第32話 ショウダウン・黒瞳王vs盗賊王
この戦争の進捗は、常軌を逸していた。
極めて困難な城攻めを行う、言わば包囲戦。
包囲して、相手の飢えを待つ勝負をする手もあった。
だが、背後を包囲していた船団が打ち倒された。
籠城側の攻撃で、包囲側の一角が崩されたのである。
次に、包囲側は虎の子である最強の手札を遣わした。
暗殺騎士という、個人最高の戦力である。
これを、籠城側は情報撹乱を用いて連携を妨害。
各個撃破を行った。
特筆すべきは、双方の被害数だ。
船団は全滅。
地上で包囲する兵力の大部分は無事。
だが、主要な戦力が壊滅。
対して、籠城側……魔王軍の損害は極めて軽微。
「ということで、タイムテーブル通りならば盗賊王が出てくる。この戦場にいないならば、暗殺騎士を一度に五人も投入するなんて考えづらいだろう。あるいは、虎の子のあと一人、俺達が見ていない暗殺騎士が出てくるかもしれない」
「黒瞳王サマ、それについては、鷹の右足城から報告が伝わってきています。強力な暗殺騎士を一名確認、単眼鬼サマが足止めしていると。大変慎重で、引き際を心得ている相手らしく、攻めては退き、攻められては守り、と勝負がつかないようです」
「そうか。ならば盗賊王はこちらにいると考えるのが自然だな」
ルーザック達が会話しているのは、山城に築かれた大広間。
暗殺騎士襲撃の翌日である。
「アリーシャ、盗賊王は辛抱強い方だった?」
「まっさか。自分がその国のトップだってーのに、喜んで最前線出てくるようなやつよ。んで、決闘とかそう言うのも大好き。ヒーローになりたい願望がある人なのかもね」
「実質ヒーローみたいなものだろう。で、後ろから刺されたと?」
「そそ。それはね、元々あたしの能力なのよ。瞬間移動。あいつ、これをあたしから奪ったの。あいつって能力を相手から奪えるみたい」
「正に盗賊王だな」
「でしょ」
二人の黒瞳王の会話に、カーギィが青ざめ、ディオースは難しい顔をした。
この場に同席を許されているジュギィは、よく分かっていないらしく、ルーザックと他の幹部達の顔を交互に見比べる。
「どうしたの?」
「ジュギィ、これはとても不味い事だわ。だって、黒瞳王サマも能力を奪われてしまうことになる。対策しなくては……」
「うむ。噂に聞く七王だが、盗賊王がそれほど恐ろしい力を持っていたとは。私相手ならば、精霊魔法の力を奪うのだろうな……。ましてや、それが黒瞳王ともなれば」
「へ?」
アリーシャが間抜けな声を出した。
そして笑い出す。
「いやね、そんなん、全然平気。大丈夫。だってルーちんの能力ってね?」
「私は困るのだが」
ルーザックは本当に困った顔をした。
城中に、ゴブリンたちの高周波が響き渡る。
この戦において、この叫びは使用せず、とした取り決めを破るほどの動揺を、その声からは感じ取れた。
一体何が起こったのか。
戦闘において、非常事態となれば数が限られてくる。
「い、今、ゴブリンの一隊が一瞬で全滅しました……!」
「来たか。全員、撤退。全力で撤退せよ」
カーギィの言葉に、ルーザックが即座に指示を出す。
どれだけマニュアルの力で底上げしようと、あまりに次元が違う存在とは、勝負にすらならない。
カーギィは即座に、撤退命令を出した。
その言葉の中に、「これは撹乱ではない。黒瞳王様の命令である」と織り込む。
岩山を守るゴブリンが退けば、程なくして下でひしめく軍勢も上ってくるだろう。
だが、彼らが山城に達する前に、
山城が、開戦以来初めて、大きく揺れ動く。
ゴブリンたちの叫び声が聞こえる。
攻め寄せる兵士達の雄叫びが聞こえる。
ルーザックは玉座に座したまま、動かない。
「一応レルギィを呼んでくれ」
「はい」
