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その連絡を受け取った時にまだ自分が彼の頭の中にある事に驚いた。去年の7月、互いに気分悪く別れてしまい暫く連絡を取り合う事はないかもしれないと思っていた高梨からちょうど1年後、6月に再び連絡が来た。メールでやり取りする内容ではないと磯村は思ったので電話で詳しく聞いてみる事にした。
「あっ、メールの内容見てくれた?」
「見たけど、バンドのヴォーカルやってくれないってまた急だね」
「そうなんだけど、高校生の時に一度だけカラオケ行った事あるじゃん? それで磯村って良い声してるんだなってずっと思っていたんだよね」
「他に人いないの? だって大学内で組んでいるバンドなんでしょう」
「いないからこうして声かけているんだよ。磯村は経験ないから分からないと思うけど、けっこうバンドのメンバー探しって大変なんだからな」
「やった事はないけどなんとなく分かるよ。それでまともに活動する前から解散したバンドが三つくらいあるっていう話も聞いたし。じゃあとりあえず聞くけど、どういう活動をしていく予定なの?」
伊藤という彼女が出来たとはいえ今まで日常の大半を占めていた学校という場所に行かなくてもよいという生活にはやはり物足りなさを感じていた。かといって学校が恋しいとは思わないが何か、刺激が欲しかった。特にこれといってやりたい事も人生の目標も決まっていない、それでバイトに打ち込む日々。この状況から抜け出したいとは思っていた。もしかしたらそのきっかけになるかもしれないと予感した磯村は困惑しているとはいえ明確に反対の意思は示さず話は聞いてみようという姿勢だった。
「高校時代の時みたいにコピーバンドから始めてみようって感じだよ。卒業ライブ観に来てくれたから想像つくと思うけど。もちろん磯村も俺も好きなバンドの曲も演奏していくつもりだから」
自分の好きな曲を生演奏で歌える。悪くない話だと思った。楽器だとなかなか難しくても歌であれば周りが経験者でもついていけるのではないかという思いも浮かぶ。ちょうど以前、伊藤からも褒められて自信が付いている時でもある。
「なるほどね。じゃあ、もう一度聞くけどなんで俺なの? やっぱり大学なんだから学生の数は相当いるでしょう。それなのにわざわざ外部の人を選ぶというのは」
「磯村は真面目な性格で一度、引き受けてくれたらきっとそう簡単には投げ出さずにやってくれるだろうなって見込みがあるからだよ。だから最初はドラムとしてどうかなって思ってあの時、誘ったわけで。今更だけど俺のあの態度はないなって後になってから思ったよ、ごめん。でも、それは期待していた表れだと思ってくれたら」
「うん、分かった。どうなるか分からないけどやってみようか」
「ありがとう。助かる」
その後、集まる日、その日までに練習しておく曲を数曲を決めて電話を切る。どうなるかは分からない、本当にそう思っても何かやってみるしかないと思い引き受けた。自分からはいくら考えても何も打開策は思いつかなかった。この選択をした先に何が待っているのか不安でもあったが、期待という意味で胸も高鳴る。この先が分かるなんてそうありはしない、何があるか分からない、それが人生だろう、そう内なる声が聞こえた。
地元の駅に帰ってきて改札を出た時にすれ違い様に声をかけられた。
「あっ、磯村さん」
「西田さん。久しぶりですね。元気してます?」
「はい、私は。それよりも磯村さんの方は」
「大丈夫です。いつまでも落ち込んでいても仕方がないし。今は普段通りに過ごせていると思います」
「そうですか。良かった」
磯村は
「ちょっと複雑ですけど、それでいいんでしょうね。また新しくスタートを切るためにも」
逆に磯村はある人物の様子はその後どうなのか、あまり触れたくもない気持ちもあったがそうなると不自然な気がしたので聞いてみた。
「はい、まぁ普通に学生生活を楽しんでいると思いますけど。正直、本当のところはどうなんだろうとは思っていますけど。ちなみに去年、なんと学内で行われたミスコンでグランプリに輝きました」
「そっか〜それはめでたいな。でもそういう情報を後になってから知るような立場になっちゃったか。きっとあともう数年も経てば完全に過去、の事になっちゃうんでしょうね。それぞれ新しい環境に馴染んで、前に進んでいけば」
