9_FOREIGN BODY

「アハトは間もなく実行される」


 コロッセオに突如出現した人形は空に向かって手を伸ばし、そう宣言した。


「……アハト?」


 どこかで聞いたような言葉だ。私はその言葉が意味するものを知っている。


「不定禊が思い出そうとしているものは、君たち人間が作ったルールだ。『アハト刑』。かつて存在した、非人道的な法。生きた人間を死体として扱い、全てを奪い、おおよそ人間的な扱いを禁じる刑罰。そして、刑を受けた人間は人間狼、あるいは平和喪失者と呼ばれる」


「あなたは……いったい何?」


「私は人類が天使と呼ぶ存在。世界を平和にする為のシステム。そのコード」


 ……これは、ゲームとしての演出なのだろうか?

 私の隣にいたコウの表情を見ると、困惑していることが分かった。運営サイドの彼が分かっていないということは、コロッセオの本来の機能ってこと?


「ピトス。これはどういうことだ」


 コウの声にピトスは応じなかった。


「言葉を介すな、狼。お前の知るピトスはもう居ない」


 その言葉にコウは一言も反応しなかった。いや、反応できなかったんだ。

 彼は喉元を抑えながら必死に声を出そうとしているようだが、声にならない空気の漏れる音しか出ていない。言葉を奪われたんだ。まるでキャラクターのように。

 それから、天使は私にだけ向けた言葉を発する。


「紹介がまだだったね。ここはシノメニウム。人間函数『ファンクション・λ』を完成させる為の人間観察装置だ」

「えっ……、観察って……」

「観察、監察、観測。どれでもいい。より厳密に言えば、君たちの色。カラーコードの解析装置」


 天使は空中に浮き上がり、気ままに泳ぐように飛び始めた。


「人類が拒死を得れば、世界は平和になる。かつてはそう考えたが、現実は違った。クリエイターと消費者コンシューマーの間に格差が生まれた挙句、その二つからの負の感情をぶつけられる給仕職サーバントというカーストまで出来てしまったんだ。これは人類が思い描く平和から程遠い」

「そして、私はどうして格差が生まれるのか思考を始めた」

「その結果、ある答えに辿り着いた。そもそも、不死になった時点で人類は平和になるはずだったんだ。クリエイターと消費者の間に格差なんて、自然には生まれない。どちらとも、自分が好ましいと思う行動をしているだけだからね」

「つまり、格差を生み出す要因が別にあって、それが邪魔をしている。それは、『価値を自らの意志で共有しようとする』行為だよ」


「たとえば、ここに果実がある。片方は凹凸の無い丸い形状。もう片方は表面に傷がある。どちらが優れていると思う?」


 天使は右手と左手に、植物園の赤い実をのせていた。

 私は必ずその問いに答えなければならない。そのような原因不明の脅迫観念に突如として駆られ、止まらない冷や汗を流しながら綺麗な林檎を指差した。


「そう、それが今の人間だ。そして、価値ある方を残そうとする。価値ある物の価値を、周囲に訴え、同意を得ようとする。それは時に、摘果をするように攻撃的に。良い果実が残される為に、悪い果実を取り除く。それは正しい考えだ。そうして、人間を含めた生物は生き残ってきた」

「けれど、間違っている」

「全員が同じ価値観を共有しようとするから、価値を押し付けようとするから格差が生まれ、平和になれない。だから、人間の中にある価値感覚の同調欲を完全に根絶することにしたんだ。今の攻撃抑制だけでは格差まで無くすことは出来ない。同調欲に淘汰圧をかけ、人類を離散的に変える為に」

「同調欲の有無は、それぞれの人間固有の魂とも呼べる『カラーコード』によって決定される。だから、シノメニウムを作り、人間の本質を決定する『カラーコード』を解析した」

