかりましたが、言葉のチョイスを絶望的に間違ってますね」

「では豚だな」

「おっと、突然のお嬢様!」


 なにこれ、公開処刑⁉︎


「これだけ良い身体をしているのにもったいない。剣道部なんてどうだ? なまらないよう、私が手取り足取り、みっちりしごいてやるぞ?」

「遠慮します」

 できればこれ以上ここで会話するのも遠慮させてもらえませんか?

 さも当然のようにベタベタ俺の身体を触ってますが、セクハラですからね先輩。


 あと周囲の視線が痛いんです。下校で生徒が多くて蜂の巣なんですよ。その中に醜い感情を剥き出しにした兄もいることですし。というか距離が本当に近くてですね。


 霧島彩綾というブランドだけでも注目の的なのに、セックスアピールが半端ない年上の先輩にあらゆるところを触られているんですよ?

 なぜこの状況が色々とヤバいということがわからない?


「むう。連れないな」

 クールな先輩から想像もできないふくれっ面。これが意識的なら邪険に扱うことができるが、彼女の場合天然だろう。天然小悪魔セクシー。恐ろしい。


「何をしているのかしら秋葉くん」

 えぇー、今度は何。何ですか。

 霧島先輩から視線を外して声のする方を向けば瀬奈美月嬢がただでさえつり上がっている目をさらにつり上げているではありませんか。なんで?


 瀬奈は俺の背後にいる霧島先輩(なぜか今は俺の頬をぐいぐい伸ばしている)に気がつくと何やら悟った様子。

「今日は放課後、私に勉強を教えてくれる約束だったわよね」


 いいえ。全然。全く。下校寸前、下駄箱目前で初めて聞きました。

 一体誰と約束したんですか?もしかして同姓同名の秋葉くんが俺のクラスに?

 いや、待て。蛇に睨まらえたカエルみたいになっているとはいえ、ここにはもう一人秋葉がいる。兄の秋葉傑だ。名前からも分かる通り、うちの兄はひときわすぐれてますから。


「瀬奈……もしかして兄に勉強を見てもらう約束をしてたのか?」

「はあっ?あなたに言っているんだけれど。いま一番デスノートに名前を書きたい秋葉瑛太に」

 この状況がもう心臓麻痺もんですけどね。


 蚊帳の外になりつつあった霧島先輩はゆっくりと俺の前に現れて、

「瀬奈くん。君も約束があったんだな。だがすまない。私が先客だ」

 招かざる、ね。


「この男の人権は私が握っているので、先の約束なんて私の権限でいつでも取り消せます」


 えっ、その権限すごくない? でもそれよくよく考えたら奴隷契約だろ。

 いつ結んだんだよ。同意した覚えが全くない。もしかしてデスノートの所有権が無くなって記憶が消し飛んだのか。それとも俺が何週間フレンズになっちまったか。


「秋葉くんにはこのあと刀の稽古に付き合ってもらう予定でな。彼もそれを望んでいる。そう言え秋葉!」

 ええっー⁉︎ 衝撃! 衝撃だよ! 普通そこは「そうだよな?」と聞き返すのがお約束。鉄板でしょ? 本人たちを目の前にして命令するってありえる? なにこの新種の脅し。色んな意味でちょー怖いんですけど。あと肩に手を回さないでもらえます?


 柔らかい感触でドキリ、それを恨めしそうに見つめる瀬奈の目にドキリ。

 十代にして心臓麻痺寸前。もしかしてすでにノートに名前を……。

 ズカズカと迫る瀬奈。霧島先輩の肩に回した手を振り払う。


 兄の傑ではなく、出涸らしの俺を巡って火花を散らしあう二人。

 彼女たちの思考はよくわからん。

 とにかくこの場からは立ち去ろうか。


 俺は廊下と階段のちょうど間にある保健室へと足を向ける。

 そこは俺が授業をサボるために三大避難先の一つだ。

 ほとぼりが冷めるまで匿ってもらおう。


 保健室に入る前、まさしく親の仇を――いや、それ以上に憎い存在を見つめる兄。

 悪いが今回は不可抗力だ。



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