こがね色
ヒヤムギ
こがね色
赤々と燃えるような夕日の残りかすが消えてしまって、あたりに夜の帳が降りる頃。
鉄くず屋のキンも仕事に切りをつけて、寝床である貧民長屋の辺りまでやっとの思いで帰ってくる。
この貧民長屋というのは通称で、何年か前の戦争で長屋の持ち主が行方知れずになり戦後の混乱で放っておかれていたところに行き場のない貧乏人や戦災孤児などが勝手に集まり半ば不法占拠されてしまったことから侮蔑の意味でそう呼ばれている。
キンもその不法占拠している戦災孤児の1人だった。もともとは姉と二人でこの長屋の1区画に暮らしていたが、流行り病で姉を亡くしてからというものずっと一人で生活していた。
キンは普段、鉄くず拾いと鉄くず屋の手伝いをして生計を立てている。夜明けとともに鉄くず拾いをはじめ昼すぎからは鉄くず屋の雑務に追われてへとへとになるまで働くのだが、糊口をしのぐので精いっぱいで働けど働けど生活は楽にならなかった。しかし働かなければその日の飯にもありつけないないので必死に働く他なかった。
キンはもともとが貧しい家庭であったのが戦争によってさらに過酷な生活を強いられるようになった。なので自分の貧しさの原因を戦争に求めていたので、キンは戦争というものに抽象的な嫌悪感をもっていた。しかしまた別のところではその戦争によって豊かな生活を送れるようになるかもしれないと淡い期待も抱いていた。
隣国でまた戦争が起こり盛んに物資が作られ、そして消費されたのでどんどん豊かに生活できるものが増えてきているのだ。戦争による特需にあやかればいつかこんな生活からも抜け出せる、そういつもキンは自分に言い聞かせたが具体的にあやかる案などは全くなかった。
そして多くの者はその特需にあやかれずにいまだ貧しいままで、貧富の差がただ広がるばかりなのだ。実際、貧民長屋の人間は全く減らない。しかし、疲れでおぼつかない足を動かすには藁の様な希望を抱かなければいけなかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~
キンは自分の部屋の前を素通りすると、真っ直ぐ自分の家の隣の部屋へと向かった。
キンの隣の部屋にはサイという名の女が住んでおり、1週間ほど前から体調を崩して寝込んでいた。サイが寝込んでからというもの、時折様子を見にキンはサイの家を見舞っていた。
このサイという女は訳ありのようで素性が定かではない。しかし、半年ほど前に貧乏長屋の近くでうずくまっているところをキンが気の毒がって介抱してやり、行く当てもないということから長屋の一角をキンが世話をしてやったのだ。
お人好しにも過ぎると長屋にはキンの陰口をたたく者もいたし、キンも自分で自分に呆れていた。しかし年のころが亡くなった姉と同じくらいだったこともあり、姉の面影をみたのかどうにも放っておくことができなかったのだ。まぁ、こうしてわざわざ見舞いに参じているところをみるに姉だけが理由ではなく、根が親切なのだろう。
キンは隣の部屋の引き戸を2、3度拳で叩いた。
「サイさん、いる?入るよ」
「…どうぞ」
弱々しい返事を聞くとキンは引き戸を引いた。
中に入ると、木製の台の上にボロの毛布を敷いて作った簡素なベッドの上でよろよろと体を起こしたサイがキンを出迎えた。
「…毎日、お見舞いに来てもらってごめんなさい」
「いやいや、寝たままでいいよ。……仕事の帰りに少し顔を出しているだけだからなんてこたないよ」
彼女は遠慮しいしい体を横たえると、苦しそうに嫌な音の咳をこんだ。キンは駆け寄って背中をさすってやりながら彼女の顔をまじまじと見つめる。彼女は顔の鼻から下を布で覆って隠しているので表情が読み取りづらいのだが、袖から見え隠れするやせ細った手首や額に浮いた脂汗など尋常ではない状態なのは誰の目にも明らかで弱り切っていた。
「サイさん、体調はどうだい?飯はちゃんと食っているのかい?」
そう聞きながら、キンはかまどの上に乗っている鍋の蓋を開けた。鍋の中をみるとキンは眉をひそめた。鍋はカピカピに乾いた食べかすがこびりついているばかりで中身は空っぽだったのだ。
「最近、体を動かすのも億劫で…」
