第61話 剣王回避網
包囲網ではない。
回避網だ。
占領した鋼鉄王国領土から、新たなドワーフを受け入れたダークアイ。
ドワーフ達が持っていた技術は、ガラスの作成と研磨だった。
「よし、望遠鏡を作ろう」
ルーザックは即座に判断した。
この世界、ディオコスモにも、望遠鏡は存在している。
だが、それはあくまで高価なもので、その数は少ない。
そもそも高性能レンズに関しては、ゴーレムランドの寡占状態であり、諸外国が有する望遠鏡の性能は、それほど高くはなかった。
「望遠鏡、いいねー。サイクの目に頼るだけだとだめじゃん? あたしらや、偵察に行くゴブリンがそういうの持てるようにならないと」
アリーシャの賛成もあり、望遠鏡作成計画は始まった。
と言っても、既にあるレンズを組み合わせ、筒を作って望遠鏡に加工するだけなのだが。
遠くが見えるこの筒に、いまいちピンと来ていない風な魔族達。
「風の精霊魔法で、そのレンズなるものと同じような効果を現すことができますが。ルーザック殿、我らダークエルフにメイジてくだされば、このようなことなど容易いと言うのに」
「うむ。我らオーガも目はいいぞ!」
「ジュギィも遠く見えるよ!」
彼らの言葉を聞き、ズムユーグはわざとらしくため息を吐いた。
そして肩を竦めて大仰に、駄目だこりゃ、というジェスチャーをする。
これに切れたのがピスティル。
「あ!? ドワーフ!! その態度はなんだ! 私達上位魔族は、そのような道具など無くても問題ないと言っているのだ! それが、その、ななななな、なんと馬鹿にした態度を!」
「そりゃあ当たり前だろうピスティル。確かに、お前さんがた上位魔族はすげえさ。俺らが機械を作って、それでようやく出来ることを自力でやっちまう。だがな」
ニヤッと笑うズムユーグ。
その後に、ルーザックが口を開いた。
「ゴブリン達は出来ないからな。それに、上位魔族の能力を望遠鏡で代用できる事に使っていては、いざという時の戦力が足りなくなる」
「うわーっ!! 全部言っちまいやがった! 空気読めよルーザックの旦那ぁー!」
皆まで言われてしまったズムユーグが、悔しそうに地団駄を踏んだ。
「そりゃあまあ、空気読めないし読まないのがルーちんだからねえ」
「空気が読めないとはひどい」
ルーザックは悲しそうな顔をする。
自覚は無いらしい。
さて、ここからがプレゼンだ。
ドワーフ達がルーザックと共に準備した資料が、この場に集まった幹部に手渡された。
「これは……」
「望遠鏡導入に関して、それがどのような効果を表すかを具体的に説明する。2ページめを開いて欲しい」
ぱらぱらとページがめくられる音がする。
「先ほども説明したように、この望遠鏡はゴブリン達に持ってもらう。これにより、剣王や魔導王など、ある程度の距離へ接近することが即ち死に直結する対象を、安全に監視する事が可能になる。我が軍の人員は、決して多くはない。だからこそ、人的損失を最小限にするため、この望遠鏡は導入されるわけだ」
「ふむ、なるほど……」
ディオースが顎を撫でた。
ルーザックが従えるゴブリンは、まだその数を増やすことが出来ていない。
盗賊王の国、ホークアイに分布していた彼らは、人間達によって定期的に狩られていた。
生息域も狭まり、絶滅も時間の問題と思われていたのだ。
盗賊王の脅威から解放されたからと言って、すぐにその頭数が増えるものでもない。
「この望遠鏡だが、まずは剣王アレクスの監視に使用する。そして徐々に増産していき、ゴブリン戦車の標準装備とする予定だ。次のページを」
ページがめくられる音。
「望遠鏡に関しては、上位魔族に対しても配布する。自らの肉体能力を信じることは大事だが、常にそれが十全の力を発揮できるとは限らない。万一に備え、身体機能を代替できる器具を各種族に適量配備とする」
「うむ……黒瞳王殿がそう言うならば仕方ないか」
オーガのグローンが渋面を作った。
だが、納得はしている様子だ。
「以上だ、質問は」
「はい! ドワーフの野郎が気に入らない」
「ピスティルの質問は却下する。では会議は終了とする。ズムユーグ、すぐに生産に取りかかってくれ」
