1-5

「恭一」

「あっ、碧」

 その言葉を発すると同時にCDを急いで棚に戻した。上手く普通にしているように見えてことばが微妙に震えているのが碧には分かった。

「何のCD見てたの?」

「それは、よく分からないCDだけどタイトルが気になったから収録曲とか詳しく見てたんだ。もう出るか、碧もいいんでしょう?」

 そう言うや否や足早にこの場を去ろうとしたが段差もない所で躓いてしまう。もしかしたら足取りがおぼつかずとても歩ける状態ではないとも言えるかもしれない。

「ちょっと、大丈夫?」

 そのまま直ぐに立ち上がらず、膝まずいた姿を見てただならぬ危機感が走る。また磯村は何かおかしな発作みたいな症状が出た。

「救急車呼ぶ?」

 それには全力で首を横に振り拒否した。

「少なくとも休んだ方がいいよね。どこか横になれる所……そうだ、カラオケボックスの中に入って休もうか、駅近くに確かあった」

 これには同意したようだった。なんとか我慢できるものではないというのは本人にも自覚があるようだ。

 手すりに掴まり階段を降りる。その姿は病人、怪我人といっても相違ない。


 伊藤の膝に頭を乗せて磯村は目を瞑る。薄暗い部屋というのもあるのか今は幾分か落ち着きを見せている。

「きたジュースは飲まなくていい?」

 そう言われると水分が欲しくなった磯村は起き上がり、ストローに口を咥えてカルピスをゆっくりと飲む。ふぅと息を吐く。

「落ち着いた?」

「うん、なんとか。悪いね、まさか俺もここまで体調崩すとは思ってもみなかった」

「なにがあったの。もしかして何か持病でも抱えているの?」

「そんなんじゃない。でも、たま〜に、原因もいつまたおこるかも分からないんだけど、急に息苦しくなって、吐き気とか胸が圧迫されるように苦しくなる時があるんだ」

「なに、それ。いつからそんな症状が出るようになったの?」

「……最初に出たのは小学2年生ぐらいの時かな」

「そんな前から。病院には行った事あるの?」

「いや、さっき原因は不明って言ったけど、実はなんとなくこれなんじゃないのかなっていうのもあって」

「なに?」

「こんな事を言ってびっくりするかもしれないけど俺、金縛りみたいなものに襲われる時があるんだ」

 いきなり脈絡もなく出てきた金縛りという単語に伊藤は絶句し、戸惑いの表情を見せる。

「いきなり何か頭に雷が落ちたような衝撃が走って、脅されてるような圧迫感を感じる。そう感じたらもう体の自由は利かない。恐怖で目も開けてられなくなるくらいなんだけど、それもできない。そんな状態が1分くらい続く」

「で、でもそういうのって確か寝ている時じゃなかったっけ?」

「うん、もちろん就寝中にも経験あるし、今日みたいに街を歩いている時も頻度は極僅か、っていうかその小学2年生の時以来、起きたんだけど。だからたとえ10年ぶりの出来事でもあの時の記憶は今でも覚えているから、あの時と同じだって瞬時に分かった」

「その時は大丈夫だったの?」

「あの時は歩けなくなる程ではなかった。廊下を歩いてた時にいきなりものすごい圧を一方から感じて、そっちの方向は見てはいけないって本能で思ってずっと通り過ぎるまで下を向いてた」

「今日はなんだったの?」

「今日は、頭上からそれ感じて、だからずっとCDを見てたんだよ。もしかしたら碧が声をかけてくれて解かれたのかな」


 こんな事を真面目に話していること自体、途中から違和感を感じていたが、何か一興に話すとは訳が違うのは一目瞭然だった、あの倒れそうな磯村の姿を見てしまったからには。

「そういうので苦しんでいる人、初めて見た」

「俺のこと怖くなった?」

「ううん、むしろやっぱり恭一って普通の人とは違うなって思った。いい意味で。きっと他の人は感じないところまで敏感に察知しているって事じゃない?」

「そう捉えていいのか分からないけど」

「前も言ったじゃん。この人なんか他の人と違うって思わせれば異性にモテるって」

「これもその一部に入るって事か」


 最後は笑い声も出た。ポジティブに締めたところで、せっかくの個室で二人っきりになれたこの状況を存分に利用した。歌う暇もなく唇と唇を引き合わせて、やがて体を押し付け合い、温もりを感じ合った。寒さが本格的になってきたこの時期でも汗だくになるように熱くなれる瞬間。時間がなかったのが惜しまれるところだった。



 あの話で腑に落ちたわけでは実はない。最初にあの背中を目撃した時に押し寄せた心配と一致しない。金縛りにあった磯村、それとあの広場で見た磯村が一緒なはずがない。伊藤は自分の直感を信じるタイプだった。迷った時はいつもその勘で良いと思った方を選ぶ。何を信じていいのか分からなくなった時は真っ先に感じたものが真実だと。それに従えば昨日の磯村も、あの広場のベンチに座っていた磯村も同じ面持ちだと判断した。

