3-2
高揚は一瞬であった。高い志を持って契りとも言えるものを交わした二人。だがそれが高ければ高いほどそこまで到達するのに相当の時間を要する。現状はやるべき事が山積して、軌道にも乗っていない。それを思うと心境はフラットになり、ではどうしていくか? という思考に移る。二人は腕を組み考える。
「いわゆる音楽性だけどさ」
高梨にはまだまだ漠然としているが、そのビジョンを描き始めていた。
「最初に出した曲は歌詞にストーリー性があって、耳に残る曲だと思う。多分この曲を評価するなら真っ先に歌詞が良いって言われるはず」
磯村はただ黙って高梨の説明を聞いていた。
「勝手な想像だけど、日本人はきっとこういう曲を好むと思う。歌詞が良いって曲を。でも、それだけじゃなくて、俺は歌詞はよく分からないけどサウンドが良いみたいな曲も作っていきたいんだ」
「そういえば、前に歌詞が意味分からなくてもサウンドが良くて評価されている曲もたくさんあるとか言ってたね」
「そう。磯村はね、楽器は弾けないから歌詞を大事にしたいって思うかもしれないけど、俺的にはサウンドがフィーチャーされる曲も欲しいわけ」
「なるほど。けど、だからと言って意味分からない歌詞を書くというのも、それはそれで難しい気が」
「文章書くの得意な磯村なら余計そう思うだろうな、そこで」
高梨はそう思う事も想定しているように次の答えを持っていた。
「歌詞が全部、英語の曲もどうかってこと」
「英語」
じっとりと落ちるように言う磯村。英語という単語を聞くだけで血の気が引くように、顔も強張る。学生時代、英語に苦手意識を持っていたが故だろう。
「あれだろう、最近は洋楽も聴くようになったって言ってたしそんな抵抗はないでしょ」
「そうだけど……」
「それにぶっちゃけどれだけ歌詞の意味を理解している? それでもあぁ良いなって思うだろう? だから歌詞の意味が分からなくたって良い曲だって思わせる事は出来るんだよ」
高梨の言う事にそれなりの説得力を感じていた。さらに、
「もっといえば俺はね、ちょっと話が飛びすぎって思われるだろうけど、日本だけに留まるつまりはないから」
「どういうこと?」
「世界にも目を向けているって事。日本語の曲ばかり作ってたら受け入れてくれる層は国内、海外でいたとしても日本大好きの外国人だけだろうし」
「そういうこと。それは確かに現時点で大きすぎる話のような……」
「と思うだろう。でも、既に上げた曲が海外からも聴かれている事実がある」
「あぁ、そうだったね。そう考えるとやっぱりネットの力はすごいね。もう俺達の曲が日本を飛び出して届いているのか」
「そうそう。もう日本は人口が減る一方で沈もうとしている船だし、だったら日本だけじゃなくて世界からも受け入れられるものを作った方が絶対に長続きすると思っている。だから英語くらいは身につけておいて損はないと思うよ」
英語。かつてその異国の言語を勉強する意義など見出せないでいた自分が居たのも事実だが今は多少、事情は異なっている。洋楽を聴くようになったのもその変化を与えた一つであろう。日本には来ない海外のバンドを生で観てみたい。そのためにいつかある程度、英語が話せる状態で海を渡る、そんな憧れを抱き始めていた頃であった。
その憧れ、だけであれば誰でも抱く事はある。それを実現するために行動に移すとなると途端にその憧れは萎み始める、そんな経験も何度もした。要は単純に面倒臭いという事だ。
まだ胸にしまっておくだけのもの、それは外からの圧力で今すぐやれと要求されている。高梨が今言った事も極端な部分はあるが一理ある。心は揺れ動く。
「言いたい事は分かったけど俺、そんな英語得意じゃないから……」
「なら、これから勉強すればいいだけだけでしょ。さっきも言ったけど音楽活動のためとか関係なく英語は話せた方が絶対にこれから役に立つ。それが嫌なら俺が書いてもいいけど」
