ファンクション・λ

ミスターN

1_NOBODY

 私の目の前には長方形の箱が横たわっている。黒く平滑な材質で出来た、人ひとりが入るサイズの箱だ。箱はこの部屋の外から引かれた海に浸かっている。外は太陽の光で照らされて、室内よりも明るい。海はその光をここまで運び、箱は浮かびあがったように照らされていた。この箱は『棺桶』と呼ばれている。

 棺桶といえばゲームのコントローラーを指し示す言葉だ。そして、過去では死体を入れる箱を指し示す言葉だった。

 これから棺桶に入ってゲームを始める私は、毎回生まれ変わったような気持ちになる。死んだように現実を送る私を置き去りにして、私は向こうの世界に行く。


 このゲームの結末は最初から最後まで変わらない。

 プレイヤーである私達は『大切なものを失わない為に』にゲームを繰り返す。


「……以上で説明は終了です。早速ですが対戦が控えていますが、準備はよろしいでしょうか?」


 ラフではない格好のオペレーターが私の目の前。やや右側。棺桶のすぐそばに立っていた。すぐそばとは言っても、海水には触れない安全な位置だ。

 手のひらを広げたくらいの大きさのデバイスを持っている姿は、遥か前に卒業した学校の教師を思い出す。違う点は、彼女が女性である点と、デバイスがガラス板のような旧式である点だ。そして、眼鏡もかけていない。


「……はい」


 ジャージ姿のまま家を出てきた私の声は震えていた。

 別に寒さで震えている訳でも、ゲームが初めてで緊張している訳でもない。ただ、これからのゲームは、私の中で違う意味を持つのだということに震えていた。

 ゲームのルールは変わらない。ただ、つい最近。環境の変化があっただけだ。

 そう、ただの環境の変化。

 私はそう心の中で呟いて、心の中で目を瞑ると暗闇の中に赤い炎が見えた。ゆっくりと燃え盛る炎は、私の何を燃やしているのだろうか。

 地獄は頭の中にあるという言葉を聞いたことがある。ならば頭の中を空っぽにすれば地獄は消える。炎も同時に消える。私はこの炎に対して、盲目的でありたい。火の立たないところに煙は立たない。煙が見えなければ、火は存在できない。

 私は泡立つ気持ちを抑えながら、棺桶を囲む海の水を慎重に跨ぎ、深い井戸の底のように見える棺桶に足を踏み入れ横たわる。黒い箱は光をあまり反射しない。だから、目の前の天井以外が、四角い暗闇に沈んだようだった。その暗闇に私はどこか懐かしい安心を覚える。


「それでは、いってらっしゃいませ」


 上から覗き込んだオペレーターが一礼をした後、手元のデバイスを操作した。体から力が抜ける感覚と共に目蓋が重くなり、徐々に意識が薄れていく。薄れて、ぼやけて、曖昧になって、消失へと向かう。


 ――人類が棺桶という言葉の本来の意味を失ったのは、死ななくなったからだ。死ななくなった代わりに失ったものがいくつかある。

 ――その一つが睡眠だそうだ。以前の人間は睡眠という行為を行っていた。

 ――棺桶でゲームを始めると起きる現象が、睡眠とよく似ているそうだ。

 ――今の私達は、ゲームをするために棺桶に入ることでしか眠れない。だからといってそれを望む人はいないだろう。

 ――勿論、私もその例に漏れない。

 ――棺桶によって意識が失われる感覚はただただ、怖いだけだ。


 やがて、意識の全てが消失した瞬間。私は『コロッセオ』と呼ばれているゲームの中で目覚めていた。



 ゲームのステージであるコロッセオの構造はシンプルだ。広がる白い砂地と、黒い壁に四方囲まれた何もない空間。これ以外に種類は無い。見上げると、丁度真上にある太陽と雲一つない空が見える。天井は無い。雨が降らなくなったこの世界では珍しくない構造だ。

 磨き上げた本黒檀のように黒いFCM(フラハイド複合材)の四角い外郭に囲まれた空間。壁とは対照的に、白々しいほど白いサラサラとした砂。下を向かない限り目に入ってくる黒い鏡のような壁面を除けば、頭上に見えるどこまでも青い空と合わせて海岸のように見えることだろう。

