第108話 それっぽく撤退せよ

 現場までルーザックがやって来たので、ゴブリンたちが大変喜んだ。


「ルーザックサマ! ギィール!」


「ギィール!」


「ゴブリンたち喜んでる! ルーザックサマ来てくれて嬉しいって!」


 ジュギィがニコニコする。

 ルーザックもうむうむ、と頷いた。


「幸いなことに、私は慕われている経営者だ。ならば社員の顔を見に行くことで士気をあげられる。これはすごい武器なのだよ。私のいた会社の社長など、蛇蝎の如く嫌われていて、現場に顔を見せるとあとで陰口大会だったそうだからな」


「ルーちん! ジュギィに変なこと教えないの!」


 ルーザックがアリーシャに突っ込まれた。


 さて、ここは魔導王国跡。

 今現在はダークアイの支配地域になっているが、魔神王の軍勢はここを集中的に攻めていた。


 ダークアイはこの地域を放棄し、魔神王の軍勢に占領させる、と言う作戦をとるべく動いているのだ。

 敵を国土に招き入れ、こちらは国土を放棄する。

 普通に考えれば、軍の士気としても受け入れがたい作戦である。


 だが、ダークアイはルーザックを中心に一つになっている。

 多くの種族を抱える、多様な者たちの集合体であるこの国家は、しかしすべての国の中でもっとも、構成する者たちの心が一つにまとまっていたのだ。


「諸君! ちゃっちゃと行こう! マニュアルは行き渡っているかな!」


「ギィーッ!」


 ルーザックの呼びかけに、その場にいるゴブリンたちが皆、マニュアルを手にして掲げてみせた。

 三人ごとに一冊のマニュアルが配布されている。

 これは粘土板にマニュアルを彫り込んだものを写した、簡易マニュアルだ。


 だが、それでも人数分を作るとなるかなりの手間である。

 ダークアイはそこまでしてでも、末端まで作戦を浸透させるべきだと考えたのである。

 まあ、ここは万事その調子なのだが。


「では! まずいちばん大事なのは!」


「いのちをだいじに!!」


 ゴブリンが大合唱する。


「いかにも!! ダークアイにとって、諸君は宝だ! 諸君は何度も行われた人間たちとの戦いを生き残り、その身に経験を積んでいる! それは他に替えることができない、素晴らしいマニュアルだ! そして新しく来る者たちにそれを教えてあげるのだ! そうすればダークアイはもっと強くなり、大きくなる! そうなれば諸君がしっかりと子孫を増やせる社会になる! 我ら魔族の繁栄のために! いのちをだいじに!!」


「いのちをだいじに!!」


「マニュアル確認よろしいか! 装備の点検はよろしいか! チームの段取りはよろしいか! 各自点検! 確認! ご安全に!」


「ごあんぜんに!!」


 ゴブリンたちが大合唱する。

 彼らの心は一つであった。


 マニュアルに従い、きちんと仕事をこなせば勝てる!

 その成功体験が、彼らに染み付いているからだ。


 マニュアルを信じよ!

 マニュアルを失うな!

 困ったとき、焦ったときはマニュアルに戻って来い!


 モチベーションはバッチリ。

 ゴブリンたちが互いに指差し点検をして、ゴブリン戦車の整備もバッチリ。

 さらに、三人一組でマニュアルを読み合わせ、オペレーションの把握もバッチリ。


 かくして戦いが始まる。


 ゴブリンとは、魔族の常識においては弱兵。

 個々の戦闘力が、全ての魔族で最低レベルでしかないためである。


 だが、勝利のメソッドを理解し、これを忠実に実行するスリーマンセルのゴブリンならどうか?

 ルーザックが組み上げた勝利の方程式が今、証明される。





『うおおおおおっ!?』


 魔将ファイアドレイクは、横合いから襲撃してきたゴブリンに思わず驚きの声を上げていた。

 彼の姿は、巨大な翼を持つ真紅の竜である。

 その肉体は常に赤熱化したマグマに等しい熱を纏っており、近づいたもの全てを溶かし、焼き尽くす。


 だが、焼けぬものもある。


「炸裂弾投擲ー!」


「ギィー!」


 ゴブリン戦車が投げつけてくる、炸裂する弾。

 そこから吹き出す爆風と、妙に熱に強い金属による打撃である。


 マグマの温度よりもさらに高い融点を持つ金属が、そこには含まれていた。

 サイクから、『ファイアドレイクに通用するのは、マグマで溶けぬ石だな。やつはマグマとは言っても、熱さが低いマグマだ』というヒントを貰い、ドワーフたちが開発した特製なのだ。


