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駅の西口から走るバスに乗り約15分、伊藤が通う高校前に降り立つ。バス停の目の前にある少し長い坂を登れば校門がある。両端には木々が生えており、網目状の柵、向こう側には校内のグランドや中庭がうかがえる。
手作りの看板が出迎えてくれた。『文化祭』秋をイメージして紅葉やハロウィーンの飾り付けが色画用紙などで表現されている。いかにも学生らしい。
今日は在校生以外、一般の人も出入りできる日で様々な出店、出し物も発表される。軽音楽部の伊藤は11時から体育館で行われるライブに出演する。それに磯村は是非、来てほしいと誘われた。
今年、高校を卒業したばかりとはいえもうこの雰囲気に懐かしさがこみ上げてくる。無意識に母校の情景が浮かび上がる、残念ながらそこまで名残惜しい、繫ぎ止めるものはないのが現状だったが。あの高校生活は何だったのか、ただ将来の事も考えず遊んでいただけかもしれない。それに早くも誰とも連絡を取り合っていない。友人だと思っていた果てがこれだ。
上を見上げれば校門が関所のような形でどっしりと立っている。枠組の中央には高校の名が刻まれたプレート。そこを潜り抜け煉瓦色の階段を登り出入り口へ。中で行き交っているのは当たり前だが殆どが制服姿の在校生、部外者は疎外感を感じる。どうやらここは土足で校内に入っても良い高校であった。これには驚く。
体育館がどこにあるかは知らないが歩き回ればその内、辿り着くだろうと踏んでいた。まだ時間にも多少、余裕があり校内を探索してみる事にした。書道、美術部の展示、家庭科室ではカフェみたいな事もやっている。
時々感じる視線。中にはすれ違った瞬間、露骨に後ろを振り返り興味の眼を向ける人もいる。普段はいない人間だからそりゃあ、そうかと最初は思っていたがその視線を向けるのはみな女子である事に気が付いた。
おかしい、いつからこんなに俺は異性から注目されるような人物になったのか。磯村の高校生活を振り返れば首を傾げたくもなった。
「(一馬がいたからか)」
自分が高校時代、あまり目立つ事がなかったのは同じクラスに
ともあれ橘がいなければ自分も入学当初からもう少しモテる事を実感したのか、そんな考えてもしょうがない事を巡らせながら体育館へと繋がる渡り廊下を見つけた。あと15分程で始まるはずなのでちょうど良いかもしれない、磯村は出入り口前にあるダンボールの中に入っているスリッパに履き変えて体育館へ入る。
おそらく始まるのを今かと待っているのは殆どが在校生である。ライブらしくスタンディングで椅子は設置されていない。前方はほぼその生徒達で占領されている。100人以上は間違いなくいそうだ。これは一歩離れた場所で、いっそ壁に寄り添ってみた方がいいかもしれないと思い左手側の壁に背を付ける。中はカーテンで窓が隠され、照明も半分は消されて薄暗い。この暗さができれば隠れるように見たい磯村にはちょうど良かった。
時間になり完全暗転というわけにはいかなかったが館内が可能な限り暗くなる。ステージ上に赤、黄色の照明が向けられる。聞いたところによると伊藤は1年生なので一番最初に出ると教えてもらった。だから遅刻はしないでねとも。
ドラム、キーボードを担当する生徒が先ず出てきた。そこで軽く声援が上がる。そしてボーカルとギターを務めるのが伊藤らしい、その伊藤が中央に設置されているマイクに立つとより声援が大きくなる。もしかしたら校内でちょっとした人気者かもしれない。
ドラムがハイハットを叩きカウントを取る。演奏が始まった。いきなり歌声から始まる。
どこかで聴いた事があると思った。磯村は曲名は思い出せなかったが伊藤が歌っているのは中島美嘉の『GLAMOROUS SKY』だった。映画、NANAの主題歌として大ヒットした曲をカヴァーしていた。
NANAという作品の内容からしても軽音楽部の生徒がこの曲を選ぶのは納得のチョイスだったが、聞こえてくる歌詞と伊藤という人間性にこの曲はものすごくマッチしていると感じた。観客も手拍子などで盛り上げる。真下の観客と視線が合うとやや恥ずかしそうな仕草を見せる伊藤。
「(キーボードの子、かなりいい音出しているな)」
