7_HAS TO EAT

「……」


 ゲームが終わり、残されたのは傷ついたキャラクターだった。

 ハシェベトは代償として失った左腕の痛みに苦しんでいた。傷口は焼かれ、失血による気絶も出来ず息も絶え絶えだった。その上、目を砂で潰されている。もう光を見ることは無いだろう。

 俺達囚人の仕事は彼女達に止めをさすことも含まれる。

 キャラクターは死の瞬間に幸福を感じる。しかし、その過程の痛みは人間以外の他の生物と同様に感じる。

 彼女達を苦しみから解放するには殺すしかないのだ。

 大丈夫、目の前の彼女が消えても再構築される。

 ……それでも。


「おいトウ……。さっきから固まってるぞ。やれないなら僕が代わりにやるけど」

「……頼む」

「いいよー。今日が最後だしね。さすがの僕も長いことコウを見ていたせいで苦手になってきたから、トウなら猶更だろうね」


 そう言って、真偽は屠殺用のナイフで心臓を一突きした。ハシェベトはその痛みに顔を一瞬歪め、直後快楽に浸ったような恍惚な表情を浮かべて涎をたらす。

 そうして彼女は絶命した。俺はその顔を直視することが出来なかった。真偽は心臓に突き刺さったナイフをつま先で軽く蹴り、引き抜いた。

 キャラクターの体は砂に飲み込まれ、沈む。しばらくしたら再生されるだろう。

 だが、リセットされて次に目覚めたハシェベトは、ゲームが始まる前にコウと会ったことを忘れている。


「あぁ、悪いね。手伝ってもらって」


 ハシェベトの籠の囚人が人のいい笑みを浮かべながら、こちらに向かって歩いてきた。

 彼は今回のゲームでの壁面の損傷を確認していた。ハシェベトが最後に召還した火竜が暴れた際、壁面に激しく衝突したからだ。

 まあ、遠目からだが目視で確認する限り傷一つ入っていないところを見ると、彼の調査は無駄に終わったに違いない。仮に火竜が壁のない真上に飛び出そうとしても、天井の見えない壁に阻まれてしまうはずだ。

 籠の中で生まれたものは、現象であれ物質であれ外に出せない。俺たち囚人が籠に入る時に使った入り口も同様だ。外から見れば、光の無い底なしの闇。唯一外に伝わるのは、ゲームの映像だけ。囚人から外部への連絡もその機能を利用している。


 住良木は付着した血を砂に回収させる為に、手に持っていたナイフを地面に突き刺した後、近づいてきた囚人を労った。


「いやいや、そっちも大変でしょう。未だに補員は来てないんでしたっけ?」

「まぁね……。いくら囚人といえど、サーバントがプレイヤーの籠なんて嫌だという奴らが多いからねぇ」

「なるほど……。貴方はどう思っているんですか?」

「私も元サーバントだからねぇ。まあ、法帖君には頑張って欲しいのさ。ところでそちらのキャラクターは珍しいね。会話できるんだろ?」


 向こうの囚人は興味深そうに尋ねた。ゲーム開始前の籠の接合で顔を合わせた時に、少し話題に上がったから気になっていたのだろう。

 俺は気を紛らわすために、会話に混ざる。


「ええ。こちらのキャラクターは何故か……。他のキャラクターが一言も発しないのが、逆に違和感を覚えるくらいです」

「いいねぇ。こっちは一人だからそういうのが居ると、少しは気が紛れそうなんだが」


 コウは言葉を発することが出来る。俺は、会話を繰り返すうちにキャラクターと人間の境界があいまいになっていくのを感じていた。

 しかし、キャラクターはあくまで人間の模造。人に良く似ているが、人ならざる存在だ。それは、さまざまな要素が証明している。

 睡眠をすること。死んでしまう事。なにより、俺達囚人がキャラクターを問題なく攻撃できる点だ。

 俺はコウのことを思い出してナイフを刺すことが出来ないと言ったが、強制されたら実行出来るだろう。しかし、それが人間同士だと不可能になる。拒死の副産物である精神的な暴力抑制が機能するからだ。誰かを攻撃しようとするだけで強烈な吐き気や筋肉の固縮が起こる。

 それがキャラクター相手だと起こらない。

 どうやら、人間と同等の知能を持っていることは分かっている。しかし、それだけでは人間と同等に扱う理由として不十分だろう。


「ところで、話は変わるけど……。キャラクターの肉って旨いのかねぇ」

「は?」


 真偽は奇妙な質問に間の抜けた声を出した。


「いやね。私がここに居るのって、仕えていたクリエイターの物に手を付けてしまったのが理由でね」


 それから、囚人は長い沈黙期間を取り戻すかのように饒舌に語りだした。


「彼は食事が趣味だったんだよ。そして、ある日私は生物保管省からの廃棄品として出回った、カマクと呼ばれる動物の肉を運んでいた。いつも食事なんて奇妙なことを飽きもせず出来るよな、と思って運んでいたんだ。けど、その時は妙に興味が湧いてしまって、内緒のつもりで一口食べてしまったんだ。それから止まらなくなっちゃって、全部食べちゃったんだよ。その時初めて、自分が常に空腹だったことに気が付いたんだ。不思議だろ」