力の無い声が後ろから聞こえてくる。どうやら飯もろくに食べてはいないようだとキンは思った。しかし、仕方のないことなのかもしれない。最近では一般の家庭にもガスのかまどが出回りはじめており、つまみ1つで火を起こすことができるそうだが、もちろんこの貧乏長屋にガスかまどなどあるわけはなく、薪をくべて自分で火を起こさなくてはいけないボロかまどでは病人に煮炊きをして飯を作れというのは無茶なことのように思えた。
「サイさん。食うもん食わなきゃ、体調も良くならないよ」
「ははは…」
たしなめる様にキンはサイを非難した。サイは困ったように苦笑した。
「まっ、そんなことだろうと思ってサイさんのぶんもパンを買ってきたんだ。安い売れ残りだけどね」
「…キンさん、そんな悪いですよ」
「なに、困ったときはお互いさまって言うだろう」
かしこまるサイに何ということはないという風に笑ってキンは手早くパンを広げてしまった。
壁に寄りかかったサイは一口大にちぎったパンをほおばるが口の中が乾いているのか長い時間をかけてパンをしめしてから飲みこんでいる。
「悪いな。もう少し栄養があって食べやすいものだったら良かったんだけど……」
「そんな……食べ物をもらえただけでも十分です。それにキンさんには何から何までお世話になって感謝してもしきれません……。私、こんなに親切にしてもらったこと今まで一度もありません」
「そんな、大げさだよ」
キンは笑ったが、サイは思いつめたように視線を落とすと黙りこくってしまう。
じっと手元のパンを見つめるサイの様子をみて、のどまで出かかったそんな気にする必要もないという言葉をキンは飲み込んだ。
暫くの沈黙の後、サイはゆっくりキンを見据えるとこんなことを言い始めた。
「…キンさん、1つお願いがあります」
「なに?俺にできることならするけど」
「私が死んだら、人に見つからないように戦場跡に私の死体を埋めてください。そして持ち物を全て焼いてほしいんです」
「…ゴフッ、何をいきなりそんな…」
突然の話にキンはパンをのどに詰まらせた。何を世迷言をと思ったがサイの眼差しは真剣そのものだったので、きっと病で気が弱くなっているのだろうと考えどう励ましたものかとキンは頭を巡らせた。
「死んだ後のことを考えるよりも、どうやって体を治すかを考えなきゃダメだよ!」
「いえ、自分の体は自分が一番わかっています。……本当はキンさんにこんなこと頼みたくはないんです。けど今、私が頼れるのはキンさんしかいません。お願いです!私が死んだら人に見つからないように戦場跡に埋め、持ち物を全て焼くと約束してください!」
身を乗り出して訴えるサイの気迫に圧されたキンは顔を縦に振るほかなかった。半ばなし崩し的に約束させるとサイは安堵した様子でまたパンを頬張るとゆっくり湿し始めた。
~~~~~~~~~~~~~~~~
その日の夜、キンは妙な音で目を覚ます。カリカリと何かを引っ掻くような弱々しい音がとぎれとぎれに聞こえてきたのだ。
じっと音の出所をさぐっているとどうやらサイの部屋側の壁から聞こえてきているようだとわかった。キンは急いでサイの部屋へと向かうと引き戸を叩いて声をかけたが返事がない。やむなく引き戸を開けて部屋へ踏み込むとベッドはもぬけの殻でサイの姿がない。慌てて明かりを灯して辺りを見回すとサイはキンの部屋側の壁の前に倒れこんでおり、息も絶え絶えの様子で何かを求める様に弱々しく壁を引っ掻いている。
キンは血相を変えてサイに駆け寄り抱きかかえたが、サイはキンの顔を見ると糸の切れた人形のようにぱったり動かなくなってしまった。
「サイさん!サイさん!」
声をかけたが反応はなく、事切れたのだとキンは悟った。半年とはいえ何かと気にかけた隣人の死は暗澹とした気持ちをキンにもたらした。キンはサイを抱きかかえるとベッドまで運びそっとサイの目を閉ざした。
「顔について聞かれるのをひどく嫌がっていたけど…」
とは言うもののやはり死に顔を見届けるべきだろうと考え、キンはややおっかなびっくりという感じでサイの鼻から下を隠している布を下ろした。
「なっ、なんだこれ…!」
布の下から出てきたのは金属でできた剥き出しの骨格だった。キンは驚きのあまり2、3歩たじろいで目を瞠った。サイの顔は上顎までは普通の人と同じように皮膚に覆われているのだが、下あごから喉の上部にかけての皮膚がちぎれており生物の体の一部とは思えない冷たい金属の骨格がむき出しになっていた。
