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「分かりやすくて、良かったですね」

「うん、しかしあんな美人な学校の先生いたら反則だろう」

 観劇の感想を言い合う磯村と水谷。上演されたのは成井豊作『広くてすてきな宇宙じゃないか』アンドロイドが一般家庭にやって来るというSF要素が含まれる心温まる家族の物語だ。

「本当に碧がやると、ちょっとそっち系のAVに出てくる先生になりますよね」

「普通にしてるつもりなんだろうけど、色気あるからな。眼鏡も似合っていたし」

「もうこんな話止めましょう。本当にAV女優としてデビューしたらどうするんですか」

 そう言いつつも笑いは止まらない。

「あっ、なんか一緒に帰ろうってきたから待たないといけないな」

「そうですか。じゃあ私はいない方がいいですかね」

「いや、でも、片付けに30分はかかるらしいからもう少しいてくれると……」

 空はすっかり暗くなっていた。校門を出て坂を下った所で伊藤と合流する。そこでは20分くらい水谷には付き合ってもらった。

「ようやく来た」

「そんな待ってないでしょう?」

「いや、でも同じ場所で30分待つのはけっこう辛いぞ」

「知里は帰ったの?」

「えっ、なんで知っているの?」

「だって、一番前で隣に座ってみてたじゃん。まさかとは思ったけど、私が出てきた時に顔向き合って笑ってたから、あぁ、これはいつの間にか知り合ったんだろうな〜とは勘づいたよ」

「そっか。舞台に立ちながらもそんな余裕あるなんてすごいな」

 そう言うと黙ってしまう伊藤。なんだか不機嫌そうであった。

「それにしても今日は歌う姿と演じる姿をみて碧の……って、どうしたの、なんか怒っている?」

 そう問いただしても黙ったままでバス停の位置で止まる。

「……まさか水谷さんと一緒にいたってだけで怒ってないよね? 分かっているとは思うけどそんな気は毛頭……」

「そんなの分かっている。なに、なんで仲良くなったの?」

「向こうから話しかけてきて。ほら、俺達が肩並べて校内歩いていたのが目について気になって話しかけたみたい」

「それでなに話したの?」

「主に音楽の話かな? それ以外は特に」

 駅へ向かうバスがやって来た。会話の途中でもとりあえずバスに乗り後ろから二番目の二人が座れる席に座る。まだどこか晴れない顔をしている。

「碧の先生姿、すごい綺麗だったよ。もうあんな先生がいたらいいな〜って思った」

 反応する事もなく下を向いていた。分かってはいても、無意識に嫉妬しているのがもどかしい、そんな胸中なのだろうとは察しがついた磯村。こういう時はどうすればいいのか。左足のももを伊藤の右足のももがくっ付くまで寄り添い頬っぺたを突いてみた。

「お〜い、なんか言ってくれよ」

 頭を肩に乗っけてきた。相変わらず言葉はないがこの行動に少し安堵の表情を浮かべる磯村。

「私達まだなにもしてないよね」

 何かハッと気付かされた。ここまでいくらバイト先で一緒とはいえ生活リズムがまるで違うのでまだ恋人らしい事は何もしていなかった。それこそ今日の水谷のように何かを一緒にみるという事さえ。

「そうだな。文化祭も終わったし落ち着いたならどっか行こうか。映画でもいいし、やっぱり高校生ならディズニーランドとか?」

「ディズニーはそこまで好きじゃないんだよね。観たい映画も今のところないし」

「じゃあ……」

「でも、観たい舞台が12月にあるの、下北沢で。恭一は好きか分からないけど」

「舞台か、いいよ。今日みて演劇もいいかもなって思ったし。碧が見たいって言うなら」

「ありがとう」

 その後は互いに肩を寄せ合いながら良い雰囲気でバスから降りる。腕を掴み離れたくなさそうに歩く伊藤。その想いを必死に受け止めた。

 西口は再開発工事でとても人が長居する環境ではなかった。東口の、あの広場は明るさも程よく人もまばら、落ち着くにはちょうど良い。何もしなければもう直ぐ別れる時だったが磯村は体の向きを変えて伊藤を抱きしめた。

「じゃあ、また」

 その流れのまま別れのキスをした。


 伊藤はよく今の心情に合った曲を探しては聴く。

今日はマドンナの『Erotica』ベッドの上で目を閉じながら身体を縮ませ、あえぐような顔をしていた。



「渋谷にはよく行くけど、下北沢は初めてだな」

 JR渋谷駅から京王井の頭線に乗り換えて、磯村はこんな事を口にする。

「演劇の街で有名な所だからね。でもライブハウスとかもあるみたい。というか私も今日が初めてなんだけどね」

 井の頭線に乗ってしまえば急行で下北沢までは直ぐである。電車から降りて駅出口へ向かう。

「ここと、あっちも劇場なんだよ」

 南口を出て伊藤が早速、出口目の前と左に曲がって歩いて直ぐの所に劇場がある事を教えてくれた。

「えっ、こんな近くに二軒あるの? さすが演劇の街だな」

「全然広さは違うけどね。あっちがもう俳優であれば誰もが立ちたい劇場みたい」

「今日はどこなの?」

「スズナリっていう所。ここからちょっと歩くね」

 典型的な、誰もがイメージする商店街という名にふさわしい道を歩き下北沢という街を垣間見る二人。思わず寄ってみたくなるような服屋があったり、昔からあるような店もある。

