第17話 暗殺騎士vsゴブリン遊撃隊
暗殺騎士とは、正式な騎士ではない。
優れた身体能力を持つ者を選定し、それに鷹の目王ショーマスが異能を授けた存在だ。
その戦いぶりは、人智を超えると言っていいものだ。
壁を、天井を、まるで大地であるが如く駆け、目前から一瞬で死角へと消え、専用の刺突剣で相対するものを
かつて、ショーマスと黒瞳王が戦った際も、暗殺騎士は単騎で敵陣の只中に飛び込み、敵将の首を上げて魔王軍の士気を崩したと言う。
彼らの名は、ホークウインドに轟く英雄の名でもあり、聞くものの背筋を粟立たせる人外の名でもあった。
暗殺騎士ロシュフォール。
鷹の右足地方に派遣された、八名の暗殺騎士の一人である。
その顔は、甲冑に覆われて見えない。
強化皮革と、魔族の骨で作られた甲冑は、強靭で軽い。
縦横無尽に動き回る、暗殺騎士の動きを邪魔しないのだ。
「鷹の尾羽は落とされたというのに、ゴブリンの姿はなし。おかしい」
彼は森の中を疾走する。
そこは大地の上ではない。
木々の上だ。
枝から枝へを、まるで平坦な道であるかのように走る。
「かつての記録では、勝ちに奢った魔族は統率を欠き、町や村を我が物顔で闊歩したと言う。だが、今回のこれは明らかに違う。必要量だけの略奪を行い、速やかに撤退している。欲望に任せた魔族のやりようではない」
一人、誰にともなく呟いているように見える。
だが、彼の方には一羽の鷹が止まっていた。
ロシュフォールは鷹に話しかけているのだ。
「陛下のご予想は当たっておられる。ゴブリンの背後に、何者かがいる。これは、ただの魔族による反乱ではない。これより、強行偵察に移る。行けっ」
鷹が羽ばたいた。
その足には、小さな
飛び立つ間にも、巻物には自然と文字が刻まれていく。
ロシュフォールの言葉が記されているのだ。
鷹と別れた暗殺騎士は、猛烈な勢いで鷹の右足地方へと向かう。
目指すのは、かつて盗賊王と仲間たちが強大な魔族を封じたという山。
ロシュフォールの目は、その地へと向かっているであろうゴブリン達が残した痕跡を追っていた。
(集団が移動した形跡。ゴブリンのみであれば残る痕跡も少ないだろうが、森に慣れてない何者かが同道している)
(足跡からして、巨漢ではない。人間……? それに極めて近い体格の者だ。ダンが戦ったらしき場所に、似た足跡が存在した。衰えたとはいえ、剣豪であった男を倒した相手となれば、要注意)
山の周りをぐるりと廻る。
こと、森や山などに限れば、暗殺騎士の速度は馬よりも速い。
人間を超越した脚力と、あらゆる障害物を無視できる走法で、局地であるほど速くなるのだ。
森を越え、谷に差し掛かる。
(そろそろ、奴らの姿が見える……見えた!)
森から丘へと跳躍し、着地と同時に疾走する。
今、暗殺騎士が、谷間を移動するゴブリンたちへと襲いかかる。
ほぼ同時に、ゴブリンロードの次女、カーギィは接近する相手に気づいていた。
いや、魔法のメガネの力で、見えたというのが正しい。
「レルギィ!」
「分かってる!」
レルギィが、棍棒を構えた。
指示された方向には誰もいない。だが、カーギィの言葉を信じ、そちらに武器を向ける。
その瞬間、棍棒に衝撃が走った。
突然、男の姿が現れる。
「!?」
男は驚きの気配を発する。
「暗殺騎士……!!」
カーギィ、レルギィもまた、青ざめた。
動揺したのは、ゴブリンたちも同じである。
(取った!)
暗殺騎士は勝利を確信した。
明らかに初対面である魔族にまで、己が持つ、恐怖の象徴というイメージが知れ渡っているのだ。
士気を失った敵が、どれだけいようと弱兵に過ぎない。
逆を言えば、どれだけの弱兵であろうと、士気と規律があれば神兵に抗うことは可能なのである。
「集団戦闘マニュアル三番!!」
奇妙な単語を叫ぶ者がいる。
ゴブリンたちの只中、黒い風変わりな衣装を着た男である。
ロシュフォールは彼を見た瞬間に確信した。
これこそが、ゴブリンの反乱における
そして、男の瞳を見て、一瞬彼の背筋が総毛立った。
その目には、一切の光沢がない。
完全な闇である。
闇の瞳を持つ者など、人間であろうはずがない。
即ち、三十年前にショーマスが手に掛けたという、魔族の王。
「黒瞳王!」
暗殺騎士は標的を確定した。
あの男を討つ。
それこそが、ロシュフォールが最優先ですべき事なのだ。
だが、彼の行く手が阻まれる。
突き立てられたのは槍だ。
四名のホブゴブリンが、黒瞳王の前方で、ロシュフォール目掛けて槍を繰り出す。
「何を……」
ロシュフォールは剣を振り回し、穂先の付け根を切り落とした。
だが、切られてなお、棒が暗殺騎士に突き込まれる。
(何っ!?)