キンはしばらく茫然と立ちすくんでいたがはっとすると部屋をぐるりと見まわした。ベッドの上に枕替わりに置かれているずた袋を見つけると勢い込んでそれをひっつかみ中身を物色し始める。しばらくの間の後、キンは動きをピタリと止めた。
「やっぱりか……」
キンが手に持っているのはボロボロの軍隊手帳だった。その手帳をじっと見つめながらキンはある話を思い出していた。この国が孤児を使って生体兵器を作っていたというものだ。体に手を加えて強化した孤児を戦場に駆り立てていたというのだ。この国を占領下においた敵国によって戦後になって発表されたことに加えて、なかなかに突飛な話だったことから大半の人は与太話にしていた。キンも気にも留めてはいなかったのだが、目の前の剥き出しの金属骨格がその噂をキンに思い出させた。
骨格だけの話ではない。サイが戦中の生物兵器だとすれば、あの妙なお願いも納得がいく。穏やかな眠りにつくためには彼女の存在は知られない方が好都合なのだ。それぐらいはキンにも重々に気持ちを汲み取ることができた。しかし……。
キンは剥き出しになった金属をじっと見つめていた。彼の心の内は隣人の死を悼む気持ちではなく別の葛藤で占められていた。キンの考えていること。それはサイの体に使われている金属を売ることはできないかということだった。
折しも隣国の戦争によって金属の価値は高騰していた。サイの体のどれほどが金属に差し替えられているのかはわからないが、今見えている部分だけでもくず鉄拾い数カ月分の額はつくはずだ。まとまった額の金が手に入れば、こんな来月には野垂れ死んでいるかもわからないような生活とはおさらばできる。あやかりたいあやかりたいと願っていた特需にあやかって人生を劇的に変えることができるかもしれない。そう考えるとキンの鼓動は早鐘を打つように高鳴りだした。しかし、その一方でそれをしてしまうことの意味もキンの頭をよぎっていた。
サイの体がどういった人物の手に渡ったとしても大同小異、行きつく先は体を不当に辱められることには変わらない。今この国を支配している占領国に渡れば生体兵器の技術を欲して体を細部まで調べつくされるだろうし、民間人の手に渡ってもバラされて鉄くずとして金儲けの種にされてしまうだろう。
死体泥棒に自らの体を差し出すような真似を進んでする者は少ないだろう。ましてやサイという少女はずっと兵器として扱われてきた。死んだあとぐらい物として扱われるのではなく、人としての尊厳を守られることを願うのは不思議なことでも何でもないことだった。
キンにもなんとなしにはサイの辿ったこれまでの経緯は想像がついた。だからサイのそんな気持ちを汲んでやりたいともちろん考えた。しかし……。
キンは悩みに悩んだ挙句、キンの体を火葬にして金属と骨に分けて金属を売った金で弔うことにした。
確かに人知れずに埋めてやれば体を辱められることはないかもしれないが、誰に弔われることもなく朽ちていくのだ。そうなるぐらいならちゃんと供養して墓に埋葬してやる方がいくらか浮かばれるはずだ、とキンは自分に言い聞かせた。
萎えてしまいそうになる気持ちを何とかごまかしてキンは動き始めた。家に戻って身支度を整えるとリヤカーを借りにいき、サイの体をリヤカーに乗せた。金属に差し替えられているとは思えない軽い体だった。何か特殊な金属を使っているのかもしれない。キンは込み上げてきた気持ちに罪悪感を感じつつ一歩一歩リヤカーを引いて歩き始めた。
キンはリヤカーに乗せたサイの体と共に教会を目指して歩いた。
サイを火葬するにはまず教会で火葬を許可する切符をもらう必要があったからだ。
戦争が終わってからはこの国では市民の記録は教会が管理していた。戦火の中、市民籍の台帳が消失してしまったために教会の信徒台帳がその代わりとされていたからだ。なので死者を火葬にし弔うにはまず教会へ死者を届け出る必要があった。
貧乏長屋は街の端に近く、教会は街の中心に位置していた。なので貧乏長屋から教会への道のりはちょうど街を端から中心へ向かっていく形となった。街は中心へ向かえば向かうほど復興が進み街並みは小綺麗になっていく。住む人の身なりもまた同じように小綺麗になっていった。
そういったことを強く意識した時、キンはいつも無性に疎外感を感じるのだ。
自分が何か異物であるような、とても場違いであるようなそんな気持ちになって恥ずかしくなる。
何を恥じているのかも判然としないのだが、とめどなく自分を恥じる気持ちが胸に湧いて出た。
