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『う〜ん、別に歌詞は全然良いと思うけど、この歌詞から思い浮かぶのってバラードなんだよね。多分、磯村もそれをイメージして書いたと思うけど。やっぱり最初の曲なんだから勢いある曲でいきたくない? 今でだってそういう曲を演奏してきたじゃん。分かりやすく言えばこれはシングルのカップリングとして出すものだと思うよ』


 書き上げた歌詞を高梨にメールで送った。それに対して返って来た返事がこれであった。なるほど、それも一理ある気はした。高梨はそういう眼で見ていた、バンド初のオリジナル楽曲、それが今までの活動内容に反してしんみりとした曲だったら……これをバンドの顔にするわけにはいかないかもしれないと。

 それでも磯村が真っ先に書きたいと思った歌詞である事も間違いはない。それを否定されたのだから良い気分にはなれない。同時にこれがバンドとして活動するという事だ、こんな意見の違いはこれから数え切れないほど起きる、その一発目が早速やってきた。

 じゃあ、どうすれば? 要はやり直し、という現実を突きつけられると思いきや、高梨はそれは辛いと察知してくれて助け舟を出してくれていた。


『と言ってまた書き直してーって言うだけというのは酷だと思うから今度は俺が作ったメロディに歌詞を乗せてみてくれない? 俺はこのメロディに合う歌詞を求めているって提示すれば少しは書きやすくなるでしょ?』


 先にメロディを作ってそれに歌詞を乗せる、そういうやり方でやっているとそういえば聞いた事があった。これは磯村、高梨が好きなバンドのメンバーが話していた事である。こういう気遣いがあるだけ『怒り』はだいぶおさまる。

 怒り、その怒りとは決して高梨に苦労して書いた歌詞を没同然に扱ったのが全てではなかった。



 昨夜——

 駅の改札前を通ると磯村は目は奪われた。ある一人の女性が俯きながら改札内へやや足早に向かう。彼女の顔面がなんだか黒く見えてしまった。あんな顔色は今まで見た事がない。

 斜め、横顔から背中しか見えなくなってもその視線を逸らす事はできずにいる。磯村は彼女を案ずる。できることなら声をかけたかった、だがそれはもうできない。もはや彼女を見つけてもただその場に固まったまま見送ることしかできなくなっていた。それがもどかしくて仕方がない。あんな彼女を「どうしたの?」と声をかける、慰めるのが、かつて自分の役割であったはず、磯村の記憶の中にある彼女であればそれは容易たやすかった。それがなぜこんな事になってしまったのか、今でも納得などすることはないし、今後も一生、磯村は引きずり続ける覚悟をしている。

 せめて、せめて時を越えてあの時の彼女に出会えるなら、ただ強く抱きしめるだろう、そんな言葉を唱えながら右手を握りこぶしにしてぎゅーっと締めた。

 そんな彼女はどこかにいないのか、自分を求めている……。

 それを探し求めるかのように辺りを見渡していた。どこかにその記憶の欠片は落ちてはいないか、見つけたなら即刻、拾い上げてその中に飛び込みたかった。

 その記憶なら、ここにある、失くしてしまったのは彼女の方である。

 空を見上げて、うぁぁぁーと叫びたくなる衝動に駆られたが、「恭一」その声で我に返った。

 久しぶりと言うのは人によるか。期間でいえば、たったの一ヶ月とも言える、それなのに目の前にはまた一段と美しくなったと目に見えて分かる伊藤がやってきた。撮影という事でメイクもプロの手によって施されたかもしれない。化粧などした事がなくどう言葉に表して良いか分からなかったが、伊藤の美しさが無理はしていなく、より際立っているとは言えた。そんな伊藤が視界に入ってきても、磯村は……。

 一瞬だけ後ろをチラッと振り返る、もう彼女の姿はなかった。そして——

「どうしたの? ちょっと遅いなって思ったからこっちから来ちゃったよ」

 今、その磯村を癒してくれる女神が眼前に居た。もう振り返る事は許されないと脳が指令しているのがわかる。伊藤だけを見て、伊藤と共にこれから前へ進むのだ、そう迫られているような気がした。