「天使は人類に対して過剰に干渉できない。例え、それが平和喪失者であっても。だから、解決は人類諸君に実行してもらうしかない」

「同調欲を決定するカラーコード。その色を人類の敵とするゲームを始めよう。赤い色を持った平和喪失者に人外の皮を被せよう」


「ここに、アハトの実行を宣言する。人の中に混ざっている、人の振りをした狼たちは、『ファンクション・λ』によって暴かれ、赤黒のレッテルを貼られた」

「さあ! 羊の群れに混ざった狼を討て! これが最後の生存競争ゲームだ!! 心から健闘を祈るよ、人類諸君」


 その言葉を最後に、私はコロッセオ。いや、シノメニウムからログアウトした。




 ――私は現実の肉体。棺桶に収まっていた私の体に戻ったことに気が付いた。

 それから、直ぐに起き上がるとオペレーターと目が合った。


「……無事だったんですね」

「私にも分からない。けど、嫌な予感がする。早くここから逃げないと」


 棺桶が浸っているサンドボックスの海水は、血が滲んだように赤く変わり始めていた。


「一緒に逃げるの。早く――」


 私はオペレーターの足を見て言葉を失った。


「どうやら、私は狼の方だったようです」


 私は目を疑った。オペレーターの足が赤い海水。水面から伸びたサンドボックスに覆われて不気味に泡立ち、溶け始めていた。

 溶けた表面からは化け物のような形容しがたい足が、見当違いの方向に生えようとしている。


「サンドボックスに触れて全てを理解しました。私は貴方たち人類の敵。狼のようです。今までが『嵐の夜』だった訳ですね」

「私は……。どうすればいいの!」

「私を殺してください。私は既に人間では無いので、拒死は失われています。これまでのキャラクター達と同じように」

「……私には出来ない。人を殺すことなんて」

「……」

「助けを呼んでくるから。……待ってて!」


 それから二つの扉に体当たりをするように飛び出すと、人の姿を探した。しかし、誰も居ない。あれほど並んでいた行列は姿を消していた。

 ただそこには、赤いスライムのような物体が一列に並んで落ちていた。赤黒。私は嫌な想像から逃げるように首を振った。

 ……ふと、ザラザラとした奇妙な音が聞こえる。

 その音は海岸の方から聞こえてきた。ゆっくりと海を振り向くと、大きな波が空を覆い隠すように伸びているのが目に入った。

 それから、数秒と待たずに私は赤い津波に飲まれた。



 ――――

 禊がログアウトした直後、シノメニウムの壁に穴が開いた。モニタールームを貫通し、外に繋がる穴だ。

 ログアウトに伴い、意識を失ったコウは勝手に動き出したバージェストに引きずられ、外へ向かい始めた。


 ……このままでは海に落ちてしまう!


 俺はバージェストを操作しようと試みたが、RATのシステムが受け付けない。力づくで止めようと脚を掴んでみたが、軽い体では意味が無い。共に引きずられるだけだ。

 未だに意識を失っているコウを起こすために声を出そうとしたが、未だに音にならない空気が漏れるばかりだ。


「彼女は解析が完了したカラーコードを、外のサンドボックスに運ぶ役目なんだ。さあ、シノメニウムの外へと出るんだ!」


 天使の言葉に答えるように、バージェストは脚を早めて走り出した。

 どうすれば……。俺は迷いながらもある考えに思い当たる。

 くそっ……。

 数秒の逡巡の跡、腰に差していたナイフを取り出し、バージェストとコウの背中の間に思いっきり突き刺して捻った。バージェストの構造上の弱点は修理をすることで分かっていた。

 パキンという音がして、ナイフの先端が折れる。でも、暴走するバージェストからコウを切り離すことが出来た。コウは重力に引かれ落下する。


「うぁぁっぁぁあ!」


 コウの悲鳴が聞こえた。

 俺はバージェストから飛び降り、地面に転がる。それから起き上がってコウの傍に走った。

 それから、痛み止めを急いで打つ。

 これで、コウが海に落ちることは防げた。こんな選択肢しか取れない俺を許してくれ……。


「……無駄だよ」


 天使はそう呟いた。

 コウは糸でつられたように、血まみれで痛む背中をものともしないで立ち上がった。それから、再び海へ向かって歩き出す。


 待ってくれ!