もう一つ目を惹いたのがキーボードの音だった。この楽器から奏でる音で演奏に迫力、グルーヴをもたらしている気がした。伊藤も歌いながらギターを弾くのは厳しいところがあるので、所々では弾いていない。それでも鳴っている音に物足りなさを感じないのは間違いなくキーボードの存在が大きかった。
素直に拍手した。磯村も音楽はそれなりに聴いている方なので多少、厳しい目で、耳で聴きがちだったが高校生という事も考えれば充分に及第点以上だ。
部員が多いのか伊藤はこの1曲でお辞儀をしてステージから去る。ドラム、キーボードの生徒はそのままであった。
やはり別格であったのだ。次に歌う生徒の歌を聴いて、伊藤の表現力は抜きん出ているものがると確信した。
それは軸があるからか——伊藤は本人も言っていたように軸がしっかりしている人を好む、そしてもちろん伊藤自身にもその軸がある。自分が良いと思う明確な基準、その軸があるからこそ人々の胸をうつものを表現できるのだ。軸がある人は魅力的に映る、伊藤の言っている事は間違っていないのかもしれない。
「(それでいうとあの子も)」
1時間弱のライブが終わった。早々に体育館から出て携帯をチェックすると伊藤からLINEが来ていた。この後は休憩だから会おうとの事だった。軽くなら会ってもいいかと思い了承する。磯村は来た道を戻り校門前の階段で待つ事にした。
通行人の邪魔にはならないように段の一番端っこに座りここからの景色を時おり吹く涼しい風に当たりながら眺めていた。決して絶景というわけではないが街全体が見渡せると言うのはそれだけで心踊るものがある。
「えいっ」
背後から両手を首に巻かれて寄りかかれた。耳元には息が当たる
「今日は来てくれてありがとう」
「いや、お世辞抜きにすごい良かったよ。もしかしたら才能あるじゃないの?」
「本当に? 嬉しい。ねぇ、校庭に出店あるから何かお昼食べようよ」
焼きそば、豚汁、フランクフルトなどが売られており学生の文化祭のわりには種類が豊富だと思った。やはりここでも一際、視線を感じる。今度は伊藤も加わった事によりさっきの比ではない。考えてみれば在校生の女子がどこから来たか分からない男を連れて歩いている、目立つのは必然だ。
「ねぇ、事前に言ってなかったんだけど午後から私、演劇部の助っ人として舞台に出演するの。さっきと同じ体育館でやるからこっちも見てよ」
先ほどと同じ場所で焼きそばを頬張る磯村は若干、むせてしまう。これは驚きからきているようだ。
「えっ、演劇もやるの?」
「そう」
「随分と精力的だね。俺なんて面倒だな〜と思いながらやり過ごしてたのに」
「とにかく音楽と演劇だけは高校に入ったらやってみたかったの。どちらかといえば音楽の方が好きだから軽音部入ったけど、演劇部もそんな人数多くないから来られる時だけって事で許可もらっているんだ」
「そういえば中学生時代の友達に演劇やっている人いるんだけど、高校卒業したらプロの俳優目指すために専門学校行ったんだよね。俺の周りって音楽とか演劇やっている人、不思議と多いな」
「そうなんだ。恭一は何かやりたい事ないの? それこそたまにあのスタジオ行ってドラム叩いているんでしょう?」
「あれは暇つぶしでやっているだけで、今日みたいに人前でやりたいっていう願望はないかな。でも夢中になれるものがあるっていいね。今の碧を見てそう思う。いきいきしているもん」
「うん、やっぱりそれがあれば人生楽しくなると思うよ」
伊藤とはまた一旦別れる。ここまできたら演じる姿も見ていくことにした。
「やりたいことか」
空を見上げながらこう呟いた。それを見つけて進んでいけば、伊藤の言うように未来は明るくなるのか。それはここまで考えていないわけではなかった。プロの俳優を目指すと打ち明けてくれた友人の眼は輝いていた。その時も羨ましいと思った。それが明確な目標がある人を初めて目の当たりにした瞬間だった。自分に足りないものはこれだと思う。
地に足がついていない、ふらふら宙に浮いたこの状態は居心地悪かった。周りにしっかりと大地を踏みしめて生きている人がいるとなおのこと。
それを見つける事ができるのか、分かってはいたがやはり骨の折れる道だった。もしかしたら途中で諦めて仕方がなく高卒でも就ける職に落ち着いた時の事を想像してしまうと頭を抱えたくなる。
「ちょっとよろしいですか?」
