2-6

 結局この日を終えようとしてもなお伊藤に伝える事はなかった。

「次のライブで、オリジナル曲をやるんだ」

 この一言が言えなかった。だがもうこうしてネット上で今日のライブについて話題になっている以上は伊藤もチェックしている、遅くても明日には知る事になるだろう。それについて聞かれたら、練習が本格化して忙しかったから言えなかった、ごめんとでも言えばいいか、と考えつつ悪い事をしてしまったような、わき出た罪悪感に浸り俯く。


「あの、けじめをつけたという事でしょうか?」

 隣に座っている西田麻里が話しかける。途中まで帰る方面が一緒という事でこうして隣に座っているが最初に今日のライブの感想を少し言った後は会話が続かずにここまで黙っていた。が、さすがにあともう一山くらい会話のピークを作った方がいいのではないかという謎の使命感から再び機を見計らい話しかけた。それはまだ触れていないあの曲についてだった。

「けじめというのは?」

「あの、まだ言っていませんでしたが今日、初披露した新曲、すっごい良かったです。私、音楽はそれなりに聴く方なんですけど、間違いなくプロのレベルに達していると思います、お世辞ではなく。高梨さんのギターソロもかっこよかったし。それに、多分ですけど、作詞は磯村さんがされたのですよね?」

「あっ、分かりました? MCでは誰が作詞したとかまだ詳しい事は言いませんでしたけど」

「はい、もちろん全部は聞き取れなかったですけど所々、聞こえてくる言葉を聞くと、あぁ、これは磯村さんが書いたんだろうなって察しがつきました」

「なるほど。西田さんなら余計にそう思うか」

「……また傷口を抉られたみたいでこっちまで胸が痛みましたけど、磯村さんはもう大丈夫なんですよね?」

「あぁ、けじめってそういう事か。そう、その通り。心配しないでください、もうあの事は深刻というほど引きずってはいませんから。それこそあの詞みたいには。ただ……ただそれを胸にしまっておかず吐き出したって感じです。幸い何かの縁で、僕には音楽というものがあった、そういう事です」

 西田はふぅっと一息、吐き感心したような気持ちになった。

「よかった。正直、あの曲を歌っている磯村さんを見た時はまた壊れちゃうんじゃないかって心配しました。でも、その曲が終わったら何事もないようにいつもの調子に戻って、どっちが本当なんだろって戸惑っちゃいましたよ」

「壊れるってそんな大袈裟な。いつの日かも言いましたけど、俳優みたいにただ曲によって歌い分けているだけですよ」

「でも、これからはあの曲を歌う度に、その辛い記憶を思い出さないといけないのは、きつくないですか?」

「いや、意外とそんな事はないのかもしれないですね」

「どうしてですか?」

「先ず、実は最初はお客さんの反応が気になりすぎて、そんな曲の世界観に浸っている余裕なんてなかったですし、なんとか慣れて歌い切っても、とりあえず無事に歌えた安堵感の方が強かった。それに……」

 磯村は右手に持っているスマホをチラッと見た。

「そんな事情なんて知らない人が聴いたら、ただ単に良い曲なわけであって。聴いていると切なくなる歌なんて世に溢れているわけだし、これもその曲の中の一曲に既になりつつあるのかなって思うと、むしろ肩の荷が下りた気分ですかね?」

「なるほどぉ。それってつまり自分の作品が巣立ったって事かもしれませんね」

「そう、それっ。第三者に触れられる前はいわば自己満足だけだったのが、色んな人の目につく事によってその人なりの感想や解釈が生まれて、どんどん自分の手元から離れていくような感覚です!」

 西田の作品が巣立っていった、という言葉でよりこの気持ちに適した言葉を表現する事ができた。その時の顔はパァと明るかった。

 日曜日の夜間という事もあり電車内に人は少なく二人は気兼ねなく話せていた。そういう風に捉えられたのなら本当にけじめはついたのかもしれない。この想いを形にして正解だったと言える。

「この際ですから、ネット上にもあげてみたらどうですか?」

「えっ、ネットに」

「そうですよ。今日、この曲を聴いた人って百人もいないじゃないですか。もっと多くの人に聴いてもらうためにそうするべきだと思います」

 西田はこの提案には語気を強める。

「でも、叩かれるのが怖いような」

「なにそんな事、怖がっているんですか。音楽をやっている以上は自分の曲に対して否定的な意見が来る事も覚悟しないと」

 ここで磯村は不意に閃いた。ネット上にあげれば伊藤も気軽に、ライヴに足を運ばなくても聴く事ができ、そしてライブが終わるまで教えなかったのはこのタイミングで聴いてもらう意図があったという事にできる。

「(その流れなら変な空気にならずに済むかもな)」



 自作の曲をネット上に公開するとう案は高梨も前々からその事は頭にあったようで、磯村からもその声が出たのであっさりと決まった。わざわざレコーディングをしたのはその事が念頭にあったからだとも言っていた。

