8_DISCOURS

 私は今日も、コロッセオのステージに立っている。

 この箱の中には正午の強烈な日差しが射して、私と障害物と、もう一人のプレイヤーの影を作る。上空からは微かな波音と嘘みたいな潮の匂いが降ってきて、ここが海の上であることを時折思い出させる。

 しかし、四方が500mもの高さの壁に囲まれ、海が決して見えることは無い。


 今回の大会は、解放された少数のネームドの中でも、選ばれた数名のプレイヤーしか参加していない。いまだに正体不明であるコロッセオに対する不安の声が大きかったからだ。だから、私はたったの2戦勝ち上がっただけで、決勝を迎えた。

 この試合に勝てば優勝だ。

 ゲーム経験が周りのネームドに比べて圧倒的に少ないのにここまで勝ち残れたのは、強力なキャラクター性能が大きいのは分かっている。私のプレイヤーとしての能力は、他のネームドプレイヤーと比べたらそこまで高くない。

 しかし、今日の決勝は今まで頼りになっていた、戦闘特化であるハッピートリガーのキャラクター性能は通用しないだろう。


 今回の対戦相手である反騰淘汰。キャラクター名『ディスクール』は全てのゲームにおいて、戦闘という戦闘を発生させていないのだ。


 ディスクールは対話によって勝利を続けていた。対戦相手は全員、彼との対話を終えると同時に自害をし、敗北しているのだ。

 会話の内容は勿論、アーカイブに残らず正体不明。インビジブル以上に透明な相手だ。


「知っていますか? キャラクターは死ぬ間際に幸福を感じるんです」


 ディスクールは淡々と語り始めた。すでに開始の合図は鳴っている。勝負は始まったのだ。

 ディスクールはただそこに立ち尽くし、眉一つ動かさずに口だけを動かす。彼の瞳の色は黒かった。

 ネームドのキャラクターの瞳の色はそれぞれ異なっていて、似通っているものこそ有るが、同じものは無いと言われている。それもまた例に漏れず、意味があるのか分かっていない。私のキャラクター『ハッピートリガー』の虹彩は翠玉色だ。私は綺麗だから気に入っている。


 私は彼の話を無視して攻撃をしても良いはずだ。しかし、私自身が自害することは有り得ないし、それが能力によるものなら兆候が有る筈だ。それに、私はいざという時すぐに攻撃へ移れるように、ガトリングの砲口を常にディスクールに向けている。

 私は彼がどんな考えを持ち、何を話すのか気になっている。もしかすると、以前戦ったインビジブルが勝負と関係のない会話をしようとしたのは、こういう気持ちがあったからなのだろうか。


「それで?」

「世に存在するすべての物は救われなければならないんです。死の体現である尊いキャラクターも、死を得られない哀れな我々人間も、みな幸福である方が素晴らしい」


 彼の言葉は心地が良い響きがする。いつも聞こえる歓声も今は鳴りを潜めて、ステージは教会のように静かだ。

 反騰は死神教という宗教コンテンツのクリエイターで、彼の提唱する教義は全てに救いを与えるものだ。


「キャラクターは死ぬことでしか幸福を得られない。だからこそ死ぬべき存在ではありますが、幸福になる過程で苦痛を感じる必要は有りません。貴方の力であれば、貴方自身を苦しむ間もなく殺せるでしょう。そうしてあなたのキャラクターは幸せになれる。力なき私には出来ない使命です。どうか、私たちの皆の幸福の為、力を貸しては戴けないでしょうか」

「だから、私に自殺をしろと? 馬鹿言わないで。そんなつまらないゲームを観客が望んでいると思ってるの? このゲームを見ている人達は、私と貴方が戦い、そしてどちらかが一方を殺し勝利することを楽しみにしている。私もそう。だから、自殺なんてしない」


 私の否定に、ディスクールは少し困ったような顔をした。でも、その表情は紛い物のように軽薄で本心が見えない。


「まあそう答えると思っていましたよ。しかし、ですよ。そもそも、観客が求める勝利というものは存在しないんですよ」

「……どういう意味?」

「観客はシンプルな死を求めているのです。キャラクターが役目を果たすために砕ける瞬間だけが見たいのですよ。誰が勝利するかでは無く、誰が敗北し、死を見せてくれるのか。過程ではなく、結果こそが本質で、それ以外は余計な飾りです。きっと、観客の方々も薄々気付いているでしょう。だから、過程である争いなんて本当は見たくないはずなんです」


 ディスクールは更に続けた。


「それに、ゲームの終わり。勝負が終わった後のピトスのアナウンス。一度でも勝者について語ったことは有りましたか? 全て敗者の名を読み上げるものだったはずですよ。もしかすると、コロッセオの目的は勝敗を決することでは無いのかもしれません」


 ……確かにそうだ。私はネームドになるために何百とゲームを行ってきた。しかし、ゲームの最後に勝者の名前を呼ばれた記憶は皆無だ。


「じゃあコロッセオって一体何なの? あなたは知っているの?」


 こいつは何かを知っている?


