第29話 開戦前夜

「ええ……。どうしよう、これ……」


「おい、おい……」


 リュドミラとアクシオスは、鷹の右足城を前にして立ち尽くしていた。

 彼らの目視できる距離に、巨大な目玉が浮かんでいるのだ。

 それが、じっとふたりの暗殺騎士を見つめている。


「あれ、あからさまにおかしい存在よね……。この間私達が連れた軍隊を光線で薙ぎ払った奴かもしれない」


「こっちを見ていないか? いや、目玉が剥き出しだから何を見ているのか分からないが……」


 アクシオスがそろりと動くと、それに合わせて、目玉も向きを変えた。


「やっぱり……。あれは俺達を見ている」


「ええ……」


 木々の影に隠れてみる。

 すると、こちらからも視認できる高さに目玉が降りてくる。

 茂みを這うように移動する。

 すると、目玉も転がるくらいの高さまで降りてきて、真横を浮かびながら進む。


「ダメだ、完全につけられてる」


「つけられてるっていうか、監視されてるわよ、あれ……! 何、何なのあれ!」


 何かと問われれば、この目玉は単眼鬼のサイクであった。

 ルーザックに要請され、鷹の右足城の尖塔から、周辺地域での二十四時間の監視体制にあったサイク。

 そんな彼が暗殺騎士を発見したため、第一級の危険要素と判断し、直接監視することに決めたのである。


『何かと問われれば、我輩はこの土地の監視役。魔王軍専務取締役のサイクである』


「しゃ、喋った!!」


 リュドミラはドン引きである。

 そして、それ以上にこの訳がわからない相手に、警戒心を募らせる。

 人間の言葉を理解し、それを自在に操る。

 空を自由に飛び回り、暗殺騎士のあらゆる隠身能力を見通す。

 そんなものが、生半可な魔族であるはずがない。


「気持ち悪い……! このっ!」


 だが、リュドミラは空飛ぶ目玉という、生理的嫌悪感を感じる相手の姿に、ついつい衝動的に攻撃を加えてしまっていた。

 彼女が使うのは、鉄の分銅である。

 糸に繋がっており、これを高速で行使するため、傍目には分銅が鉄球に見える。

 抜き打ちに放ったのは、完全武装した男相手でも、一撃で昏倒させうる大型分銅。

 それは狙い過たず、巨大な目玉に炸裂した。

 だが、表面に当たっただけだ。

 めり込むこともなく、分銅は跳ね返された。


「なっ……!」


『やはり敵対者か。人間は見分けがつかなくていかん。こうして行動してくれれば、排除するかどうかを判断できるというのにな』


 目玉はぶつぶつと一人ごちると、その行動を変化させる。

 ギラリと虹彩が輝き、リュドミラを見据える。

 彼女は慌てて、その場から飛び下がった。

 一瞬前までいた場所が、何か重いものを叩きつけられたかのように陥没する。


「なんだっ!? これは、まずいぞ……! リュドミラ、撤退だ! よく分からないものに関わるな! これは、まずい予感がする……!!」


 アクシオスは、鋭い感覚を武器にしている。

 戦い方こそ凡庸だが、相手の挙動や、動作の起こりを察知し、何もさせずに倒す術に長けているのだ。

 そんな彼がまずいというならば、本当に相手は尋常ではない存在なのだろう。


「仕方ないわね。ここは撤退……!」


 逃げかけたリュドミラの肩口に、凄まじい衝撃が掛かる。


「ぐううっ!」


 彼女は吹き飛ばされた。

 まるで、勢いよくメイスで殴られたような衝撃。

 これを感じた瞬間に自ら飛んだから、ダメージは減少できている。

 それでも、肩の骨がみしみしと音をたてるのを感じた。


「指!?」


 アクシオスが叫んでいる。

 彼は倒れかけたリュドミラを素早く抱えると、猛烈な勢いで逃げ出した。


「あの目玉が光った瞬間、巨大な指先がお前の肩を弾いたんだ。あれは目玉だけの魔族じゃない。もっと強大な何かの一部だ……!」


「そ……そう言えば、さっき単眼鬼って」


「おとぎ話にしか出てこない化物だ。だが、そいつが実在するとするならば……ショーマス様に報告をせねば……!!」


 アクシオスは呻いた。

 これを聞いて、リュドミラは青ざめる。


「待って! その名をここで口にしたら、私達は……!!」


 その瞬間である。

 逃げる暗殺騎士二人の前に、豪奢な装飾品で身を固めた男が現れた。

 それは蜃気楼のように揺らめき、姿も曖昧である。


奪取スティール


 彼はそう呟くと、手を伸ばした。

 アクシオスとリュドミラは、恐怖に表情を歪める。

 そして、何かが彼らの中から抜かれた。

 一瞬、二人の暗殺騎士は呆けた表情になる。


『むっ、七王直々のお出ましとはな。では力を使わねばなるまい。“魔眼オプティックブラスタ”』

 