「でもネット上に上げると言ってもどこにする。ニコニコ動画とか? 最近はもう見なくなったけど」

 西田に言われた次の日に早速、高梨に電話をして話し合っていた。

「いや、ニコニコ動画は俺も中学生の頃はよく見てたけど、もう昔ほどの盛り上がりはないみたいだね。今だったらどちらかと言えばYouTubeらしい」

「あぁ、YouTube、そっちなんだ」

「うん、なんか人気ゲーム実況者が最近は先にそっちに上げているって知って、どうやらYouTubeに上げれば再生数に応じて収入が入るらしいね」

「なんか聞いたことあるかも。でも、それって何十万って再生されないとまともな収入は入ってこないって聞いた気が」

「別に俺達はそれで稼ごうとは思っていないでしょ。ただYouTubeの方が画質も落ちずに再生されて、見やすいって事でこっちに移りつつあるらしいから」

「そう言うなら、そっちでいいかな。当然、上げるのは拓実がやってくれるんでしょ」

 それが当たり前のように磯村は言う。どちらかと言えば裏方作業のような事は高梨の担当という流れになりつつあった。磯村はちゃんとSNSを駆使してバンドの広告塔としての役割を果たしているので面倒だと思いつつも拒否はもはやできないでいた。

「分かった。音源持っているのは俺だし、やっておくよ」

「あっ、それとその音源、俺にもくれない?」



 駅前や公園で披露するよりこっちの方がより多くの人に聴いてもらうという意味でははるかに効率が良い。動画サイトなのに音のみを上げるというのもなんだか、まだ自分達に出来る事は極限られているという力不足を実感したが、中身は本物だという自負は高梨にはあった。簡単な説明文を書き、アップロードが完了すると磯村にURLを送りフォロワー数が千単位の各SNSで宣伝するように頼んだ。

 ちゃんと再生されるのか、高梨が再生数1をゲットする。音質は問題なし、ちゃんとこちらが思っているように再生されているのを確認する。

「我ながら良い曲作ったな」

 自画自賛の言葉がぽろっと出てくる。

 

 約12時間、半日が経ってどれだけ再生されるのかあまり見当がつかなかったが、SNSで宣伝した効果か、千再生数はされていた。グッドボタンと呼ばれるものにも数十回、押されているのが分かった。ちなみにそれとは反対のバッドボタンはゼロ。コメントは一件もなかった。

「まぁ、まぁ、こんなもんか」

 風呂上がりで濡れた髪の毛をマフラータオルで拭きながら、パソコン画面を見つめる高梨。最初の途中経過を見るとすぐさまドライヤーを手に取り髪の毛を乾かし始めた。


『この前のライブで初披露したから知っているかもしれないけど、実は俺たちのバンド、遂にオリジナル曲を作ったんだ。今、YouTubeに上げたから時間がある時に聴いてみてよ、すごい良い曲だから!』

 曲が上げられているのを確認すると伊藤にこんなメッセージをLINEで送った磯村。まだ既読は付いてなく返事はない。いつもよりも反応が遅いのが動揺を誘う。別に今までもこのくらい返事が遅い事はあったが、よりによってこのタイミングでという気持ちはある。この後にも反応によって色々と、今日までその事について一切触れなかったのは伊藤はライブには来れなかったし、それなら教えてから直ぐに聴いてほしいという思いから、このネットに上げるタイミングまで敢えて言わなかったなどの弁明をするつもりでいたが、それができないのがもどかしい。

 そこへツイッターのアプリから一件の通知がきた。どうやら誰かが磯村のツイートを引用したらしい。

『ちょっとまて、なんだこのクオリティ、半信半疑で試しに聴いてみたらガチで良い曲じゃんか!』

 上げた曲を絶賛してくれているらしい。しかも見知らぬ誰から。無駄に色んなハッシュタグを付けた甲斐があったかもしれない。それに続き——

『定期的にネットサーフィンして色んな音楽探しているんだけど、なんか良い曲見つけちゃった。これ大学生のバンドが作ったの? すご〜い!』

 まさか伊藤も自身のツイッターアカウントから宣伝してくれていた。見つけるも何も本人から教えてもらったのだからこの記述は誤りであるが、そこはまだ他人というのを装ってくれていた。

「この人もバンドやっているんだ」

 先に引用リツイートをしてくれたアカウントのプロフィールを読むと、本格的なバンド活動をしている人物であると読み取れた。アイコンはサングラスをかけて髪型はパーマ、ギターを肩にかけて演奏している姿をステージ斜め下から撮られたであろう写真が使われていた。このバンド、人物がどれだけの人気があるのか、それはフォロワー数である程度は掴める。

「この人、9千人もフォロワーいるの?」


『確かに、すごいね。もっとこうした方がいいのに〜もったいないとか思う余地あまりないかも』

 このツイートに早くもリプが付いていた。この口調からして親しい間柄というのが伝わる。という事はこのアカウントも音楽関係者? そう思うと凄い人から拾ってもらったかもしれないと心臓の鼓動が速まっていく。

 そしてステルスマーケティング、いわゆるステマと言ってもいいようなものだが伊藤というこれまたフォロワー数が日に日に増えているアカウントからも援護をもらった。この曲は予想外のスピードで拡散されていった。

 伊藤に送ったメッセージに既読は付いていたがまだ返事はなかった。

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