2_NO RESET

 壊れたのは自分なのだろうか。あるいは世界が間違っていたのだろうか。

 どちらでも同じことだろう。俺はこの世界の常から外れてしまった。


 俺が居る場所はゲームのステージ、その舞台裏だ。

 ゲームの名前はコロッセオ。そう呼ばれている。

 外の人間はゲームもステージもまとめてコロッセオと呼んでいるが、ここの住人は洋上に浮かぶこの場所を『かご』と呼んでいる。

 最初は聞き慣れない呼び名に違和感を覚えたが、自分の置かれた境遇を考えると得心がいった。

 ここは天井も無く、外へと繋がる扉は鍵も掛かっておらず、人は自由に出入り出来るように思える。だが、開いているようで閉じている。

 周囲を汚染された危険な海に囲まれたこの場所は、船が無いと出られない。正しく籠だ。それよりも檻といった方が正しいように感じる。多分、檻の中だと考えると気が滅入るから、籠という折衷案に落ち着いたのだろう。

 つまり、俺は籠に囚われた囚人という訳だ。


 自分自身は、悪い事をしたつもりはない。ただ、コロッセオの現状について疑問を書き込んだだけだ。皆、不平不満を書き込むことなんてよくある事だ。

 ただ、他の奴らと違う点があるとすれば運だろう。運が悪かったんだ。

 自分が発信した小さい水切りのような言葉は、水面に波紋を残しながら遠い場所にどんどん跳ねて行き、最後にはコロッセオの存続が危ぶまれる程に炎上した。その不運の結果として、ここに隔離された。

 隔離したのはコロッセオの運営で、なにも制裁を加えたかったということではない。炎上を収集するため。いや、消火と言った方が正しいか。ともかく、俺はほとぼりが冷めるまで適当な罪を着せられることになった。

 社会不適合罪。

 そんな適当なレッテルを貼られて、俺はここに居る。


 そんな俺がここに来てしまった理由。疑った世界の構図は目の前のモニターに映されている。キャラクターは苦痛に顔をゆがめながら破壊されていく。その姿に俺は根拠のない不快感を感じていた。

 俺だけなのか?

 キャラクターはゲームの間だけ、今まで見てきたどの人間よりも醜い表情を浮かべ、鳥肌が立つような行為を繰り返す。その表情は、今まで顔を合わせてきた人間の裏側に隠れていたものなんだと考えると吐き気がする。

 しかし、その姿に俺は恐怖と同時に、そこの知れない好奇を感じていた。

 だから、俺はコロッセオが嫌いで、不快で、否定をしたくても薄く光るモニターから目を離すことが出来ない。


 そうして魅入られている内にゲームは終わった。魅入られたことに罪悪感を抱きながら。


〈キャラクターのコントロールが喪失されました。敗者は『ノーバディ031』です〉


 アナウンスからきっかり10秒後。プレイヤーがログアウトしたようだ。ハッピートリガーは力が抜けた人形のように地面に崩れ落ちる。ノーバディ031はもう動かない。

 俺は薄暗いモニタールームの扉を開き、日の光が差し込む空間に出た。目が眩むほどの眩しい光に目が慣れてくると、広がる白い砂地と、黒い壁に四方囲まれた風景が広がる。相変わらず殺風景だ。

 見上げると、真上からやや傾いた位置にある太陽と雲一つない空が見える。天井は無い。でも、この世界は雨が降らないから問題無い。少し深呼吸をしてから、俺はハッピートリガーと呼ばれるキャラクターの元へ向かった。

 花火の後のような匂いと、それに混じって嗅いだことのない嫌な匂いが鼻孔を刺激する。これが血の匂いなのだろうか。

 その匂いに俺は顔をしかめた。


 今俺が歩いている白砂が占めるゲームのステージに対して、モニタールームは壁面を一枚隔てた場所にある。だからと言って、俺はこの黒い箱の完全な外側にいた訳では無い。そもそも、この箱の外は四方全て海に囲まれている。有り得ない。

 籠の構造は四つの外壁で囲まれたものだが、壁自体にそれなりの厚みがあり、内部には空洞が存在する。空洞の幅は大人5人が腕を広げたくらい。それが籠の壁の分だけあるのだから、全部足し合わせると結構広い。それらは仕切りで区切られ、モニタールームを含めたゲーム運営に必要な機能が備わった部屋が連なるようになっている。


