第60話 黒瞳王の思い切り

 未だ名付けられぬ、接収されたグリフォンスの町にて。

 ルーザックが取り巻きを引き連れ、ずかずかと道の真ん中を歩いていく。

 向かうのは町の入口だ。

 そこには、巨大な目玉が転がっていた。

 周囲にゴブリンたちが群がり、軟膏を塗ったり包帯を巻いたりしている。


「サイク、手ひどくやられたな」


『おう、ルーザック……。計算外であった。お前の部下共を生かして返す余裕すら無かった。すまん』


「謝るな」


 あの単眼巨人、サイクロプスが謝罪するのか、と、ダークエルフとオーガたちが驚愕する。

 だが、いつものようにルーザックは動じた様子もない。

 彼にとって、世界とは常に想定外なことが起きるものなのだ。

 故に、想定外に備えて様々な準備やマニュアルを用意する。

 その上で、想定外が起きた時は腹を据えて対処する。

 ということで、別段サイクロプスが謝ったとしても、ルーザックが驚くことはない。


「事情は話せるか?」


『うむ……。恐るべき相手がやって来たぞ。我輩の予想では、もっと後になって遭遇するはずであったが』


「ほう。君をこうまで痛めつけるほどの相手かね」


『その通りだ。むしろ、これでも我輩は無事に逃げ切った方だ。目玉の姿だけでは、あれに対抗できん。最強の戦士、剣王アレクスにはな』


 サイクが放った言葉は、この場にいる全ての(上位と目される)魔族を震撼させた。

 ダークエルフ一族が愕然とし、オーガたちはその顔に恐怖の色を浮かべる。


「ふむ、剣王アレクスか。剣王流と何か関係あるのかな?」


 ルーザックはきょとんとして、首を傾げた。

 これに返答をするのがディオースである。


「ルーザック殿。剣王流とは、剣王アレクスが起こした流派です。非力な人間に、我ら魔族と戦う力を与えるため、剣を用いる技を伝えたのです。その結果、剣王流の優れたる剣士は、我ら上位の魔族とすら渡り合うようになりました。もっとも……平和な時代が長く、一対一の戦いに向いた剣王流は廃れ始めていると聞きましたが」


「なるほど。私も、師匠からこの技を習い覚えたのだが、確かにあの砦で剣王流を使うものは他にいなかったな。ゴブリン諸君、あれを用意してくれ」


 ルーザックは、周囲のゴブリンに向かってジェスチャーをした。

 台車を押して走らせるジェスチャーだ。

 とても上手い。

 これを見て、ゴブリン達は「ギッ!」と了解した。

 しばらくすると、町のあちこちに用意してある台車が走ってきた。

 ゴブリンが六人がかりで押している。

 そこに、ゴブリンとオーガがみんなで力を合わせ、サイクを転がして載せた。


「ゴブリン戦車を」


「ギッ!」


 次に、町の外に停めてあるゴブリン戦車が二台やってくる。

 これが台車にチェーンを取り付け、牽引するのだ。

 とりあえず、サイクを町の教会兼、黒瞳王の城出張所に運んできた。


「ゴブリン諸君、我らが幹部を集めてくれ。大至急だ」


「ギィッ!」


 ルーザックはゴブリン戦車が走っていく姿を見送りながら、最後の指示を出した。





 教会は、ダークアイの軍勢に占領された時よりも、明らかにサイズが大きくなっていた。

 後付でドワーフ研究所が設置されたのだ。

 むしろ研究所の方が大きい。

 そこに、サイクは運び込まれた。

 後からルーザックもやって来て、彼自ら教会内の椅子の位置を変える。

 会議を行うための準備をしているのだ。


「ルーザック殿、手伝いましょう」


「うむ。サイクが入っても邪魔にならないように、このように椅子を円形にだな。テーブルを置くスペースが無いから、会議中のお茶は遠慮して欲しい」


「かしこまりました」


 ルーザックとディオースが、二人でせっせと会議室をセッティングする。

 ほどなくして、アリーシャとジュギィ、ピスティル、グローン、ズムユードがやって来た。

 誰もが、ひどくやられたサイクを見て、驚きの声を漏らす。

 そして、剣王アレクスの出現を聞き、グローンとピスティルがその顔に恐怖を浮かべた。


「黒瞳王殿。あれとやり合うのかね」


 顔色を青ざめさせたグローンが尋ねる。


「敵である以上は、やるしかないのでは?」


 ごくごく当たり前っぽく、ルーザックが答える。

 だが、グローンは頭を横に振った。


「止めておいたほうがいい。あれは単身で魔族の一軍に匹敵する……いや、それ以上の化物だ。万全の状態のサイクロプス殿がいなければ、歯が立つまい」


「そんな強いのか」


「へえー、七王も大概おかしいくらい強いけど、剣王アレクスは特別なんだね」


 アリーシャが興味深そうに呟く。

 彼女が直接やりあったのは、盗賊王ショーマスだけ。

 そのショーマスにしても、決して弱くは無かった。アリーシャは彼に敗れて瞬間移動の力を奪われていたし、ルーザックは無数の布石を打った後、一騎打ちの状況までショーマスを追い込み、さらに彼の心の間隙を突いて倒したのだ。


