第2話 バンドマンなのにモテない!

 尚樹の住んでいるマンションは、北大路からまだ北に上がった北山にある。

 築年数は結構経っているが、入口にはオートロックも付いているし、エレベーターまで設置されていて、大学生の一人暮らしにはちょっと贅沢なレベルのマンションといえた。

 2階建てで階段しかないアパートに住んでいる貧乏学生の俺には、逆立ちしても住めない。

 尚樹と俺は原付をマンションの駐輪場に止めると、途中のコンビニで買ったジュースと自分の楽器を担いで、3階の尚樹の部屋に向かった。


「ただいま」


 俺の前の尚樹が玄関ドアを開けながら言う。



 ん? 一人暮らしの部屋に向かって「ただいま」?



「あー、二人とも、おかえりー。ごはん、もう出来るよー」


 開いたドアの延長線上にあるキッチンで、オフショルダーの白のニットと花柄のフレアスカート姿にエプロンをして料理中だった女の子が、可愛らしい笑顔で言った。

 

「あれ? マコちゃん来てたの?」


 そこに、尚樹の彼女である胡桃沢くるみざわ 眞子まこがいることに俺は驚いた。

 マコちゃんは去年の秋口から尚樹と付き合っている、D女子大に通う女の子だ。

 普段ストレートにしている髪を、今日は料理の邪魔にならないようポニーテールに結んでいる。

 相変わらずクソ可愛い。

 

