3-1

 随時、再生数はどのくらい伸びているのかチェックする、この一週間はそれが日課となっていた。曲を上げて3日目から何を考えたのか高梨が動画のタイトルにローマ字表記も付け加えて、説明文にも英文を追加させた。その効果があったのか、動画のコメントに『Excellent!』という称賛があった。もちろん日本語でも『普通に良い曲』『このバンド売れてないの?』などの目に見えた反応がこの一週間だけでだいぶ増えていった。

 現時点で再生数は4万弱、もはや人気投稿者でもない者からすれば有頂天になってしまう数字であった。この結果に磯村は子供のようにはしゃいでいただけであったが、それとは対照的に高梨はその浮かれた気分というものは一人で部屋に居る時も殆ど浸る事はなかった。

 つまり大学内や人前でも。例えばサッカーの全国大会で優勝したにも関わらず全く喜びを表さない無表情のチームメイトが一人でも居たらその人物は浮いてしまい、それを見た第三者はどうしたのか? と気になるだろう。それと似たような感慨を抱く印象であった。

 本当の祭りはある意味ライブ後に控えていた。その前夜祭とでも言うべきあの日、この曲を生で一番に目撃した観客は誇らしい気持ちになり、蒔いた種に芽が出始めた。このバンドはもしかしたらやってくれるのではないかという期待の芽が。こうなってくると自分の見る目はあったなど自慢したい気持ちになり、本格的に『ファン』という存在ができつつあった。


 このチャンスを逃してはならない——高梨はその一心で内なる炎を燃やしていた。

 大学敷地内の広場のベンチに腰掛けている。周りは木々で囲まれている。お昼時というのもあり冬を迎えようとしているとはいえ快晴の下、日差しは1日の中で最も強くそれを浴びれば全身が火照ほてるほどだ。横に置いてあるコーヒー牛乳の紙パックもこのままではすぐに温くなってしまうはずだ。

「よっ」

 そう軽い挨拶をして神崎浩介かんざき こうすけが隣に座った。そのまま手に持っているビニール袋からお昼ご飯のカツサンドを取り出して封を開ける。

 神崎が隣に来てもなお沈黙は崩さない高梨。元々、音楽の事以外は必要最低限のことしか喋らない、無口なところはあるので不快に思うこともなくなったがこちらも自ら隣に来た以上は何か話すべきだと思った。今日はその話すべきネタはある。

「おめでとう。上げた曲、なかなかの再生数じゃん。俺も一応メンバーの一人として嬉しいよ」

 一応、という言葉だけに言った本人はその意図はなくとも強調されたように頭に入ってきた。それには思わずため息の一つもこぼしたくなる。

「こんなに早くあれだけ再生されるとは思わなかったけど、あのクオリティだったら当然だろう」

「確かに。それは認める。そのドラムを俺が叩いた、俺は言われた通りに叩いただけだからそこまでじぶんごとのように思えないけど、やっぱりちょっとは自慢したくなるくらいは嬉しいよ」

 作詞をした磯村、作曲をした高梨。ドラムに関しても高梨が考えた。それに比べれば大した事はやっていない、謙遜した態度で神崎は祝福し、自らも喜んだ。その姿勢には好感を持ってもいい。だがもう少し欲も出してほしいと高梨は思っていた。それは待っていても出てこなさそうなのでこちらから言うしかなかった。しかし見込みは薄い。

「どう思っている?」

「えっ、何が」

「その、自分のバンドオリジナル曲が一定の評価をもらって」

「う〜ん、さっきも言ったけど、俺はいわゆるサポートメンバーみたいな位置付けだし、すごいとは思うけど、それをあまり俺がでしゃばるのは違うかな。逆に拓実はどうなの?」

「俺? 俺は……この勢いを絶やしちゃいけないと思う」

「……それって、どういう、」

 その続きを止めるように素早く言った。

「勿体ないなってことかな。他人が作った曲をコピーして演奏上手いって言われるのとはわけが違うでしょ。だから勿体ないって思う」

「なるほどね、それは分かる。でも現実問題、1曲だけ評価されてもそのクオリティの曲をあと何十曲って作っていかなきゃいけないと思うと気が滅入らない?」

「そんな弱音吐いてどうするんだよ」

「……俺は、申し訳ないけどもうそんな長く協力する事はできないよ。たとえ拓実がその気でも」

「それって、どういう、」

今度は神崎が同じような流れで言った。

「だから、俺は学生時代の思い出として拓実のバンド活動に付き合ってきたけど、それも卒業するまでの話って事。厳密に言えば来年から卒業後の進路を本格的に考えないといけないし、もうそんな長くないでしょ」

 どこかの木にとまっているカラスが二羽、カーカーと絶え間なく交互に鳴いている。それがしばらく響き渡るだけの間ができた。その鳴き声が煩わしいので気を紛らわそうと、やや強引に高梨は言葉を発した。

「浩介は勿体ないって思わないってこと?」

 その質問に対して神崎は空を見ながら言った。

「まぁ、そうね。だって厳しい世界でしょ」

「それでも上手くいっているんじゃないかって思うけど」

「ここまではね。磯村君も女の子に人気あるし、それでいて初のオリジナル曲が一週間で数万再生されたってなったらそういう気持ちも湧いてはくるけど、やっぱりそれでも厳しいって」