カーギィが声を発すると、程なくして扉を蹴破るような勢いで開け、ゴブリンロードのレルギィが馳せ参じた。
手にしているのは、暗殺騎士から奪った剣。
かなり上質の代物で、これを雑多に三本、腰に佩いていた。
「待ってたわよルーザックサマ! さあさあ、暗殺騎士でもなんでもかかってこーい!!」
「盗賊王が来る」
「えっ!!」
レルギィの顔が一気に明るい緑色になった。
ゴブリンは肌色が緑だが、血の色が青いのだ。
血の気が引くと、皮膚の葉緑素の色ばかりが勝ち、明るい緑色になる。
「どどど、どうしよう。伝説の七王じゃないですか」
「それは俺が相手をするから、補助をしてくれればいい。カーギィは盗賊王の動きの監視、ディオースは俺の支援と、レルギィの支援」
「かしこまりました!」
「ああ、分かった」
「じゃあ、始めるか。盗賊王ショーマスなら、もうこの中に侵入しててもおかしくは無いだろう」
ルーザックは立ち上がった。
すると、笑い声が屋内に響き渡る。
「へえ、分かったか! 分かってしまうか。そうとも! そうとも、おれはもう既にここにいる!」
「そ、そんなまさか! さっきまで、山肌で戦闘が……!」
「瞬間移動を使ったんだよ、あいつ!」
アリーシャの指摘に、声は驚きの色をにじませた。
「ほお、その声は。おれが殺した小娘の黒瞳王じゃないか。まさか、生きていた? いや、その哀れな姿はそうではあるまい。魔神の慈悲とやらでそのような姿になったか。何せ、お前の魂と能力は、このおれの中にあるのだからな」
「むっ、ぐぎぎぎぎ……!」
アリーシャがルーザックの肩の上で地団太を踏んだ。
ルーザックは顔をしかめた。
「痛い」
「あっ、ゴメン、ルーちん!」
ルーザックはカーギィに声を掛ける。
「盗賊王を探してくれ。どれだけ些細な痕跡でもいい。ディオース、土の魔法でカーギィを」
「はい!」
「もうやっている」
次の瞬間、闇の中から無数の短剣が飛んだ。
その全てがカーギィを狙っている。
完全な死角からの攻撃であった。
だが、それらは不意に盛り上がった土の壁に阻まれる。
カーギィとディオースの足元は、石畳ではない。既に、剥きだしの地面に変わっていた。
「ああ、ああ! こいつは、こいつは!! お前が! お前が黒瞳王か! ははは! パッとしない奴だ! だが、このおれを慎重か大胆か分からない戦い方で追い詰めてきた! お前が! お前がそうか! おれの子飼いの優秀な方の暗殺騎士を次々殺して! 相討ちがゴブリン一匹と来た! お前がそうか、黒瞳王!!」
「いかにも」
ルーザックは剣を構えた。
漆黒の魔剣である。
「ああ、もうダメ! ルーザックサマ、全然盗賊王の姿が見えない! わかんないよ!」
レルギィが泣き言を漏らした。
そんな彼女にも、容赦なく短剣が襲い掛かる。
それは、カーギィに放たれたそれと同じものであった。
地に堕ちた短剣が消え、再び放たれてくる。
その前に、ゆらりとルーザックが立った。
剣王流守りの構え。
短剣が次々と迎撃される。
「同じ軌道だった」
「ほお……、剣王流……!! やはり、お前か。ダンを殺した男は。ロートルだったが、俺の言うことを聞けば英雄に祭り上げてやったと言うのになあ。おい、ジン! いたぞ、父親の仇だ!!」
盗賊王の声と同時に、闇から一人の男が降って来る。
彼は着地すると、剣を構えた。
「剣王流」
「そうだ。古式剣王流。父から教わった剣だ……!! お前が殺した、英雄ダンから教わった剣……!」
「私も彼の弟子だ」
「おっ……お前のような者が、父の弟子であるものか!! 古式剣王流ジン、参る!!」
男は、凄まじい勢いでルーザックに迫った。
剣王流、見えずの太刀。狙いは一つ、ルーザックの首。
だが、これは立てられた黒い魔剣によって防がれた。