 長辺1000m、短辺500mに渡って広がる白砂しろすなのカーペットは、真上から差し込む陽光に照らされて影一つ無いように見える。

 しかし、見慣れた風景を見渡すと、私とは別にもう一つ影を落とす存在があった。いつもと変わらない、赤い目をした少女のような容姿の対戦相手だ。

 プレイヤーは必ずこの容姿に固定されているから、私も似たような姿をしているはずだ。ただし、『ネームド』と呼ばれる者たちだけは、瞳の色に加えて、固有の装備を持っている点が違う。

 目の前の相手は『ネームド』では無い。そして、私は『ネームド』だ。


〈間もなく対戦が始まります。開始位置についてください〉


 アナウンスが壁に反響しながら聞こえる。操作するキャラクターの網膜に直接映像が投影され、自分と相手のHPと残り時間、それに開始位置が表示された。私は表示された印の位置に向かう。

 しかし、対戦相手はブツブツと何かを呟きながらその場で砂を何度も蹴るだけで、一向に動こうとしない。そして、私を睨みつける。

 私は、この行動の理由に見当が付いていた。


〈警告。プレイヤー『ノーバディ031』は至急、開始位置についてください。残り1回の注意でゲーム失格となります〉

「うっせえなぁ! なんども言わなくても分かってるよ!」


 彼女、あるいは彼はアナウンスよりも大きい声で掠れ気味に叫んだ。

 やはりそうだ。彼、あるいは彼女は自分自身の剥き出しになった感情に溺れている。私は、その姿を冷静に眺めた。


 私達人類は遥か昔、天使と呼ばれる存在によって『拒死』という不死の性質を獲得したと同時に、病的なまでの暴力抑制を付与された。

 このゲームは性質上、私達プレイヤーは一時的に暴力抑制を消し去ってしまう。そのおかげで躊躇なく対戦相手を攻撃でき、ゲームがゲームとして成立する訳だ。しかし、慣れない内は自身の感情に振り回されてしまうことがある。暴力抑制は、暴力性そのものを無くしているのではない。覆いをして隠しているだけ。その軛が外れれば、自分自身の心の底に眠っていた感情と向き合わなければならない。


「お前を倒せば俺は『ネームド』になれる。そうだろ!」


 確かに、ネームドになった今の私を倒せば昇格できるだろう。名も無き『ノーバディ』のプレイヤー達は、信じられないくらい高いハードルを超えることで、名前を冠したキャラクターを与えられた『ネームド』になる。

 地道にノーバディ同士での対戦を積み上げていくよりも、ネームドを一回でも倒せばあっさりと目標のスコアが得られる。だからビギナーズラックを狙って、無謀な挑戦をする初心者は少なくない。おそらく目の前の人は、ネームドになったばかりの私ならば可能性が高いと思ったのだろう。

 だが、今までそのような企みが成功した話は聞かない。それほどまでに、ノーバディとネームドの実力差とキャラクターの性能差は圧倒的だ。


「無視してんじゃねぇぞ、おい!」

「……」

「何とか言えよ糞が。どうせ死ぬのが怖いんだろ! 最近ロストした画家みたいによぉ!」

「……黙れ」

「黙るかよボケ! あの有名なクリエイター様でも最期はロストにビビって泣いていたらしいなぁ。あはははっ。お前も泣きそうで声が出ないだろ。そうなんだろ」

「……黙ってよ!」


〈対戦開始〉


 視野が狭まる感覚と共に、耳の傍を流れる血液の音が大きく聞こえる。

 目を瞑ったはずなのに、あの炎が見える。炎は私の全てを燃やしていた。


 だめ。だめ。だめ。


 でも、私はその感情を抑えようが無かった。考えれば考えるほど頭が言葉で埋め尽くされる。


 どうして目の前の敵は生きている?

 何で?

 あいつは死ぬべきなのに。死ぬべき行動をしてしまったのに。

 裁かなければ。許されるはずが無いのだから。

 私が殺しても何も問題は無い。


 あいつを殺していない私は私ではない!