暗殺騎士は慌て、大きく後退した。
後退した分だけ、ホブゴブリンたちが間合いを詰めてくる。
「ええいっ、なんだ。調子が狂う……!」
突き出された棒の先端に足を引っ掛け、ロシュフォールは跳ぶ。
ホブゴブリンの一体の頭を踏みつけ、そのまま折る。
「グギャッ」
「これで一匹……」
「集団戦闘マニュアル三番、徹底!」
そこに、ゴブリンたちが槍を構えて向かってきた。
きっちりと規律が取れた動きである。
着地しかけたロシュフォール目掛けて、穂先が繰り出される。
「くっ!」
それを横飛びに回避するロシュフォール。
その横に、黒瞳王がいた。
「しまっ……!」
何のことは無い。
着地から、逃げ場を塞がれるように
黒い魔剣が、暗殺騎士を襲う。
「ぬうっ!!」
ロシュフォールは素早く、地に伏せた。
剣が頭上を通り過ぎる。
切っ先が兜を掠め、まるでチーズを削るように、先端を削ぎ落としていった。
(あれは受けてはならない一撃だ……!)
ロシュフォールはゴブリンたちの足元を、
(一時体勢を立て直し……)
「後方、マニュアル三番、前進!」
ゴブリンたちの中から抜けたと思った瞬間には、彼らはロシュフォールを向いていた。
穂先が上を向き、くるりと反転。
立ち上がろうとしたロシュフォールに突き込まれる。
「うおおおおっ!!」
一瞬たりとも、気を休める余裕がない。
避けきれず、幾つかの槍を受けながら、暗殺騎士は全力で飛び
「集団戦闘マニュアル四番!」
ザッとゴブリンの人波が、左右に割れる。
その中心から、黒い剣を持った男が駆け寄ってくる。
黒瞳王自らの突撃だ。
「ええい、舐めるなっ!!」
暗殺騎士は、空いた手を使って、全身に隠し持った飛び道具を抜き打ちに放つ。
これは黒瞳王に体に幾つも当たるが、不思議な衣服が攻撃を阻み、貫くことが出来ない。
(あ、頭しかないのか!!)
慌て、狙いを変えようとする騎士。
その意識の隙間を
年若いゴブリンの女である。
手にしているのは、ナイフ。
「ちっ!」
ロシュフォールは黒瞳王の頭を狙うことを諦め、ゴブリンの女を迎撃しようと意識する。
だが、同時に、暗殺騎士目掛けて黒瞳王の剣が迫る。
(この剣を受け止めつつ、ゴブリンを投擲で殺す……! その次に黒瞳王を仕留め)
一瞬の判断であった。
暗殺騎士ゆえの、オートメーション化された殺しの思考。
故に、ロシュフォールは致命的な過ちを冒した。
受け止めようと
ほんの少しも、黒瞳王の攻撃を緩めることは出来ていない。
ゴブリンの女は、転倒していた。
足元に、もっと小さな女がいる。それにつまずいたようだ。
ロシュフォールが放った投げナイフは、ゴブリンの女の後ろ髪を掠めていた。
ゴブリンの女は、倒れる寸前にナイフを投げている。
これは、ロシュフォールの腹部に刺さっている。
肉には届いていない。
だが。
黒い魔剣が、ロシュフォールの肩から腹の半ばまで斬り込まれている。
(な)
暗殺騎士は目を剥いた。
(これは、なんだ)
ひんやりとした感覚が、傷口から全身に広がっていく。
ロシュフォールは急速に曖昧になっていく自我の中、自問した。
どこだ。
どこで間違った。
どこで俺は過ちを犯した。
この暗殺騎士が、ゴブリンの群れ如きに。
卓越した個人である暗殺騎士が、ゴブリンの集団を前にして、思考の柔軟さを失った。
それこそが敗因である。
気付く時間など無かった。
かくして、暗殺騎士ロシュフォールは、鷹の右足の城へ戻ることはなかったのである。
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