 サイクの目玉、つまり全身が輝いた。

 角膜の上に輝きは収束し、視認できないほどの眩さとなる。

 それは一種、真昼の太陽をも凌駕する程に強まると、放たれた。


『おっと』


 蜃気楼の中に現れた男は、そう呟くと唇の端を笑みの形に歪めつつ、姿を消した。

 跡に残されたのは、足を緩めた二人の暗殺騎士である。

 彼らは自分達が何のためにここにやって来たのかを忘れ、呆然としていた。

 その背後から、死の輝きが襲いかかる。

 魔眼光は、暗殺騎士二人をやすやすと飲み込んでいった。






「暗殺騎士二名を失いましたが、よろしかったので?」


 いつもの部屋で、ウートルドは主君に尋ねた。

 それに対し、鷹の目王ショーマスは笑って答える。


「戦う気を失った者など惜しくはあるまい。戦場であからさまにおれの名を呟くような者は特にな。彼らの能力はおれが与えたものだ。記憶も力も、こうして奪ってある。また忠誠心が篤い兵士でも見つけ、暗殺騎士に仕立て上げるさ。それを思うと、ロシュフォールとガグは勿体無いことをした。回収しておくんだったな」


「恐ろしいお方だ」


「談笑している隙は無いぞ。準備をしろウートルド。黒瞳王は既に放置していて良い次元ではない戦力を整えつつある。あれはじきにおれの首を取りに来るぞ」


「ほう、二国の戦争を背にしながら、こちらも勝負を始めますか」


「腹の中から食い破られんためにな」


 ショーマス軍と魔王軍の戦いへ、大きな一歩が踏み出される。






 鷹の翼地方。

 岩山は、着々とルーザックにとっての城塞に改造されつつあった。

 ロックワーム部族のゴブリンが総動員されているのである。

 彼らはダークエルフの指示に従い、あちこちをくり抜き、見張り台とし、罠を仕掛け、あるいは斜面を削って絶壁とする。


「進捗はどうだ」


 ルーザックがひょっこりと工事現場に現れた。

 マニュアルの仕事は、彼が教育したゴブリン達に割り振ってある。

 久々に、黒瞳王はオフなのだ。

 現場で指揮をとっていたダークエルフのディオースは、そんな彼を近くに招いた。

 石を削って座席が作ってあり、上に藁を編んだ座布団が載せられている。


「ここからなら一望に出来よう。岩場に最適化されたゴブリン達の働きは素晴らしい。奴らは基本、器用であるし、工事のやり方を覚えれば、設計図通りに進め、問題があれば自らの判断で改良する。鷹の翼は、鉄壁の城塞となりつつあるぞ」


「では、ここが盗賊王との決戦の地になるな」


「ほう。鷹の腹平原で勝負を決するのではないのか。やはり貴方は愚かではないな」


「広い空間での集団戦であれば、人間側に戦術、戦略ともに一日の長がある。我々は自らのテリトリーに彼らを誘い込み、勝負を仕掛けるべきだ。幸い、後方で人間達は戦争をしている。大きな動きが無い限り、盗賊王に援軍が来ることは考えにくい」


「開戦前夜ということか……。急だな」


「今までが前振りだった。物事は、進み始める時は一気に進むぞ」


 そしてこの会話の最中、ゴブリン達が高周波でのやり取りを開始した。

 ディオースの耳がピクリと動く。


「ゴブリンの言葉が分かるのか?」


「うむ。我らダークエルフは、ゴブリン達がやり取りするこの高い声を聞き分けることが可能だ。どうやら、ゴブリンの一人が暗殺騎士を発見したようだ。一人、二人……別々の方向から三人、この城へ侵入を試みようとしている」


「個別か。これだからマンパワーを頼りとするタイプは嫌なんだ。よほど自分に自信があると見える」


 ルーザックは立ち上がった。

 ディオースもまた腰を上げ、ルーザックを導く。


「では、我らの城の仕上がり具合を観戦していくか? 発見されないからこそ、暗殺騎士は強い。だが、こうして貴方に訓練された魔族が、連携を取って彼らの存在を認識したらどうなるか。新たな時代の魔族の強さを、彼らに見せつけてやるとしよう」


 ダークエルフは、まるでルーザックのような事を言った。

 ルーザックの肩にぶら下がったアリーシャが、


「うわー、ルーちんが二人に増えたみたいだよ」


 と呟いた。

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