「浩介は卒業後はどうするの?」

「俺? 俺は……俳優になりたい」

「はっ!? 俳優? そんなの初耳だけど」

「だって今、初めて話したもん」

「……俳優ってお前、芝居なんてできるの」

「今はワークショップに参加して勉強しているんだ。実は事務所にも一時入っていたんだけど、そこの事務所がとんでもない事務所で今年の春に無くなった。理由は社長が夜逃げしたから」

 友人から初めて聞かされる事実、その内容も少なからず波乱万丈なので受け止めるだけで高梨は必死であった。

「だったらなんで音楽なんてやってたの?」

「それは単純に芸の幅を広げるためだよ。オーディションでも楽器ができるっていうのは良いアピールポイントになるし」

「さっき音楽の世界は厳しいって言ったけど、俳優の道も音楽と同じくらい厳しい道なんじゃないの」

「もちろん、それは分かっている。音楽と俳優、俺はどっちを選ぶかって聞かれたら俺は俳優の道を選ぶ。ただそれだけ」

「そんな痛い目をみてもか」

「あの件は俺も浅はかだったと思う。とにかくどこでも良いから事務所に所属したいって思っていたし。今度はもっとよく考えて選ぶつもり」

「そうか」

 これでもうこの話は終わりだと、空気、話の流れからして思った。本人が俳優を目指すと言っているだけあり見た目もそれなりで、ちゃんと真面目に取り組んでもくれる。なかなかの人材だと思っていただけに残念な気持ちで溢れる。

「だったらなんでここの大学に入ったの?」

「俺も同じ質問を拓実にぶつけるよ」

 ちょっとの間、思わず笑い合う二人。所属している学部、科と全く関係のない分野に精を出している。なぜなのか、その答えには詰まるところがある、それは共通していた。

「俺にこんな話をしているって事は、まさか毅にもしているの?」

 この話は青臭くなりそうなので話題を切り替えた神崎。

「あぁ、毅こそ多分、無理でしょう。そもそもなんであいつの趣味がベースなのかも最初は疑問に思っていたし」

「見た目で判断するなって。でも機材に関してはめちゃくちゃ詳しいし、拓実もそれで助かった部分はあるでしょう」

「それは認める。それに関しては毅の勉強している分野に通じるものはあるからだろうな。でも、まぁ、聞かなくても毅の滲み出るオーラから音楽の道に誘うのは正直憚れる」

「本当に趣味として心から楽しんでいるって感じだしね。あの無垢な心で荒波に耐えられるかって言われたら、おそらく無理だろうね」

「野心なんてないだろうしな」

「肝心の磯村君はどうなの? とりあえず彼さえ説得できたらなんとか卒業後もやっていけそうな気はするけど」

「磯村には年末、実家に帰った時に会って話してみる」



 こちらはもしかしたらという見込みはあった。活動を始めた当初は高梨のワンマン経営のようにこのバンドを動かしていたが次第に磯村の取り組みには目に見えた変化があった。オリジナル曲を作りたいという提案をしたのがいい例だ。

 12月28日。初めて磯村を地元の練習スタジオに連れて行った高校3年生の5月。その帰りに寄ったファミレスで今日も会った。共にバンド活動をしているとはいえ会うのは約2ヶ月ぶり。久しぶりという言葉を言ってもこの場合は大丈夫なはずだ。

「ギター持っているって事はなに、この前にスタジオでも入っていたの?」

 席に案内されて座った途端に磯村がこう投げかけた。またこうして会える事を楽しみにしていたというように調子は弾んで見えた。

「うん、そう。俺の音楽活動の原点みたいな所だし。こうして帰った時くらいはと思って」

 店員がお冷を持ってくる。ご注文が決まりましたら……という決まり文句を言って去っていく。磯村がテーブルに置いてあるメニュー表を開く。先ずは互いの注文する料理を決める事になる。

 店員を呼び出し注文を完了した。この料理が来るまでの間から少しずつ話をつけてみると決めた高梨。最初の第一声は——

「あのさ、最初に送ってくれた歌詞あったじゃん。あの歌詞にも、メロディ乗せてみたんだ」

「えっ、そうなの。あのバラードだから一発目の曲には適さないって言った歌詞に?」

「そう。その一発目の曲がそれなりの評価をもらったわけだし、こうなってくると次の曲も作ってみたくなるじゃん」

「早くも次の曲か〜。でも、俺はまた詞を書いてくれって言われても今すぐにはちょっと無理かもな」

「……とりあえず後でデータを送るよ。個人的には良いと思っている」

「うん、楽しみにしている。その曲もいつかライヴで披露したりレコーディングするの?」

「そうだな、できればそうしたいけど、時期的にもこれが最後かなって思うとちょっと寂しくなるな」

「あぁ、そうか。来年からは就職の事を考えないといけなくなるもんね。早いな〜時間が過ぎるのは」

「あっという間だな。もうあと2年で好きなようにギター弾けなくなるのかって思うと、気が参るし」

「就職したらギターはもうやめるの?」

「続けるとしても、少なくともスタジオ行ってギター弾ける回数は激減するだろうな。仕事が忙しければ尚更」

「なんかさ〜そう考えると就職なんてしたくないよね」

「そんな事言っても、働かないと生活できないだろう」

「そうだけど、さっき言ったみたいに仕事のせいで好きな事が全く出来なくなるって、なんでそんな風潮なんだろうね。学生のうちにたくさん遊んでおこうとか言うけど、仕事始めたらもう遊べないのかって」