「悪いが、君に関わっている暇は無い。かと言って、君をレルギィに任せる訳にはいかない。君はどうやら強いようだ」
「何を!!」
ジンから次々に繰り出される、剣王流の技の数々。
初見であるはずのそれを、ルーザックは事も無げに防ぎ続けた。
それは、基礎中の基礎である守りの型である。
一切攻めず、広く視野を保ち、最小限の動きで守る。
例え、並みの剣であれば負担となる守りであっても、この魔剣であれば心配はいらない。
魔神のお墨付きの丈夫な剣なのだ。
「なっ」
ジンの剣が欠けた、
彼は驚愕する。
「暗殺騎士に下賜される名剣だぞ……!? それをなまくらのように!!」
「ディオース、吹き飛ばせ」
「御意」
風が吹いた。
一瞬、意識を剣に向けていたジンは対応できない。
「う、うわあああ!!」
ふわりと足が宙を浮き、城外へと放り出された。
復讐を願う剣士は、戦場から退場する事となる。
ここで、アリーシャは鋭く叫んだ。
「ルーちん!!」
「ああ」
ルーザックは半身になり、背後であった場所へ刀身を向ける。
それに、刃が当たった。
「ああ、お前、本当に後ろに目が付いてるんだったな。二人の黒瞳王相手なのを忘れてたよ……!!」
そこにいたのは、黒い衣に身を包んだ男だった。
顔にまで黒い墨を塗り、目だけが爛々と輝いている。
一切の妥協も驕りも無く、己の姿を隠して後ろから取りに行く、その姿。
彼を暗殺王と呼ぶ者もいた。
それは、まさしく彼のこの姿を指していたのかもしれない。
「“精霊魔法……”」
「させるかよ。暗殺騎士ども……!!」
ショーマスのマントが翻った。
その中から、新たに任命された四名の暗殺騎士が飛び出してくる。
「ぬうっ!!」
暗殺騎士四名と、ディオース、レルギィの戦いが始まる。
「黒瞳王サマ!」
「ジュギィは見学だ。この状況をちゃんと見聞きして覚えておくように。後でテストに出す」
「はい!!」
ルーザックの指示に、若きゴブリンの姫は頷いた。
「ルーザックサマ! 盗賊王の手に!」
「短剣か、了解」
ほぼゼロ距離から放たれた短剣の雨を、寝かせた刀身の腹で防ぐルーザック。
その腹に、ショーマスの蹴りが飛んだ。
これを、手を伸ばして受け止めるルーザック。
「片手を空けたか!」
「うむ。守りの型を実行する際、両手では動きに無理がある状況も存在することに気付いた。その際、片手の方がスムーズなら、もう片方はこうして空く事になる」
受け止めた手で盗賊王の足を握り、ルーザックは力任せに振り回した。
投げ飛ばす。
盗賊王は空中で反転すると、そのまま短剣の雨を降らせた。
「むっ」
ルーザックは呻く。
盗賊王の狙いを察したからだ。
自分に飛んできた短剣は防いだ。
だが、後ろで悲鳴が上がる。
カーギィが肩を抑えてうずくまっている。
「ジュギィ、なんとかカーギィを防衛」
「はい!!」
ルーザックは、着地した盗賊王に向けて間合いを詰めた。
盗賊王は距離を離そうとする。
「っ!!」
そこに、石が放られた。
ジュギィである。
大人しくしろと言われたものの、彼女の中の熱い部分が、それを良しとしなかった。
石に反応した盗賊王の動きが、僅かに鈍る。
ルーザックが間合いを詰める。
「ご、ごめんなさい、黒瞳王サマ……!」
「有効だが、後で指導する」
呟きながら、ルーザックは剣を上段に構えた。
これもまた、剣王流の基礎中の基礎。
上段切り下ろしである。この動きの際、古式剣王流の剣士は、凄まじい爆発力で前進する。
ルーザックは、毎日この基礎の技を欠かさず鍛錬してきた。
基礎しか知らぬが故に、基礎だけをやり続けてきた。
ルーザックの足元で、石畳が爆ぜた。
彼の踏み込みを受け止め切れない。
「はええっ!!」
盗賊王ですら呻いた。
上に回避する余裕なし。右か、左か。後ろ?