「いえ、何も知りません」


 ディスクールは拍子抜けな返事をした。じゃあ、今の話は唯の推測ってこと?


「ただ、私たちはコロッセオを単なるゲームであると、決めつけている可能性があるってことですよ。もちろん、コロッセオを管理している平和維持連盟はゲームだと言っていますが、それを鵜呑みにする必要は無いはずです。コロッセオはあくまで道具でしかありませんから」


 単なるゲームでなければ、コロッセオは何だというのだ。反騰はどのように考えている? 私はその答えを待ったが、反騰はその疑問には触れずに話を続ける。


「私にとってコロッセオは勝ち負けのあるゲームである必要が無いのです。キャラクターに死が与えられ、幸福に満ちて終わる姿を見ることが出来る。それだけで、私は。いえ、私達は幸福になれるんです。もちろん、私達人間にも死を与えられれば良いのでしょうが、未だにそれは成し得ていません。これは、私の力不足による不徳です……。しかし、拒死という呪いを解く方策は見つかっています」


 反騰はとんでもないことを口走った。私はさすがに驚いて茫然とする。

 拒死である人類に死を与える方法が存在する!?

 そんな馬鹿な話が……。


「疑うのも無理は有りませんが、本当ですよ。死神信仰は教義上、嘘をつけないことはご存知でしょう? 機密なので証拠を見せることが出来ないのが残念ですが……。でも、数年も待たせずに完成させ、世に公表する予定です」

「……」

「死を与える為には、もうしばらくの時間さえ有れば良いのです。その為には希望が必要です。ロストという悲劇から束の間だけ逃れるための希望。それがコロッセオというコンテンツであり、キャラクター達です。死ねない運命に抗えず、ただ有り続けることに今も苦悩し続ける人類の為に、希望は必要なものですから。そして、その為に力を貸してくれるキャラクター達が不当に苦しまないようにコロッセオの在り方が変われれば、もっと素敵ではありませんか?」


 反騰は耳障りの良い言葉を並べて私に語り掛ける。私は彼に反論しようとしたが、言葉に詰まる。


「でも……死にたくない人たちだって……」


「本当に生きたいのですか? 何のためにそんなに長い時間、存在し続けなければならないのですか? 少しの時間、この世に存在して人生を謳歌し、この世界に飽きることなく綺麗に消える。それこそが正しい幸福の形ではないでしょうか。それに、ロストした人々はどうなんですか?」

「それは……」

「今の終わりのない永遠の世界は価値が有りません。有限だからこそ貴重で意味が生まれる。かつて存在した死は、失われてしまった生に価値を与える重要な過程だったんですよ」


 私はたまらず耳を塞いで叫んだ。


「生きていることに価値が無くたって……。存在し続けることに何の罪がある! 貴方の勝手な決めつけじゃない! 自分の常識を他人に押し付けないで!」

「貴方は……。鉦吾蓮花がいない世界に耐えられますか? 彼女をロストさせたまま、モルグに放っておくつもりですか?」


 ディスクールの言葉は耳を塞いでも聞こえてくる。私の鼓膜を破って、脳に沁み込むような声。


「どうして……。どうしてその名前を……」

「当然の疑問でしょうね。しかし、私は知っています。あなたの心を理解できるんですよ。私に協力してくれませんか?」

「……何が目的なの」

「この大会に優勝すれば貴重な文化遺産が手に入ります。欲しいのは、最初の拒死『ファースト』のRAT。その中に入っているパーソナルデータです。それを解析すれば、私の死を与える方程式は完成へと至るでしょう。勿論、協力して頂ければ相応のお礼をしましょう。鉦吾蓮花ともう一度、暮らすことが出来るように取り計らいます」

「なっ……。そんな馬鹿なことが出来る訳無い! 彼女はもう動かないの!!」


「出来るんですよ」


 ディスクールの真摯な言葉。そこに私は希望を見てしまった。


「そもそも、以前存在した死とは不完全だったんです。肉体が代謝を停止し、朽ちて失われ、肉体に由来する精神活動も失われる。こんな不合理、有ってはならないんですよ。私の目指す死は完全な輪廻転生。生まれ変わりを保証する死です」