「俺にも金があれば……」
そんなことを考えている間にキンは教会の門前にたどり着いた。
キンは門扉を押し開けて敷地内にリヤカーを運び込むと教会の扉を叩いた。
「ごめんください!弔いをお願いします!」
2度3度と繰り返したところで、1人の神父が扉から出てきた。
「それはお気の毒に……。どういったご関係の方が亡くなられたのかな?」
「姉です」
「それはそれは……。支度をしてくるので暫しお待ちくだされ」
そう言うと神父は扉の中に消えていった。。
キンの姉は流行り病で亡くなったあと街の外れの共同墓地に埋葬されていた。野垂れ死にした無縁仏達と一緒に火葬にされ、誰だかもわからない骨と一緒くたにされて数ある遺骸の1つとして埋葬されている。
その当時はまだまだ戦後の混乱期で市民籍の管理などまったくの状態だったので、台帳上はキンの姉はいまだに生きていることになっていた。キンはサイを姉として届け出ることで火葬切符を手に入れる腹積もりでいた。
「お待たせした」
神父がまた扉から出てきた。
「ご遺体はどちらに?」
「こっちです」
キンはリヤカーの荷台を視線で指し示した。神父は荷台へ近づきサイの顔を覗き込むと怪訝な顔をした。
「なぜ、顔を布で隠しているのです?」
キンは鼓動が早まるの感じて唾を飲み込んだ。
「姉は戦争で顔に酷い傷を負い、それ以来、傷をひた隠して生きていました。死の間際でも布を取ることはなかったです。神父さんどうか姉の気持ちを汲んでこのまま弔ってもらえませんか?」
「……ふむ、そういうことでしたらこのまま弔いましょう。別段、顔を検める必要もありませぬので」
そう言うと神父はわきに抱えた聖書を繰り始めた。キンはほっとして神父の脇に佇むとじっと神父の所作を見つめた。
そこからの神父は実にテキパキとしていた。幾度となく繰り返したのだろう。聖書の1編を淀みなく朗読すると手を組み数秒の黙祷をささげる。それが終わると簡単にキンへ悔やみの言葉をかけた。そしてキンの姉の名前と住んでいる街の名前を確認してから火葬切符を手渡して教会の中へとまた消えていった。弔いはそれでおしまいだった。
キンは神父の後ろ姿が消えていった扉を見つめたままじっとそこに佇んでいた。そこから動く気になれなかったのだ。別に神父に対して何か憤りを感じたというわけではなかった。神父は確かにサイの死を悼んでいたし、キンのことを労わる気持ちも確かなものだった。しかしキンの胸の内はやるせなさと空虚な気持ちで一杯だった。
死んだ人間に与えられるのはこの程度のものなのか、キンはそう感じてしまったからだ。その場限りの祈りを受けるだけ。あの神父のサイを悼む気持ちは本物だがその場限りで薄れ消えていくのだろう。神父だけではないキン自身もきっと同じだ。その場限りの祈りがささげられるだけで残るものは何もないのだろう。
人の死んだ後とは何とも空虚なものなのだな、キンはそう強く感じた。
しばらくの間のあと、キンはゆっくりリヤカーに近づくとぼんやりした様子でリヤカーを引きトボトボと教会を後にした。
~~~~~~~~~~~~
街の外れにあるキンの姉が眠る共同墓地と隣接される形で火葬場はあった。なので今度は街の中心から外へ向かってキンは黙々とリヤカーを引いた。人っ子一人いない街並みを抜け徐々に建物はなくなり何もない野原になっていく。夜の帳の中を黙々とリヤカーを引き続けているうちに、この世の中に存在するのはキンとサイの遺骸のみ。そんな気持ちがキンに込み上げてくる。するとそれまで前方の道をじっと見つめて押し黙っていたキンはポツポツと独り言ち始めた。
「サイさんきっと俺を恨んでいるだろうな。なんたって遺言を反故にしたんだから。俺だって本当はこんなことしたくない。したくないけど、これを逃したら俺にはきっと人並の生活を手に入れる機会はもう二度とこない。やっぱり生きている間に沢山楽しいことしなきゃいけないんだ。死んだ後には何も残らない。なんたってさっきの弔いがそうだ。確かにあの神父は丁寧に祈ってくれた。けどそれが何だって言うんだ。おっ死んだ後にしてもらえるのが目にも見えなければ残りもしない祈りが捧げられてお終いだなんて。こんなの何も報われない。何も残らないじゃないか。こんなんじゃ何のために生まれてきたかわかんね。生まれたからには色んなことがしてみたい。映写とかいうやつも観てみたいし劇場にもいってみたい。色んな美味いもんもたらふく食ってたいんだ、俺は……」
