第3話 八月十七日 晴れ(後編)

 せっかくだから外に何か食べに行こうという透一に、その前にまずは誉人を起こさなければならないと隆之介は告げた。


「こいつ、今日は昼からバイトがあるって、昨日言ってたんだ」


「昼からって、もう昼は過ぎてるじゃねえか」


 透一が面倒くさそうに、


「起きろよ」


 と言いながらゲシゲシと誉人の尻を踏みつけていると、誉人はいかにも鬱陶うっとうしそうなかんじでと唸った。


「まあ、昼といっても何時からかは知らないから、まだ間に合うかもしれない」


 そう、隆之介がいうと、


「いや。―――もう、放っておこうぜ。エアコンをつけておけば熱中症にもならんだろう」


 と、透一は投げやりな感じに答えた。


「だけどバイト先は大丈夫か?」


「それは知らん。でも、起こしても起きないんだから全部ヨヒトがわるい」


 それもそうだなと隆之介が納得し、透一と何を食べに行こうかとしばらく相談していると、誉人の寝ているあたまの近くに置いてあったスマートホンが唐突に振動と共に鳴りだした。


「……バイト先からか?」


「……わからないけど、タイミング的にはそれっぽい」


 透一と隆之介が小声で言い合っていると、当の誉人本人は手探りでスマートホンを拾い上げて画面を見たのちに、そのままほうり捨ててまた自分の腕に突っ伏した。


「おまえ、さすがに出ろよ」


「うるさいから早く出てくれ」


 透一と隆之介にそれぞれ言われてようやく諦めたのか、誉人は先ほど床にほうったスマートホンを拾い上げて通話ボタンを押した。


「……はい、井田です。―――はい、はい、あ、いえ、大丈夫です。すみません忘れてました」


 外野の二人がしばらくその様子をみつめていると、誉人はを繰り返して、最後に申し訳ありませんでしたと言って電話を切った。


「大丈夫なのか?」


「……問題ない」


「行かなくていいのか?」


「……今日は店員ひとが足りてるから来ても来なくてもどっちでもいいって」


 それぞれ透一と隆之介に問われて、誉人はそう答えた。


「それにしては電話が長かったな」


「今年に入って三回目だからさすがに怒られた」


「おまえ、よくそれでバイトをクビにならないな」


 透一が半分あきれてそのように言うと、


「クビにはならんよ―――贔屓ひいきの客がいるからな」


 誉人はなんでもないといったかんじでそのように答えた。


「まったく、つらが良い奴は言うことが違うな」


 透一は今度はそんなふうに言ったが、どちらかといえばあきれるという感じよりも感心しているといった感じであった。


 事実、誉人はスラリとした細身の体の上に、適度に整った顔が乗っているので、アルバイト先である高級喫茶店カフェの制服とも相俟あいまってなかなかのビジュアルである。


 加えて、仕事上はなんとか取り繕おうとしているが、その実、自然とにおい出てしまう隙の多さはかえって歳上層に刺さり、メイン客層である奥様方に絶大な支持を得ているのであった。


「そういえば、さっきからトイチと昼めしを食いに行く話してたんだけど、ヨヒトも来る?」


 隆之介が思い出したようにそう聞くと、誉人はフムとしばらく逡巡したあとに、


「メシもいいけど、それよりもタバコを吸いたい」


 と答えた。


 基本的に他人のすることを気にしない隆之介であったが、数少ない禁止事項として彼の部屋の中での喫煙があった。


 それは、部屋に匂いがつくのが嫌だということと、彼が紙の本を好んでいることにるものであった。


 また、ベランダでの喫煙も、他のアパート住人の洗濯物にタバコの臭いがつくということからアパートのルールとして禁止されていたので、喫煙者である誉人はタバコを吸う場合はアパートの建屋から50メートルほど離れた空き地まで行って吸うのが常であった。


「でも、いまの外は殺人的な暑さだぞ。光の圧がすさまじい」


 透一がそのように言うと、


「さすがにこんな熱気の中で太陽にあぶられながらタバコを吸いたくないな」


 と、平素は雨が降れば傘をさしながらでもタバコを吸いに行く誉人も、あらためてフムと考えてから、


「じゃあ、結衣ゆいちゃんのとこに行こう―――あそこならランチもやってるし喫煙所も日陰で涼しい」


 と、言った。

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