2-5

「では、聴いてください『記憶の君』」


 タタッタタッタン! ドラマーがタム、スネアの順で叩く、そのタンの音と重なるように甲高いギターの音が鳴り響く。それに呼応するように再びタムがタタッと素早く叩かれる、それを2回繰り返したのちクラッシュシンバルをタン、タンと叩きギターは溜めるような音から解き放たれたように流れるような音になる、曲が軌道に乗る。30秒ほどのイントロののち、頭を揺らしながらリズムに乗っている磯村がマイクに近づき声を発した。

 ステージからフロアの様子を見る磯村は不安が渦巻く。見てくれている人達はみな棒立ちであった。今までの、お世辞でも、あのノリの良さはどこへいったのか。つまりイマイチな曲という評価なのか、やはり現実はそう甘くはないか、という言葉が胸に迫る。それでも演奏を止めるわけにはいかない、ここから磯村は余計な想像は振り払いとにかくやり切ろう、その一心で歌った。


 ただ驚かされただけであった。本当にこれをこの人達が作ったのかと。今まで他人の作った曲を演奏していた。その知っている曲達にそれぞれが思い思いに聴いてくれている。その間に何の前情報もない曲がポンっと放り込まれた。その未知の遭遇に人々は受け止めるだけで精一杯のような状況であった。

 ただ演奏が終わり拍手は起きているも、磯村はまだ良かったのか悪かったのか分からないまま困惑していた。少しの間、小声でマイクに声を当てる。

「どうでしたか? 個人的にはすごい良い曲ができたと思っているのですが……」

「かっこいいよ!」

 その質問に応えて若い女性の声が響く。

「あぁ、ありがとう」

 その果敢に先陣を切ってくれる人がいてくれたおかげなのか次々と「良かった!」などの声が後に続き再び拍手が巻き起こった。なんとか締める事はできて次へ進める。ここからまたいつもの空気漂うライヴが繰り広げられる。その空気になんだか居心地の良さ、動きやすい部屋着に着替えた解放感があった。その前とのギャップに、まだ互いに慣れていないのだと徐々に理解し始めた。実はそれは新しい種だと言える。このバンドが新しい一面を見せた、その期待へと変わる種が今日、蒔かれたのだ。


 その種を蒔いても直ぐに芽が出るわけがないように、反響というのもある程度、時間が経ってからやって来る事も多い。あの場ではそこまでの手応えを正直、感じなかったが心の中ではこう思っていたという想いを今ならSNSを通して、文字で伝わってくる。なかなか直接、言う勇気がない日本人ならではの特徴である。

 ライヴ後に磯村はいつものようにツイッターやインスタグラムに今日、来てくれた人達に向けてお礼の投稿をした。そこにはライブ終了後、ステージ裏で撮った写真も添えられた。コメント欄にはオリジナル曲に対する賛辞の声、是非音源が欲しいという声が寄せられて、磯村はようやく胸を撫で下ろした。

 自分の感覚とオーディエンスの感覚に悩ましいほどの隔たりはない、自分が良いと思ったものは他の人も良いと言ってくれる、一つ自信がついた日であった。

 帰りの電車内、スマホでそのコメントを見ながら笑みを浮かべる磯村。これは大きく前進した、脱したいと思っていた状況からようやく抜け出せるかもしれない、その見込みが立った現実に高揚する。この高鳴りが意味する事は——

 そう思うと急に斜め下を向き思案を始める。縁のない世界だと思っていた。頭の中でごっこ遊びのように人気歌手の気分になった事は数あれどまさか本当に……。

 多くの場合は早計だと踏み止まるが、磯村は一人ではない。なぜここまでわりとスムーズに辿り着く事ができたのか? 間違いなく一人ではできなかったと断言できた。

 この気持ちと同じ、熱いものを密かに秘めている人物が直ぐそばにいるはずである。最初はついていけないと思った。それがいつの間にか同じ土俵に居るかもしれないと自覚するようになっていた。磯村は今、置かれている状況を見つめる。他に道はあるのか指差し確認した。あるわけがなかった、ならば——



 伊藤は磯村にファッション雑誌を見せびらかす。

「じゃーん。どう、すごいでしょう? インタビュー記事まで書いてもらっちゃった」

 8月下旬に発刊されたで号で伊藤は遂にファッションモデルデビューを果たした。もちろん扱いとしてはいきなり表紙を飾るわけでもなくまだ端役のようなものだが、期待の表れとして新人インタビューの記事が掲載された。

「すげー。なんか今、目の前にこのページに載っている人がいるなんて、なんか不思議な気分」

 雑誌を両手で持ち眺めながら心が躍っているのがその言葉からも伝わる。もう直ぐ日付けが変わる23時を少し過ぎた頃、いつもの駅東口の広場で僅かな時間でも会うというのが定番になりつつあった。伊藤は高校生、最後の夏休みに入っているわけだが将来のスター候補となればこの期間こそ忙しくなってしまう。磯村も自身が作詞した初のオリジナル曲の制作中、また去年と同様、高梨が通う大学の学園祭で初披露する方向でいるためそれなりに慌ただしかったのでこんな合間に会う事くらいしかできないでいた。