誰かに声をかけられた。上半身を後ろに振る。斜め後ろには女性にしては背の高い、伊藤と同じくらいかもしれない。髪型をツインでお団子にしているのが可愛らしい女子生徒が立っていた。
「突然すみません。私、軽音部の
「あぁ、さっきのライブでキーボード演奏してた子か!」
「あっ、覚えてくれているのですか? 嬉しい。あの、碧とはどういう知り合いなのですか? そのやっぱり……」
「うん、多分お察しの通り付き合っているよ」
水谷は腰を下ろして磯村の隣に座る。
「ですよね。どこで出会ったのですか?」
「碧とはバイト先で知り合ったの」
「なるほど〜。どこ高校出身の方ですか?」
「いや、俺はもう今年で高校卒業しているんだ」
「年上でしたか! ということは3つ違うのですか?」
「うん、そう」
「いや〜碧のやつ、全然そういうの話さないから初め見た時はびっくりしましたよ。付き合ってどのくらいですか?」
「まだ、2ヶ月ちょっとかな」
「ほんと最近付き合ったのですね、どっちから告白したんですか?」
「俺から付き合おうって言った。まさかOKしてくれるとは思わなかったけど」
「いやいや、何言っているんですか。このくらいイケメンだったら碧が惚れるのも分かりますよ。もしかして音楽とかやっていたりします? いかにもバンドマンって服装しているので」
「音楽はよく聴くけど今日みたいなライブはした事ない。ファッションも仰る通り好きなバンドのメンバー意識しているのは間違いないけど」
「そうですか。でもやっぱり碧がもしも誰かと付き合うならすごいかっこいい人なんだろうな〜というのは見事当たりましたね」
こう言われて気分が悪くなる事はないが、そこまで自覚していない磯村はこんな事を言われる度にくすぐったくなる。
「そういえばライブ見たけど水谷さん、すごい良い音出してたね。もしかして前からやっていた?」
「えっ、そう思います?」
「うん、分かるよ。あれはどう聴いてもついこのあいだ始めた人が出せる音じゃないって。機材もそれなりに揃えているんじゃない?」
「はい、まさにその通りで。うち父が作曲家でシンセサイザー奏者なんです」
「それはすごい。それで小さい頃からやっているんだ?」
「まぁ、やっていたというかおもちゃのように遊んでましたね。ツマミとかいじって変な音出したりしながら」
「はは。なに、やっぱり将来は音楽の道に進むの?」
「はい、その気持ちはあるのですけど私、父みたいにスタジオで作業だけでなく、ステージに立って演奏したいんです。それもサポートメンバーじゃなくて、バンドを組んで正式なメンバーとして」
「そっか〜そうなると先ずは良いメンバーと巡り会わないとね」
「はい、もしかしたらそれが一番難しいかもしれません。流石に高校生の段階でプロ目指していますっていう人なんてなかなかいなし、これからどうやって探そうって思っています」
「いやでも、ドラムもそうだけどシンセサイザーできますっていう人もなかなかいないからきっと、どこからも欲しがられるのは間違いないよ」
「はい、おかげで今日はずっとステージに立ちっぱなしでした」
気がつけば伊藤よりもこの水谷との方が長く話し込んでいた。水谷はデペッシュ・モードというイングランド出身のバンドが好きらしい。調べてみたらキーボードを二台並べてステージに立つ姿がスタイリッシュだと思った。伊藤はデュラン・デュランが好きだと言っていた。最近の高校生はインターネットのおかげでほんと古いとか関係なく色んな音楽を聴くのだと知る。もはやかつてのように日本中が一人の歌手、バンドを好きになるという時代は来ないのか、CDも純粋なミリオンヒットが出なくなるはずである。
「そろそろ俺、今度は碧が演劇部の舞台に立つっていうからそれを観に行くよ」
「そうなんですか。……私もこの後は暇だし観に行こうかな。そういえばお名前をまだ聞いてませんでした」
「そうだったね。俺は磯村恭一郎って言うからまたもしも会ったらよろしく」
「磯村さんですね。是非またお会いしたいです」
「そうだ。これだけは言っておく。もしも良いメンバーを探しているなら、碧を演劇の方にいかせないようにした方がいいかも。今の軽音部のメンバーの中で先輩も含めて絶対に素質ある人だと思っているから」
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