第52話 激突、魔導王vs黒瞳王3
「ふん」
魔導王ツァオドゥの周囲に、風が舞った。
予兆もなく発生した風だ。
周囲の木々はこの風に巻き上げられ、枝をちぎられ、幹を揺さぶられる。
風の中央にいる魔導王は、長く編み込んだ髪をピクリとも揺らさない。
「堂々と私の前に現れるとは、お前、ただの馬鹿カ? お前が死ねば、魔族はまた総崩れネ」
『君に勝てる人材が、我が軍にはまだいなくてな。責任者として私がやってきた』
「ふぅん。ダークアイは人材不足ネ」
『人間はいないな。魔族の国ゆえ』
優雅に会話をしているようだが、今正に生まれつつある、魔導王の風の結界は何人の侵入も許さない。
周囲の地形を変えるほどに風は強まり、それは既に竜巻の領域だった。
しかし、ただ一人。
ルーザックは揺らがない。
黒い魔剣を地面に突き立て、悠然と立っている。
「は。それで、どう攻めるネ? 私はディオコスモ最高の魔導師。さらに五百年の研鑽を得て、完成度を増した我が魔法。三下の魔王が崩れるものではないネ」
『うむ。君のその魔法は、スーパーセルが生み出す竜巻によく似ている。現代の地球でも、これを覆す事は叶わなかったはずだ。よって、私はそれに抗する手段を持たない』
「自分から負けを認めるネ? じゃあ、粉々になりなさイ。“
竜巻が、変化を起こす。
その半ばから、無数の小さな竜巻を生み出しながら、ルーザック目掛けて迫っていく。
これを見て、漆黒の鎧に身を包んだ黒瞳王は、ゴーレムアーマーのホバーを吹かす。
押されれば押されただけ、下がる。
「逃げるだけネ? ははは! 魔導王から逃げられると思ったネ? ムダムダ!」
小型の竜巻が組み合わさり、捻じくれてルーザック目掛けて傾いていく。
風が周囲の土を巻き上げ、ルーザックに迫る。
『このサイズならば可能か』
ルーザックの動きが止まった。
いや、ホバーは吹かしたまま、その機動を逆方向に変化させたのだ。
自ら、小型の竜巻に突撃するルーザック。
『剣王流の動きを、ゴーレムアーマーによって最大加速する』
それは、何の変哲もない、突進からの上段切り下ろし。
だが、そこに込められた速度と力が、通常のそれとは段違いである。
振り被り、ホバーを用いた高速踏み込みと同時に振り下ろす。
切っ先が一瞬、動きを鈍らせたように見えた。
空気の壁だ。
それを、ルーザックは自らの膂力と、それを強化するゴーレムアーマー頼みで無理やり振り切る。
剣が空気の壁を切り裂いた。
切っ先が音を超える。
ただの斬撃が、必殺の一撃となった。
「なっ!?」
魔導王が驚きの声をあげたときには、事はもう終わっている。
音を超えた剣が竜巻を切断し、一瞬遅れて、そこに
小型の竜巻が幾つも、
『ゴーレムアーマー、まだ行けるか。では、次撃を行う』
あまりの衝撃に、自らのホバーも停止したルーザック。
無理矢理に魔力を込め、脚部ホバーを再稼働させた。
さらに、ゴーレムアーマーへと魔力を流し込む。
漆黒の鎧が負荷に耐えきれず、あちこちから火花を散らす。
しかし、ルーザックは省みない。
「お、お前は正気カ!? 鎧が壊れたら、お前は私と戦えないだろう!」
『次が無ければいいだけの話だ。ふんっ!!』
地面にめり込んだ魔剣が、無理やり持ち上げられる。
剣を軸に回転したルーザックは、今度は横薙ぎの一撃を繰り出してくる。
剣の型で言う、胴への打ち込みである。
何千回、何万回と繰り返した、型通りの動き。
それを、ルーザックとゴーレムアーマーの全機能を使って最高速度まで加速する。
再び、切っ先が音の壁を割った。
「狂ってル!! 多重詠唱! 詠唱省略!“
一瞬にして、三重に張り巡らされる、高位の防御魔法。
守るだけでなく、中途半端な攻め手であれば、それを反射によって討ち滅ぼす。そういう仕掛けがほどこされた魔法だ。
だが、打ち込まれた斬撃に、一切の妥協は無い。
迷い無き一撃が、分厚い土の壁を切断する。巻き起こる衝撃波が、風の守りを粉砕する。
さらに、ルーザックは一回転。
いくらか速度は落ちたが、黒い魔剣は真っ向から、次元を歪めて作り出された障壁に飛び込んだ。
次元の歪みが、剣を歪め、破壊しようとする。
しかし、剣は揺らがない。
それがどうしたと言わんばかりに、次元の歪みを切り裂き、抜けた。
「何故!! 壊れなイ!?」
眼前まで魔剣が迫り、魔導王は恐怖した。
彼女の喉から、数百年ぶりの悲鳴が漏れる。
──なんだ、この相手は。
──どうしてこうも噛み合わない。
──これは、この男は、魔法に付き合うつもりがないのだ。
ついに剣は、ツァオドゥを捉えた。