 ハシェベトの囚人は話している最中、ずっと笑みを浮かべていた。俺はその話を聞いていて、なぜか気分が悪くなって口を抑える。彼はそのことにも気が付かず、昔食べたモノへの思いを馳せていたようで、涎を垂らしていた。


「いい加減、植物園の実は飽きたんだ。もう一度アレのようなものを食べたいなぁ」


 彼の会話を断ち切るように、ピトスのアナウンスが籠の中に響いた。


〈20分後にコロッセオが分離します。皆さんはモニタールームに退避してください〉

「おっと、おしゃべりが過ぎたみたいだね。それじゃあ元気で」


 俺と真偽は手を振り、ハシェベトの囚人から離れて反対側の壁へ歩き出した。途中、後ろを振り向くと立ち止っている囚人の姿があった。彼は右手に赤い何かを持って、それをジッと見つめていた。俺は何かを言いそうになったが、言葉を引っ込めてまた歩きだす。

 ハシェベトの再生はまだ終わっていない。


 壁に辿り着くと、一見するだけでは分からないほど隙間の無い扉を開け、薄暗いモニタールームに入ってから暫く待つ。すると、画面に籠中央の砂の中から壁がせり上がってくるのが見えた。籠が元に戻ろうとしている。


 ゲームのステージである籠は、二つで一つだ。対戦カードが決まったら、籠は互いに移動し、その日の朝に繋がる。繋がる時も、離れる時も、籠の壁が無くなる瞬間は無い。籠はキャラクターを出さない構造になっている。それが、コロッセオを籠と呼ぶ理由なんだろう。でも、籠というよりは檻の方が正しいと思う。囚人とキャラクターを閉じ込めるための檻。

 ここが籠だとしたら蓋があるはずだ。蓋を開ければ囚人やキャラクター達はここから出られる。ただし、キャラクターを道具として扱うこの世界で、それが幸福であるかは分からない。


 壁が完全に上がりきると、大きな波音が聞こえ始めた。籠が移動を始めたのだ。


「さてと、これで僕の最後の仕事が終わったわけだ」


 本日をもって、住良木真偽は刑期を終える。夕方には船が迎えに来て、彼は釈放されることになっていた。

 次の決勝は俺一人で立ち会うことになるだろう。


「自室の片づけは終わったか?」

「あっ! 忘れてた……」

「今のうちに片づけておけよ。終わったら植物園でお茶でも飲もう。送別会だ」

「ははーん。今頃になって寂しくなったんだな」

「言ってろ」


 俺はニヤニヤしながら自室に戻る真偽と別れて、植物園へと向かった。

 いくつかの連絡路と部屋を通過して、植物園の扉を開けると、湿った空気が体を包む。独特の甘い匂いが漂う、籠の中でも異質な空間だ。

 植物園にはコウの姿が有った。コウは水路の水に足を入れ、ちゃぷちゃぷと水を蹴りながら赤い実を食べていた。コウの背中にバージェストは接続されていない。

 正面からコウが実を食べている姿を見ていると、記憶の中で引っかかるものがあった。

 ……そうだ、籠に収監される前に博物館で見た、林檎という実に似ている。もっとも、博物館で見たものは実物ではなく、絵として描かれたものだった上に、色も違って緑色だったが。

 帽子の男の顔の前に、緑の林檎が描かれている不思議な絵だった。

 作者はたしか、ルネ・マグリットだったか。


「コウ。それって楽しいか?」

「楽しいって?」


 そうだった。キャラクターは感情を持たない。会話が通じるせいで忘れがちになる。


「楽しいって感情を説明するのは難しいな……。自分の中の何かが変わるんだが……」

「うーん。私はお腹が食べ物でいっぱいになるよ」


 コウは真剣な表情で答えた。それから、手に持っている実と俺を交互に見て、何かに気付いたようにハッとした。


「食べたい?」


 コウは俺に林檎に良く似た実を、その手に載せて差し出した。ハシェベトの囚人が言っていた言葉を思い出して、俺は何故だか、とっさに目を背けてしまった。


「いや……。今は食べたくないんだ」

「分かった。食べたくなったらいつでも良いよ。無くならないから大丈夫」


 きっとあの囚人にとって、この実もキャラクターも違いが無いのかもしれない。

 どちらもコンテンツ資源としてしか見えない。

 しかし、その視点が大多数なんだろう。他の人間も多少の違いはあれ、同じように物事を見ている。だから、こんなゲームが成り立っている。籠の中のキャラクター達も、多様性保存の為に少数飼育されている動植物も、切り取られて皿の上に載ってしまえば気付かない。


 俺達は彼女たちを食い物にしている。

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