幕間

第33話 七代目の帰還

 そこは、一見して現代的な意匠に彩られた一室に見える。

 それなりの広さを持つ空間には、ソファが向かい合わせに置かれており、間には大理石で作られたテーブルがある。


 暗闇を身に纏った男が座しており、テーブルに置かれたカップを手に取った。


「うむ。ゴブリン達が育てたという茶かね。彼らに、このような繊細な味わいの茶を生み出せるとは、驚いたものだ」


「そだねえ。実際、これって人間達を追い出して、あたしらが手に入れた畑から採ったものなんだけど。なんで、厳密には育ててないっつーか……うっ、渋っ」


「砂糖はいるかね? これはまだ、彼らには手に入れられていないものだが」


「いただきまーす。おっ、角砂糖! なっつかしい……! 五個入れんね」


 男の向かいには、騒がしい娘が腰掛けている。

 紺色の上下を身に纏っており、袖は長く、下は膝丈のスカートになっていた。

 血のように赤いスカーフが印象的な……それはセーラー服だった。


「んー、これこれ。ほどよい甘みだわー。んでんで、魔神さん」


「なんだね?」


「今回のことは、正直あたしも驚いたっつーか、意外すぎたっつーか……。まあ結果オーライだったんだけど、ルーちんを選んで勝てるとか思ってたの?」


「思っていたさ」


 魔神は笑いながら、茶をまた一口飲んだ。


「そりゃまたどーしてさ。あたし、魔神さんの魔力が尽きかけてるのは知ってたからさ、最後の妥協であの人を選んだかと思ったのよ。だって、あの人、運動神経だって良くないし、頭だってすごく良いわけじゃないっしょ? どっちかってーと頭固いし、色々背負い込むし。あたしは働いたことないけど、会社とかでも仕事ができる人っぽくないなーって」


「ふむ、なかなか手厳しいな」


 魔神は肩を竦める。

 そして、対面した少女に茶菓子が必要か問う。

 少女は無論、と頷いた。

 現れる、カステラ。


「カステラって……渋いチョイスすんねえ……。あっ、でも、うんまぁ……。ディオコスモってここまで柔らかくて甘いお菓子無いからさあ……。あーっ、ざらめがジャリジャリして、うまぁ」


「話をしていいかね?」


「どーひょどーひょ」


「うむ。例えば君は、戦いのない平時における人間の有能さと、生死を問われる緊急時の人間の有能さは等しいと思うかね?」


「ん? 同じ人間なんだから、同じなんじゃないの?」


「うむ。平時に有能で、緊急時にも有能な人間はいるだろう。例えば盗賊王ショーマス。彼は君と同じ日本から転移してきた存在だが、あちらでは優れた営業成績を持つホストとか言う存在だったらしい。人心を掌握することに長けていたわけだな。彼は己の店を持つに至り、その後、顧客とのいざこざが原因で命を落とした。それを光神が拾い上げ、ディオコスモに招いた。彼は七勇者として戦い、戦乱を収め、やがて七王となってそれなりの善政を敷いた。実に有能だ」


「あー……。サイテーな奴だけど、有能ってのは認めるわ……。あいつ頭は悪くなかったもん。……だからこそ分かんないんだよね。なんでそのショーマスが、ルーちんに負けたわけ?」


「うむ。ここで話は戻るが、平時に於いて無能な人間は、必ずや緊急時も無能だと思うかね?」


「あー、それは……。いや、よく分かんないな」


「どうしてだね? 同じ人間ではないのかな? ならば、平時の無能は、いかなる場合でも無能ではないのかね?」


「いや、それは……うーん。えーと……。ゴメン! それはあたしの間違いだわ! それは分かんない!」


「うむ、そう言う事だ。そして、八代目黒瞳王ルーザックという男は、正にその典型だったのだよ。日本という世界における彼は、無能だった。マニュアルに固執し、全員が理想的な動きを行えば目標は達成できると、そう言う男で、彼に味方はいなかった」