「(それしかないんだな)」もう分かった、分かったから、そんな想いが滲んでいた。

 伊藤が今日、初めて体験した撮影現場について楽しそうに話す。

「撮影時間は思いの外、長くて疲れたなとは思ったけど、これでお金が貰えるなんてほんと信じられないくらい楽しかったよ」

 そんな話を心の底から、親身になって聞けないのは申し訳ないと思いつつも、これが原動力なんだなとも改めて悟った。これを動力に突っ走るしかないと。



 今更ながら便利な時代になったなと思う。たとえ遠く離れていても今ならインターネットを介してデータを送ってこうしたやり取りができる。高梨から送られてきたメロディを聴いてみる。まさかピアノ、いや、どちらかと言えばシンセサイザーの音であった。その音が再生されるとは思ってもみなかった、彼はギター以外にも弾ける楽器があるのか、まだ知らぬ一面を垣間見た。ご丁寧にリズムや伴奏まで付け加えられていた。ここまで出来ているとは、もうある程度のイメージがあるという事か。

 疾走感があるテンポ、メロディであった。テンポ130くらいであろうか、確かに磯村が当初、歌詞を書きながらイメージした速さと比べれば段違いだ。

 このスピード、重なるものがあった。昨日、込み上げたものと。これは悩む事なく書けるような気がした。しんみりと感傷に浸っている場合ではないのかもしれない。あの過去とケリをつけるためにも、後ろを振り返らず前へと進む、それでも君のことを……。

 そこは正直でいいと頷く、でも強引にでも前へ進まないと、それも速く……磯村は筆を手に取り、精神を研ぎ澄まして、何かに取り憑かれたように文字を刻む。やはりそこには紙の、ノートが机の上にはあった。



「ナイスな歌声がれたと思う」

 高梨が機嫌良さそうにこう言った。冷房がなければ意識が朦朧とするような暑さが漂う音楽練習スタジオ。しかしそれも気休めにしかならないほど室内は熱を帯びていた。汗だくの磯村はその声を聞いてホッとしたようにペットボトル飲料を手にして一気に口の中へと流し込んだ。

 高梨はイキイキとした様子でMacのノートパソコンを操作する。DTM、デスクトップミュージックの心得がある高梨。あの時、送られたきたピアノの音源も音楽ソフトを使って打ち込んだと言い高梨自身、ピアノが幼い頃から習っていたように弾けるわけではなかった。

 ここまで言われるがままに従っていた磯村は今も指示待ちのように無言で立ち尽くす。歌声の録音のために機材やらケーブルを鞄の中から取り出したり、マイクをスタジオから借りたりと高梨一人でテキパキと準備を進めていた。「何か手伝おうか?」と言うにも自分には全く知識のない領域だったので何か役に立つのかと疑問に思うとその声も出なかったし、高梨もそれは特に必要としていない雰囲気であったのでそれで良しとした。

「ドラムもね〜生音で録音したいけど、準備が大変なんだよね」

 そうなんだ、という感想しかなかった。そもそも曲というものがどういう過程を経て出来上がっていくのか考えた事もなかった磯村はそれぞれの音を別々に録るという手法にもなるほどと思ったものである。てっきりライヴで演奏する時のように一斉に演奏して録音するしかないと思っていた。

「この録音したやつを最終的に組み合わせて、完成するってわけだね」

「そうそう」

 一曲だけ、と思っていたがそれでもこれは大変な作業であると肩をすくめた。それを率先してやってくれる高梨には頭が下がる。

「秋、秋には完成させてお披露目したいね」

「秋か。春から作り始めてようやく一曲。これだと自作の曲だけでライヴやりたいってなったらいつになるんだろうね」

「それは俺達がまだ制作だけに専念できる時間がないからだよ。プロは数ヶ月とかスタジオに籠ってアルバム作ったりするんだよ。それと磯村の詞を書くスピードが遅いっていうのもあるけど」

 その一言に胸がチクっと痛くなる。だが、

「でも、もう一度言うけど良い歌詞、書くね。それを歌う磯村もなんか鬼気迫るものがあったよ。表面だけ取り繕った歌とは訳が違う、もしかして……」


 高梨は質問した。


「……そう。だけどちょっと大袈裟というかドラマチックに仕立て上げたけど」

「そっか。でもやっぱりその方が深みが増すのかね」

「そうだろうね。それにそうじゃなくても自分が書いた詞だもん。他人が書いたものよりも愛着がわくのは当然だと思うよ」


 本当は殆ど脚色も誇張もしていない詞。この想いを音楽にぶつけた。良いものが出来上がると思う、高梨の反応も上々だしこの時点で確信めいたものがあった。今はその完成が待ち遠しい。明日に、未来に小さな光が灯された。

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