 ハッピートリガーの近くまで来ると、血まみれのキャラクター、ノーバディ031を前に涙をこぼしていることに気付いた。

 しかし、これは悲しくて泣いている訳ではない。

 キャラクターは悲しくなれないし、楽しくもなれない。

 感情が無い。

 そう聞いている。

 これは、背中の痛みで反射的に泣いているだけだ。原因は背中につけられた歪な機械『バージェスト』だ。無理矢理ハッピートリガーの背中に繋げられている所為で、激しく動くとどうしても接続部分に負担がかかってしまう。そもそも、コロッセオというゲームはキャラクターを使い捨てる前提で運営しているのだから、無視しても構わない些細な問題とされたのだろう。

 俺は激しく損壊したノーバディ031から目を逸らしながらハッピートリガーに声をかける。


「もう大丈夫だから。痛み止め打つからあと少し我慢して」

「うん……」


 機械と体のつなぎ目に注射器を押し付けてボタンを押すと、圧縮された空気が抜けるような音がして薬剤が注入される。薬が効いて途端に眠くなったらしく、ハッピートリガーはぼんやりとした表情になった。


 眠くなる。

 というとこは、キャラクターは人間ではない。

 人間では無いんだ。


 ……俺はここに来てからずっと、幻を見ているような気分になっている。

 この大きな籠の中にいると、籠そのものがまるで架空のもののように思える時がある。でも、籠は確かに俺の体と地続きの場所。同じ次元に存在している。

 コロッセオというゲームは仮想現実で行われず、現実で行われる。他のVRMMO仮想現実ゲームの情報量からすると、そこにどれだけの違いがあるのか分からないが、ゲームの舞台は現実で、この籠は現実に存在する。

 外にいた頃は海岸線の遠い向こうに並ぶ黒い箱をよく目にしたし、当たり前の日常の風景として視界の中に溶け込んでいた。だけど、不思議なことだが中に居る時の方が、この籠の存在を信じられなくなる。


「ほら。ハンガーに戻るまでは起きてないと」


 俺がハッピートリガーの小さい肩を叩くと、ぼんやりとした曖昧な返事が返ってきた。

 早く連れて行かないと眠ってしまいそうだ。俺は指にはめたRAT(Real Attach Terminal)を操作して網膜投影映像ヴィジョンを呼び出す。ヴィジョンを介して、バージェストのコントロールを自動追従モードに変更する。

 それから、見た目よりも軽いハッピートリガーを背負った。ハンガーに向かって歩き出すと、6本の鋼鉄の脚が俺に合わせて動きだし、ガトリングや円筒型弾倉を支えながらついてくる。


「ねぇ……トウ」


 俺の名前は上代塔かみしろとうだ。そして、俺が背中に背負っているキャラクターの名前はハッピートリガーだ。でも、俺はそれと別に、コウと呼んでいる。ハッピートリガーなんて名前は長くて呼びづらいし、舌を噛みそうだったからだ。そんな俺を、もう一人の囚人は変な奴だと言っていた。


「ん?」

「あのねトウ……。トウは私のこと怖い?」

「……どうしてそんなことを聞くんだ?」

「トウが私を見る目がそうだったから」

「いや……、コウは怖くないから安心しろ」


 コウがゲームに使われたのは今日が初めてだ。だから、モニタールームで戦う姿を見るのも初めてだった。

 だからといって、俺はコウのことを恐れてはいない。俺は人間であり、拒死だ。砲弾で撃たれようが、鋼鉄の脚で殴られようが傷一つ付かない。


 でも、コウを通して見える人間には心底恐怖を感じる。俺は、人間が怖い。ゲームだからといって、キャラクターを躊躇せず壊してしまえる人間が怖い。


「おい、トウ! 早くしてくれよ。仕事は山のように残ってるんだからさ」


 急かすような声がして顔を上げると、壁面が大きく開口しているのが見えた。ハンガーだ。その奥でなにやら作業をしているもう一人の囚人がインカムで声を飛ばしてきたのだ。


「すまん。今移動させる」


 コロッセオと呼ばれるこのゲームは二つの籠が海上を移動して合流し、一つに組み合わさって行われる。

 ネームドのキャラクターが存在する籠には、二人の囚人が囚役するのがルールとなっている。そして、モブのキャラクター『ノーバディ』の籠は空っぽの無人だ。

 ノーバディ同士のゲームの場合、基本的に後片付けは清掃ロボが自動的に行う。しかし、ネームドのキャラクターが行うキャラクターの破壊は清掃ロボの対応範囲を超えてしまう。だから、アナログな手作業が必要となる。そういうお題目で俺たち囚人は配備されているが、噂によるとキャラクターと人間の接触による影響を調べる目的があるらしい。