『このオレに特化した攻撃だと!? 炎に爆風で立ち向かうか!』


「ギィーッ! 撤退ーっ!」


 持てる限りの炸裂弾を投げつけた後、超高速で後退していくゴブリン戦車部隊。

 同じような攻撃を、他の炎の魔族たちも受けていた。


 ファイアドレイクほどの強靭さを持たない魔族であれば、これを受けて立っていられない者もいる。

 炎の軍勢の数が、減じて行く。


『なんということだ! フロストギガスめが魔神王様に泣き言を言ったときには鼻で笑っていたが、こいつらは馬鹿にできぬ! たかがゴブリンがなんという速度だ! そしてオレたちを倒すための武器を持っている! こいつらは、オレたちが知るゴブリンではない! 皆のもの、気を引き締めよ! 敵は強い! あの一糸乱れぬ動き! 攻めから退却に転じる判断の早さ! 全ての敵が熟練の兵ぞ!』


 部下たちに慢心せぬよう告げて、ファイアドレイクは軍を侵攻させる。

 備えてしまえば、どこからゴブリンが襲ってこようが恐ろしくはない。


 高熱の守りを持つモンスターを外部に配置し、炸裂弾のダメージをできる限り軽くする。

 その間に、内部で守られているモンスターが、ゴブリンへ反撃をするのだ。


 これによって、一台のゴブリン戦車が炎上した。


「ギィーッ!!」


 ゴブリンたちの断末魔が聞こえる。


『見たか! いかに策を練ろうと、ゴブリンはゴブリン……』


「敵! 強くなった! 報告! 敵、強くなった!」


 ゴブリンが最後に何かを叫んでいた。

 それが何かは分からない。

 ただ、ファイアドレイクの目には、その声が届く範囲に一台のゴブリン戦車がいたことだけが理解できた。


「ギィ!! 了解!! 作戦かわる!! マニュアル、二ページ目!!」


「いのち……だいじ……に……ごあん……ぜん」


「ご安全に!!」


 ゴブリン戦車はそう叫び返すと、燃え上がる同胞を残して高速で撤退していった。

 どういうことだ?

 ファイアドレイクは首を捻る。


 ゴブリンたちが何か、連絡を取り合ったというのだろうか。

 その疑問は、すぐに解消される。


 彼らを待ち受けていたのは、漆黒の鎧の巨人たちだった。

 ゴーレムアーマーに身を包んだオーガの一団。


 ダークアイ主戦力、鋼鉄兵団である。

 その背部には巨大なバックパックが搭載され、機械兵装を纏ったダークエルフが載っていた。


『出たな、偽王の懐刀め! 奴らは追い詰められている! 行け、我が炎の軍勢よ! 追い詰めよ! 殲滅せよ!!』


 炎の軍勢が勢いを増す。

 対する鋼鉄兵団。

 戦闘にいる、赤と黒の入り混じった一際大きな甲冑が吠えた。


『鋼鉄兵団、精霊武装を展開だ! 行くぞ! わしらの仲間を殺した奴らに、恐怖というものを刻みつけてやれ! 弔い合戦だ!!』


 それは、オーガの族長グローンである。

 彼の叫びが何を意味するのか、一瞬ファイアドレイクは理解できなかった。

 そして、僅かな後に、『まさか、先程焼いてやったゴブリンの事を言っているのか?』と思い至る。


 既に、鋼鉄兵団の進軍が始まっていた。

 ダークエルフの精霊魔法が、漆黒のゴーレムアーマーを覆う。

 黒に青い輝きが宿る。


 それは、氷の精霊魔法の光である。


『虚仮威しを!! ファイアドレイク様! やっちまいましょうぜ! おらあああああ!!』


 炎のモンスター、そのうちのファイアスケルトンと呼ばれる群体が一軍を飛び出していく。

 彼らは骸骨が燃え上がる甲冑を纏ったものであり、やはり燃え上がる骨の馬にまたがる。


『鉄はなあ! 熱すると中身ごと焼いちまうんだよボケェェェッ!!』


 叫びながら仕掛けるファイアスケルトン。

 対するグローンは、青く輝く腕を大きく振り上げた。


『ならば冷やせば良かろう!!』


 両軍、ついに正面から激突。

 ファイアスケルトンの手にした燃える槍に、青く輝く拳が振り落とされた。

 槍の炎が、一瞬で消える。


『へ?』


 ファイアスケルトンに理解の暇は与えられなかった。

 槍はへし折られ、拳はその勢いのまま、燃える馬の首の骨を粉砕した。


 踏み込んだグローンのゴーレムアーマーから、青い輝きが連続で放たれる。

 よく見れば、腕部に砲塔のようなものが設置されているのだ。

 そこから、収束された精霊魔法が発射されている……!