――

――――

――――――


 

 ――気が付くと、酷い頭痛と背中の痛みを感じた。それから、嗅ぎ慣れない酷い匂いのする白煙が目の前に広がっている。煙の切れ間から見える風景からすると、ゲームはまだ続いているようだ。

 私は動いていた。自分の足ではなく、背中に繋がれた機械の脚で少しづつ前へ。頭も、腕も、生身の足も宙吊りで脱力し、ぶら下がっている。


 一歩前に進むたび揺れる視界には、進行方向から金色に光る薬莢が無数に流れるように映った。右壁面の見えないスピーカーからは観客の声が鳴り響き、遅れて左壁面から反響して、コロッセオ全体をビリビリと振動させていた。声は膨大な量の熱狂を煮詰めたようで、ドロドロと私の耳から流れ込み止め処なくアドレナリンを分泌させる。そのせいで、心臓は高鳴りを続け、頬は上気し、熱い吐息が口から漏れた。


 私が目覚めてから暫く歩いていた脚は、私の意志とは無関係に停止をした。いつの間にか近づいていた壁面を、私は吸い込まれるように覗き込む。平滑で鏡のような壁面に普段の自分とは違う、異質な姿が反射で映り込んだ。

 少し汚れた小さな裸足。裾が千切れた白い病衣のようなワンピース。顔に張り付いた汗と笑み。翠玉色のギラギラした虹彩。乱れた短い白髪。そして、Burgestバージェストと刻印された、背中に突き刺さる錆色の金属細工と、それに連結された甲殻類を思わせる大きな6本の脚。それ以上に目立つのは、脚と同様にアーチへと接続された大型の円筒形弾倉と、頭上に掲げられたガトリング砲だ。

 鉄の塊に貼り付けられた異物のような私が壁面の中で笑っていた。


 このゲームは、プレイヤーが操作するキャラクター同士が戦うことによって行われる。ゲームが続いているなら、対戦相手であるキャラクターはまだ生きている。

 視点が足元に移ると、探していた対戦相手が見えた。背中から飛び出した鋼鉄と瞳の色以外、私と瓜二つの姿がそこに横たわっていた。

 相手の赤い瞳は焦点が定まらず、虚空を見つめている。腹部の銃創から酷く出血しており、不規則な呼吸を繰り返すたびに白砂を赤く染めていく。その姿をとても綺麗だと私は思った。


 ゲームはまだ終わらない。けれど、勝敗は既に決していた。


「さぁて。悪者の体はどこから千切るのが正解かなぁー? あはははっ」


 私は私ではない何者かに操られているようだ。口が勝手に動いて、思いもよらない言葉が飛び出る。


 私は意識が戻ってもなお、自身のコントロールを見失ったままなんだ。

 

 相手のことをとやかく言えないじゃないか。

 でも、もう止まれない。私の体は私の意志では動いていない。だから、これは私がやっている訳ではない。

 きっとそうなんだ。


 私は額に軽度の裂傷を負っていたらしく、そこから鮮血を流しながら、足元のキャラクターの片腕を機械の脚で踏みつける。さっき踏み砕いたナイフよりも鈍い音がした。ナイフもキャラクターも同等にあっさりと砕ける。

 そして、踏みつけている腕は左腕しかありえない。既に右腕は千切れ失われているからだ。右腕の付け根は流血を止めるため、衣服を裂いて作った即席の紐で乱雑に縛り上げられていた。こうすれば死に難くなることを、私はこれまでのゲームで学んでいる。


 ……どうして私はそんなことを今考える?


 片腕で紐を結ぶのは困難だ。つまり、この紐を結んだのは、私に他ならない。


 ……どうして、そんな理性の有る行動が出来る?

 もしかすると本当は、もっと前から正気に戻っていたのか?


