殺伐手習い作品集

nns

満月と馬鹿の血が綺麗な夜の話 (お題:時計 所要時間1時間20分)

 一つも面白くない悲鳴を聞き届けてやった私は、ゴミ箱の上で爪切りをカチカチと鳴らして中に詰まった肉を下に落とした。ちょっと舌を切ったくらいで泣き喚くなんて、相手方のスパイの程度が知れる。ちょっと、本当にちょっとだけだ。いや、ちょっとずつと言うべきか。

 絶叫するのも疲れたのか、女は長い前髪の隙間から、見上げるように私を睨みつけていた。その視線ほどの威勢が言葉にもあれば幾分か楽しかったろうに。口を開けば許してとか本当に知らないとか、私の聞きたくない事ばかりを言うからつまらない。


「あのさ、そういうのいいから。マジで。早くアレどうにかしろよ」


 私は顎でチッチッと目障りな音を絶えず発している装置を指した。

 薄暗い部屋、太い配管にがっちりと固定された状態で、女の悲鳴よりも長く鳴き続けてるのがあの装置だ。旧式の時限爆弾に据え付けられた時計は厭味ったらしく私達に時の経過を告げていた。


「ひら、ひらない……ほんろに……」

「ちゃんと喋れよ。馬鹿にしてんの?」


 女は四つん這いになって、息も絶え絶えに何も知らないことをアピールしている。知らない訳がない。私達のアジトを爆破しようと潜り込んで、その爆弾を設置した張本人がどうしてその解除方法を知らないと言うのだ。

 最初は無いと言っていた。今は知らないと言っている。証言の多少のブレが、女の吐いた言葉をどんどん無意味なものにしていることに、本人は気付いているだろうか。


「駆け引きは嫌い。この一ヶ月私に同行して、何も学ばなかったのか」


 アズ。私は新たに私の部下として配属された女をそう呼んでいた。それは本人がそう名乗ったから。だけどスパイだと分かった今、その名で呼ぶつもりはない。こいつは私にとってただの女でしか無かった。舌を爪切りでちまちまと嬲られて、ろくに喋ることも出来なくなった馬鹿な女。スパイにも関わらず、任務の遂行の直前でそれが発覚してこうして拷問を受けている、仕事の出来ないクソ犬。


 女は頭の悪い売女みたいな舌使いで、暗証番号は起動させる為に使用されるもので、解除の方法は無いのだと涙ながらに訴えた。あったとしても自分は知らないと。爆弾を起動させることに成功すれば戻って来なくていいとも言われていたらしく、このアホが組織から大して大事にされていないことは容易に想像が付いた。


「あー。そう」


 私はジャケットの内側からナイフをおもむろに取り出した。見せつけるように薄暗い部屋の唯一の光源であるろうそくの火をその刀身に映して、それなりの切れ味があることを誇示すると、名も知らぬ女は発狂したようにぎゃあぎゃあと泣き喚いた。


 古い木製のテーブルに据え付けられた機器の受話装置を手に取って、あーあーと声を出す。するとすぐに、どうしたと声が返ってきた。


「あぁもしもし。私。スミスだけど。いま地下に居る。念の為全員避難しといて。アジトBで落ち合おう」

「は?」

「あとで話す。んじゃ」

「あ、おい」


 言いたいことを言って機械を叩きつけるように手放すと、私は女に最後のチャンスを与えることにした。


「どーせお前もう喋れないだろ。そのズタズタになった舌、汚ぇから根本から切ってやるよ」

「いや、いや……!」


 両脚は一番初めに折った。反抗はおろか、逃げ出すことすらできない女は黒いパンツスーツを小便で濡らしながら惨めに震えていた。目障りな怯え方に耳障りな拒絶。さらに臭いでまで私の気分を害すると来た。すげぇ才能だな、そう言って壁に背を付いて左右に首を振っている女の顎を蹴り上げた。


