バンドマンなのにモテない!

太伴 公建

第1話 春はまだか

 大学一回生の春休みも、いよいよ終わりに近づいた3月の末。

「春はすぐそこ」などとテレビでいくら言っても、京都市北部に位置する、ここ北大路周辺はまだまだ寒さが厳しい。

 だが……。


「あー、暑い!」


 俺たちは、だいぶ季節感を無視したセリフを吐きながら、二重扉になった防音扉を押し開けてスタジオから出てきた。

 2時間みっちりの練習を終え、俺たち洋楽ロックのカバーバンド「Majesty」のメンバー5人は、額にうっすらと汗までかいていた。


 スタジオから最初に出てきた俺、井澤いざわ 亮太りょうたは、このバンドMajestyでベースを弾いている。

 ベース演奏歴は、ベースを始めたのが高二の終わりからなので、今で丸二年といったところだ。


 来月になれば、俺たちもいよいよ大学二回生。

 昨年、京都S大軽音部に入部してMajestyを結成してから、早いもので一年が経過したことになる。

 これまで一年間、俺たちは軽音部一回生の中では「中の上」レベルの演奏で、なんとなく満足してきた。

 しかし、理由ワケあって今は、ワンランク上の演奏を目指し、練習にも気合いが入っている。

 そのため、完全防音のスタジオは暖房も不要なほどに熱気が籠もっていた。


 各々の楽器を抱えたメンバーたちがスタジオ受付横の休憩スペースに移動すると、そのまま今日の練習の反省会が始まる。


「亮太。今日の新曲、ちょっとミスが多くなかったか?」


 缶コーヒーのプルタブを開けつつ、そう俺に言うのはギター兼バンドリーダーの本城ほんじょう 尚樹なおきだ。


 尚樹は、音楽好きな父親の影響で、小学生の頃からギターを弾いてきた。

 速弾きもエモーショナルなソロも得意なオールラウンドプレイヤーだ。

 しかも爽やかイケメンであるから、プレイヤーとしてだけでなく、ビジュアル面でも我がMajestyの要である。

 尚樹の今日の格好は、黒のボタンダウンシャツにジーンズ。

 一見無造作に見えるが、よく見ればブランド物の質のいいものであることがよくわかる。


「うん、練習不足だった。ごめん」


 俺は正直に認め、尚樹に頭を下げた。


 今日、スタジオで初めて練習した曲は、洋楽ロックファンの間では誰もが知っているような人気曲である。

 俺ももちろん大好きな曲で、2週間前の新曲会議でこの曲をコピーすると決まったときにはテンションが爆上がりしたものだ。


 ……が、演奏の難しさも、これまで俺が弾いてきた曲の中ではダントツだった。

 バンドの中で一番、演奏技術が低い俺にとって、かなりハードルが高い曲であることに、家での自主練習で初めて気付いた。

 こりゃヤバいと思って必死に練習し、それでも、ある程度は弾けるようになったのだ。

 しかし、今日の練習ではメンバーと息が合わず、だいぶつまづいてしまった。

 CDの音源と合わせるのと、バンドで合わせるのとでは、やはり勝手が違う。


「まあ、ええやん、尚樹。新曲は、まだ今日が初練習なんや。そんなにかしたるなや」


 俺の向かいに座っていた男が、くわえタバコでスマホを操作しながら言った。


 チェックのシャツに黒のデニムを合わせた、高身長にパーマのこの男は、久慈くじ 光仁みつひと

 Majestyではボーカルを担当している。

 昨年の春、軽音部入部員たちの中からMajestyのメンバー集めをしたとき、久慈以外のメンバーは全員、バンドか楽器演奏の経験があった。

 しかし、久慈はバンドも楽器もやったことがない、完全初心者だった。


「なんで軽音部に入ったんだ?」


「え? なんや面白そうやから」


 出会ったばかりのころ、俺の問いに、久慈はダルそうに答えた。


 久慈の唄は、一年経った今でも決して上手いというものではない。

 しかし、初心者とは思えないほどの強烈なパフォーマンス力と、うまく笑いを取りつつも要所は締める絶妙なMCで、すでに尚樹に次ぐ、ウチのバンドのスターであった。

 

「これからブラッシュアップしていけばええやろ? なあ、たけし


 久慈はスマホから目を離すことなく、鼻歌交じりにそう言う。

 そして今度は、スマホの自撮り画面を見ながら前髪をいじりだした。

 

