925 (お題:指輪 所要時間55分)
今日のあたしはすこぶる機嫌が良かった。
時間で言うと十五時過ぎまで。
昨日届いたばかりのシルバーの指輪を付けて学校に向かった。サイズが少し心配だったけど私のために誂えたようにぴったりと指に馴染んだ。あとやっぱあたしはこういうの似合う。買って良かった、心底そう思った。
出席日数欲しさに出た授業もどれもやる気のないセンコーのものばっかで、寝ててもケータイをいじってても何も言われなかった。昼休みには後輩が運良く買えたとかいうコーヒー牛乳をわざわざ教室に持ってきてくれた。
購買の瓶に入ったコーヒー牛乳は数量限定のレア物で、しかも数日おきにしか並ばないからかなり希少価値が高い。あたしはあの馬鹿みたいな人混みに突入するほど飲みたいとは思わないけど、中にはそれくらい人気のあるものならと、大して好きでもないのに運試しするみたいに買いに行く奴も少なくない。ミーハーっつーかなんつーか、はっきり言ってただの間抜けなんだけど。あんな連中よりかはよっぽどあの飲み物を好いてる自信はある。
後輩はかなりやんちゃですぐに生徒指導室に連行されるような奴だけど、あたしを慕っている。あたしに憧れてるなんて言ってるアホだけど、懐かれて悪い気はしない。あたしは生徒指導室に連れてかれるようなヘマはしないけど。
帰りのホームルームが終わるとすぐに学校を出た。ゲーセンでたむろしてる顔見知りの誰かと話をして、それから帰ろうと思ったんだ。
駅前のビルに入ってるゲーセン。奥はビリヤード場になっていて、あたしみたいな連中のたまり場になってる。
ビルに着くとデカいエレベーターに乗って三階で降りた。ケータイが震えてメールを確認すると、毎週火曜の十五時に送られてくるメルマガだった。
開きっぱなしの扉に入ってパチンコ台とスロットのエリアを通り抜けると煙草に火をつける。胸ポケットに煙草を入れるのはおっさんくさいから止めろって誰かに言われた気がするけど、あたしはこれが勝手が良くて好きだった。今更センコーもあたしのワイシャツのポケットから煙草が透けたり覗いてたりするくらいで何も言わない。気ままなもんだ。
指に煙草を挟んで奥へと移動すると、見覚えのない後ろ姿の女がビリヤード台の上、枠の中に綺麗に収められた八番を手に取って床に投げつけていた。八って言ったのは黒かったから。多分間違いない。いやどうでもいいけど。
西高の制服だった。あのユートーセーばっかの高校の誰かが、何かをやらかしている。早足に近付くと、顔見知り四人が地べたに転がっていた。一人は頭を押さえて、ボールを投げた女を見上げて睨み付けている。位置から言って、多分あの八番はあいつの頭に直撃したんだ。痛そ。
そう、この時まで、あたしの機嫌は良かった。
「お前なんだよ」
気だるげに振り向いた女は綺麗だった。穴一つ開いてない耳に髪をかけて、振り向くのに合わせてその髪がしなやかに揺れていた。見たことがあるような、ないような顔。だけど明らかに怒気を孕んでいた。冷たい視線と、不機嫌そうに閉じられた口。すっと通った形のいい鼻だけが、きっといつも通りだ。
「見つけた」
「は?」
あたしが声を発するよりも先に、女は駆け出していた。面倒なことになる。いやもう既にかなり面倒だ。あたしは煙草と鞄を投げ捨てて右足を後ろに引いた。やるっつーんならかかってこいよ。意味分かんねぇけど。
女の拳を真っ向から受け止めるつもりだったあたしは、煙を吐き出して女の動きに集中した。そして異変に気付いた。おい、あいつ、こっちに来る間に、おい。おいって。
女は手にキューを持っていた。それで鳩尾を一突き、怯んだ隙に顔面に一発、背中に肘だか膝だかを一発。まぁ要するに訳も分からないまま負けた。反則だろ、馬鹿じゃねぇの。
「私の妹に、これ以上変なこと教えないで」
「はぁ……?」
起き上がってようやく地べたに座ると、あたしを見下ろす女の顔をもう一度見た。そして分かった。こいつが何者なのか。
「お前。まさか峯田の姉貴か」
女は何も言わなかった。多分正解なんだろう。とりあえず伝えたから、そう言って名前も知らない峯田の姉貴は颯爽とゲーセンを後にした。
行き場のない怒りをぶつけるように、ビリヤード台の脚を殴る。なんだか嫌な感触がして見てみると、買ったばっかのシルバーの指輪が歪んでいた。
「おいおい、嘘でしょ」
引っ張っても取れない。となると、もう何かで叩いて適当に抜けるところまで形を戻すしかない。
完全に脱力したあたしはそのまま仰向けになって天井の蛍光灯を見つめた。指輪は取れないし、あのサイコな姉貴の言い分にも心当たりがない。あたしが峯田に教えたことなんて、授業の効率のいいサボり方とこのたまり場のことと煙草だけだ。
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