高梨はそれなりに頭が良い学校の出身なので出来なくはないだろうが、自分の役割を奪われるというのは心中穏やかではいられなかった。
「……分かった。頑張ってみる。これからは英語の勉強にも励むよ。そうなると、一年は専念したいんだけど」
「よしっ、了解、決まり。じゃあこれからはとりあえず充電期間ってところかな。ちょうど今のメンバーも卒業までだし、次ライブやる時はもっとオリジナル曲増やさないといけないと思うから俺も曲作りしたいし」
直近のやるべき事は決まった。経緯はどうであれ磯村はこうなったらやるしかないという気持ちで俄然やる気が出た。投げ出す事は許されない状況に追い込まれた以上は。
「そうそう。実は今日、言おうかなって思っていたんだけど、あの曲がそれなりに広まったおかげでもう対バンとかどうですかって話もきているんだよね」
「えっ、そうなの」
「最初に引用リツートしてくれた人もバンドやっているって言ったじゃん。なんかすごい俺達のこと気にってくれたみたいだから、色々とDMで聞いてくるうちにそういう話にもなって」
「その人って正直どうなの? 俺達の方が良い曲作るし、今後も売れない見込みのバンドとならやる価値はないと思っているけど」
「なかなか辛辣だね。でも大丈夫、そもそもなんで俺達の曲が短期間でこれだけ再生されたかって言われたらこの人が、ユウスケさんっていうんだけどね、リツートしてくれたおかげもあるんだから」
「あと、磯村の彼女さんもだろ」
「そうだけど、絶対にユウスケさんの影響の方が大きい。拓実もツイッターやりなよ。そうすれば、どういう人なのかいちいち説明することもないのに」
高梨は流行りのSNSには興味がなく、自分達の曲がなぜこれほど多く短い期間で再生されたのかその詳細をいまいち把握していなかった。それには多少の苛立ちが磯村にはあった。
「えっ! ちょっとまって、なんだよこの曲」
高梨は珍しく分かりやすい驚きを見せた。その磯村のいうユウスケのバンドが作る曲を聴いた時の反応だ。このバンドもYouTubeに楽曲、正確にはミュージックビデオなるものを何本か上げていた。
「すごいかっこいいでしょ? 俺もびっくりしたよ。ちょうどなんか俺が今、聴いている洋楽の雰囲気と似ているし」
やはり世の中には気づいていないだけで色んな人がいる。そして同志と言えるような人も探せば必ずいるのだと高梨は息を荒くする。
「マジかー。このユウスケさん、俺と同じ曲が好きみたい」
ユウスケのツイートを巡っているとあるお勧めの曲を紹介していた。その曲とはエコー&ザ・バニーメンの『The Cutter』
高梨はこの上ないほどの上機嫌であった。
「うん、このユウスケさんとは仲良くなった方がいいかも。ほら磯村、ユウスケさんのバンドも歌詞、英語だろ? 俺の言っている事は間違っていないって」
このバンドがやっているのだから間違いない、そう思わせるくらい高梨は瞬く間に信頼してしまっていた。その様子を見て磯村はほんのちょっと前までの高梨の姿を思い起こす。
「(ここまで変わるとはね)」
だが高梨がここまで絶賛するのだから間違いない、磯村はそこまで高梨を信頼しているのもまた事実であった。同時に磯村自身はまだユウスケの曲にここまで衝撃を受ける事はなかったのが引っかかる。
目指しているものが違う——そういう事なのかもしれない。磯村はやはり日本語の、その日本人が好むような曲が良いと今でも思っている。これからはそれとは正反対の曲も取り入れていかなくてはいけない。この選んだ道は、思った通り、いや少し予想以上に苦しい修羅の道である、その様相がどんどん可視化される。それを見て早くも気が沈みそうになる。
「(結局どんな道を選んでも同じってことか)」
それは避けられない事なのだと悟った。
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