 それから、ディスクールは私に手を差し伸べこう言った。


「もう一度、彼女に会いたくはありませんか?」


「……」


 もしそれが叶うのなら、私はどんな犠牲でも払える。そもそも優勝に執着は無い。コロッセオのゲームだって、彼女の意志を継ぐために始めたものだ。

 私は、コロッセオのゲームなんかよりも、彼女との日常が大切だ。


 ディスクールの差し伸べた手に、私は触れようとした。


「やめろっ!」


 あと少しでディスクールの手を握る。その直前に声が聞こえた。ディスクールとは別の声だ。


「なっ!? ゲーム中ですよ! 囚人が入れるはずが……」


 急に観客からの声が聞こえるようになった。いつも聞こえる歓声とは違い、戸惑いの色を見せるような声だ。

 おかしい……。さっきまで静かだったのに。

 私の後ろの壁面。その扉から入り込んできたらしい囚人のほうを振り向く。すると、体から何かが零れ落ちていった。これは……砂?

 自身の体を見ると、このステージを埋め尽くす砂が纏わりつくように動いていた。そして、その砂は陽光に照らされて虹色に輝いている。

 まるで、朝日に照らされた海のように。


「ハッピートリガー。お前は精神操作を受けていたんだ。そいつの能力の正体は、ここの砂を操るものだ。このステージの砂は今の海と同じだ。砂の正体はサンドボックスだったんだ」

「あの囚人はゲームの進行を邪魔しています。ピトス。早く彼をここからつまみだしてください!」

〈命令の実行は不可能です。コロッセオによる人類への物理的干渉は認められていません〉

「くっ……。砂のコントロールが……」


 なるほど……。

 このゲームに乱入してきた彼、囚人である上代トウの言っていることは本当のようだ。

 今このステージ。砂の上に立つ3人は繋がっている。記憶や生きてきた環境を共有し、相互理解をする為のシステム。サンドボックスが活性化している所為だ。

 私はサンドボックスを介して、ディスクールの記憶を理解する。今までディスクールが操っていたサンドボックスは、彼が会話を有利に進めるための補助に過ぎなかった。相手の経験した過去を覗き見るだけだで、自分の手の内は明かさなかった。

 それが、彼の支配から外れ、本来の機能を取り戻している。

 ディスクールですら、その原因は分かっていない。


「神代塔は私に勝って欲しい。だからゲームに割り込んできたんだね」

「そうだ。君が勝たなければ、コウの記憶は失われてしまう」


 彼の言葉と共に、無数のイメージが流れ込んできた。


「この子は、あなたにとって大切な人なのね」


 同様に、反騰にもイメージが流れ込んだようだ。彼は何か諦めたように首を振った。


「……それが結論ですか。……なるほど、この場は私が負けるしかないようですね」

「あんたはそれでいいのか」

「サンドボックスによる対話の結果ですからね。これが、幸福の最適解です。それに、私は目的を諦めたわけではありません。ハッピートリガーが手に入れた『ファースト』のRATは後で手に入れれば良いのですから」

「……ありがとう」


 言葉は尽くされ、対話は終わった。そして、ゲームも終幕を迎える。


「苦しまないように終わらせるから」


 私はガトリングの砲口をディスクールの心臓に向けた。砲弾は一撃で苦しむ間もなく、その命を奪うだろう。

 彼はキャラクターとして死ぬことで、死神に会うことが出来るのだろうか?

 その答えは、彼だけのものなのだろう。


「ええ。ディスクールに幸福有れ」


 大きい音が一回だけ鳴り響いて、ディスクールの最期と共に、空へと消えていった。

 それは、命の音でもあり、死の音でもあった。


〈キャラクターのコントロールが喪失されました。敗者は『詭弁を弄するディスクール』です〉


 砂は輝きを失い、ディスクールの体は沈んでいった。

 トウはディスクールが消えた地面を眺めながら呟く。


「……俺の刑期、延長になったかもな」

「その割には嬉しそうな顔してるけど」

「そうか……。そうかもな……。コウとまだまだ会えるならむしろ延ばして欲しいくらいだ。いつかは分かれることになるんだろうが……。それまでは、コウのことを頼む」


 砂は機能を失った。ただ、トウの気持ちは伝わってきた。


「分かった」


 ゲームは終わった。残されたのは私とトウだけ。

 私も現実に戻ろう。


〈……本観察を以って、カラーコードの解析を完了しました。『終わらないハッピートリガー』へデータを記録。コロッセオを終了します〉


 ……ログアウトしない?

 それに、さっきのアナウンスは何?


「――ご苦労さま。人間諸君。そして、おめでとう。人間諸君。君たちは遂に次のステージへと進む」


 気が付くと私の目の前に、人のようなモノが在った。

 そして、冷たくも温かくも無い言葉で私たちに告げる。


「アハトは間もなく実行される」

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