どんな大きな出来事が起きても時が経てば次第に薄れていく。それによって助けられる事もあれば、その事実に寂しく思う事もある。磯村は、自分の場合はどっちなのか、微妙な立ち位置に居ると思う。忘れたくないようで、忘れなければ歩き出す事ができない。ある過去がまだ絶妙な力加減で尾をひいているのは間違いない。
「そうだ。あと、今その帰りなんですけど俺、バンドのヴォーカルをやる事になったんですよ。高校時代の友達に誘われて」
「そうなんですか。なんかすごい似合いそう」
「今日のセッションで手応えを感じて、いつかライヴを絶対にやろうという事にもなっています。近いところだとその友人が通う大学で秋に行われる学園祭なんですけど」
その話を聞いて西田はある事を思いついた。
「それなら、私がそのライヴの様子を写真に収めるカメラマンを担当していいですか? 以前、言いましたよね、また磯村さんの事を撮りたいって」
「なるほど、それはいい。是非、お願いします」
錆びついてもう動かないとまで思った歯車がいつの間にか少しずつ動き始めていた。こうして、たとえ無理やりだったとしても動き出して新しい景色の下へと行くしかない。磯村は少しずつ活力を取り戻していた。
学生が趣味で、青春の一コマとしてやったというには些か違うような気がした。コピーバンドとはいえ並々ならぬ気迫を感じ取った。西田が感じ取ったこのステージを通しての感想だ。学内の体育館で行われたこのライヴは客入りも良かった。3つのバンドが出演したライヴだがその殆どは磯村達のバンドが目当てだったような気がする。
そうなったのも、ライヴ前からバンドのツイッターアカウントを作り宣伝して西田もバンドメンバーの宣材写真を撮るという形で協力した。その効果もあり反応は徐々に大きくなっていく。要は主に磯村がカッコイイと誰もが思ったのである。ネット上に上げる写真はサングラスをしていて素顔を見せなかった。その敢えて隠したというのも、顔を見てみたいという欲求を高めて実際にライヴへと足を運ばせた。磯村は大学に通う学生ではなく普段は会えないのがよりそう思わせた。その期待を裏切る事なかったであろう今日のパフォーマンスである。これはスタートダッシュに成功したと言える。
ライヴ後は片付けの後に打ち上げが予定されている。今日しかお目にかかる事ができない磯村目当てで多くの客は帰る事はなかった。
西田は体育館に隣接する別棟に入り、壁に寄りかかって座り込みライヴの余韻に浸っている磯村に労いの言葉をかける。
「お疲れ様でした。すっごい良かったです。あんな激しく歌うなんて、なんか意外でした」
「それは、やっぱり曲がそれを求めているから、そう歌っただけで。そう考えると歌手も俳優みたいだね。曲によって色んな顔を見せるという意味では」
「あぁ、なるほど、その例えは分かりやすいですね」
「西田さん、今回はありがとうね。西田さんがカメラマンで協力してくれたから視覚的にも良い宣伝ができて、今日の盛り上がりがあったと思うからほんと感謝している」
高梨が歩み寄り西田に礼を言う。この高梨も独特のオーラを醸し出していたと記憶している、派手なパフォーマンスをしていたわけではなかったが余計な事は一切せずに黙々とギターを鳴らしている姿は修行僧が座禅しているかの如くであった。ギターといえばヴォーカルと肩を並べる目立つパート。その目立ちたいという欲を見せずにある種の信念を持って演奏する姿勢は功を奏して人目を惹きつけた。
「いえいえ、私も好きでやらせてもらったのでこんな機会を頂けて光栄です」
機材などの片付けを終えて打ち上げ会場へ向かう一同。大学の中庭を歩いていた時に女性が駆け寄る。
「恭一!」
伊藤であった。この女性が磯村の新しい彼女、西田は初のご対面であった。ボブヘアーがよく似合っている、女性にしては背が高めの人だった。彼氏の雄姿を見て嬉しくならない彼女はいない。より一層、惚れてしまっただろう。興奮しながら今日の感想を早口気味に言っていた。
こうして直接、現実を見せられると本当にあの事は過去になってしまうのだと磯村が言っていたように西田も実感する。もう振り返る、思い出す事もなくなっていくのだろうか。それは間違いなく寂しさが大半を占めていた。磯村も同じ気持ちのはずである。
もしもここに——そんな事も考えてしまう。本来はそうなるはずであったと言っていい。
「(こんな事、考えてもしょうがないか)」
磯村の前で居ない人の事を考えるのはもう止めよう、そう誓った。
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