『そ、そんなのあり……ウグワーッ!?』


 炎のモンスターが凍結し、粉々に砕かれる。

 同様の光景が、戦場の横一文字に渡って展開された。


 並んで突き進んだ鋼鉄兵団が壁となる。

 ただ一度の交差で、全てのファイアスケルトンが文字通り粉砕された。


『強敵!!』


 ファイアドレイクは、敵の実力を理解した。

 これは、まさしくダークアイの主戦力!

 絶対に侮ってよい敵ではない。


『全軍、進撃! 全員でかかれ! 敵はダークアイの主戦力ぞ! 全力で叩き潰せ!!』


 炎の軍勢が、速度を上げた。

 敵が強いと理解した瞬間に、最大戦力でこれを粉砕せしめんとする。

 これこそがファイアドレイクの戦い。


 数の上では、炎の軍勢が上。

 兵の質では、鋼鉄兵団。

 両者は一歩も退かず……。


 いや、少しずつ、数の差か後退していく鋼鉄兵団。

 炎の軍勢は勢いづき、どんどん押し込んでいく。


 戦いは長引き、ついに日が暮れ始めた。

 戦線はダークアイと魔導王国跡の国境まで後退している。


『いいぞ! このまま押し込め! 押し込めーっ!!』


 ファイアドレイクが吠えた。

 そしてあわよくば、この鋼鉄の戦士どもをここで葬ってしまおう。

 そうとすら考えた。


 彼は勝ち馬に乗ろうと、冷静さを失っている。

 それ故に、上空にふわりと出現していた、巨大な鋼の鳥に気付かなかった。


 鋼の鳥の腹部が展開する。

 そこから、巨大な目玉がぎょろりと覗いた。


『炎の馬鹿めが熱くなっておるなあ。何も変わっておらぬと見える。だからお前はここで死ぬのだ! 魔眼光!!』


 サイクロプス!

 かつて初代黒瞳王の部下にして、魔将に名を連ねていた最上位魔族の一体である。

 巨人としての強大な肉体と、そして様々な魔眼の力を使いこなす。


 今は多くの力は失われていた。

 だが、残された破滅の魔眼、魔眼光だけで事足りる。


 たった一つの技でも、磨き抜き、そして仲間の力を得て強化すれば良いのだ。

 破滅の輝きが、炎の軍勢に叩き込まれた。


 戦線はもう少し前方に。

 今まさに、国境線に押し込まれていた鋼鉄兵団にとどめを刺すべく、全軍を進撃させていたのだ。 

 盾となるものは無い。


 ファイアドレイクは、突如空が明るく輝いたことに気付いて顔を上げた。

 そして、それと目が合う。


『なっ!? サイクロプ……』


 魔眼光炸裂。


『ウグワーッ!?』


 純粋な魔力の奔流が、収束されて叩き込まれる。

 炎の魔将ファイアドレイクは、正しく状況を理解することもなく、光の中に飲み込まれていった。


 魔将の消滅とともに、炎の軍勢は統率を失いバラバラに。

 これは正に、各個撃破のチャンスである。


 だが……あろうことか、鋼鉄兵団は退却を続行した。

 彼らが姿を消し、戦いは奇妙な形で終了した。


 ここで炎のモンスターたちに冷静さがあれば、気付いていたことだろう。


 攻めていたのは自分たちだ。

 だが、敵が失ったものはゴブリン戦車が一台のみ。


 こちらは、多くの同胞と、炎の魔将ファイアドレイクを失った。

 果たして、勝ったのはどちらだったのだ?


 魔将無き今、炎のモンスターに思考する頭はない。

 彼らは魔神王の軍勢に帰参し、告げるのだ。


 魔将ファイアドレイクが生命を賭けて、偽黒瞳王の軍勢をかの土地から追い払ったと。

 あの土地は、魔神王のものになったと。


 そこが、ダークアイのみならず、七王の土地とも隣接した戦場としてあてがわれたのだとは気付かない。

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