「なぁ、舌がそんな風になってるときに顎蹴られるって、やっぱ痛いの?」

「あっ……お、おぉえぇ……」

「おい勘弁しろよー」


 床に手を付いて無様に嘔吐する様を見て、私は額に手を当てた。時計の音が聞こえる。耳につく、嫌な音だ。


「ちっ。うっせーな。おい、早く。番号」

「え……え……」

「馬鹿かお前。解除の番号はもういいよ。お前がそれを知らないのも信じる。括り付けた南京錠の番号を知らないとは言わせないけど」


 私は妥協した。つまり爆弾が吹き飛ぶことを許容したってことだ。爆発なんてあった日にはこのアジトが何かしらの国家権力に怪しまれることは免れないだろうが、仕方がない。証拠を挙げられる前にズラかって、ほとぼりが冷めるのを待つことにした、ということになる。

 港に面したこの倉庫群は私達の大切な拠点の一つだった。だから目を付けられることはしたくないが、こんなことで死ぬよりマシだ。


 ゲボしたままの姿勢で居た女の頭に踵落としをきめて、吐瀉物の海に沈めた。とっととしろ。そう言うと、女は久方ぶりに、目的を持って身体を動かし始めた。


「時間稼ぎしたらマジで舌切るからな」

「はい……はい……」


 女は震える手でパチパチと南京錠のダイヤルを合わせて、四桁目を回し終えると、私に振り返った。時計の音がうるさい。腹いせにこの無能をぶっ殺したいくらい。


 私は配線がむき出しになった作りの悪い爆弾を手に持つと、女の首にそれを括り付けて再びロックした。番号が分かっていても、この位置からじゃ数字を合わせるのは不可能だろう。

 ガタガタと震える女を引っ張って、隠し扉を開けて階段を登って倉庫の一階に出ると、今度は外を目指した。重たい扉を必要な分だけ開けて、女を先に歩かせる。両足が折れてるわりに、あんよは上手だ。


 波止場の倉庫群の夜風は、私達のこんな血生臭いやりとりをあざ笑うように澄んでいた。前を歩く女の尻を蹴り飛ばして手を付かせる。今ので海に落ちたらそれで終いにしても良かったけど、女は海を覗くようにコンクリートに手を付いて、まじないみたいにずっとごめんなさいと唱えていた。それが時計の音とシンクロして更に私の機嫌を損ねた。


「マジでうるせぇな」


 そう言うと、すぐにクソみたいな声は止んだ。だけど時計の音は止まらない。南京錠の番号を見た時から、ある仮説が私の頭を過ぎっていた。


「おい。起動の番号、何番だった」

「えお、に、に、ひゅう、えろ、おん……あん、いり……」


 ギリギリで聞き取れたその番号を頭の中で並べる。南京錠の番号は〇六三一。法則性に確信を得た私は、戯れに女に問いかけた。


「最後に訊くけど。組織を裏切るのと死ぬの、どっちがいい」

「……ひにあく、あいです。あんでも、います……」

「そ。そんじゃ、死なないことを祈るんだな」


 このまま女を海に投げても良かったが、こうして外に連れ出して起動の番号を聞き出せた今、少し試してみたくなった。

 私は頭にあった八桁の番号を入力する。すると、この数分間ずっと私を煽るように鳴っていた音が止んだ。


 這いつくばったまま荒い呼吸をしている女の顔を覗き込むように、隣にしゃがむ。目が合わないから髪を掴んで頭を持ち上げた。顔に唾を吐きかけてやっとこっちを向いた愚図と視線を交錯させると、私は口角を上げて歪に笑った。


「なんでもするって、言ったよな?」

「……っ」


 ただのクソ女だけど、悪運の強い奴は嫌いじゃない。止まった時計を見ると、後少しのところで秒針は止まっていた。ここで爆破騒ぎがあってしばらく戻って来れなくなることと、新しい玩具を得ることを天秤にかけて立ち上がる。


「来いよ」


 首から爆弾を取り外して立たせると、女は居心地が悪そうに視線を泳がせている。口から溢れている血が、月明かりに照らされて馬鹿みたいに映えていた。

 私は起動の番号を入力すると、思い切り黒い海に向かってそれを放り投げて、海面へと沈むのを見る前に、女を抱えて駆け出した。すぐ近くに停めてあった車に女を放り込んで運転席に座ると、発進と同時に問いかけた。


「お前、名前は?」


 背後で大きな爆発音が鳴る。女が何かを言ったのは聞こえたけど、何を言ったのかまでは聞こえない。


「バカ、聞こえねぇよ」


 満月と馬鹿の血が綺麗だった夜、私は笑いながらハンドルを切った。


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