 けど、戻らなかった。戻れなかったんだ。


 ……ああ、そうか。

 ……きっと、心の底にあった相手をぐちゃぐちゃに壊してしまいたい気持ちに、表の私も賛同してしまったんだ。紛れもない本物だと気付いてしまったんだ。


 そうか……。そうなんだ……。

 もう言い訳は要らないんだ……。


 私は私自身を理解した。それから、私は相手に最大限の痛みを与えることを考え始める。それと同時に、その姿を観客にどう見せることが私の大切な人を侮辱した相手への復讐に繋がるのかイメージを始めた。そんな、普段の私なら考えようが無い非生産的な考えを始めると同時に、私は私自身がこの状況を楽しんでいる事にも気づく。


 私は『ネームド』だ。

 『ハッピートリガー』

 そう呼ばれている。


 名前にハッピーなんてついているんだから、楽しくて、幸せで当たり前だ。

 私はどんな状況でもハッピーになれるんだ。


「あははははっ」


 私はまた笑い始めた。楽しくて、幸せで、笑いが止まらない。空を仰いで口を開けて狂ったように笑うと、自分の背中から生えているガトリングの先端が目に入る。このガトリングは、かつては争いを目的とした航空機に搭載されていたもので、復讐者を意味する名前が付けられていた。今の拒死と暴力抑制で守られた社会で復讐なんて言葉は存在しえない。復讐者が存在し得るのは、感情のセーフティが外されたこのコロッセオというゲームの中だけ。

 私は幸せに笑いながら復讐をするモノだ。このガトリングと同じように。


 2mは超えるであろうガトリングの砲口を旋回させ、地面と垂直の方向。深々と真下に向ける。地面に無様に転がっている私の敵に、傅くように振り向ける。そこには憎しみも、愛もあった。


 そのタイミングで、相手は気絶から目を覚ました。意識が灯った赤い目に反射して映ったのはまずガトリングの暗い砲口。次いで左手を踏みつぶし地面に縫い付けた、軋む音を立てる武骨な鉄の脚。そして、その遥か向こうにある抜けるような青空と太陽。

 そして、手を伸ばした私と目が合った。私は恍惚とした表情で、キャラクターの欠損した腕を、その指で撫でる。私は私を模した存在の中身に心惹かれている。同時に、こうすればどのような反応があるのか興味があった。きっと、観客も知りたいはずだ。生まれて初めて粘土に触れた時のことを思い出しながら、繰り返し捏ねる。

 そうしていると、『名も無いキャラクター』は思ったよりも早く、枯れた喉で叫んだ。


「あああぁぁ……!!」


 私はその歪んだ頬を、血で汚れた指で包み、自分の方を向かせて質問をした。

「ねぇ選んで。次はどこが良いの? 左腕? 右足? 左足? あぁ……、頭はダメだよ。つまんないから」

 相手は青ざめた顔で荒い息を吐きながら、痛むはずの自身の腕ではなく私の背後の砲口を見るばかりで答えない。それはきっと、酷く耳障りな幻聴が響き続けているからだろう。

 何度も、何度も、繰り返し。ガトリングで撃たれたんだから。

 私は私では無くなって、それでもどうしようもなく私自身であるハッピートリガーは、その表情を暫く愛おしく眺めた後、頬から手を離した。

「じゃあ、代わりに私が選んであげる。次は……右足ね」

 ハッピートリガーはその手にべっとりと付いた血液で、『ノーバディ』の右太ももにバツ印を書いてから離れる。ハッピートリガーの意志に反応して、下を向いていたガトリングが生き物のように細かく震え、照準を調整する。それから、7本の砲身が回転を始めると同時に、苛烈な砲口炎が陽の光よりも眩しく、周囲を一瞬照らした。血しぶきと砂が一緒に巻き上がり、ハッピートリガーの体を汚すが気にならない。銃声の中の悲鳴を想像しながら私は頬を緩めた。きっとこの音は、どの世界の音よりも本物なんだ。そう思えた瞬間、今以上に私は口元を歪めて笑った。感動のあまり涙が零れてくる。


「んふふっ。どうかな~……うん? あー……失敗しちゃった……。ふふっ」


 右足は縦断した複数個所の銃創によって、狙い通りに千切れていた。しかし、相手のキャラクターが死んでしまった。おそらくショック死だろう。初めて使うネームドのキャラクターだったからだろう。加減が分からず失敗してしまった。

 失敗したのに、私は幸せだった。幸せであろうと最後まで笑い続けた。


〈キャラクターのコントロールが喪失されました。敗者は『ノーバディ031』です〉


 まだ足りない。復讐にはもっと痛みが必要だ。でも、もう終わり。

 アナウンスからきっかり10秒後。体が引き戻されるような感覚が始まった。


 そうして、私がネームドになって初めてのゲームは幕を閉じた。

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