そこで独り言は途絶えた。それはまるでリヤカーの荷台で耳を傾けているサイに切々と語り掛けているようにも聞こえた。そして同時にキンが自分自身に言い聞かせているようにも聞こえるのだった。
キンはまた前方の道をじっと見つめて黙々と歩いた。暫く歩くと火葬炉の煙突が見え、共同墓地がもうすぐであることがわかった。
~~~~~~~~~~~~~~~
火葬場に着くとキンは火葬炉近くに併設された番の控える掘立小屋の扉を叩いた。
「火葬を頼みたいんだ。誰かいないかい?」
すると汚い身なりの初老の男が出てきた。男はリヤカーの荷台を一瞥すると
「死体は1人か?なら焼いとくから後で取りに来な」
と言って、サイの遺骸を引き取ろうとリヤカーに手をかけようとして近づいた。しかしキンが番とリヤカーの間に割って入ったので番の男は訝しんだ顔をしてキンを見つめた。
「いや、明日も朝から仕事なんだ。悪いけどすぐ焼いてもらえないかい?」
「他にも焼く死体はあるんだ。順繰りだ」
馬鹿を言うなと突っぱねられたが、キンは諦めずに食い下がり最後は番の男が面倒がって渋々了承する形でサイの火葬を優先させた。朝一番で取りに来ることを約束し、キンは一度街へ引き取った。
東の空が白み始めた頃、キンはまた火葬炉へと戻ってきた。
掘立小屋の扉を叩くと番の男が顔を出した。
「もう来たのか……。遺骸は焼いたよ。そろそろ取り出せるはずだ」
番の男は不快そうな態度を隠そうともせず、渋い顔で火葬炉の方を親指で指し示した。そこでキンはできるだけ愛想良く見えるように心がけて礼を言った。
「そうかい?無理を言って悪かったね、助かったよ。これはちょいとした礼だ」
キンは手に持っていた手桶を番の男に渡した。男は手桶を受け取り蓋を開けて中を検めるとそれまでの不快そうな態度を一変させた。
「おいおい、これ酒じゃねえか。いいのか、貰っちまって?」
「ああ、無理言って先に焼いてもらったからな。こいつは礼だ。……そうだ、夜通しで疲れたろ?休憩がてら、この酒で気つけに一杯やったらどうだ。骨の取り上げは俺が自分でやっとくからその間休んでろよ」
今までのつっけんどんな態度が嘘のように相好を崩して、番の男は礼を言いながら掘立小屋へと入っていった。キンは男が小屋へ消えるのを見届けると火葬炉の方へ急いだ。キンは火葬炉の分厚そうな鉄の扉の前に立つとかんぬき錠をあけて扉を力いっぱいに引っ張って開いた。
扉の中から覗いたものにキンは思わず声を漏らした。そこにあったのは普通の白骨ではなく金属でできた人の骨格だった。キンは慌てて台車を火葬炉から引っ張り出し全体を見渡した。何度みてもそこに横たわるのは金属でできた人の骨格で、これが「人」の遺骸だとは思えず、生身の人であった痕跡はまるでなかった。
キンははじめ茫然としていたが、はっと我に返ると急いでその金属の骨格を背負子に固定した金属の籠に無造作に入れ始めた。その表情はこらえきれずに笑みがこぼれている。今彼の頭には、生身の部分のほとんどを削り取られ、果たして本当に人であったのかも定かではなくなってしまっていた哀れな少女のことなど微塵もなかった。
キンはあらかたの遺骸を拾い上げてしまうと、掘立小屋の方の様子を伺いながらその場を後にした。
キンは火葬炉を後にした後、はやる気持ちを必死に抑えながら工場を目指して全速力で走った。
いつもは一人で集められる鉄くずなど高が知れているので鉄くず屋を通してまとめてでなくては工場に買ってもらえないのだが、これだけの量の金属であればまず間違いなく売り込みに工場は応じてくれるはずだ。それに鉄くず屋を通してしまってはいくらピンはねされるかわかったものではない。
息も絶え絶えになりながらそれでも腕を振り続けていると工場が視界に入ってくる。貧しさから抜け出し人並みを目指して走り続けるキンには工場の門扉が輝いて見えた。工場にたどり着いたとき人並みの生活をキンは手に入れるだろう。しかし、同時に人として大事なものを手放してしまうということを今のキンの曇った眼では直視することができなかった。
こがね色 ヒヤムギ @hiyamugi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます