1-6
「やっほー」
「碧。学校は?」
「今日は休んだ」
「休んだって、そういうこと事やるんだ」
「だってもうテスト終わってあとは冬休み迎えるだけだし、いいかなって」
「気持ちは分からなくないけど」
「あっ、絶対に恭一も同じ経験あるでしょう?」
わざとらしく咳払いやとぼけたふりをして誤魔化す磯村。二人ともそこまで優等生には育っていない。
「恭一こそなにしに駅に来ているの?」
「俺は、服が欲しくて。とは言っても下に着る無地のシャツだけなんだけど」
「あっ奇遇。私も服買いに来てたの」
二人で歩き回る事になった。磯村は言っていた通りユニクロに行き黒と紺色の半袖Tシャツを二枚買うだけで早々に用を済ませた。問題は伊藤であった。
「私にどんな服を着てほしいとかある?」
「う〜ん、基本的に碧が好きな服を着ればいいんじゃないの?」
「恭一はなかなか良い服を着る時あるよね? 昨日とかもそうだし。どうやって選んでいるの?」
「俺は憧れの人がいるから。その人のファッションを参考にしている」
「好きなバンドのメンバーだっけ?」
「そう」
「私はそこまで好きな人っていないからな〜」
「そんなに悩んでいるなら好きじゃなくても、綺麗だと思う芸能人の着ている服、調べてみれば良いじゃん」
「そう、話したい事があるの。私、芸能事務所の社長にさっきスカウトされちゃった」
「えっ! ウソ?」
「ほんと、ほんと。車に乗って帰って行ったからわざわざ降りてきて声かけらてたんだと思う。名刺も貰ったし」
ポケットからその名刺を取り出して見せる。随分と適当に扱っていたのか既に角が折れ曲がっていた。
「ちゃんとした名刺っぽいな」
「でも言っている内容があれだし。今の世の中これで疑う事なくホイホイ付いていくなんてバカでしょう」
「騙されてAVに出演させられたとかよく聞くからね」
「やっぱり無視していいかな?」
だが磯村はついやってしまいたくなる性分なのか名刺に記載されてある会社名で検索してみた。
「おっ、出てきた。知らないタレントさんばかりだから小さい所かもしれないけど一応、存在するみたいね。会社概要の代表取締役には名刺に書かれている名前もあるし。あっ、この近くに本社とは別に支店みたいなオフィスがあるみたい」
「じゃあちゃんとした所なんだ」
「うん、タレント養成学校なんてのもあるし……」
ブツブツ言いながらまた指を動かして何か調べているようだ。
「えっ、この事務所の社長、けっこう有名な人かもしれない。色んな会社経営している実業家みたいだね」
社長の名前を検索しただけで顔写真や経済サイトのインタビュー記事が出てきて決して得体の知れない人物ではない事に驚く。二人で小さい画面を顔をくっ付けて食いるように見る。
「こんな人から声をかけられたという事は、もしかしたら碧、チャンスかもしれないぞ」
風向きは変わった。まさかの展開に伊藤本人はいまいち実感しきれていない。無表情のまま固まってしまう。
「まぁ決めるのは碧だから俺はあまりどうこう言わないでおくよ」
一度、舞い上がった気持ちを落ち着かせる磯村。つい盛り上がってしまったが所詮は他人事。あまり口出ししない方がいいと改めた。
「恭一は大丈夫なの? 私がこういう世界に入るのは」
「心配はするとは思うけど、碧がチャレンジしてみたいって言うなら止めはしないよ」
「例えばドラマに出演して、誰かの恋人役やる事になっても?」
「う〜ん、良い気分はしないだろうね」
「私も嫌かな」
「そう。ならやめたら。でも演劇部にも関わっているって事はそれも覚悟の上だったんじゃないの?」
「学生のうちだとそんなガチガチの恋愛モノはないと思っていたし、それに今は恭一がいるから」
不意打ちのように出たこの言葉にドキっとする。分かってはいたが伊藤は高校生の恋愛とは思えないほどに本気で磯村の事を想っている。年上とはいえまだ成人もしていない磯村にはその気持ちの全てを受け止めきれないでいる。
「俺の事を考えてくれるのも嬉しいけど程々にね」
「ううん。これに関しては全然無理してないから」
結局、伊藤の買う服は決まらなかった。やっぱり東京の中心地へでも行かないとオシャレ、独特なデザインの服はないのかと嘆く。しかしそういう服に限って値段が優しくないというのもお決まりのパターンである。
せっかく二人でいるという事でこの後はマクドナルドでシェイクを飲む事にした。店内の椅子に座り一休みする。
「さっきの話の続きになるけど私、やっぱりそういう芸能関係の世界より音楽の方に興味あるの。だから進むならそっちかな」
「なるほどね」
「実は知里に、一緒にユニット組まないかって誘われたの。しかも部活内だけに留まらず卒業してから、その先もやっていかないかって」
「そうなんだ」
「悪くないなって思った。知里、知識も技術もあるし人柄も良いし。この人と一緒にやれば上手くいけそうな気がする。それも頭にあったからあのスカウトはあまり乗り気じゃなかったの」
磯村はあの文化祭の日に水谷に言った言葉を思い出した。まさに伊藤を音楽から離れないように引き止めている形になっており少し予想とは違う影響を見せていた。
「うん、俺も水谷さんはいい人だなって思うよ。なかなか同じ学校内で良いと思えるメンバーと巡り会う事もないし、そのチャンスも捨て難いと思う」
「だよね。今はそっちを取ろうと思う。大変な道かもしれないけど同時に知里とならワクワクもしているし」
共に苦難を乗り越える人と出会う、それも何年にも渡って。そんな人物はなかなか見つかりやしない、それをひしひしと思い知らされる出来事が磯村にあった。高校時代に働いていたバイト先で親しくなり、今は大学に進学して学生寮から通うという事で千葉県に引っ越した
磯村はだいぶ上達したと返事をしてしまった。してしまったというのはやや誇張した表現を使ってしまったという事である。それを真に受けた高梨は来月にでも東京にあるスタジオを借りてセッションをしないかと提案してきた。
こうなってくると磯村には不安が過ぎり始める。そんな誰かと合わせて楽器を弾くなどできるのだろうかという不安だ。それでも断る理由も見つからずとりあえずやってみるものの、案の定、高梨の期待に反して磯村にはまだ気の利いたフィルインなど思わず唸ってしまうようなフレーズ、テクニックを披露する事が出来なかったどころか、テンポもまだ不安定な部分がありがっかりさせてしまう。
高梨は聞いた話によると中学生からギターを始めており高校時代も3年間、軽音部で日常的に楽器を弾いて、ライヴ経験も積んでいる。磯村も初めて高梨のギターを弾くところを見た時は見とれてしまったほどだ。そんな経験者と一緒にされたら困るといったところだった。
その日は2時間で部屋を予約をしたがその殆どが個人練習になってしまいスタジオを出たら高梨は不機嫌そうに早々に帰って行った。磯村はもう高梨と一緒にスタジオに入る事はないだろうと思った。
しかし磯村はもしかしたらというものがあった。高梨のあの熱心な姿勢を見ると趣味としてではなく、もっとその先の、いわゆるプロを目指しているのではないかと感じたのだ。
大学に進学してからはバンドを組んでやっているのかと質問した時も、メンバーが決まったと思っても一人が彼女ができた途端に辞めてしまったと嘆いていた。
「随分、音楽に拘るんだね」と聞くと「だって普通に過ごしてもつまらないし」と答えるが「だったら拓実も彼女でも作ったら?」と返すと下を向いて黙ってしまった。
図星ではないはずだった。高梨であれば彼女の一人できそうなものであると思っていたからだ。長身で細く、ギターが上手い、顔も悪くないのにできないはずがないと。
「もしかしてプロでも目指しているの?」既にこう聞いていた。が、「まさか。音楽で生活できるわけねぇーだろう」そう答えるも、この反応こそ図星だと思った。
なかなか夢、というものは他人に言いづらい。それが現実離れしていればいるほど。音楽、ミュージシャンを目指すなどその典型だ。
頭の良い、専門性のある学部の大学に進学したのだからまさかと思ったがその線はあるとその日を終えての感想だ。そうだとすれば尚更、磯村は付いていけるはずがないと改めて思う。高梨はこの後どうするのだろうか。それを磯村が心配する事ではなかったが、高梨は少なからず磯村に期待していた節があった。楽器なんてそんな1年弱やったくらいではそこまで上手くならないが磯村ならもしかしてという期待。同じバンドが好きで気が合うというのもあっただろう。それに応えられず申し訳ないという気持ちも同居していた。
帰宅後、自室へ入ると買い物袋からCDを取り出した。ただそれだけの事なのにまるでご開帳でもするかのようにゆっくり、慎重に取り出した。その姿が曝け出されると、痺れるように手がヒリヒリする。白黒に加工されているから余計に過去の人というのが強調されるようだ。それでも磯村はまだ色褪せてもいない、むしろ色鮮やかにその記憶は鮮明に残っていると思っている。
しかし『記録』は全て消してしまった。もうそれに縋らないと決めた。そこへ不意に現れたこの写真。この巡り合わせはなんなのか。まだ完全に切れたわけではないのかと思わざるにはいられなかった。ケースからブックレットを取り出す。20年以上前の中古品でも傷みも少なく綺麗な状態かもしれない。
こういうものをまじまじと見た事はなかったが、最後のページを隈なくチェックする。このCDを作るにあたって関わったスタッフの名前が並ぶ。全てローマ字表記なのがにくい。これでは読みづらくて仕方がない。
Cover Photoという項目に日本人男性の名前が記載されている。これはつまりこのCDのジャケット写真を撮った人物を指すのだろうか。ならモデルを務めた人物の名前も載っているはずである。そのはずなのに、一番知りたいその名前と思われる記載はなかった。
なぜだ、そう何度も胸の内で連呼した。握りこぶしで机を叩きたくなる。そこから肩の力を緩ませて息を吐く。知ったところで何になると我に返った。
ディスクを取り出して再生してみた。サンプリングされた曲を見事に組み合わせたノイズとも言える曲群、聴いた事ないジャンルだったので世の中にはこんな音楽も存在するのかと神経を集中させた。思いの外、良いかもしれないと聴き入ってしまった。今日、撮ってしまった写真をスマホ画面いっぱいにして表示させる。これは残しておいてもいいだろうと判断した。
ふと、見落としていた所があったと気がつく。『記録』はまだ残っていたのだ。
唯一、映像、動画として残した『記録』あの時はそこまで気が回らなかった。映し出されている内容を思い出しただけで心臓の鼓動が早くなった。あんな映像、ネットの海を探し回ってもそうそうお目にかかれるものではない……。
男としての欲望が
いずれはそれを伊藤に……という考えは無かった。
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