「へっ、もう作り始めてるぜ。三つのラインが動いてる。一日に九つは作れるぜ」
「よし。では三隊の偵察部隊を組織し、魔法王国への偵察に向かわせる。まずは剣王の挙動を把握するぞ」
もがー! と暴れるピスティルを、アリーシャが羽交い締めにして止めているのをよそに、計画は着々と進行していく。
ある日を境に、魔法王国軍がダークアイの軍勢と会敵することが、少なくなった。
魔導王ツァオドゥの遠見の魔法で、確かにそこに敵軍がいることは分かるのだが、剣王を加えて出陣した彼らは、何日進んでも黒瞳王の軍勢とは遭遇しないのだ。
的確に避けられているかのようであった。
だが一方、剣王がいない魔法王国の小規模な軍勢は、ダークアイと戦うことがあった。
これはあくまで、両軍の小競り合い程度。
どちらにも大きな被害などは出ていなかった。
「おかしい……」
不機嫌そうに、剣王アレクスは呟いた。
この日、魔法王国軍は、まさに無人の野を行くかのごとく進軍し、先日ダークアイに占領された町を取り戻したのである。
町にはただ一匹のゴブリンすらもおらず、あらゆる資材は持ち去られ、荒れ果てた廃墟の様相を呈していた。
井戸は丁寧に埋め立てられ、均されて更地になっていた。
畑も全て丁寧に均され、硬い更地になっている。
これが、毒や土壌汚染をされていたのならば、魔法によって浄化することが出来る。
浄化すればすぐに使えるのだから、話は早い。
だが、それがカッチカチに均された地面になっていたとすると……。
これを元の井戸に戻したり、畑にしたりするには、人手が必要となる。
魔法は、井戸や畑を作ると言った、細かい作業には向いていないのだ。
「なんて性格が悪いんだ! これでは、町を使えるようにするのに数年かかるぞ!?」
王国軍の隊長が嘆く。
さらに、町にあった金属という金属は回収されてしまっていた。
木と土。
それだけが、解放された町に残されたものである。
「これはひどいですね……。あの魔王、ホークアイを支配した後、性格の悪さに磨きがかかったみたいです」
アレクスに付き従う剣士、ジンは町の有様に眉をひそめる。
「いや、それはどうでもいい。まあ、これだけ徹底的に物を持ち去って、戻ってきた俺たちには何一つ利用できなくなってるってのは徹底してて気持ちよさすら感じるが」
アレクスは呆れながら、井戸の後であるカチカチの地面を蹴る。
もはや、どこが井戸だったのかも分からない。
このつま先に当たる硬さは、アレクスが転移してくる前に知っていた、ブリテンの道路と変わらない。
「っつうか、おかしいだろう。この間、魔法王国に嫌がらせをしに来たサイクロプスを蹴散らしたら、そこからパタリと会敵がなくなりやがった。避けるにしても、偶然の接敵すら無いとか、出来すぎているだろう」
「あ、はい。確かにそれは。だけど俺は思うんです。あの魔王だったらやりかねないって」
「どういうことだ?」
「あいつがホークアイに現れた時、最初は人間の振りをして、砦に入り込んだんだそうです。そこで何食わぬ顔をして、何ヶ月も働いていたんだとか。そこで親父から剣の技を教わって、砦の人間の信頼を得て、そして砦の構造や人間の世界の情報を得ていたんでしょう。そして、奴は裏切った」
「何ヶ月も……? 冗談だろ」
アレクスは半笑いになった。
それが事実だとするなら、なんだ、そいつは。
魔族全てを統べる王たる者が、人間の下についてコツコツと自ら情報収集を行っていたというのか。
最強の戦士たる剣王は、その力でならば黒瞳王に負ける気はない。
だが、今回の黒瞳王はどうも、何かが違う。
そう、一言で言うならば、さきほど軍の隊長が口にしたとおりだ。
「そいつ、本当に性格が悪いんだな。やばいぞ。本当に性格が悪いやつは、一番質が悪い。ジンの言うことが確かなら、そいつは恐らく、俺とは一度も戦うつもりがない」
アレクスの背筋を、初めて冷たいものが走るのだった。
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