「じゃあ、磯村はまさかこれからも就職しないつもりか?」

 痛い所を突いてきた、というように次の言葉が出てこない磯村。その反応で本人もそれについて相当悩んでいる事が窺えた。

 注文の料理が来た。冷めないうちに食べようということか、無言のままフォークを手に取り磯村は食べる姿勢を見せる。高梨もそれに同調した。

「最近になってようやく自分について分かり始めたんだけどさ、俺ってどうも集団生活が苦手のような気がするんだよね」

「集団生活が苦手?」

 料理を口にして、どんな味なのか噛み締めて間もなく磯村が言う。高梨には何を言い始めたんだというように、その意図を直ぐに察することはできなかった。

「俺もね、どんな職が良いんだろうって考えたよ。それを見つけるには自分を知ろうってなって、思い浮かんだのが先ずそれってこと」

「なるほど。つまり個人で事業を立ち上げるってこと?」

「そんな事言われると難しいって思うけど、そこまではいかなくても、少人数で仕事をしている所とか」

「そういう社員の数が少ない所の方が、人数ギリギリでやっているから自由にできる時間なんて無いと思うけどな」

「やっぱりそうか〜。でも俺、学校生活も正直みんなと馴染めないなって感じてた部分があって、いつもどこか輪から外れていたんだよね」

「それって単に気が合う人がいなかったからじゃないの? 現にバンド活動はそれなりに上手くやれているわけだから、そういう人がいれば別に大丈夫な気が」

「そう、初めてかもしれない。こんなに誰かと一緒にやっていて楽しいって思ったの。人数も4人で多くなかったから全く話さない人なんていなく交流できたし」

「浩介と毅が従順だったから円滑にいったというのはあるけどな。これで何かしらの拘りを4人全員持っていたらもっと言い合いになっていたと思うよ」

「それは言える。他の二人は何かこうやりたいとか意見ないのかなって思ってたもん」

「でも、そうか。そんなにこのバンド活動に手応えを感じていたとは誘って良かったって思うよ」

「うん、ありがとう。これがあったからなんとか退屈な日々が刺激的になったって思っているし。それもそろそろ終わりが見えているって思うとやっぱり寂しいね」

 このバンド活動に終わりが見え始めている、その言葉に対してこう返すのは自然だと思った。だが、その言葉を言うのには勇気がいる。これが一番言いたい事なのに、一番言いにく言葉でもあることに苛立ちさえした。しかし、言うしかない——

「もしも、良かったら大学卒業後も続けない?」

 磯村が続けて言った言葉を聞いてその緊張が一気に解けた感覚になる。

「えっ」

「いや、なんかいつの間にか大学卒業したら終わる流れになっているけど、続けようと思えば続けられるでしょう? 無理かな」

「えっと、うん、いいかな」

「本当? けどあれか、他の二人は無理か」

「そうだね。浩介と毅は無理だと思う」

「やっぱりそっか」

 さぞ残念そうにため息をつく磯村。それでも高梨は鼓舞するように言う。

「また探せばいいじゃん。今度はもっと本気でやろうっていう奴を」

 沈黙をする磯村。高梨から予想以上のやる気を感じて呆気にとられる。

「本気でやる奴を探すって……どこまでやる気でいるの?」

 磯村の問いに高梨は本音の片鱗をポロっと出してしまった事に気がついた。もう引き返せない、恥ずかしさにも似た感情を抑えてこのまま勢いに任せて言うしかないと思った。

「俺、音楽で生活したいって本当は思っていたんだ。ここで言う生活っていうのはそれで稼いで暮らすっていうよりかは、音楽を中心とした生活って事で。けどその先に、音楽で稼いで生活するっていうのもあると思っている。この勢いを衰えさせなければ」

 やや遠回しの言い方に、その決意はストレートには伝わらなかったが、「もしかして拓実、就職は考えていないってこと? 俺としては仕事をしながらでも続けたいって意味で言ったんだけど」

「どうせやるなら、とことんやろうぜ。どうせ磯村もお先真っ暗なんだろう」

 苦笑いをするも、どこかに嬉しさも混じっていた。

 旗揚げの瞬間だった。ようやく進むべき道がはっきりした。それは細く果てしなく険しい、誰でも進める道ではない。そこへ足を踏み入れる恐怖を今は敢えて目を逸らして、高梨と固い握手を交わした。自然と笑みがこぼれる。

「やっぱり前からそうなんじゃないかなって思ってたんだ。よし、やろう。よろしく」

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