ショーマスは瞬時の判断をした。
瞬間移動したのである。
現れたのは、ルーザックの真上。
黒瞳王の踏み込みが速すぎて、彼の後ろへ、瞬間移動後の座標を設定できなかったのだ。
ルーザックは愚直に、最後まで突き進み、剣を振り下ろした。
黒い剣が穿ったのは、石畳と壁。
やすやすと食い込み、砕いた。
大量の破片が飛び散る。
その一つが、ショーマスを背後から打った。
「ぐうっ!!」
なんとか着地する盗賊王。
「盗賊は、正面からやり合うようには出来てないんだがな……!」
そう言いながらも、彼の目にはギラギラとした戦意が宿る。
盗賊王はすぐさま体勢を立て直しながら、ルーザックに手を向けた。
「だから、盗賊としての本当の力で、お前を葬ってやろう! “
「しまった!!」
ルーザックが、戦いが始まってから初めて、心の底から動揺した声を出した。
ショーマスはにんまりと笑う。
「奪った! 奪ってやったぞ、お前の力を! お前を魔王たらしめる、魔神の異能をな……!!」
高らかに宣言し、ショーマスは早速、奪った力を試そうとする。
そして、無言になった。
笑った顔のまま、表情も固まる。
つつーっと、彼の頬を汗が伝った。
「おい」
「何かな」
「何の冗談だこれは。何だ、何なんだこの能力は……?」
「何かと言われても」
ショーマスの手のひらに、ロボットのプラモデルが出現した。戦車から変形する、フェンリルという敵側のプラモだ。
「プラモデル召喚だ」
「ああああああああああああああああ!!」
ショーマスは思わず叫んでいた。
怒りのあまり、プラモデルを床に叩き付ける。
紙で出来たボックスがひしゃげた。
「お、お前、お前は! 実質、何の力も持たずに、おれに! おれにここまで食い下がったと言うのか!!」
顔を上げたショーマスは気付く。
ルーザックは、上段に構えている。
バカの一つ覚えだ。
この男は、これ以外に間合いを詰める技を知らない。
だからこれだけを修練してきた。
攻撃できそうな瞬間があれば、これを放つ。
「くっそ、瞬間移ど」
この瞬間、ショーマスは理解した。
能力奪取の力は、万能ではない。欠点があるのだと。
例えば、能力にはコストが存在する。暗殺騎士から奪った能力は、元々彼が持っていたものだ。片手間でも他人に付与できる。
だが、瞬間移動は、敵であり、しかもその総大将たる黒瞳王から奪った能力。
コストが重いのだ。それだけに意識を集中する必要があるほどに。
そして……プラモデル召喚もまた、同じコストを持つ能力だった。
瞬間移動の発動が、遅くなっている。
「あ、ああああああっ!!」
三十年の平和で飽いていたはずの男は、待ち望んだ敵との戦いだというのに、恐れた。
死を恐れた。
必死になって、彼の剣を掲げる。
ホークウインドでは最高品質の業物だ。
短剣ではあるが、並みの魔剣にも勝るほどの力を持つ。
間合いが詰まっていた。
上段切り下ろしが放たれている。
黒い剣が、ショーマスの剣に触れた。
そして、ガラス細工のように、ショーマスの剣を砕いた。
頭頂に刃が触れ──そのまま、真下まで切り下ろした。
その瞬間。
比喩ではなく、文字通り世界が震撼した。
世界のパワーバランスに関わる程の力を持つ者達は、感覚的に理解したのである。
今この瞬間、ディオコスモにおける、光と闇のバランスが変わったと。
消えかけていた闇が、大きく盛り上がる。
光は七つのうちの一つを、永遠に欠いた。
山城から出た、黒衣の男がいる。
体にフィットした、ジャケットとスラックス。そこにショーマスのマントを纏った、闇の瞳をした男だ。
今正に、岩山を登らんとしていた兵士達は気付く。
男の剣に刺さったものに。
それが何なのかを理解する。
「ショーマス……様……!!」
「鷹の目王が敗れた……!」
「黒瞳王が、鷹の目王を倒した……!!」
「負けた……負けた……!!」
動揺が伝播する。
盛り上がっていた気持ちが、士気が、がらがらと音を立てて瓦解していく。
「うわ、うわあああ!」
最初に逃げ出したのは誰だっただろうか。
絶対的な存在であった王を失った軍は、烏合の衆である。
彼らは、岩山に背を向け、一刻でも早くこの地から離れる為に逃走を始めた。
彼らをまとめられる者はいない。
英雄的カリスマと恐怖で、彼らを支配していた盗賊王がもはや存在しないのだ。
ショーマスの代わりになる者など、この国にはいなかった。
「現時点を持って、私、黒瞳王ルーザックは」
ショーマスを討ち果たした魔王の声が響き渡る。
「ホークウインドを掌握した。そしてこの地の名を改めよう。ここは、我ら魔族にとっての始まりの地。
“ダークアイ”である」
これこそが、黒瞳王ルーザックが異世界ディオコスモの歴史に登場したその瞬間であった。
第一部 完
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