盗賊王を殺した刃が、ついに魔導王までも下す……と見えた瞬間である。
彼女の姿が、ふっと消え失せた。
それと同時に、周囲の環境を激変させながら発生していた竜巻が、嘘のように消え去る。
『逃げられたか』
ルーザックは呟いた。
彼が纏うゴーレムアーマーは、全身から煙を吹いている。
ルーザックの要求する挙動に耐えられなかったのだ。
彼は剣を地面に突き刺すと、ふう、と溜息を吐いた。
『アーマーがオーバーヒートして……暑い』
実に呑気な感想だった。
『ダークアイ、グリフォンス会戦に勝利す!』の一報は、ディオコスモ世界を駆け巡った。
盗賊王ショーマスが倒された程度では、少しも変わらなかった世界である。
世界の支配者たちは、そう
だが、相手がグリフォンス……魔導王ツァオドゥとなれば話は違う。
少なくとも、魔法という力において、ディオコスモ最高峰である彼女と戦い、真っ向から下す。
それは、ダークエルフたちが最初に彼女と見えた時以来の事件だった。
狂王ラギールは、停滞した世界に吹き込む新たな戦乱の気配に狂喜した。
狂気王国ババーヤガーは、かの王の意思を受け、戦の牙を研ぎ始める。
騎士王スタニックは、平和な時の終わりを感じ、憂鬱そうに空を眺める。
狂気王国と国境を接するかの国は、遥か遠くに現れたダークアイなる魔族の国よりも、戦の気配に狂喜し、再び戦乱を巻き起こそうとする隣国に注意を割かねばならない。
騎士王国ガルグイユは、かつての同胞が再び暴れ出さぬよう、それを押し止めるために動き出す。
法王クラウディアは、偉大なる神へと祈りを捧げていた。
魔神と対になる、光を司る神。
彼の言葉を、信託を待つ。
神王国フォルトゥナは、神の声が届くその時まで動かない。
そして、剣王国。
永き時を経た、この小さな国には王はいない。
永久の空座となった玉座には、初代国王アレクスの名を冠した剣が一振り、立てかけられている。
この田舎の国に、黒瞳王なる存在の話は伝わってはこない。
いつもと変わらぬ、数百年続く平穏。
剣王国レオノポリスは、日常の中にいる。
遠い、遠い空の下。
剣を背負った一人の男が、酒場で噂を聞き、頬を緩めた。
「そいつは本当かい」
質のあまりよくないエールを飲み干した後の事だ。
『魔族の国ダークアイ、グリフォンス軍を破る!』
『ダークエルフ一族解放! ダークアイと合流!』
そんな話を、曲に仕立てて歌った吟遊詩人がいる。
街から町へ、国から国へと渡る吟遊詩人は、庶民が世界の有り様を知るための最も身近な窓口だ。
詩人は、尋ねてきた男に向かって肩をすくめた。
「少なくとも、我が奏でる曲には真実しかないと断言できるね。世に溢れる美しき出来事、悲しき出来事、むごたらしき出来事を、
「ほうほう。魔族がなあ。まだ滅んじゃいなかったんだなあ」
剣を背負った男は、嬉しそうに顎を撫でる。
年のよく分からない男だ。
年かさのようにも、若いようにも見える。
「こうしちゃおれん。俺は一つ、ダークアイとやらを見物に行ってやるとしようか」
男の言い草に、詩人は思わず素に戻って告げた。
「おいおい、お前さん。今から行ったところで戦争は終わっているよ。グリフォンスは恥を偲んで、ゴーレムランドと組んだんだ。いかな魔族と言えど、もうおしまいだよ。七王のうち二人を相手にして勝てる奴がいるわけがない」
「どうかな」
剣を背負った男は、にやにやと笑う。
そして、思い出したように腰の袋から硬貨を取り出し、詩人に放った。
「おっと、毎度あり。で、物好きなお前さんは行くのかい? ま、もしまた戦争が起こるようなら教えてくれよ。戦がたりは、いい飯のタネになるんだ」
「ああ。俺の勘じゃ、戦争はすぐに起こるぞ。どうも今回の黒瞳王は、今までの連中とは何もかも違っているような気がするんだ」
詩人に背を向け、男は歩き出す。
外に出れば、そこは狂気王国ババーヤガーの田舎町。
山を一つ超えれば、ゴーレムランドに辿り着ける。
「歩きなのかい」
「長いこと、この足だけで世界を巡ってるもんでな」
「そうかい。気をつけてな。……と、そうだ。こいつはサービスだが、あんたが話のネタを持ち帰ってくれたら、曲の主役で一つ書いてやるよ」
「本当かい?」
振り向いた男は、笑顔を見せた。
「じゃあ、名乗っておかなくちゃな。俺はアレクス。ま、よくある名前だ」
それだけ言うと、男は去っていった。
詩人はまた肩をすくめると、酒場に入ってきた新たな客に、一曲聞かせる仕事に戻る。
誰も、その男の事など気にしてはいなかった。
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