第21話 侵入、鷹の右足城
人の側が何もしていなかったという訳ではない。
この土地を治めるドルフ辺境伯は、ショーマスの使いとして、ディオコスモで行われた数々の戦闘に参加してきた猛者である。
戦争というもののやり方は知っている。
攻める側になったことも、守る側になったこともある。
だが、敵としたのはあくまで軍隊。
動きを見せず、浸透してくる相手との戦い方は知らない。
「ロシュフォール卿も帰ってこない……。おい、まだ何も見つからないのか?」
「はっ。周辺村落を調査してはいるのですが、奴ら、異常なほどに慎重で、狩りを行った形跡すらなく。村には、倉庫から食料が奪われた跡もありません。本当に、何の動きも気配も感じられず……」
「撤退したということか……? 引き続き、警戒を密にせよ」
「はっ」
彼に仕える騎士たちを、この二週間の間フル回転させている。
だが、何の成果も掴めてはいない。
騎士と、それに仕える兵士たちの緊張感も薄れつつある。
警戒態勢維持のため、消費される糧食と金も馬鹿にできるものではない。
それに、兵士たちが森や村を常に歩き回っていることに、いい顔をしない民衆は多い。
常に領主に監視されているような気分になるのだ。
領主側と民衆の間に、溝が生まれつつあった。
例えば、村人たちの倉庫から、僅かな麦や干し肉が消えていても、報告しない程度には仲が悪い。
子どもたちが、緑色の小人が村を見て回っていた事に気づいても、親が兵士たちに伝えない程度には。
些細な話の積み重ねだが、それが致命的な事になる。
火の手が上がった。
乾燥の後、積み上げられた麦の束が炎を上げている。
村人たちは慌てた。
近くに火を置かないことは常識である。
子どもたちには火種を与えていない。
ならば、何故火が?
「続け! 黒瞳王サマ、支援する!」
緑の肌の小人達が駆け抜ける。
手にしているのは、出血毒を塗られた刃物。
それを、手近な家畜に浅く突き刺していく。
毒は、耐えきれないほどの激しい痛みを呼ぶ。
家畜たちが暴れだした。
あるいは、小人達は松明を持って走り回る。
古くなった家に火を付け、家畜の資料たる干し草を燃やす。
村人たちは、慌てて火を消すための水を取りに走る。
あるいは、燃え上がる建物の周囲の建造物を破壊しようと行動する。
故に、彼らは気付かなかった。
麦を満載した荷車が、一台消えていることに。
「村が燃えてるってよ」
「マジか!? ゴブリンか何かじゃないのか! でも、奴らが火を使うとか聞いたこと無いんだけど……」
辺境伯の城を守る兵士たちは、ここから動くことが出来ない。
下級の兵士が知れる情報も少ない。
彼らはじりじりとしながら、推測を繰り返すばかりである。
そこに荷馬車がやって来た。
「おおい、止まれ止まれ。そうか、今日が上納品の日だったな」
「村はどうなってる?」
「うむ。麦がみんな燃えてしまうのではと思って、上納する分だけでも持ってきたのです」
馬を御すのは、村人の夫婦である。
共にフードを深く被り、うつむいている。
夫の側が、無愛想な声で告げた。
妙に発音がハキハキし、はっきりしている。
だが、剥き出しになった手は人肌の色をしているし、妻の方は夫にべったりでいちゃいちゃしている。
「そうかそうか。まあ、夫婦揃ってこっちの仕事をしてりゃ、火消しに駆り出される事も無いもんな」
兵士は扉の中に合図をする。
すると、大きな扉がゆっくりと開いていった。
そこから、騎士が顔を出す。
「念のために、検分を……」
言い掛けた時だ。
「────!!」
妻の側が俯いたまま、何か叫んだ。
人の耳には聞こえない、高周波の叫び。
これと同時に、荷台に積まれていた麦が跳ね上がった。
中から、ゴブリン達が飛び出してくる。
「何っ!!」
慌て、身構える騎士。
騎士の目の前には、農夫の男がいた。
だぶっとした服装の袖から、また別の真っ黒な服が見えている。
彼が荷車を蹴りつけると、下にくくりつけられていた物がごとりと堕ちた。
それは、黒い魔剣。
拾われて、そのまま抜き打ちに放たれるのではない。
一旦、青眼に構えられた。
「はっ!? け、剣王流?」
それが、教本に描かれた基礎の通り、真っ直ぐ騎士に伸びる。
「このっ……!」
慌てて盾を構えた騎士。
その盾が、真っ向から割られた。盾を構えた腕が断ち切られる。
「…………!!」
黒い剣が、彼を両断した。
「行くぞ」
「さっすがルーザックサマ!」
農夫の妻を装っていたのは、ゴブリンロードのレルギィ。
衣装を脱ぎ捨て、革鎧姿をあらわにする。
手にした棍棒が、兵士二人を叩き潰していた。
「ギィ!」
「ギッ!」
ゴブリン達が、どんどんと城の中に侵入していく。
彼らは、出血毒と、腐敗毒の二つの毒を塗りつけた短剣を持つ。
全ての馬を行動不能にし、使用人たちを倒す。
兵士や騎士は、ルーザックとレルギィが各個撃破である。
さらに、開けっ放しの扉からホブゴブリン三名も飛び込んできた。
三人で一人の兵士を相手取り、確実に倒すスタイルである。
「城の見取り図を手に入れられなかった事が残念だが」