 まあ、そんな裏の事情よりもだ。実際のところ、清掃ロボが動かせない分、仕事が倍に増えることの方が問題だと囚人の誰もが思っているだろう。

 俺はため息をつきながらこれからの仕事量を憂いた。


「遅いぞ……っておいおいおい、またかよ……」


 額に手を当てた住良木真偽すめらぎしんぎは、俺の背中を見て呆れたような声を出した。


「それは珍しく言葉を覚えてるけどさ。人間じゃないんだぜ。そこまで世話を焼く意味は無いだろ」

「……」


 俺は無言で目を逸らした。真偽しんぎはもう一度ため息をつくと俺に近づく。


「まぁ、良いけどさ。僕はノーバディ031の確認をしてくるわ。そっちが終わったら整地作業だからな」


 それから、俺とすれ違うように反対側へ歩いて行った。

 ……彼のリアクションは正しいのだろう。キャラクターに対してこのように振舞う人間は普通居ない。

 俺はここに来てからずっと、コウに対してキャラクターではなく人間の少女のように接していた。どうしても、キャラクターだからといってぞんざいに扱うことが出来なかった。それは、コウが俺達人間と同じく、言葉を使えるからだろうか?

 それとも、俺はキャラクターを人間と同じ存在だと思っているのだろうか?

 自分の中での結論はまだついていない。


「シンギの言ってることは正しい。私はキャラクターだよ」

「……知ってる」


 俺は下にズレ始めたコウを背負いなおし、ハンガーの中に入った。ハンガーはコウの背骨に接続されている機械、バージェストのメンテナンスを行う場所だ。埃っぽい匂いがするハンガーの中には大型のクレーンや機械工具が並んでいる。

 キャラクターは何度壊されたとしても、籠の機能によって再生され蘇る。しかし、いくらオーバーテクノロジーの産物である籠であっても、バージェストはそう簡単にいかないらしい。今回のゲームでは壊れていないようだから、修理の必要は無いだろう。

 ハンガー内部ではすでに、籠のヘルプ機能である『ピトス』が浮かんでいた。

 ピトスは籠の中に関する質問への回答や、ゲーム運営を補助する機能で、網膜投影映像ヴィジョン上に少女の姿で現れる。

 バージェストをクレーンで釣り上げ、コウとの接続を外すと、俺は薄ぼんやりと光るピトスに指示を出した。


「ピトス。コウ……じゃなかった。ハッピートリガーのステータスを出力」

「はい。ピトスが指示を承りました」


 網膜投影映像ヴィジョンに表示されるピトスの姿はキャラクター達と瓜二つだ。顔も体躯も見た目では違いが分からない。唯一、服装がキャラクターと違って黒色なので、簡単に区別がつく。

 そもそも、どの籠のキャラクターも、装備以外見た目がほとんど同じであることも気になる。どういう関連があるのだろうか。一度、ピトスに尋ねたとこがあるが、回答は得られなかった。


「バージェストに損傷は有りません。キャラクターはバージェスト接続部の内出血に加え、全身に軽度の擦過傷が有ります。キャラクターをリセットしますか?」

「リセットは却下だ。治療を開始しろ」

「警告。リセットと比較して、治療は不確実且つ時間がかかります。本当によろしいですか?」


 俺はピトスの言葉に少し苛立ちを覚えた。でも、システムに対して怒りをぶつけても仕方が無い。

 我ながら、変な奴だとは思っている。


「……いいから治療を始めてくれ」

「受理しました。予測治療時間は約1時間です」


 ピトスへの指示をすませてコウの方を振り向くと、いつの間にか小さな寝息をたてながら眠っていた。

 眠るという行為はキャラクターのような人間以外の生物が行うものだ。意識が一時的に無くなって動けなくなってしまうそうだ。


 不気味な行動だが、眠っている時のコウの表情は非常に穏やかで、俺は少し睡眠に憧れた。

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