第27話 開戦、ホークウインド戦争

 白羽平原は、ホークウィンドの中央に広がる肥沃な広野である。

 この北端に王都鷹の心臓ホークハートがあり、それに連なる町や村、農園が続いている。

 いつもであれば、牧歌的な風景が見られるであろう広野は、しかし今は人どころか家畜の気配すら無い。


 麦穂が揺れる。

 放置された畑を小柄な影が幾つも走っていく。

 ゴブリンだ。


「敵、人間、いない」


「注意する」


「進む」


「ギッ」


 一人が走った。

 麦の間から顔を出し、周囲を伺う。

 ゴブリンは唇を尖らせ、高周波を発した。

 展開しているゴブリン達全てに、現状の報告を行ったのだ。


 そこへ、別の高周波が放たれた。

 ゴブリンは慌てて麦穂の中に引っ込む。

 一瞬前まで彼の頭があった場所を、巨大な刃が薙ぎ払った。


「ちっ!! ゴブリンどもの甲高い声がしたと思ったが! 連携して危険を伝えたか!!」


 ずんぐりした男が降り立った。

 黒いフードに、サーコートを纏っている。

 ホークウインドが抱える最強戦力、暗殺騎士の一人である。

 人の可聴領域を超えたゴブリンの高周波を正確に聞き取り、魔族に気配を悟らせることなく動く。

 単純に、今回彼の攻撃が避けられたのは、暗殺騎士の姿が視認されたからである。

 無数のゴブリン達が、麦穂の間から目を覗かせていた。


 彼らは暗殺騎士を確認すると、即座に決断した。

 まるで、あらかじめ条件が定められていたかのように、一斉に退却を始めたのだ。

 全速力での撤退である。


「おい……おいおい! なんだってんだ!」


 暗殺騎士は、慌てて彼らを追う。

 逃げるゴブリンに追いすがることなど、造作もない。

 暗殺騎士の速度は、状況によっては全力の馬にも優る。

 だが……いかんせん、数が多い。

 全てのゴブリンがバラバラに、全速力で逃げ出すのだ。


「ちっ!! 面倒だが、一匹ずつ仕留めていくかぁ!」


 舌打ちしながら、彼は巨大な刃を背負った。

 走りながら、前方へと体を傾けていく。

 転倒するような動きで、体ごと背負った剣を抜き撃つ。

 暗殺騎士の体が空中を、捻りながら回り、周辺の麦穂をことごとく刈り取った。


「ギィーッ!」


 運の悪いゴブリンが一人巻き込まれ、切り裂かれて倒れた。

 だが、ただ一人だけ。


「一匹だと!? おいおい……!」


 ゴブリン達が、一斉に伏せている。


「なんだなんだ、こいつら……! 戦う気がねえってのか! 逃げ切れるとでも思ってるのかよ……!!」


 もう一度、暗殺騎士は剣を背中に収めて跳躍した。

 まるで弾力あるボールのように、ずんぐりした肉体が跳ねる。

 と、そこへ投げつけられる物がある。


「!!」


 慌て、暗殺騎士は剣を抜き放った。

 飛来したのは槍。

 これを真っ向から叩き落とす。


「暗殺騎士発見! そらそら、みんな行くよ! えーと、対暗殺騎士マニュアル三番!」


 現れたのは、緑の肌をした大柄な女だ。

 耳は尖り、唇から鋭い犬歯が見えていた。

 ゴブリンロードであろう。

 手には、金属片を埋め込んだ棍棒をぶら下げている。

 彼女が率いているのは、複数人のホブゴブリンだ。

 得物は、人間から奪ったのであろう鉄の槍。

 しかも、しっかりと堂に入った構えを見せる。


 暗殺騎士ロシュフォールを相手にしていた時よりも、さらに洗練された槍捌きである。


「おいおい……。マジか」


 暗殺騎士は着地すると、身構えつつ辺りを伺う。

 このゴブリンロードが現れた瞬間、逃げ出していた全てのゴブリンが、退却を止めたのだ。

 無数の視線が、暗殺騎士に注がれる。


「誘い込まれたか……!!」


 だが、たかがゴブリン、と暗殺騎士は笑った。

 どれだけ来ようが、全てこの剣で切り倒してくれよう。

 タイミングを図り、ゴブリン達の呼吸を読み……隙を見て、麦穂が作り出す影に溶け込もうとする。

 だが、そこに投擲された石が当たった。

 ダメージは無い。

 しかし、暗殺騎士の集中を僅かに途切れさせる。


「ぬうっ!」


 また石が投げつけられる。

 当たりそうなもの、当たらないもの、様々だ。

 だが、周囲に群がったゴブリン達が、暗殺騎士に向けて石を投げつけている。

 ダメージがある程の勢いではない。しかし、無視するには当たったときの衝撃が大きい。