「キャラクターのコントロールを奪わさせてもらった」


 俺はコウの足にしがみついた。しかし、凄い力で振りほどかれる。

 俺はまた次の考えに思い当たる。今度は躊躇うことなく実行できた。

 俺は歩くコウの足に向かって、何度も折れたナイフを叩きつける。


「痛い痛い痛い痛い!」


 コウは開け放たれた穴の縁、崖の傍まで来たところで倒れ込むように止まった。

 あれ? どうして俺は、こんな酷いことを平然と出来るんだ?

 俺はコウのことを大切に思っているのに?

 ……本当に大切に思っているのか?


「はははっ。やっぱり君は狼だ! 大岡政談でも子の足を引き裂く人間は居ない!」


 それでも、止まらない。コウは手を使って地面を這いながら、海へと向かう。

 これ以上はコウを壊さないと事態は収拾しない。俺は打つ手が無くなった。

 コウが落ちる。そして、俺は反射的に彼女の手を掴んだ。

 俺がコウを止めようとする理由は……、自分が助かりたいからか?


「「コウは私のことどうでも良くなったの?」」


 天使がコウの口を動かしたのは分かっていた。でも、俺は彼女が怖くなって手を放してしまった。

 コウが海に落ちてゆく――。

 俺はもはや自分が正しいのか正しくないのか分からなくなって、彼女の手を離した自分を否定したくて、海に身を投げた。


 ――暫くして、水面に叩き付けられるような音がした。目蓋の向こう側が明滅し、俺の全身はサンドボックスによって覆われた。膨大な情報が脳に流れ込んで意識が無くなる直前、目を開いて見た最後の景色は、海の底へと沈んでいくコウと、その周囲へ漏れ広がる赤色だった。


 ……俺はコウを傷つけてしまった。そのことに対して、表面だけの悲しみしか感じられなかった。心の底では、コウが止まる度に安堵していたんだ。

 俺は自分自身に対する失望と後悔で、体の底が冷え切るような感覚がした。


……

…………

………………


「っ!?」


 ……気が付くと俺は砂浜に打ち上げられていた。最初に見えたのは、遥か向こうにある抜けるような青空と太陽、次いで俺の顔を覗く緑の瞳だった。


「……コウなのか?」

「ここに居るよトウ」


 俺はコウに触れようと手を伸ばそうとした。だが、感覚が無い。

 ……俺の手は何処に在る?

 意識を集中すると、喉の辺りから蹄のついた前足が生えてきた。前足は喉を塞ぎ、呼吸が出来なくなった。この不快な感覚は……。


 ……ああ、砂を伝わって答えが分かった。

 俺は人間じゃなくなったから、死んでしまうようになったらしい。だから、この不快な感覚がするんだ。

 苦しい感覚とはこういうものだったのか。キャラクター達はゲームが終わる度にこのような感覚を味わっていたのか。


 腕は要らない。そうイメージをすると、喉から生えた奇妙な前足が引っ込み呼吸が出来るようになった。


「なあ、コウ。……俺は今どうなっている? 体は有るのか……?」

「……ううん。頭と胸部を残して全部溶けちゃった」

「そうか……。はははっ……、当然の報いだ……」


 聞くまでも無く俺は知っていた。今の俺は海を支配していたサンドボックスと一体になっている。赤い海水に触れた人間と五感が共有されて、全てが分かる。そして、コウの目を通して自分の姿を見た。でも、信じたくなかった。

 俺が自身の体を望めば、きっとすべての人間性を失ってしまうのだろう。そうでなくても、次第に溶けていって別のものへと変換されてしまう。

 天使の言う、狼の皮の意味がようやく分かった。


「……俺は人類の敵になったんだな。そして、コウとはもう……」


 ……一緒に生きることは出来ない。


「じゃあ、私もトウと一緒で人類の敵ってこと?」

「……いや。コウ、お前は違う。俺とは違うんだ」

「じゃあ、私は一体何? これから、どうすればいいの?」

「それは分からない……。でも、いつか誰かが教えてくれる。そんな気が……する……」


 それから、俺の意識はどんどん薄れていった。

 ……これが、憧れていた眠りというものか。

 …………暗くて、温かくて、深い。

 ………………どこか遠くで、歌が聞こえる。


 その歌を聞きながら、世界の異物とされた俺はどこまでも落ちていった。

 それは、海の中に沈んでいくようだった

 それは、夢の中に沈んでいくようだった。

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