第83話 3人目

 楠林孝明くすばやしたかあきは、会社を辞めて半年が経とうとしていた。

 ブラックであった前職で体と心を壊して辞めた孝明。

 だが、次なる就職先は見つからない。


 体と心を壊してしまったため、無理ができなくなった孝明に、以前のようなブラック労働はできなくなっていたのだ。

 目減りしていく貯金と、期限が迫ってくる失業保険受給期間。


「ううう……もうだめだ……おしまいだ……。俺がどうしてこんな目に……!」


 孝明は呻いた。

 彼はSEであった。

 だが、色々と器用だった彼は、中小企業にて便利屋のような仕事をやっていた。やらされていた。


 古い体質であった会社に、PC業務や現代的な情報化ビジネス詳しいものは少なく、自然と彼のこなす仕事の比重は増していた。

 だが、周囲はできるものができる仕事をしているのだと、孝明を評価しなかったのである。

 それどころか、彼が体を壊して休めば、それをなじった。


 故に辞めた。

 そして職場のサーバーに幾重もの罠を仕掛けてきた。


 定期的に特定のコマンドを打ち込まねば、起動しなくなる罠である。

 お陰で、元いた会社は三ヶ月ほどして業務を続けられなくなり、縮小、倒産した。


 この事実に、孝明は暗い喜びを感じたものである。

 ザマァ見ろ。

 悪は滅びるのだ。


 そして今。


「俺が……俺が滅びようとしている。俺は悪なのか……!」


 頭を抱えて、PCの前で呻く孝明。

 目の前には、彼が自作したデスクトップPCがあった。

 特製の水冷式機構がキラキラとブルーの輝きを放ち、その中を水が巡回している。


 本来は、ゲーミングPCとして十全な性能を発揮するように組み上げたものだった。

 だが、そんなものを遊ぶ時間など就業中はなく、遊ぶ気力が今はない。


「もうだめだあ……おしまいだあ……」


 孝明は天を仰いだ。


「もう、もう、どんなところでもいい。ブラックだって文句は言わない……いや、文句は言う。せめて、あんまりブラックでないならどこでもいいから、俺を雇ってくれえ……」


 ワンルームマンションの中、誰にも届かぬ祈りが響く。

 だが。

 その祈りは届いていた。


『なるほど。君は就職希望というわけだ』


「はっ!?」


 孝明が我に返ると、彼がいたのは、馴染みのPCの前ではなかった。

 そこは白い空間。

 ソファの上に腰掛けた己を認識し、孝明は狼狽した。


「な、なんだここは……。どこなんだ……!?」


『面接室だ』


 孝明はハッとした。

 いつの間にか、目の前に三人の男女がいたからだ。

 一人は、なぜか顔のあたりに闇がまとわりつき、姿が判然としない人物。


「へえー。この人が候補なん?」


 もう一人は、明らかに女子高生としか思えない少女。

 黒髪をポニーテールにしており、セーラー服を身につけている。


 最後の一人は、中心に座っていた。

 黒いスーツを纏った、目力の強い男だ。


「いかにも。私の生前の取引先でやり取りをしてね。タフなネゴシエーションに舌を巻いたものだ。だが、彼も就業環境には恵まれなかったようだ」


「だ、だ、誰だあんたたちは」


 孝明は狼狽する。

 意味が分からない。

 どうして自分がこんなところに、こんな面接室になんか……。


 ここで孝明、ハッとする。


「面接室……!? ま、まさか……。ごほん! おほん! 私を面接するわけですね」


「楠林くん、だったね。肩肘を張らなくていい。自然体でどうぞ」


「肩肘張ってたらルーちんとキャラがかぶるもんねえ」


「うるさいぞアリーシャ」


「ええー! ひどぅいー! 最初はあたしのこと先輩先輩って呼んでくれてたじゃーん」


「私が現在のダークアイを統べる代表取締役なのだから、それが誰かを上に置くような発言をすることは混乱を招くだろう。そもそも魔族は現代日本よりももっとプリミティブな人々だぞ」


