三 ダエーワの酒
「――ウィ~! やっぱうめえなあ、この合酒って酒は! 五臓六腑に染み渡るとくりゃあ!」
その30分ほど後、茹でダコのように真っ赤な顔をしたイカ社長は日本橋界隈にある〝合酒屋〟のテーブル席で完全に
あれほど「案内するだけ」とかなんとか言っておきながら……
「いや、俺は入りたくなかったんだよ? ヒック……でも、守虎がどうしてもって言うから一杯だけとご相伴にあづかったら、いつの間にやら二杯、三杯…ウイック……」
と、誰も訊いてないのに
「お姉ちゃ~ん! 合酒もう一杯~!」
「おい、イカ公、いい加減、飲みすぎだそ? また奥さんに叱られてもしらねえからな」
守虎に渋い顔で睨まれながらもベロベロに酔ったイカ社長は、妖艶な薄衣のベールで顔を覆う、中東風の踊子のような格好をしたホール係の女の子にまたもおかわりを注文する。
銀盆に亜麻色の液体の入ったグラスをいっぱいに載せ、そんな艶めかしい踊り子達が忙しなく行き来する店の中は、薄暗い黄白色の照明の下に所狭しと客達がひしめき合い、ウワサ通りの大いな賑わいを見せていた。
ホールスタッフの衣装ばかりでなく、石造りの神殿に似せた店の外観や、砂漠のオアシスに茂る植物の鉢植えを置いた店内の様子も、まるで王宮の〝ハーレム〟を思わすような、やはり古代オリエント世界を髣髴とさせる雰囲気である。
「……ん? おい、どこ行くんだよ?」
「なに、ちょっと〝お花摘み〟だ。野暮なことは聞くんじゃねえよ」
大勢の飲んだくれ達が浮かれ騒ぐ、そのがやがやとした雑踏の片隅で、守虎は不意に席を立つと呼び止めるイカ社長に戯言を返し、トイレのある店の奥へとしっかりとした足取りで歩き出す。
ベロベロのイカ社長に反し、意外にも彼はまったく酔っていない……というより、店に入ってから今に至るまで、注文はしてもグラスにちょっと口をつけるだけで、じつはまったく〝合酒〟を飲んでいないのだ。
「イカ公だけじゃなく、やっぱそうとうに依存性が強えようだな……」
疑われぬよう酔ったフリをしながら、守虎は周囲の客達をさりげなく観察する。
客層は老若男女入り乱れているが、いずれもイカ社長同様、グラスを手から放すことなくへべレケに酔っぱらっている。
「なんだ、このブサイク! てめえの顔見てるだけで酒が不味くなるんだよ!」
「なによ! ハゲのくせに! そっちこそ、そのハゲが反射して、店の雰囲気が台無しだっつーの!」
また、楽しく酔っぱらうならまだしも、そんな罵り合いをしている男女の如く、悪酔いして無駄に怒っている者達ばかりが目につく。
「さっき
そうした乱痴気騒ぎを繰り広げる客達を横目に、守虎はトイレの案内板のかけられた廊下へと出て行く。
……だが、彼の向かったのはトイレではなかった。
見つからぬよう辺りを警戒しながら、トイレのある方とは真逆の方向へと進み、「STAFF ONLY」と書かれたドアを開けてバックヤードへと入っていってしまう。
「
スタッフが通る時には物影に身を潜め、細心の注意を払いながらさらに歩を進めると、見知らぬ場所ながらも検討をつけて、守虎は貯蔵庫と思しき場所へ到達することができた。
「――ガハハハ、計画は順調のようだな。我が魔力を注入したこの〝合酒〟の味に、人間どもはもうすっかり虜だ」
「はい。この酒を飲んだ人間は怒りと欲望に取り憑かれ、自ずから悪行を犯すようになります。偉大なる〝アフリマン〟と我ら〝悪〟の勝利は近いでしょう」
すると、そんな野太い高笑いをあげる男の声と、それに応答するダンディーな男の声が貯蔵庫の中から聞こえてきた。
その声に、守虎はドアにその身を貼りつけると、覗き窓から中の様子を覗う……。
「…!」
と、薄暗いその部屋を埋め尽くす、たくさんの酒樽の前に立っていたのはとんでもない者達だった。
野太い声を発していたのは全身毛むくじゃらの巨体をした鬼のようなバケモノであり、もう一人は両肩から黒い大蛇を生やしたバーテンダー風の魔物である。
「あの毛むくじゃらはアエーシュマ! 蛇人間の方はアジ・ダハーカだな。思った通り〝ダエーワ〟の仕業だったか……」
その怪物達に目を見開くと、囁くほどの音量ながらも思わず守虎は声を漏らしてしまう。
だが、彼が目を見張ったのは怪物に驚いたからではない。守虎はその怪物達の正体が〝ダエーワ〟の一味であることを知っているのだ。
〝ダエーワ〟とは、すべての悪徳を司る神〝アフリマン〟を崇める悪の秘密結社である。
悪神アフリマンを有利にし、太古の昔から続く善なる至高神オフルマズドとの世界の在り方をかけた抗争に勝利するため、デーワは人間を悪の道に陥れ、善なる宇宙の秩序〝
「やいやいやい、ダエーワのコンコンチキども! 妙に悪酔いする輩が増えてるって聞いて来てみりゃあ、やっぱりてめえらか! だがな、そうは問屋が卸さねえぞ!」
そうと知るや、守虎は怪物相手にも怯むことなく、乱暴にドアを開けると威勢よく啖呵を切る。
「…!? 何だ貴様は!?」
むしろ驚いたのは怪物達の方だ。身構えて声を荒げる彼らに、守虎はさすがテキヤらしく、続けて気風よく
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