「ショーマスは、盗賊。戦闘が主な役割ではない。魔導王ツァオドゥもまた、正面切って戦う役割ではない。魔法使いだからだ」


 ディオースが、分かりやすく説明を始めた。

 この場でピンと来ていないのは、ルーザックとアリーシャ、ジュギィにズムユード。

 黒瞳王二人は、元々この世界の人間ではないからだし、ゴブリンであるジュギィは、そもそも七王の凄さを思い知るような次元ではなかった存在だ。

 そしてズムユードは、本来ならば七王側に与する種族。


「ツァオドゥは距離を取ってしまえば、恐ろしい。どれほどの大群でも、彼女には勝てないかもしれない。だが、先日ルーザック殿が見せたように、至近距離での戦いに持ち込んでしまえば勝てる。魔法を発動するためには僅かでも詠唱や集中が必要だ。そこに隙があり、ある程度以上の強さを持つ戦士ならばツァオドゥを討ち取れる可能性がある。だが」


 ここで言葉を切り、幹部達を見回すディオース。


「剣王アレクスは初代黒瞳王と戦った勇者パーティの頃から、最前衛を勤めていた男だ。勇者の剣が剣王アレクス。勇者の盾は騎士王スタニック。恐らく、肉弾戦で戦えば、ディオコスモでこの二人に勝る者はいないだろう。全ての魔族を含めても、だ」


「ほう、大したものだ。理解したぞ」


「おっ、ルーちんがサックリ理解した。あたしはさっぱりだよ」


「アリーシャさん、あんまり戦うの興味ないもんね」


「そうそう」


 いつの間にか、さん呼びになるほど親しくなったアリーシャとジュギィである。

 こうして並んでいると姉妹のようだ。


「ちょっとルーザック。こんなの無理に決まってる。アレクスが伝説通りの存在なら、きっと今回帰ってこなかったゴブリン達の数倍、数十倍という犠牲がでる……!」


 ピスティルは珍しく弱気だ。


「意外なのは、君達魔族が言い伝えや過去の話である剣王アレクスを、相当恐れているということだが」


「それはそうです。我ら魔族は、魔法的な生き物。魔法とは魔力や魔素の動きであり、魔力や魔素は、意志や精神、そして時間や遺志が降り積もって形作られるもの。剣王はその剣で、誰よりも多く我ら魔族の血を流した。その歴史が、魔素の中に染み付いているのです。言わば、あれは魔族の天敵……!」


 ディオースの言葉に、ルーザックは完全に理解したようだ。


「なるほど、つまり剣王と戦うには、諸君らのモチベーションが上がらないということだな。では、こうしよう」


 ルーザックがパンと手を打ち立ち上がる。


「剣王は無視しよう」


「は?」


「は?」


「は?」


 一瞬、誰もが茫然となった。

 ジュギィだけは、目をキラキラさせてルーザックの次の言葉を待ち望んでいる。


「戦えば犠牲が出るのなら、戦わなければいい。それに、幸い彼は個人だ。ならば、我々は彼という個人を迂回して作戦行動に出る。常に彼を無視し、戦わず、避けて通るぞ。最強の剣も、振るう場所がなければ何ら恐ろしくはあるまい。名付けて、敬して遠ざける作戦だ。後でマニュアルを送る」


「さすがルーザックサマ! ギール!」


 ぴょーんと椅子から跳ねて、ジュギィだけが大喜びする。

 ズムユードは苦笑しながら立ち上がった。


「ま、ルーザックの旦那ならそういう性格の悪いことやるよなあ」


「ルーちんだもんねえ」


「ぬうう、理解できない。剣王を相手にする事がリスクだから、剣王を相手にしないというの!?」


「ピスティル、これがルーザック殿なのだ」


「恐るべし、黒瞳王殿……」


『むふ、ふはは、ぐははははは!! やるな! 流石はルーザックだ! 我輩も生きて帰った甲斐が会ったというもの! いや、溜飲が下がったわい!!』


 かくして、サイクの大笑いと共に会議は幕を下ろすのである。

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