「ほえー」


 少女はカステラの残りをむしゃむしゃやりつつため息を吐く。


「やっぱルーちん、仕事出来ない子だったかあ」


「だが、彼はディオコスモという異常な場所、異常な環境、異常な状況において、日本とは全く異なる性質を発揮した。それが、あの勝利だよ。黒瞳王という地位。黒瞳王という力。魔族達に対する命令権。それらを得た彼は、なんと愚直にも、一人一人の魔族に対して納得感のある指揮を行おうと心がけた」


「ああ、やってたやってた! なんでそんなまどろっこしいことしてるのって、ホントあたしも思ったわ! でも、なんか気づいたら、ルーちんって魔族の子達にすっごい慕われるようになってるの! それに、マニュアルに従って上手く行ったら、なんかゴブリン達、顔つきが変わるのよね。で、次もすっごく成功しやすくなる。まるで全然別の人みたいになったの」


「魔族達は、ルーザックという男に対して、余計な偏見を持たずに接した。そして、最初の従者であるジュギィというゴブリンの少女を先頭に、ルーザックが語る理想論を実行した時、何が起こるかを理解していった。最初の成功はそりゃあ危ないものだった。あれに関しては、君の助力が無ければ終わっていただろう。だが、そこで魔族達は、久しく無かった成功体験というものを得た。しかも、マニュアルという、明確な指標に従った結果得られた勝利だ」


「あ──」


「後はこれの積み重ねだろう。そして、常に傲慢にならず、愚直に新たな仲間たちと向かい合い続けた。それが勝利を招き寄せていった訳だ。勝つために支配し、切り捨てた盗賊王。勝つために向き合い、誰も見捨てなかった黒瞳王。これが最後は勝敗を分けた。つまり……ルーザックは戦時に於いて、有能な男だったということだ」


「そういう事……。最後の最後まで、ショーマスの奴はルーちんのこと分かんなかったみたいだしねえ……」


「有能な者には理解できんだろうな。彼は、一歩一歩前進し、積み上げていくタイプの魔王だ。決して手を抜かず、決して油断せず、相手が一瞬気を緩めると、その隙に一歩進む。相手が一人を切り捨てる間に一人を拾い上げ、さらに進む。やがて気付くと、彼を敵に回した者は、無能であったはずの男がすぐ目の前まで迫っている事に気付くのだ。どれだけ有能で、どれだけ強力であろうと、地位や権力を引き剥がされ、裸になればそう、能力に差があるものではない。ルーザックと相対し、呑まれたらそこで終わる。それがかの男だ」


「ほええ……。ルーちん、凄い奴だったんだなあ」


「黒瞳王になって、ディオコスモに降り立たねば花開かない才能の持ち主だったということだな。だが、次なる相手はショーマスほど甘くは無いぞ。盗賊王は己一人の才能を信じ、これだけで国を切り盛りして来た。だが、君たちの国、ダークアイと隣接するグリフォンスとゴーレムランドは、それこそホークウインドとは次元が違う。二国にホークウインドが滅ぼされなかったのは、ショーマスが二国の間で巧みに立ち回っていたからに過ぎない。このショーマスが潰えた今、ダークアイの運命は風前の灯火と言えよう」


「ええ……。それってまっずいじゃん!!」


「そう、まずい。だが、幸いなことに君の再生が間に合った。ショーマスの奪取スティールの力が、君の魂の欠片を能力として所有していたからこそ、完全に近い形で君を蘇らせる事ができた。足りないのは、黒瞳王としての魔族への絶対命令権のみだ」


「そりゃ、ルーちんが現役なんだもん。ロートルのあたしは補助に回りますよーだ」


「ああ、頼むぞ。では元七代目黒瞳王こと、魔将アリーシャ。再びディオコスモは、魔族の国ダークアイへと赴き、黒瞳王ルーザックを補佐したまえ」


「かしこまりー」


 少女は立ち上がった。

 揺れる艷やかな黒髪はポニーテールに纏められ、瞳はどこまでも深い闇色。

 真っ白な肌の中で、唇だけが紅をさしたように鮮やかだ。


 そして、彼女の降臨が、ディオコスモにおける、光と闇の戦いの新たな局面、その始まりを告げる事になるのである。

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