「こいつら……!」


 そこへ、繰り出されるのはホブゴブリン達の槍だ。


「うぬっ!!」


 それを、暗殺騎士は剣で薙ぎ払った。

 鉄の穂先が宙に舞う。

 その背中に、また石が当たる。


「ええいっ!」


 暗殺騎士はサーコートを振り払い、背後に向き直ろうとする。

 だが、彼は真正面から注がれる殺気に、慌てて剣を構えた。

 衝撃。

 振り下ろされた棍棒が、剣をみしみしと軋ませる。

 巨大な剣と、太い棍棒。

 ゴブリンロードの接近を許していた。

 力比べの体勢になってしまうが、この女の力が凄まじい。

 ゴブリンは、ほとんどが無性であり、上位種は女である。蟻や蜂と言った、真社会性動物に良く似た生態をしている。

 だから、女のゴブリンであるというだけで、警戒の対象となるのだ。


「馬鹿力が! まるで馬か牛だ!!」


 背骨が折れそうに反れる。

 暗殺騎士はあえて相手の力を受けて倒れ込むことで、一瞬だけ鍔迫り合いに隙間を作り出した。

 そして、ここで生まれた空間を素早く転がり出る。

 起き上がろうとした彼は、そこで気付いた。

 穂先を切り飛ばしたはずの槍を構えて、ホブゴブリン達が駆け寄ってきている。

 棒の先を、突き刺さんばかりの勢いで暗殺騎士へ突き立てる。


「おおおおっ!!」


 もはや、暗殺騎士に奢りは無かった。

 自分が敵に回している者達が、自分やこの国の人間達が知っていたゴブリンとは違うことを、身にしみて思い知ったのである。

 これは、気を抜けば殺される。

 一人一人は大した相手ではない。

 だが、強くはない敵が、必殺の武器を持っていないと言う訳ではない。

 棒であっても、使いようでは容易に人を殺せる。

 ゴブリン達は連携を取り、暗殺騎士の動きを妨害し、集中を妨げ、あらゆる手段を使って攻撃を当てに来る。


「このおっ!!」


 再び振り回した剣が、棒を半ばから切り飛ばした。

 全身を使った回転を活かしながら、これからこちらに向かってこようとするゴブリンロードに備える。

 これならば、いける。

 これならば……!


 次の瞬間、暗殺騎士が目にしたのは、駆け寄ってくるゴブリンロードの背後に経つ、黒い肌の男だった。

 耳が鋭く尖り、金色の瞳が麦穂が作る影から、じっと騎士を見つめている。


「まず」


 まずい、と言うはずだった。

 あれは、まずいものだ。

 おそらく、単身ですら暗殺騎士と戦えるような相手だ。

 それが、全てのゴブリン達を囮に、ずっと潜んでいたのだ。


「“精霊魔法、召喚、サラマンダー。炎刃”」


 薄く細く、糸のような形になった炎が伸びる。

 否、伸びてきていた。

 麦を燃やさぬように、ゴブリン達に触れぬように、細心の注意を持って、炎の糸が暗殺騎士の周囲に張り巡らされていたのだ。

 それは、今、その姿をあらわにした。

 広く、刃のような形に広がる。

 炎の刃は暗殺騎士の首に迫り、サーコートを焼き切り、一瞬でその首を炭化させ、切り飛ばした。


 宙を飛んだ暗殺騎士の首は、風に吹かれて軌道を変え……黒い肌の男、ダークエルフの手の中に落ちた。


「黒瞳王殿に報告せねばならんな。動きに問題がなくとも、武器の強度に問題あり。もっと良い道具があれば弱兵で暗殺騎士を討てような」


「うひい……ダークエルフの魔法、やばいねえ」


「対策されねば、このようなものだ。さあ、宣戦布告の良い材料が出来た。この首を、人間どもの城に送り届けてやろうではないか。丁寧に手紙を添えてな」


 ダークエルフのディオースは、ゴブリン達に撤退を命じる。

 既にこの地域の人間達は排除してある。

 誘い込んだ暗殺騎士も倒した。

 この土地は、ゴブリン達のものとなったのだ。

 しかし、彼らは一見して安全となったこの広野に執着しない。

 攻めやすい場所は、攻められやすくもある。

 魔王軍は、決して油断しない。


 少しの後。

 そこに、何かがいたという痕跡は消え去っていた。


 やがて数日後、鷹の心臓、王都前に暗殺騎士の体と、焼け焦げた首が送り届けられる。

 ご丁寧に、黒瞳王直筆の手紙付きであった。

 この時より、鷹の目王ショーマスとホークウインドは、黒瞳王率いる魔王軍との戦争に突入するのである。

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