「え、来てたよ。尚樹くんから聞いてへんかったん?」


「全然、聞いてなかった」


 俺は尚樹の背中へ抗議のパンチを放った。


「だって、眞子が来てるって言ったら、おまえ、気を使って来なかっただろ?」


 尚樹がブーツを脱ぎ、部屋の奥へ入りながら言う。

 当たり前だ。

 俺は、友達とその彼女が二人でイチャイチャしている部屋にノコノコやってくるほど空気の読めない男ではない。


「いや、今からでも俺、帰るぞ。マコちゃん。買ってきた飲み物、置いてくわ」


 コンビニ袋に入ったジュースを、袋ごとキッチンのマコちゃんに手渡そうとした。

 するとマコちゃんは不満げな顔で、


「帰ってまうん? もう、ごはん出来るって言うたやん」


と言ってきた。


「え、俺の分まであるの?」


「うん。3人分のごはん用意しといてくれって尚樹くんに言われたし」


「ああ。ここまで来たんだから、飯ぐらい食ってけよ。俺たち二人じゃ残しちまうから」


 尚樹はすでに部屋の奥にいて、ギターをハードケースから出し、部屋のギタースタンドに移しながら俺に向かって声をかけてきた。


「飯、か……」


 さすが尚樹。伊達に俺の親友はやっていない。

 俺がタダ飯に弱いということをわかってやがる。

 今のアルバイトも賄いが出るかどうかで選んだほど、日々の食費を削ることに勤しんでいる俺にとって、タダ飯の誘惑はとても抗いがたいものだった。


「仕方ない。残したらもったいないし、飯だけ食べて行くよ」


 俺はしぶしぶと靴を脱いだ。



◇ ◇ ◇



 マコちゃんが用意していたのは、たっぷりの肉じゃがに、大根の葉のごま油炒めと出汁巻き玉子、大根の味噌汁という、一汁三菜の極めて純和風の食卓だった。

 そんな貧乏一人暮らしの俺には夢のような献立を前に、ここ最近の極貧生活のせいで百均のパスタしか食っていなかった俺の胃袋は即、全面降伏した。

 恥ずかしながら、ごはんのお代わりまでしてしまった。


「めっちゃ食べるやん。あんだけ帰る言うてたのに」


 マコちゃんが俺のごはんのお代わりをよそいながら笑う。

 たしかに、あれだけ偉そうに言っておいて、この体たらくである。

 今更、言い訳のしようもない。


「マコちゃんの料理がうまいからだよ」


「そんなら許してあげるわ」


 そう言いつつマコちゃんが持ってきてくれたお茶碗を俺は受け取る。

 俺は、ありがとうと声をかけると、肉じゃがをごはんにバウンドさせて口に入れたあと、煮汁のついたごはんごと掻きこんだ。

 関東出身の尚樹に合わせたのか、京都生まれ京都育ちのマコちゃんが作った割に濃い味付けの豚の肉じゃがは、ごはんがよく進む。

 先に箸を置いた尚樹も、買ってきたお茶を飲みながら俺の喰いっぷりを見て笑っていた。


「ごちそうさまでした!」


 結局、俺はごはん三杯を平らげ、食後のコーヒーまでいただいてしまった。

 これでよく、帰るといったものだ。我ながら呆れる。


「それじゃ、今度こそ帰るよ。ありがとうな」


 さすがに、これ以上は二人の邪魔を出来ない。

 俺は尚樹に礼を言いながら立ち上がる。

 尚樹は食後の運動と言わんばかりに、ギターで適当な速弾きフレーズを弾いていたが、それをやめてピックを持った右手を上げた。

 この男は、ヒマさえあればギターを触っている。


「マコちゃん、美味しかったよ。ホント、俺の分までごめんね」


「気にせんでええよ。2人分も3人分も作る手間はあんま変われへんし」


 玄関で靴を履いている俺を、尚樹とマコちゃんが見送りに来る。


「亮太。これ、今日の練習」


 尚樹が渡してきたのは、練習中に録音した今日の演奏の音源だ。

 食事中にUSBメモリへ入れてくれたらしい。

 これがあると、練習で自分がうまく弾けなかったところがよくわかるから便利なのだ。


「おお、ありがとう。今日の練習は悪かったな」


「あまりバイトに根を詰めすぎるなよ。学校が始まる前に倒れちまうぞ」


「やっぱ、バイト疲れってバレてたか」


 実は、日々の生活費に加え、2月に行った軽音部冬合宿の旅費を支払ったら、俺の3月の財政は破綻一歩手前まできてしまった。

 そのため俺は春休みの間、いつもの居酒屋バイトに加え、昼間の短期バイトを入れて、フル回転で働いていた。

 それで練習時間があまり取れなかったのも響いている。


「目の下にクマがあるぞ。ムリすんな」


 やはり今日のお誘いは、連日バイトの俺を心配してのことだったか。


「気を遣わせたな。ありがとう」


「別に、気なんか遣ってないけどさ」


 そして、心配していることは決して認めない男なのだ、この男は。

 ツンデレか。

 お父さんか。


「寒いから、気ぃつけて帰ってな」


 マコちゃんが、ニットの袖から手をちょこっと出して手を振る。

 こっちも、いちいち仕草が可愛い。


「うん、ありがとう。肉じゃが美味しかったよ、ご馳走さま」


「肉じゃがだけなん?」


「大根の葉炒めも、味噌汁も出汁巻も大変、美味おいしゅうございました」


「よろしい」


 微笑むマコちゃんを見ながら、俺は尚樹の家のドアを閉めた。


 マンションを出て、駐輪場に止めてあった原付のメットインからヘルメットと手袋を装着すると、原付のエンジンをかける。

 ハンドルを回して走り出す前に、俺はふと、さっきまで自分がいたマンションを見上げた。

 3階の尚樹の部屋の窓の灯りが見える。

 底冷えする京都の夜空の下で眺めると、その灯りはとても暖かく見えた。



 ――これから、恋人同士のあの二人は、あの部屋で何をするんだろう。



 一瞬妄想しかけて、俺は頭を左右に振る。

 食事の最中、意識しないようにしても、マコちゃんのオフショルダーのニットから見える鎖骨や、その下の大きな胸のふくらみや、ミニスカートからのぞく細くて白い足が気になり、俺は何度も目が行ってしまった。

 親友の彼女に対して、俺は何を考えているんだ。

 妄想を振り払うように、俺は原付のハンドルを一気にひねった。



 寒空の中、原付を走らせつつ、俺は考える。



 久慈はウチのバンドで一番のイケメンだ。

 高校時代から女を切らせたことがないと聞く。

 今日の練習後も、大阪でナンパしたOLと木屋町で飲むと言っていた。

 明日は土曜日だから、その後は鴨川沿いのラブホテルへ直行パターンだろう。


 毅は、今年に入ってからカジュと付き合い始めた。

 無口だが優しい人柄の毅にカジュの方から惚れたと、交際宣言とともに報告を受けた。

 今は、毅の一人暮らしの部屋とカジュの一人暮らしの部屋を、お互いで行ったり来たりしていると聞いている。


 そして尚樹には、今見た通り、マコちゃんという羨ましいほど可愛い彼女がいる。


 ウチのバンドメンバー全員、彼氏・彼女がいる訳だ。


 いや、全員ではない。




「なぜ、俺ばっかりモテないんだ‼‼‼‼‼」


 俺の魂の叫びが、夜の鴨川沿いの車道にこだました。




 これは、モテると思ってバンドを始めたオレの、モテない物語である。

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