 久慈に名指しされた、180センチ100キロの巨漢でヒゲ面の、大荒おおあら 毅は、黙って頷いている。

 彼の担当パートはドラム。

 高校からドラムを始めた彼は、体格から想像する通りのパワードラマーだ。

 彼のドラムは、アクセントのきいたバスドラを特徴として、Majestyの音の根幹をしっかりと担う大黒柱である。

 無口で汗だくの毅は、スタジオ内と違ってヒンヤリとする休憩所でも、いまだにTシャツ姿のまま汗を拭いている。


 その毅の隣で座敷童ざしきわらしのようにちょこんと座っているのが、キーボードの多賀たが 加寿子かずこことカジュだ。

 おかっぱ頭に古着の赤いトレーナー姿の今日のカジュは、より一層、座敷童感が溢れている。


 カジュはバンド経験はないものの、大学に入るまでクラシックピアノをやっていた。

 初心者の久慈とは少し違うが、毛色のだいぶ違う部を選んだことには変わりない。

 久慈と同じように、なぜ軽音部に入ったのか尋ねると、


「一人暮らしでピアノはよう持ってこんやろ? だから、キーボード始めてん」


と、ニコニコしながら答えた。

 関西の女性らしい、実用性重視の考えだな、と思ったのをよく覚えている。


 カジュは、あのときから変わらない笑顔で、


「久慈くんの言う通り! まだ発表会まで一ヶ月ぐらいあるし、充分間に合うやん。頑張ろな、亮太くん」


とガッツポーズ付きで俺を励ましてくれた。


「すまん、カジュ。ありがとう」


 俺は泣き真似をして礼を言う。

 バンドのムードメーカーであるカジュには励まされてばかりだ。


 ちなみに「カジュ」というのは多賀のあだ名である。

 カジュアルだからカジュ……ではない。

 一年前、軽音部新歓コンパでの自己紹介において、緊張のあまり部員全員の前で、


「多賀、か、です!」


と、という奇跡を起こし、それ以来、みんなから「カジュ」と呼ばれている。


「……まあ、今日は仕方ない。火曜のスタジオまでには一曲通して弾けるように練習しておいてくれよ」


 みんなからの意見に丸め込まれた形で、尚樹が怒りの矛を収めてくれた。


「うん、わかった。みんなも、ごめん。次回はキチンとやってくる」


 明後日の日曜は、どちらのバイトも休みの完全休養日だ。その日は一日部屋に籠って、みっちり練習するとしよう。


「あと、久慈。お前は練習のときから高音をフェイクで誤魔化そうとするの、いい加減やめろよ。練習で出さなかったら本番でその音程が出る訳……」


 尚樹の説教が久慈にまで広がろうとした瞬間、久慈のスマホからLINEの着信音が鳴った。


「お、ようやく返信きたわ。……オッケーっと」


 久慈が煙草を灰皿に捨てて立ち上がる。


「河原町で待ち合わせしてるから、お先に! また来週の練習日に、な」


 尚樹の説教を最後まで聞くことなく、久慈はモッズコートを羽織ると黒のデイパックを肩に掛けて、休憩スペースから出ていった。

 尚樹はそれを見届けながら諦めの溜め息をつく。

 それを合図に、今度は毅とカジュが揃って立ち上がった。


「ウチらも帰るね。来週の練習も火・金やんな?」


 身体がミニサイズのカジュにとって、練習のたびに嵩張るキーボードを抱えてくるのが大変なので、カジュはいつもバンドで唯一のマイカー保有者である毅の車でスタジオへ送り迎えしてもらっている。


「そう。火曜は20時から。金曜は亮太のバイトがあるから16時からだ」


 尚樹が答える。

「りょーかい」と右手を額に当てて敬礼をしつつカジュが言い、毅とカジュは帰っていった。


 三人を見送ってからしばらく、尚樹は黙って缶コーヒーを啜りながら座っていたが、やがて、


「亮太は今日、バイトないんだろ? 俺の家、寄ってけよ」


と言ってきた。


 俺は本来なら、毎週金曜日の夜、練習後に居酒屋バイトがある。

 しかし、今週は店長のシフト調整ミスで休みになっていた。

 バイトがない日のスタジオ練習後には、いつもスタジオ近くの尚樹の家に寄って、尚樹のCDコレクションから何枚か借りている。

 今日もそうしていけ、ということだろう。


 五人でいるときはバンドリーダーという立場上、厳しめのアドバイスをしてくるが、俺と二人になると意外とこのように気を遣ってくれる。

 俺にとって尚樹は、所属するバンドの厳しいリーダーであり、一番の親友でもあると言えた。


「じゃ、お言葉に甘えてお邪魔しますか」


 家に帰っても、晩飯を食って、その後は今日の失敗したところをシコシコ反復練習するだけだ。

 たいした予定もない。

 俺は尚樹の提案を受けて立ち上がると、ベースの入ったソフトケースを肩に担いだ。

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