「分かってるって。言ってみただけー」


 けらけらと女子高生が笑った。

 混乱する孝明。

 なんだ、なんなのだここは。


 それに先程から見ている、この男と女子高生。

 彼らはよくよく見るとおかしいところがある。


 髪の色は闇を溶かし込んだような黒で、一切の光沢がない。

 そして瞳は、見つめていると飲み込まれそうな深淵。


 真の黒だ。


「端的に述べよう。私はダークアイの代表取締役社長、ルーザック。楠林孝明くん。君をヘッドハンティングしに来た」


「ほ、本当ですか!!」


 ヘッドハンティングの言葉に、前のめりになる孝明。


「SEでありながら、渉外担当もこなし、その上で向こうに会社の利となる条件を飲ませる手腕。交渉相手の情報を集め、管理し、次なる交渉に活かす……。君の真価はその情報操作能力にある」


「おお……!!」


 孝明は目を輝かせた。

 そこに注目してくれる人がいたとは!!


 以前の会社では、誰も気付いてくれなかったのだ。 

 だが、それこそが孝明が社会に揉まれる中で身につけた武器であった。


「俺がいた会社は、他人へのリスペクトがなかった。おかげで、何もかも押し付けられた俺は壊れちまって今の有様だ……。あんたは……俺の仕事を分かってくれるんだな……?」


「いかにも。ちなみに私の生前の名前は柘植隆作と言って」


「柘植……あ!? 失踪したって噂の丸閥商事の柘植さん!?」


「そう。お久しぶりです。柘植です」


「あ、言われてみれば雰囲気とか柘植さんですね……。どうも、ご無沙汰してます」


「ご無沙汰しております。私が柘植隆作だと分かったなら、信用してもらえるかな?」


「柘植さんなら仕方ないな」


 孝明は笑った。


「俺の交渉が一切通じなかった人だからなあ。データ主義の柘植。鉄壁の柘植。お陰で御社は凄い損害が行ったと思うけど」


「ああ。お陰で人事部に飛ばされた」


「人事部を左遷部署にするのもどうかと思うな、俺は」


「それで、君は来るのか、来ないのか」


「行く」


 孝明は即答した。


『良かろう』


 ここでようやく、闇に包まれた人物が言葉を放った。


『では彼を採用しよう。残念ながら私には、新たな黒瞳王を生み出す程の力は戻ってきていない。故に、彼は異なる種族として転生させる』


「転生……」


 孝明は目を丸くした。


「異世界に転生するってやつか。で、想像するに……俺たちの側は悪の側か」


「悪ではない。魔族には魔族の生きる理由と正義がある」


「ああ、そうだった。正義なんかどっちにもあるもんな。そうだな、魔族は選べるのか?」


『うむ。順応力が高いようで助かるよ』


「いえいえ。俺はそういうゲームで耐性できてますから。ええと、それじゃあ、悪魔そのものってできますか?」


『できるとも。つまり君は魔神の純粋な眷属である、悪魔となる。名は……悪魔コーメイ』


 ここで、闇に包まれた人物の言葉を受けて、ルーザックが口を開いた。


「悪魔コーメイ。我がダークアイは、君を歓迎しよう。役割は常務取締役。仕事は渉外担当。受けてくれるかね?」


「拝任いたします、社長」


 立ち上がり、手を差し出すルーザック。

 それを握り返した孝明の姿が変化していた。


 背に一対のコウモリの翼を持ち、額から一対の捻じくれた角を生やした紫色の肌位の男に。

 その顔には、冗談のように現代風のメガネが掛かっていた。


「ところで社長」


「なんだね」


「あちらの世界に、ゲームは無いですよね」


「ああ、それならば……魔神殿」


『うむ。一つ能力を授けよう。そのゲームというものをディオコスモでもできる能力だ』


「ありがとうございます!」


 コーメイの顔がパッと輝いた。


「やーねえ、男って」


 アリーシャが呆れて笑う。

 一人はプラモデルを召喚する力。

 一人は異世界でもPCゲームができる力。


 よりにもよって、役に立たなそうな能力を選ぶ男たちなのだ。


 かくして、ダークアイに新たな、そして強力な幹部が加わることになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る