 そのオリジナル曲を作っている事を磯村はまだ伊藤に話していない。なかなか会えないので話すタイミングが無かったと伊藤も納得するであろう最もらしい理由はあったが、それでも今ならその気になればスマホを使いLINEなりで教えればいい。そこまでする気はないということだ。

 それでもいずれ知る事になるのは明白、どんなに遅くともライヴで初披露する日までには話さないと二人の関係性からして不自然だ。なぜ教えてくれなかったのか? となりかねない。

 今、言ってもいい。だが、「碧もこういう世界に足を踏み入れたって事はこれから男女問わず魅力的な人達ばかりと仕事で会うって事だろう。いつか碧を取られちゃうんじゃないかって不安だよ」

「ばか、またそういう事言う」

 また彼女を少なからず不機嫌にさせてしまう一言を言ってしまった。

「一応、言うけど安心して。いくらイケメンがゴロゴロいる世界に居てもそう簡単に恭一より勝る男性とは巡り会えないって思っているから。逆に恭一だってネット上ではちょっとした人気者じゃん。私の方こそ不安なんだけど、ライブを通して会える人もいるだろうし」

「いや、でも俺と碧では次元が違うだろう。こうして雑誌にも載っちゃているわけだし、碧がネット上でも俺の人気を超えるのはもう時間の問題だよ。それに、ライブだって最近は顔馴染みの人しか来てなくて、思っているほど新しい人はいない」

「そうそう、話は変わるけどやっぱりこういう世界に入った以上はそのネットを有効活用しない手はないじゃん。ツイッターとインスタのアカウントを作り直したんだけど今、なりすまし防止のためにあの公式マークって言うの? それを付けてもらうよう申請しているの」

 何気ない切り替えであったが、もうこの話はしても不毛だと言うような、伊藤にとって話題にはしたくないという強い意思があると鋭い刃物が突き刺さるように感じ取った。内心、かなり怒っているかもしれない、そう思うと恐怖さえ沸々と出てきた。女を怒らせると怖い、そう学んだはずだ。この話に少し過剰に反応してみる。

「えぇ〜すごいじゃん。やっぱり、そんな人と付き合っているんだから、少なくとも俺も碧の顔に泥を塗らないように気をつけなきゃな。……そういえば今更だけど碧の事務所、恋愛はOKなの?」

「そんなどこぞのアイドルじゃないんだからそこは全然平気。でも、そう、これは言わなきゃね。ただ、付き合っている人がいるというのはまだ大っぴらにしてほしくないって。せめて25、6歳くらいまでは」

「……そっか。まだ7年はあるな。そう言われているなら碧が有名になればなるほど本当に会う時は慎重にならないとな」

「意外だって言われた」

「意外?」

「まさかもう付き合っている人がいるとは思ってみなかったみたい。君が付き合いたいと思える男性なんて普通に生活しているだけじゃあ、ましてやまだ高校生なんだからそうそう巡り会えないだろうって思ってたらしくて。どんな人か見てみたいって言うから写真見せたら、あぁ〜なるほどね〜って言うから納得したみたいよ」

「そうなんだ」

「う〜ん、そうくるか〜ってうなって。だから何度も言うけど自信もって」

「どんな写真見せたの?」

「恭一がインスタに上げている写真。サングラスかけているやつ多いから今度、素顔を見てみたいとも言ってたね」

 芸能事務所の社長も納得したという話は悪い気はしない。外見には確かに自信を持っていい筈だと思うが、それで中身は将来のビジョンが決まっていないフリーターというのは間違いなくマイナスポイントだという考えは揺るがない。もしかしたら稼ぎは妻に任せて、夫は家で家事、洗濯という未来もあるのか……などと早くも結婚をした未来を想像してしまったが、それは嫌かもしれない。形はどうであれ伊藤の態度を見るといずれはそのつもりのような気がしている。こんな事を繰り返し考えるからまた余計な一言がつい飛び出てしまうのだがもうそれは固く封印すると誓った。なら、今は少しでも理想の未来が近づくように努力するだけであった。

 そう思った矢先、この曲を伊藤が聴いたらどう思うのか。一抹の不安はあった。まさかそんな気づくはずはないと思いつつも、感性が豊かな伊藤なら色んな想像を巡らせるだろう。あの日のようにあまり気にかけてほしくはない。


『なんで、こんな詩書いたの?』と。

 聞いてこないはずはない気がした。じゃあなんて答えよう。高梨には正直に話したがよくよく考えれば伊藤にはそういうわけにはいかなかった。

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