「あっここかな。スズナリって書いてあるし」

「ここ? 劇場には見えないけど」

「なんかアパートを改築したみたいだから。これでもすごい歴史あって有名な劇場みたいだけど」

「なるほど、印象に残る外観ではあるね」

 受付でチケットを受け取り、まさにアパートの二階へ上がるような階段を上った。

 真ん中の列、一番端に座るとやや窮屈さも感じた、客席は既に半分以上が埋まっている。街の中にある隠れ家でひっそり行われる催しものというような雰囲気が感じられた。客席に置いてあるコピー用紙で簡単に作られたパンフレットに目を通しながら開演を待つ。

「受付に書いてあったけど、チケット全公演完売なんだね」

「うん、私もびっくりした。そんな急いで取ったわけじゃないし、取れたのは運良かったかも」

「でも出演者見てみると、地下アイドルみたいな活動をしている子とかも出ているしこのくらいの広さの劇場なら埋まるのかもね」

「それに今回上演される台本、有名な人が書いた作品みたい。今年の演劇賞にノミネートされた今、注目の村井、なんとかさんが初期に書いた台本って大きく強調されているし」

「多分、みつるって読むのかな」

 漢字が読めなかった事におどけた表情を見せる伊藤。ここに舌をペロリと出せば絵に描いたような顔だった。


 会場は終始、笑いが絶えなかった。ドタバタコメディという形容がぴったりで昔テレビ番組でもやっていたコントも思わせる、最後は出演者が歌って締めるのはまさにエンターテイメント劇。それでいてしっかりと芯のある物語となっており、誰もが納得させる形で終わらせたのも見事であった。さすが台本を売りにした舞台と言えた。

「面白かったね」

「うん、確かに台本がよくできてた」

 満員だった会場から一斉に客が立つので、端っこに座っていた二人は混雑が緩和されるのを感想を語り合いながら待つ。

 外に出ると出演者もぞろぞろと出てきていた。知り合いや友人が出演者と談話していたり、ファンが写真撮影を求めたりと周辺の賑わいはしばらく収まりそうになかった。

「あの、もし良かったら今日、歌われたCDを買ってくれませんか?」

 そう声をかけられたのはエンディングで使われた曲を提供したシンガーソングライターの若い女性。金髪でピンクのキャップ帽を被っているのが可愛らしい。

「この素晴らしい名曲、宜しければ買ってあげてください」

 隣でそう推すのはこの男性は劇団のスタッフぽかった。

 一瞬、悩む二人だったが最近になって洋楽など色んな音楽を聴き始めた磯村が作った本人に頼まれたらなかなか断れないという気持ちで購入を決意した。

「いいですよ」

「ありがとうございます、サインしますね! お名前は?」

 嬉しそうにジャケットにサインする彼女を眺めると買って良かったと思う。何か付加価値が付くと購入する意欲がわくのは分かる気がした。


「正直、演技は碧の方がさまになっていたと思うな」

「そう? でも、なんというか全体的にうちの演劇部の子たちとそんな大差ないなって思ったのも事実」

「だろう? あれは台本が良かったんだろうな〜俳優陣はただぎゃーぎゃー騒いでいただけにしか見えなかった、それこそ学生みたいなノリで」

「普段は俳優以外の活動をしている人も多かったし、仕方がないのかもね」

 劇場から離れてこんな本音も飛び出した。なかなか手厳しい事を言う。

「あっ、ねぇ、行きでも気になっていたんだけどあそこのCD屋に寄ってみてもいい?」

 CDを買った途端に音楽の興味も出てきた磯村はこんな提案をした。

「いいよ。最近よく洋楽聴くようになったんだっけ?」

「そうそう。もっと聴いた事ないジャンルを開拓していこうと思って」

 


 近所にはいつの間にかCD屋が無くなっていく一方だったので、店内の広さと品揃えの豊富さにはちょっと興奮した。どうやら二階もあるらしい。二人は店内では各々に見たい場所に行き一旦離れた。

 一階には邦楽や誰もが知っているような名前のCDが置かれていると読んだ磯村は二階へ行ってみる事にした。

 アナログレコードが目に飛び込んできた。さすが都心の有名どころのCD屋といった感じでなかなお目にかかれない商品も置いてある。そういえば最近はアナログレコードのブームが来ているとニュースで聞いた、買うつもりはなかったが手に触ってジャケットを眺めたくなった。

「(どれも味があっていいね〜)」

 中古のCDもあった。さらにアシッド・ジャズ、アンビエントなど聞き慣れないジャンルの名札も目に入る。こういうちょっとマニアックな場所に惹かれると言わんばかりにこの周辺を重点的に見回ってみて、時には気になる名前のCDを手に取りジャケットを見た。

「(深海〜drop〜、なんかよく眠れそうな曲が入ってそう)」

 深海という言葉に導かれて手を伸ばした。そのCDのジャケットを見た時であった。


 伊藤は磯村を探していた。一階にはいないと判断して二階へ上がる。この階は一階と比べて趣向が違うとなんとなく分かった。いかにも磯村が興味を持ちそうな所かもしれないと思いながら、世の中には一生かけても把握しきれない程のCDがあるのだろうとここに居るだけでも感じた。

「(あっ、いたいた)」

 歩み寄ろうとしたが、その背中を見て思わず歩むのを止めてしまった。まるで黒い煙がゆっくりと狼煙のように上がっているようで、近寄り難い何かがあった。

「(これって……)」

 あの時の磯村だった。駅前の広場で一人、ベンチに座りうな垂れている、あの時の。

 なぜ今、ここで? 訳が分からず混乱してしまう。何やら一枚のCDを俯きながらじっと見つめていた。

 それは何なの、それが原因なの、と今すぐ聞きにいきたかったがまだその一歩を踏み出せない。禁忌に触れるが如くためらいがある。


 伊藤は数分間、そっと見守るしかできなかったが、やっと大きく息を吸い声をかけた。

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