「カーギィと単眼鬼が透視してましたからね! 私、覚えてます!」
レルギィがルーザックを先導した。
階段を駆け上がっていく。
騒ぎを聞きつけて現れるのは、武装も半端な騎士たち。
これを、片っ端から棍棒で殴り倒していくのだ。
オーガに匹敵すると言われる彼女の
いきなりの事態に浮足立った兵士や騎士が、太刀打ちできるものではない。
次々に、彼らは打ち倒されていく。
あるいは、背後から来るものはルーザックが的確に仕留める。
階下では、ホブゴブリンとゴブリンが連携し、戦っている。
彼らの動きは迅速だった。
迎え撃とうにも、騎士や兵士の半ばは、城外へでかけてしまっている。
手が足りない。
手が足りないところに、各個撃破で着実に頭数を減らされていく。
「ルーザックサマ、ここ!」
レルギィが目的となる部屋を見つけた。
扉を蹴破ろうとして、そこをルーザックに止められた。
「慎重に行こう」
ルーザックはドアノブを回すという、正しいやり方でドアを開けようとする。
鍵が掛かっている。
彼はこれを確認した後、魔剣でドアを破壊し始めた。
まずは一箇所に切りつけ、そこから下に切りつけ、今度は横に。
ドアをくり抜くように、的確に破壊していく。
向こうに誰かが待ち伏せしているとしても、対処できる程度の速度だ。
こんな悠長な事をしていれば、騎士や兵士は駆けつけてくるだろう。
それを相手取るのがレルギィの仕事だ。
棍棒と、騎士から奪った剣を振り回して威嚇する。
「よし、これで扉はくり抜いた。行ってくる」
「気をつけてね!」
レルギィがウィンクした。
ルーザックはこれを、大変微妙な表情で受け止めると、ものも言わずに部屋の中に入っていく。
「お前が……魔族の首魁か」
「いかにも」
部屋の中には、騎士が二名と、地位が高い男が二人。
一人はドルフ辺境伯。もう一人は、ルーザックが見知った男だった。
鷹の尾羽砦の騎士爵、ガルト。
彼は驚きに目を見開き、ルーザックを見据える。
「ルーザック、ま、まさかお前が魔族だったとは……! それに、その漆黒の瞳……! まさか……」
「黒瞳王。それが私の役職だ」
ルーザックが剣を構えた。
騎士たちが、室内の貴人を守るように前に出る。
その瞬間である。
彼らの背後、窓ガラスに異様な物が映った。
『なあるほどな。これなら魔眼光はいらぬという訳か! わはは、手加減して勝てるというのは楽でいいな!』
しわがれ声を上げて笑いながら、人の胴体程もある巨大な眼球が、窓を破って飛び込んできたのだ。
「なっ!?」
ルーザックを除く、誰も反応できない。
ガルトが目玉に弾かれて、壁まで吹き飛ばされた。
この隙に、ルーザックが騎士の一人を斬り捨てる。
「!!」
慌てて戦闘態勢になった騎士に、ルーザックは真っ向から斬りつけた。
黒瞳王の剣を受けてはならない。
剣も盾も、何もかも切断するからだ。
それを知らぬ騎士は、攻撃を防ごうとして叩き切られた。
悠然と振り返るルーザック。
「黒瞳王……」
ドルフは呻いた。
だが、かつて強者として慣らした身。
おめおめとこのままやられる訳には行かない。
ドルフが抜いたのは、僅かに光を放つ魔剣。
ルーザックの剣に及ぶべくも無いが、それでも魔力を宿した強力な剣である。
「このままやらせはせんぞ……! せめて、お前の腕一本でも持っていく……!」
「決死の覚悟という訳か。その気持ちに付き合うつもりはない。サイク」
『おうおう!』
巨大な眼球が、ルーザックの肩越しに浮かび、その瞳孔をカッと開いた。
すると、室内全体を凄まじい輝きが満たす。
「ぐわっ!!」
ドルフは一瞬目を伏せた。
目がくらみ、何も見えない。
この隙に、ルーザックはテーブルをドルフ目掛けて蹴った。
巨大なテーブルがひしゃげながら、部屋の主にぶつかる。
「ぐほおっ!」
魔剣はテーブルに突き刺さり、ドルフの体をそこに固定する。
ルーザックは慎重に魔剣を避けつつ、テーブルを破れた窓まで押し込んでいった。
「な、何っ! これは……凄まじい力……!」
「私が倒れては、今後の業務遂行に差し障りがある。あなたはこのように、リスクの低い方法で排除させてもらおう」
黒瞳王は事務的にそう告げるとテーブルを窓の外へと押し出した。
ドルフ辺境伯ごとである。
「あっ……あ──────」
声が、落下していった。
「へ、辺境伯!! おのれ……!」
ガルトが体勢を立て直す。
だが、彼には単眼鬼が迫っていた。
目玉だけになろうと、そして何の魔力を使わずとも、この上位魔族はただの騎士を叩き潰す程度のことは、造作もなくやってみせる。
後をサイクに任せ、ルーザックは扉を出た。
濃厚な血の匂いが漂っている。
あちこちで、人の叫ぶ声がしていたが、それも段々と減っていく。
「さて、これから掃除と……外に出ている騎士たちも排除せねばな。それから……そろそろ盗賊王が気付いてもおかしくない」
既に、ルーザックの頭は次の計画に移っているのであった。
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