 全てが当たるわけでない、時には間違いであったと認める時はある。それでもまだ首を傾げたくなる時があるのも知っている。それはその人が嘘を言っている時。隠しているつもりでも、どこかで綻びがあり僅かでもそれを覗く事ができる。

 姉の死と金縛り、接点は見当たらない。この二つから同じあの黒い煙は出るのだろうか。伊藤は磯村の背後に霊のように取り憑いている何か影があると思わざるを得なかった。まだ明かしていない何かが。

 それはなに? と聞く事はまだできなさそうであった。本人は隠せているつもりなのであろうか。

「あっ、このスカートいいかも」

 昨日の服装は物足りなかった。あんな事になるならジーパンなんかで行かなければ良かった。冬のシーズンはどうも女性ならではの服が家に少ないと見直して伊藤は一人、次のデートに着ていく服を探していた。これからは彼氏も意識した服も選ぼうと新たな楽しみができていた。

 冬はマフラーをする、袖も長くなかなか素肌を見せる事はない。その中でどう女性としての魅力を出していこうか、考えれば考えるほど迷走していく。

「(大人っぽく見られるのはいい事なのかな? でも私まだ高校生だよ。ならそのあどけなさもあった方が)」

今の日本ではJKブランドという言葉がある時代である。これを武器にしなくていいのか、しかし伊藤は時に高校生には見えないと言われる事がある。それすなわち自分の特徴を消す事になるのではないのかそんな葛藤も生まれる。

「(制服着るのが手っ取り早いのか)」

 その象徴とも言える制服、しかし当人はもう卒業している。なかなかその姿で、学校帰りにデートなんて、できる機会はない。

「(一回くらいは制服着てディズニーもいいかもね)」

 次第に頭の中はこれからのデートで埋め尽くされた。楽しい事を考えていた方が健康的であると、もうあの事を考えるのを止めにした。

 次の店に行こうと街中を歩いている時に声をかけられた。

「ちょっと、そこの君」



 まさか昨日に続きこの地を訪れる事になるとは思わなかった。だがこの胸の慌しさを抑えるためには行くしかない。心の準備ができている今なら大丈夫だと思った。

 電車の中では常にそわそわしていた。万が一にも、もう誰かの手に渡っていないか。降りると走るわけではないがいつもより少しだけ急いで歩いてしまう。

 着いた。午前11時を少し過ぎた、開店して間もない時間帯、再びあのCD屋へ来てしまった。この行動力には感心してしまう。一目散に2階へ行きあの時と同じ場所に立つ。まだ置いてある事には妙に安堵してしまう。改まるようにしてそのCDに手を伸ばした。ジャケットの写真を見た時には僅かに顔を歪めた。

「(これは、似ているというレベルじゃない)」

 そうだとしてもあり得なかった。このCDが発売されたのは1992年らしい。磯村はまだ生まれていない。その場でこのCDのミュージシャンについてスマホで調べてみた。入力するのが面倒なほど長いのが苛立つ。

 そこまで詳しい記述はなかったが、どうやら音楽通の間では名の知れた人らしいとは分かった。今は表立った活動はしていなくCDも中古でしか出回っていない。五百円から千円前後の値がついていてネット上の値段よりこの店の販売価格はやや高いと感じた。

 知りたいのはそんな事ではない。磯村はこのCDを買う事にした。


 地元の駅に帰ってくる。階段を降りて東口のバス停へ向かう時だった。大学行きのバスにもの凄い人数の学生が乗っていくさまを見る。その中に友達と楽しそうに会話しながら乗る女性がいた。彼女はこちらに気づいていない。てっきり背けたくなると思っていたが、目を離す事が出来なかった。頭に刷り込まれつつあったCDジャケットと重ねてしまう。ほぼ満員の中、バスは発車した。


 それを見送る磯村はチャンスと判断して無意識にスマホのカメラを起動させて、窓際に座っている彼女の横顔を撮ったのであった。急いで撮ったわりには上手く撮れた気がした。本人にも周りからも不審がられずに。



 なんとかこの場は収まったがしつこかった。結局、名刺を受け取りよく考えて返事を聞かせてほしいと強く迫られた。伊藤はいわゆるスカウトされていた。

 芸能事務所の社長と名乗る人物だと聞かされた時には悪い意味で驚いた。道端で出会ってそんな事を言う人をいきなり信用できないと言うのが一般的な感覚だ。そもそも社長自らこんな事をするのだろうか。このまま無視していいかもしれないと思いつつ吐いたため息に疲れが滲む。

「あっ」

 視線の先に磯村を見つけた。スマホを構えている。あれは写真を撮っているのだろう。その対象はたった今、発車しようとしているバスだった。

「なんで、バスなんか」

 撮り終えたのか、画面を神妙な面持ちで見つめている。一体あの画面には何が写っているのか。

 そこも気になったが伊藤はちょうど良いと思った。今、起きた事を話して相談して見ようと磯村の元へ駆け寄る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る